ダリア日記
ダリア(天竺牡丹)日記 Vol.46
『天竺牡丹』から『ダリヤ』へ、そして『ダリア』
ダリアの名前の変遷についてこれまでも取り上げてきました。
アメリカインデアン達は「アココトリ(水の管)」と呼び、ヨーロッパに渡ってからは「ダーリア(植物学者の名前)」、江戸時代に日本へ入ると「天竺牡丹(外国産の牡丹に似た花)」、そして明治の頃には「ダリヤ」「ダリヤス」などと呼ばれるようになりました。
大正から昭和に移ることにようやく「Dahlia」のスペルに順ずる「ダリア」「ダーリア」と呼ばれるようになりましたが、地方の愛好家や園芸家の一部で、永く「ダリヤ」と呼ばれる事になります。
写真は、昭和9年発行の「北海道ダリヤ協会会報・創刊号」と翌年発行の「同・第二号」です。タイトルは「北海道ダリヤ協会会報」であるものの、発行者が「北海道ダリア協会」となっています。当時の混乱を物語っている、非常に珍しい資料である。
2006.07.25:
acocotori
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メモ
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ダリアの歴史
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精興園カタログ
写真は、昭和十年発行の精興園園芸カタログ(広島県)「菊・ダリヤ・花菖蒲・朝顔・その他一般花卉」です。
ダリアの球根と併せて、種子も販売・流通されていたことが伺い知ることが出来ます。(カクタス咲き特選種、デコラチーブ咲き特選種など)
2006.07.25:tenjiku-b:
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ダリアの名前の変遷についてこれまでも取り上げてきました。
アメリカインデアン達は「アココトリ(水の管)」と呼び、ヨーロッパに渡ってからは「ダーリア(植物学者の名前)」、江戸時代に日本へ入ると「天竺牡丹(外国産の牡丹に似た花)」、そして明治の頃には「ダリヤ」「ダリヤス」などと呼ばれるようになりました。
大正から昭和に移ることにようやく「Dahlia」のスペルに順ずる「ダリア」「ダーリア」と呼ばれるようになりましたが、地方の愛好家や園芸家の一部で、永く「ダリヤ」と呼ばれる事になります。
写真は、昭和9年発行の「北海道ダリヤ協会会報・創刊号」と翌年発行の「同・第二号」です。タイトルは「北海道ダリヤ協会会報」であるものの、発行者が「北海道ダリア協会」となっています。当時の混乱を物語っている、非常に珍しい資料である。