最上義光歴史館

最上義光歴史館
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今年もはじまりました、こども講座です。

今年初めての学校は!…と言いたいところですが、
よりによって「カメラを忘れる」というミスをおかしてしましました。

山形市立第四小学校さんすみません。
みんな一生懸命勉強してくれたのに、紹介できず残念です…

というわけで、
今年第2校目は、山形市立第一小学校さんです!

最上時代の城下町絵図で小学校の位置を確認です。
小学校東側に三の丸の堀があったんですね〜。


体験では、兜と指揮棒で義光になりきります。
マスクもなんだか兜とあってますね♪


一方先生たちはノリノリです。
「かかれー!!」とポーズも決まっています。


みんな熱心にメモをとりながら話を聞いてくれました。
兜と指揮棒の絵も上手に描いてくれましたよ。


《2020年6月の利用者アンケート集計結果》

 この集計結果は令和2年6月2日から同30日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。

常設展示  (6/2 〜 6/30)
開館日数・・・・・・・・・・・・・25日間
入館者数・・・・・・・・・・・・・707人
回答者数・・・・・・・・・・・・・4人


1.歴史館をどこで知りましたか??
(1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・0%
(2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・0%
(3)インターネット・・・・・・・・・・・・・25%
(4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・0%
(5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・25%
(6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・0%
(7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・75%
(8)観光案内所 (駅など)・・・・・・・・・・・0%
(9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・0%
(10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・0%

2.歴史館の入館は何回目ですか??
(1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・100%
(2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・0%
(3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・0%

3.ご覧になられた感想
(1)内容はいかがでしたか??
   �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・75%
   �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・25%
   ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・0%
   �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・0%

(2)最上義光と最上家について??
   �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・75%
   �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・25%
   ��わからなかった・・・・・・・・・・・・0%
   �い匹舛蕕箸發い┐覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ亜�

〜利用者の声〜

山形県東置賜郡高畠町 男性/70代
大変親切にしていただきました。

埼玉県さいたま市 男性/40代
義姫の事をもう少し詳しく。義光公の個人的なくせや好みなども詳しく表示して欲しい。鮭が好きと聞いたので。

山形県東村山郡山辺町 男性/30代
案内係の方の説明が分かり易く、勉強になりました。

※当館サポーターの個人名は「ボランティア」または「ボランティアさん」に変更しています。

《2020年5月の利用者アンケート集計結果》

新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のためアンケートの実施なし

常設展示  (5/15 〜 5/31)
開館日数・・・・・・・・・・・・・14日間
入館者数・・・・・・・・・・・・・256人
回答者数・・・・・・・・・・・・・0人

※新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため4月8日から5月14日まで臨時休館


《2020年4月の利用者アンケート集計結果》

新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のためアンケートの実施なし

常設展示  (4/1 〜 4/7)
開館日数・・・・・・・・・・・・・6日間
入館者数・・・・・・・・・・・・・138人
回答者数・・・・・・・・・・・・・0人

※新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため4月8日から5月14日まで臨時休館

徐々に通常どおりに戻り始めた歴史館です。

夕暮れが迫る公園池です。
んっ?なにやら岩の上に見慣れぬカタマリが・・・


なんと珍しいお客様が!
ゆるりとくつろいでらっしゃいます!


久々の日記ネタに、
勇んでカメラ片手に近付いたところ・・・

あっ!
一気に警戒モードに・・・


・・・くつろぎのお時間をお邪魔してすみませんでした。
以後気をつけます・・・

◆◇◆京都から連歌師グループが来た◆◇◆

 一六〇〇年代出羽山形の芸文活動が相当に活気を帯びていたことは、最上義光や側近家臣たちの京都での作品を見れば想像できるが、山形における活動の実相が見えないのが物足りなかった。たまたま頁をめくっていた「連歌総目録」頁七四五に、次の記載が見つかって、江戸最初期の山形で、かなり高いレベルの連歌の座が催されていたことが分かった。
 総目録の記事はまったくの断片だが、京都文人たちが、山形の吉祥院を会場として連歌の座を催したという、今までに知られなかった記事が出て来たのである。以下「総目録」記載事項の要点を「柿衛文庫本」によって見てみよう。

【開催日時】 
慶長十九年(一六一四)七月六日

【種 別】
百韻 

【場 所】 
最上吉祥院

【発 句】 
今夜先こころや逢瀬天の川
 
【発句作者】 
昌琢

【脇句作者】 
善雅

【作者句数】 
昌琢一三、善雅 八、糸 十、仙厳 十、昌硯 九、慶純 九、元通 八、玄陳 七、了具 九、英知 八、玄的 八、時佐 一
※昌琢の発句以下二十八句のみが残存。

【所 在】 
国会図書館 連歌合集 第五五冊
柿衛文庫 二一九八
大阪天満宮 六九/二六

 記事の要点は以上である。この年は、一月十八日に最上義光が亡くなった。この連歌で発句を詠じた里村昌琢とは慶長四年秋までに京都において三十回の同座が知られており、そのグループとは非常に親密だったようだ。さらに、昌琢は最上の一族東根薩摩らとは書簡によって連歌稽古の交流をつづけていた。その謝礼として、東根からは「紅花」が贈られたこともある。彼らとしては、みちのく最上は遠いけれども心情的には近いものがあったのだろう。
 こういう事情から思うに、里村派の連歌師たちが、年の内に山形を弔問した可能性もあるだろう。昌琢は紹巴亡き後の京都連歌界の実力者で、後には江戸幕府連歌所の宗匠として里村南家の初代となった。寛永十三年(一六三六)没。
 会場となった吉祥院は最上三十三観音札所の第三番。最上歴代が尊崇した出羽最上の古寺。義光が老母のために御詠歌の額を寄進し、参道に石橋を架けたりもした。京都文人たちの連歌会にふさわしい会席だったのだろう。

■執筆:長谷勘三郎「歴史館だより��26/研究余滴18」より