小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
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  11月狩猟解禁になりますと、山鳥とりが
  できますが、冬の山鳥汁は最高のごちそうで
  身体があったまり、力がでます。

  この時期に沢蟹のお腹を開いてみると
  子供がたくさん入っています。この沢蟹は
  1っぴきだけだっこしていました。
  ほかの子はもう独り立ちしたのでしょう。
  

 鬼灯と書いてほおずき。これは中に赤い丸い実
 がなりますが、この実を楊枝で中をくりぬき口に含み
 音を鳴らす子供の遊び道具でした。食用フルーツの
 品種もあります。頬突きとも書き子供がほおずきを鳴らす
 意味です。

  豆腐を供えて祈願すればよく願い事がかなう
  といういわれから豆腐地蔵という名がついた
  ようです.とくに安産の神として知られるらしい.



  小野川小学校の筋向かいに明治期より小野川駐在所
  がありました.宿帳にお客様の住所を書いてもらい
  駐在に持っていったものです.小学校は日米戦後まで
  建物は残り、公会堂として無声映画や一座の公演などが
  催されました.



   天孫降臨に始まる日本書紀の物語のとうり
   山ノ神 の背後に天照皇大神が奉ってあります.
   山里の日本人の信仰の原点がこの社の中にあります.




    村杜 山ノ神の名が示すとうり小野川を見下ろす
   銅山の高台に神がまつってありますが、山里の最も
   古い信仰の原型がこの社の中にあります.



   温泉街入り口。現小野川農協の場所に小学校がありました。
   写真は明治36年の版画ですが、右下に小学校、筋向かい
   に駐在所がありました.今のように少子高齢化の時勢と違い
   子沢山の時代でしたから、小野川だけで小学校があった訳です.
  


   歌人で美人の代名詞、小野の小町が開湯した
   温泉として知られた小野川ですが小町がやつれた
   顔をその水に映した川として鬼面橋という名称
   が橋につけられています。明治36年の版画に
   この名称が見られるところをみると明治期には
   小町伝承は小野川で、ポピュラーだったものでしょう。