小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
ログイン

 徳川家康を打ち破った信玄、織田信長を
 震え上がらせた謙信どちらも早く病没して
 天下は取れませんでした。

 信州、川中島で5度の合戦を交え、4度目の
 激戦の時、謙信は武田陣の信玄に一人侵入し
 斬りかかったと伝えられています。

 ホタルも飛んでますね。

 現存する直江石堤公園より米沢よりの、
 クリーンファームという焼鳥屋さんの庭園
 に100メーターぐらい蛇堤と呼ばれる

 石堤がのこっています。これも近世初頭
 松川の氾濫を防ぐために築かれたもので

 河原石を横に積み上げた野面積みと言う
 手法で直江兼続の城下建設の伏線となったものです。
 
 

 十月、国産大豆サミットが川西町で開かれます。

 直江兼続は、四季農戒書で田んぼの畦に豆を植えるように
 すすめており、それから味噌を造ったもので最近まで

 こうした方法が農家で行われていたものです。

 大豆は畑の肉と言われるように良質な蛋白の宝庫で
 私は毎食、豆乳と玄米で蛋白とミネラル、ビタミン
 をとっています。

 猛暑のお盆をすぎて、朝晩がめっきり涼しくなり

 秋の気配ですね。栗のいがも大分大きくなってきました。

 置賜盆地は、フルーツと食の祭典ですね。

 葡萄、桃、西瓜がとても美味しいですね。

 9月3日(月)午前10時から中山峠現場、

 産廃反対の座り込み、が米沢の産廃を考える会

 の呼びかけであります。

 千葉の銚子で全国初の住民勝訴、県の認可取り消し
 
 の判決が先週あったばかりですね。

 これは、飯豊町天狗山の麓の土豪の蔵にある
 先祖書きで上杉藩政期にかかれたものです。

 慶長5年(1600年)の関ヶ原、最上戦争
 で馬上として出陣、その子が19才で大阪、冬の陣

 に出陣された事が記されています。

 直江兼続は、在の土豪層を戦闘や田地の開拓に
 積極的に利用したといわれていますね。

 

 お盆をすぎて朝晩涼しくなってきましたね。

 置賜盆地北端、南陽の山々のぶどう棚に

 デラウエアが色付きました。

 高畠、南陽ぶどうの産地ですが、

 南陽のぶどうは、数百年前に直江が奨励した

 木に接ぎ木をしたものだそうですが

 それは何の木ですか。

 夜になると、お盆にはお墓参りの提灯行列が山に
 明るくみられたものですが、近頃は昼でかけたり

 前後に出かけたりでこの風景がみられなくなりました。
 
 メモリアルデイは外国でもあり、日本でも先祖を
 振りかえる機会で子供の頃の特別な楽しみでした。

 丸に剣かたばみの家紋は、兵農未分離の時代の
 名残でしょう。
 

 ねむの木の葉のように
 今はただ眠ろうよ
 風もない夕暮れに
 ゆれていた白い花

 小野川温泉 鬼面川(おもの川)に今、ねむの木の
 桃色の花が咲いています。
 
 小町伝説は、奥州藤原が土着して、先祖の伝承を
 持ち来たったものでしょう。

 直江兼続は、館山衆に大樽川(鬼面川)の木流しのため
 河川の改修を命じたといわれ、その頃もねむの花は
 咲いていたのでしょう。