ダリア日記
天竺牡丹日記 Vol.13
食用として成就しなかったダリア(Vol.10)
ダリアが再び現れたのは1790年。
前年にメキシコの植物園よりスペイン王室植物園へ送られたダリア(まだアココトリと呼ばれた)の種子が花を咲かせた。(半八重咲の紫色花、一重裂きのローズ色花)
これが、ヨーロッパにおける「ダリア」の誕生である。
(「アココトリ」が「ダリア」と名付けられるのは1791年)
これの誕生を機に、ダリアはヨーロッパ各地に広がってゆくのです。
この時代ヨーロッパは大きな変革期を迎えていた。フランス革命を中心とした封建社会からの脱出である。そして、英雄ナポレオンが生まれるのです。
ナポレオン軍がヨーロッパを駆け巡るが如く、ダリアも各地に伝わって行くのです。
2006.03.15:
acocotori
:[
メモ
/
ダリアの歴史
]
お世話様でした!
昨日、参加させて頂いて勉強になりました。いろいろな話を聞けて楽しかったです。ダリアへの想い熱いですね!またよろしくお願いします。
2006.03.16:hanepi:
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ダリアが再び現れたのは1790年。
前年にメキシコの植物園よりスペイン王室植物園へ送られたダリア(まだアココトリと呼ばれた)の種子が花を咲かせた。(半八重咲の紫色花、一重裂きのローズ色花)
これが、ヨーロッパにおける「ダリア」の誕生である。
(「アココトリ」が「ダリア」と名付けられるのは1791年)
これの誕生を機に、ダリアはヨーロッパ各地に広がってゆくのです。
この時代ヨーロッパは大きな変革期を迎えていた。フランス革命を中心とした封建社会からの脱出である。そして、英雄ナポレオンが生まれるのです。
ナポレオン軍がヨーロッパを駆け巡るが如く、ダリアも各地に伝わって行くのです。