最上義光歴史館

最上義光歴史館
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《2022年1月の利用者アンケート集計結果》

休館のためアンケートの実施なし

※令和3年10月16日から令和4年3月31日まで臨時休館

〇 自然史博物館と科学技術博物館の話
 博覧会と博物館との関係で言えば、科学技術博物館も19世紀に始まった(万国)博覧会に起源をもつそうです。「19世紀は蒸気機関や電気の発明品など、さまざまな新しい技術が出てきた時代で、それらを展示した博覧会を恒久的な施設にしたのが起源だと考えられます」と一橋大学の有賀暢迪准教授は語っています。
 一方、博物学というものがあり、これは英語でNatural history、直訳的に「自然史」とも言われます。それは動物界・植物界・鉱物界という自然三界の全ての種についての目録を作り、自然界に存在するもの全てを収集・分類する試みです。これが東洋では本草学として、伝統中国医学の医薬(漢方薬)や不死の霊薬(仙丹)の原材料の研究として発達したそうです。こうしたことを扱うのが自然史博物館で、やはり科学技術博物館とは異なります。
 20世紀に入ると新しい種類の科学博物館、英語で「サイエンスセンター」と呼ばれるものが登場します。その特徴は、伝統的な博物館の基本機能である「収集・保存」を重視していないことにあり、観客が触って体感できるハンズオン展示や体験型の展示を取り入れ、体験を通じて原理や概念を理解するものです。
 自然史博物館の人気展示はやはり恐竜で、あと、マニアには昆虫や鉱石といったものも見逃せません。パリやロンドン、ベルリン、ニューヨークなどにある自然史博物館は観光にもおすすめです。一方、科学技術博物館で展示物で圧巻なのは、飛行機やヘリコプター、宇宙船といったものでしょう。飛行機や潜水艦などは、各国の戦争博物館、日本では自衛隊の広報館などでも見ることができます。あと、マニアも多いのが鉄道です。
しかしながら、上野にある国立科学博物館は、自然史博物館と科学技術博物館が一緒になっていて、結局、何でもありの総合科学館というような施設となっています。
 ちょっとユニークなものとしては、ミラノの国立レオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館には、ダ・ヴィンチが設計した発明品の模型がずらりと並んでいます。ここにはまた、無線通信を発明したマルコーニにちなみ、数多くの無線機が展示してあります。日本では、公立施設での無線機の収集展示は意外に少ないです。
 余談ですが、福島市では最近になってなぜか「UFOふれあい館」を推し始めました。平成4年に開館しており、日本博物館協会の名簿にはないものの、UFOに関連する3000点もの資料がある博物館的な施設です。資料展示のほか、3Dバーチャルシアターや入場料込みで入れる展望風呂があり、UFOの目撃例の多い千貫森からの眺めが楽しめるとのこと。宇宙人コンテストというのもやっていて、「ふれあい館」という名称からすれば、それは体験型施設でもあるのかも。あの「ム〇」好きの当事業団のA学芸員は、20年近く前に訪れているとのことで、「本当にあそこは目撃情報が多いんだ」と言っていました。ところで、「UFOと宇宙人」というテーマは、自然史系と科学技術系のどちらで扱う領域なのでしょうか。まさか民俗学。
 
