小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
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 小町が顔を映して窶れた姿に驚いたといわれる
 鬼面川。嵐の日に鬼の姿のようなおそろしい
 暴れ方をするというもう一つの顔があります。
 天保2年(1831年)江戸時代後期、鬼面川
 氾濫し小野川塩取り場と藤屋弥兵ェ以北17戸
 流失すとあります。 
  洪水を防ぐことが火災の予防と共に住民の長い
 課題であったわけですが、明治19年(1886)
 小野川の120間堤防竣工するとあり今の姿に近い
 形になったものでしょう。

 イザベラ、バードは明治初頭 日本奥地紀行
 で米沢盆地を訪れ、東洋のアルカデアと表現
 しまいた。小松に一泊宿泊し 赤湯、上山を
 訪れています。
   原田城趾のダリア園も旬で次第に紅葉が
 里にゆっくりとおりてきます。

 関の樋口さんのところでおもちと蕎麦ごちそうに
 なってきました。これが当主の創作こけしです。
 たくさん展示してありますよ。
  鷹山公が白布にゆく途上しばしば立ち寄った
 といわれていますから、おそらく上杉藩原方武士
 の子孫でしょう。

 南陽市宮内。お宮の内という地名のいわれ。そこに熊野権現
 が奉ってあります。熊野門前、本町特設会場で
 伊達、上杉、熊野信仰など置賜ゆかりの菊人形が
 見事に並んでいますよ。

 サライ、2006年秋特大号「畢竟の湯宿」に
 定宿にしたい温泉欄トップに吾妻荘が掲載されました。
 有り難うございます。皆様のご愛顧に感謝いたします。
           スタッフ一同
 

 ななかまどの実が真っ赤に色づいてきました。
 上杉スタジアム、市内の歩道に秋本番を告げています。
 朝晩、肌寒くなり温泉が恋しく、紅葉シーズンの
 到来をよかんさせています。
  温泉につかり疲労をといた後の郷土料理は
 格別の味わいですね。

  これは、何の石。墓石のかけらです。
 天狗山の北西角のちょっとした広場に
 山水のながれてくるところ、
 升目にきりぬいた、置賜に多い中世の墓石
 がありました。それを探しにススキの原を
 かき分けて、土にうもっていたものを探し
 出したたものです。
  昔、ここにお盆に墓参りにきていた時期もあり、
 山、田もこの近くに持っており先祖は、この辺に
 住んで居たものでしょう。

 伊達政宗は、米沢城から移封されて鳴子の近くの
 岩出山城にうつり、それから仙台を開拓しました。
 米沢城下の小野川温泉と岩出城下の東鳴子は
 親戚のような関係ですね。

  小野川温泉の東側山際1キロぐらい上から
  農業用水のため手彫りの堰がほられている。
  山から流れてくる沢水を集めて小野川周辺の
  田んぼの水を張るための用水路として掘られたもので
  いつの時代になされたかはわからないが、
  手で山際を掘っただけの水路なのでかなり
  古い時代のものでしょう。
    手作りの自然環境が稲作、生命を守るために
  工夫されていたものでしょう。