小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
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 上杉神社のお堀端は、本丸の内堀が現在まで
 残っているものです。以前は、ボートなど浮かべて 
 いたものです。現在は、伯爵邸、伝国の杜、
 松ヶ崎神社と一体になって米沢観光の目玉になって
 いますね。

 米沢城の本丸跡に大正12年、東大工学部
 名誉教授、伊藤忠太博士の設計により建設
 された。日本建築の伝統が迫ってきますね。

 上杉城趾、東南角の謙信公の御堂跡から
 伝国の杜 上杉博物館を望みました。
  館内には、郷土史の図書閲覧ルームや
 喫茶スペース、郷土関係図書販売店、公会堂
 等もあり伝国の杜を見渡せる環境で気持ちよく
 調査学習できますよ。

  明治29年、米沢城二の丸・寺院跡に
 上杉茂憲伯邸として建設されたが、大正八年の
 米沢大火で焼失。大正一四年、米沢出身の中条
 誠一郎により設計された。同氏の設計で米沢
 高等工業本館、慶應義塾図書館も現存する。
  現在は、郷土料理店として解放されている
 のでご覧下さい。

 小野川から車で5分、今年竣工した満水の
 綱木川ダムが紅葉でこのあたりの名所ですよ。
 つなぎとは、文字道理古来からの会津街道の中継地点 
 で、江戸期は10軒ぐらい宿もあった宿駅です。
 もとは、平家の落ち武者が定住した地とされ、
 綱木獅子踊りが未だに保存されています。
 青獅子とは、土地の言葉で鹿のことです。
 

 春木屋さんの後ろの高台に、真言宗金乗院があります。
 小野川の住人はほとんどがこの寺の檀家です。
 江戸期には、「寺子屋」としても使用されました。
  この寺は、1650年頃、幕藩期の初頭に設立された
 もので、赤芝の龍青院とともに、御廟所を管理する
 法音寺の末寺として上杉藩が設立したものでしょう。
  その前は、同じ真言宗の福健寺が中世ありました。
 

 身が柔らかくさくっとして、酸っぱさがない
 柔らかい甘さ、お子様のおやつにグッド。
  
 御館山は読んで字のごとく、平井医院のあたりに
 正宗が産湯をつかった場所の史跡があり伊達、仁井田
 にゆかりの深い場所です。

 館山リンゴは、数軒軒を並べた露地物のもぎたてのリンゴ
 をご賞味下さい。 好みで数種類の中から撰べますよ。 

  小野川から車で15分、古代、成島の庄で知られれ、長井氏
  (大江広元の子孫)が創建したといわれる成島神社もある。
  上杉藩政期も崇敬篤く、士族が多すぎて貧乏藩だったので
  江戸中期鷹山公の藩政改革の一環として焼き物を藩内で
  生産する試みがなされた。成島焼きの始まりです。

  
  
  

 これは、将棋の駒の天童温泉温泉街
 公園の一角にある温泉神社です。
 久しぶりに将棋の駒をお店で眺め、江戸期の
 将棋駒などもみてきました。現在の将棋が
 形として定まったのは、江戸期のようです。