〇 チルドレンズミュージアムの話
 一方、体験型の「サイエンスセンター」についてですが、これがまた子ども向けとなると、大型児童館などとごっちゃになることがあり、まあ、それでもいいかと思うこともあります。その施設の目的が、学習施設なのか児童厚生施設なのかという違いなのですが、ユーザーが同じなので区別するのもどうかと思うわけで、しかしながら、補助金や管理体制などが関係すると、それは大きな問題にはなります。
 さて、アメリカ各地にはチルドレンズミュージアムという「ハンズ・オン」(Hands on、触って体験して学ぶ)型の子ども博物館が各所にあり、サイエンスセンター的な展示とともに大型の体験遊具設備があります。20世紀末頃の話ですが、山形でもこうした施設をつくろうとしていたことがあり、当時その調査を担当していました。
 コンサルさんとともに国内の子ども科学館などを何か所か視察しました。シミュレータや恐竜ロボットなど、最新の展示物が目を引くわけですが、施設運営において課題となるのが陳腐化とメンテナンスで、施設を開設して20年くらい経過したものも見ておいた方がよいとのアドバイスをいただきました。そういう施設を巡ると、映像が古いなどという程度ならまだしも、ハンズ・オンでは「調整中」と張り紙がされた展示も少なくなく、そうしたものを適宜更新できる予算がなければ、やがてはお荷物のような施設となってしまいます。ハンズ・オン型の展示物は、理想的には5年、最低でも10年で更新したいところです。それができない場合はそのまま、いっそレトロ館でやっていくという手もありかと。「昔の科学館」とか、「懐かしの科学館」とか。
 それでチルドレンズミュージアムとはどんなものかと、コンサルさんに教えてもらったボストンの施設を、単独自腹で見に行ったことがあります。しかし、職員にインタビューできる英語力もなく、日本語ガイドを頼めるわけでもなく、ただただ施設内をうろついて終わってしまいました。そのうち、山形につくろうとした施設計画も立ち消えになり、それは単純に説の必要性が認められず、財政的にも厳しかったからなのですが、そのとき浮かんできたのが「ほいど馬をかう」という言葉でした。これは山形の言い方で、「乞食が馬を買う」ということわざのことで、身分不相応なものを手に入れてもてあますさまを言い、始末に困ることのたとえです。
 山形のチルドレンズミュージアムは、メンテナンスのことまで考えると、まさにこうなりかねず、特に公設の場合は、建設までは金を都合するけど、その後の予算は全くつかないというのが常です。まして、その後の計画的なリニューアルという発想にもとても及ばず、今どきはクラウドファンデングに頼ることにもなりかねません。
 当時、コンサルさんとともに訪問した施設に「霊山子どもの村」という所があります。もともとは巨大アスレチック施設からはじまっており、屋外には地形を活かした大型遊具があります。屋内施設としては日本初の参加体験型チルドレンズミュージアム「遊びと学びのミュージアム」を整備し、デザイン性の高いハンズ・オンの展示物とともに自由な環境の図書室が設けられており、大変印象深い施設でした。その後、運営においていろいろあったようでしたが、霊山町が合併により伊達市となりしっかりリニューアルして、現在も手本とすべき魅力的な施設になっています。(なお、冬期間はお休みです)

