ダリア日記
ダリア(天竺牡丹)日記 Vol.57
ダリア(天竺牡丹)の来日!
古文献によると、ダリアは江戸時代オランダ船により長崎に輸入され、それが関西、関東に広がったものであることが察しられる。
すなわち「天竺牡丹に三品あり、極紅吹詰の一品は天保十二年(1841年)初めて巣鴨の地に住む長太郎となんよべるもの、長崎より取り入れ、紫花黄花の二品は今年浪花より来れり」《弘化三丙午年(1846年)松平菖翁著「百花培養考」》。
また一説には天保十三年にポルトガル人の手によって「薬玉」と称するポンポン咲きのものが初めて輸入されたとも伝えられる。
(ダリア全書・松尾真平著・1960年)
2006.08.15:
acocotori
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古文献によると、ダリアは江戸時代オランダ船により長崎に輸入され、それが関西、関東に広がったものであることが察しられる。
すなわち「天竺牡丹に三品あり、極紅吹詰の一品は天保十二年(1841年)初めて巣鴨の地に住む長太郎となんよべるもの、長崎より取り入れ、紫花黄花の二品は今年浪花より来れり」《弘化三丙午年(1846年)松平菖翁著「百花培養考」》。
また一説には天保十三年にポルトガル人の手によって「薬玉」と称するポンポン咲きのものが初めて輸入されたとも伝えられる。
(ダリア全書・松尾真平著・1960年)