小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
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 文月の口代わり、揚げものは

 海老しんじょうと蕎麦を揚げたものです。

 レモンを二つにわけて、中をくりぬき
 レモン釜をつくります。

 もって菊と大根おろし、なめこを盛りつけ
 椛をそえます。
 

 直江兼続が原方に奨励したといわれる蕎麦
 畑、米沢は南原産の蕎麦があります。

 駅から小野川街道、相生橋をわたってすぐ
 の蕎麦屋 伝右エ門。

 三角の蕎麦の実の飲み物が付いてきますが
 これに、そば湯をそそいで飲むとおそばも

 一段と美味いですね。
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盆地の北部、日当たりの良い山肌に
葡萄の枝。たわわにぶどうが下がっています。

桃とミックスすると格別ですね。

置賜の秋、桃とぶどうのゼリー。

 小野川温泉から笹原、関の原方集落、南原
 をめぐり直江堤公園で石堤の見学。
 
 蛇堤で休憩し、樋口邸で昼食。

 林泉寺からお城跡を通って禅林寺を見
 宮坂考古館で鎧、鉄砲を見、米沢駅で
 
 終点です。 

 吾妻荘特選の直江兼続ツアーコースです。
 


 

 お城のお堀の水はどこから流れてくるのでしょう。
 松川上流から堀をほって水を引いたもので、
 元御入水として一部堀あとが残っています。

 上杉伯爵邸にもこの水が引かれており
 上杉城本丸の景観を潤しています。

 徳川家康を打ち破った信玄、織田信長を
 震え上がらせた謙信どちらも早く病没して
 天下は取れませんでした。

 信州、川中島で5度の合戦を交え、4度目の
 激戦の時、謙信は武田陣の信玄に一人侵入し
 斬りかかったと伝えられています。

 ホタルも飛んでますね。

 近世初頭、直江兼続の指示で原方部落が形成
 されました。
 六十在家とは現在の法泉町で、最初は六十軒の
 の原方集落だったのでしょう。
 
 石をならべその上にうこぎの生け垣、庭には
 柿、花梨、李などの果樹が植えられたもので

 中門つくりの整然とした短冊形で通りの両側に
 家屋が並んでいたものです。
 

 

 現存する直江石堤公園より米沢よりの、
 クリーンファームという焼鳥屋さんの庭園
 に100メーターぐらい蛇堤と呼ばれる

 石堤がのこっています。これも近世初頭
 松川の氾濫を防ぐために築かれたもので

 河原石を横に積み上げた野面積みと言う
 手法で直江兼続の城下建設の伏線となったものです。