〇 チルドレンズミュージアムを計画した話
 当時関わったチルドレンズミュージアムの計画について少々。20世紀末当時、子どものための施設というと、テーマパークのようなもの、つまりあの「夢と魔法の国」というようなイメージで、民間のみならず自治体でも手掛け、その後、赤字を出し廃園という例もあったのですが、もっともそういうものは、山形では作れるわけもなく、しかしながら利用者の目は肥える一方で、子どものための施設といっても、どうにも焦点を絞りきれない感じでした。内外の意見をきいても、プラネタリウムをどうするとか、シミュレータもほしいとか、縄文時代の住居を再現してはとか、個々の展示の要望はあるものの、全体像としては描ききれませんでした。
 それでも次第に見えてきたのは、テーマパークでもなく大型遊具中心の児童館でもない、ハンズ・オンを基本とした子どもが楽しめる博物館、つまりは、チルドレンズミュージアムです。その具体化にむけてコンサルさんにまとめてもらい、結果、科学を学ぶゾーンと社会生活を学ぶゾーンを設けるという基本計画となりました。
 科学ゾーンは、イームズ夫妻の「パワーズ・オブ・テン」にならって、大きさ順の展示とし、社会生活ゾーンは、「子どものまち」として、子どもサイズの街並みをつくり、ごっこ遊びなど体験をしながら物事を学ぶというものです。
 「パワーズ・オブ・テン」とは、1977年に製作された10分足らずの教育映画で、10のべき乗で物を見せていくことで、大きさ比較するもので、その書籍も出版されています。そのオリジナル短縮版を作りオリエンテーションに用い、展示で具体化するというものです。最大のスケールは宇宙の果てであり、それは宇宙誕生のことでもあり、それはまた素粒子の発生ともなるため、最大のサイズが最小数のサイズにつながるという、蛇が自分の尾を咥えるウロボロスの輪のような、環状の動線による展示ができるということです。
 そこで難しいのは、人間の五感(場合によっては第六感も?)を展示構成上どう位置付けていけばよいかということで、科学館によっては、光、音、情報といった括りにしているところもあり、あるいは博物学の界とか理科年表の区分やら宇宙年齢や地球年齢の順という体系化もあり、大きさだけによる体系化が正解というわけでもないのですが、感覚的に扱いやすいのは大きさかと。
 一方、「子どものまち」とは、あのキッザニアのようなものと言えば分かりやすいと思います。街中の店舗などから社会を学ぶ、花屋では花の名前を覚え、テレビ局では番組制作、書店であれば本当に本の売り買いがあってもいいし、画廊であれば子どもたちの作品を飾れます。また、駅を作れば電車の実物展示ができるし、自動車の整備工場なら車の構造が学べます。
 某キッザニアには、「総合商社」とか「ケアサポートセンター」まであります。「警察」や「消防」もありますが、「市役所」はありません。親にとっては人気の職業らしいのですが、子どもにとってはどんな仕事なのかわからず、お役所仕事という言い方はありますが、それではやっぱりわからないわけで。あと、「歯医者」はあっても「医者」はないようで、やはり「お医者さんゴッコ」とかは、なにかと問題があるのかと。あとは「葬儀屋」もありません。「お葬式ゴッコ」というのも、やはり問題があるのかと。「神社仏閣」や「教会」なども社会生活的には重要ですが、公的施設でこれを取り込もうとすると難しい。結婚式とか運試しとか肝試しとか、いろいろな遊びができるのですが。一方、某キッザニアには「アニメスタジオ」とか「アフレコスタジオ」などがあります。子どもにとってはあこがれでしょうが、山形にはいずれもない商売でして。まあ、あこがれはあこがれとして、都会にはそういう商売もあるということで。
 なお、その空間構成としては、道路(通路)が回遊型つまり環状の動線となっています。バックヤードを含めた空間効率からすれば、やはりこの形が合理的なのでしょう。

〇 プラネタリウムの話
 続いて、科学館には欠かせないプラネタリウムのお話でも。プラネタリウムでは寝なかったことがない私ではありますが、最近は、寝るための上映会というのもあり、時代のほうが進んでいるようです。
 さて、子ども科学館の計画においては、プラネタリウムはどうするのかという話が当然でてきました。日本一のプラネタリウムは、という話も出たのですが、当然、そんな覚悟もなかつたわけですが、とにかく当時は、その大きさを競っていたところがありました。ドームだけならそれこそ野球場程度のものまで作れるわけですが、このプラネタリウムの大きさを決めているものは、実はその光源の強さです。ドームばかりが大きくても、星が暗い、ぼやけて見えない、というのでは観ていても疲れたり眠くなったりします。
 ところがその後、技術的なブレークスルーが起きます。メガスターです。それまでは、事実上、某光学機器メーカー2社がほぼ独占していたのですが、そこにメガスターは、桁違いの星の数で勝負してきました。それまで、せいぜい数万個しか投影できなかったものを「メガ」すなわち100万個以上投影できるようにしたのです。どのくらい違うのかというと、それまで光の帯として投影していた「天の川」が、ひとつひとつの星として投影できるのです。最近はこのメーカーの機材を導入している館も多く、ドーム球場の大きさでも投影でき、星の数も7億以上の恒星が投影できるとして、横浜の子ども宇宙科学館のものが2023年2月8日にギネス世界記録に登録されています。以前は、四日市市の施設がギネス認定を受けていました。ちなみにドームの大きさでは、名古屋市科学館が、内径35mで認定をうけています。まあ、俺の方がデカいとか、私の方がキラキラしているとか、そういう話にはなりがちなのですが。
 当時はまた、海外製品でデジタルプロジェクターも登場してはいたのですが、光量は小さく、星も少なく、小規模のドームにしか使えませんでした。しかし今や、デジタルプロジェクターも進化し、投影機材もさることながら、そのシステムは宇宙空間のデータをもつPCと映像を作り出すPCとで構成され、さまざまな操作演出ができます。その投影方法も、1台のプロジェクターで投影するタイプの他、複数のプロジェクターを用いるタイプもあり、最近は自発光するLED素子をドーム全面に敷きつめるドーム自体がLEDモニターのようなものもあるそうです。
 ただ、プロジェクターの自由度が高くなると、映画館的なプログラムでもよいのではとなり、そうなると、専門に操作する人も不要となります。ただし課題となるのは、その製作は外注となり、どのようなものを何本用意できるか体力勝負、つまりは金次第になることです。プラネタリウムはかつて、操作する人がその場で自在に動かし、解説していました。つまりは監督と弁士を一人でやるわけです。それだけ自由なプログラムが可能だったのですが、単なる上映館になってしまうと、人任せ、金任せとなってしまいます。
 また、そんな映画館的な仕掛けでいいのであれば、個人的にはあの〇MAXでもいいのではとも思います。原理的には大画面の映画館ですが、ベストポジションで観ると、そのリアリティというか没入感というのはすごくて、平面映像なのに立体的に感じられるほどです。ただ、全てが専用機材によるものなので、その映像作成費用なりシステム費用なりはお安くはなく、やはり予算勝負的な課題は残ります。
 その他、大きさとか精細度などではないところで勝負する方法もあります。某宇宙館なのですが、そこの映像室は上部だけでなく床面にも投影がなされていて、観客は空中デッキのようなところに立って観るというものです。これも没入感がすごくて、さほど大きなスペースも要らず、技術的にさほど特殊ということでもなく、いい意味でやられた感がありました。
 さてさて、知ったかぶりしてプラネタリウムの話を続けてきましたが、山形市内には常時上映しているプラネタリウムは未だになく、市の少年自然の家にある五藤光学社製のGX-10のT型(回転架台付)という半世紀以上前の昭和47年(1972)に開発された恒星6,500個規模の機材による上映会が、年に2回程度あるのみです。宇宙空間の体験というよりタイムスリップ的な体験ができそうです。

〇 新型シアターの話
 このプラネタリウムとともに課題になったのがシミュレータでして、あの「夢と魔法の国」にある座席がガクガクと動く宇宙船のようなものを、という要望もあったのですが、とにかくそれが当時の最先端をいく展示物でした。シミュレータというのも出来不出来が極端で、そのポイントとなるのは映像と座席の動きがしっかりシンクロしているかどうか、ということです。これがズレていると、気持ち悪いアトラクションになってしまうそうです。後年、とあるシミュレータが山形市近郊の遊園地にも登場したのですが、光量不足で画面が暗く、チープなCGにガタガタと動くだけの座席で、案の定、妙な疲れだけが残るものでした。
 そして、今話題なのが、チームラボなどに代表されるインタラクティブな映像展示です。先日オープンの新しい施設がテレビで紹介されていまして、中でも、星の一生を体を動かすことにより再現するというものが、科学館的にも面白いと思いました。宇宙塵から星が形成され、白色矮星になってブラックホールになるという過程を、トランポリンを飛ぶことで変化させていくもので、自分が跳ねている場所にその状況が映し出されるのですが、星の一生という題材もさることながらトランポリンで跳ねることをインターフェイスとしたところが秀逸なわけです。
 チームラボはこれまでも、人の動きをセンサ−で捉え、画像に反映していくインタラクティブなものを基本にしていたのですが、それをこのように学習的に、しかも新しい動作を用いて発展させたわけです。実はこれにも、出来の悪いものというのがあり、反応がにぶいとか、タイムラグが大きいとか、途中で止まってしまうとか、いずれもフラストレーションが募るものになります。これをまねて作っているものの、試験的というか、しょぼいものも見かけます。最近、いくつかの館で導入されているゴーグルタイプの3Dについても同じような課題があるかと思います。動作と画像のズレもさることながら、空間表現それ自体がよくわからない場合もあります。作り込みの問題というか、本当に玉石混交です。
 さて、ここまで科学館のシアターについて簡単に述べてきたのですが、科学館のシアターとしては、今どき大画面とか仮想体験などは、個人レベルで高水準のものが得られてしまうわけで、これでは得られない体験、それは他者との体験の共有であったり、家庭用TVを超えたハード機能、ネットでは得られないソフト機能などが提供できるか否かということがカギになります。あの「夢と魔法の国」では、それが提供できているということなのでしょう。もちろん演出やデザインに負うところも大きいのですが。また、別の解ではあるのですが、あの映画「ジュラシックパーク」のオリエンテーションのシーンに登場するライド型のシステムも映画とは言えよくできています。
 そこで提案したいのは、滞在時間が3分程度であれば立席で、5m四方程度のホワイトキューブでいいのではと。それが全面発光LEDだったり、空中回廊型であれば、影の心配もないと思うわけです。さらに欲を言えば、その箱が2つ以上あれば、別プログラムや時間差での上映、メンテナンスで交互使用などの対応ができるかと。
 あとは、それで何を上映するのかということですが、ちなみに例の子どもむけの科学館の計画では、「パワーズ・オブ・テン」の短縮版をオリエンテーションとして、そのシアターを展示室の手前に設け、そこから展示空間に入るような計画にしました。これは、歴史館などでも応用ができるものですが、そこで問題なのは、金がないということでして。(なんかクレイジー・ケン・バンドにそんな歌があります)

〇 「月の塔」の話
 今年の大阪・関西万博の期間中、万博記念公園に「月の塔」を「太陽の塔」と並んで見える形で設置するプロジェクトが進められています。2022年に香川県・小豆島エンジェルロード沿いのホテル前に建立された「ムーンタワー(月の塔)」という作品を移設するものです。高さは全長7.5メートあり、直径2.5メートルの1,020面の球体を抱き、球体は廃棄されたペットボトルで作られ、夜間、LED照明により赤、青などの光を放ちます。その電力は太陽光により蓄電したものです。
 作者の長坂真護(まご)さんは、2017年に「世界最大級の電子機器の墓場」と言われるガーナのスラム街を訪れ、先進国が捨てた電子機器を燃やすことで生計を立てる人々と出会いました。そこでアートの力を使って「我々先進国の豊かな生活は、このスラム街の人々の犠牲のもとに成り立っているという真実」を先進国に伝えることを決意したそうです。 
 「月」は、長坂さんが平和をもたらすイメージとして描いてきたモチーフであり、太陽から照らされ輝きます。太陽と月とは、「陽」と「陰」との関係。太陽の塔はエネルギッシュな1970年当時を象徴し、現代は発展の影響で生まれた社会課題と格闘するリフレクション(反射)の時代と捉えています。
 ちなみに、1970年の万博のテーマは「人類の進歩と調和」、これは当時、小学生だった私の頭にも入ってきた言葉で、その前年に持ち帰って展示した「月の石」とセットで覚えているものです。当時はとにかく、月着陸船や司令船のプラモデルを作ってもらっては壊してしまった記憶があります。
 ところが今年開催される万博のテーマは何かというと出てきません。答えは「いのち輝く未来社会のデザイン」。申し訳ないのですが、少なくても山形の大半の人は答えられないかもしれません。ただ、「赤字回避」については、そのテーマが霞むくらいがんばっていることは承知しています。
 それにしても信じられない種類の「ミャクミャクグッズ」が販売されていて、山形県長井市で作られる本格的な「けん玉」もあります。ネットの記事には、すでに開幕前から「SOLD OUT」の商品もあり、希望小売価格の数%が協会へのロイヤルティー収入になるそうですが、その利幅は薄いとのこと。その記事の見出しには「大阪万博の赤字回避は薄利多売な『ぬいぐるみ・お菓子』頼み」とありました。つまり、当面のテーマは「赤字を回避 薄利多売のデザイン」ということらしく、なんとなく商都大阪らしいと言うか、いや、失礼いたしました。


◆◇◆義光と寒河江肥前守の辞世◆◇◆                   

 最上義光が亡くなったのは、旧暦一月十八日。太陽暦では二月二十六日、余寒なお厳しい時節である。晴れた夜なら満月に近い月は、冷たい光を地上に投げかけるだろう。
 さて、石川県金沢市の研究家から歴史館に手紙が届いた。金沢の研究家皆様がテキストとしている『政隣記』の一節をコピーして下さったものだ。

「一 最上駿河辞世并詠哥

 一生居敬全 
 今日命帰天 
 六十余霜事 
 対花拍手眠

 有といひ無しと教へて久堅の
  月白妙の雪清きかな 」

 先様の疑問は、これが確かに「最上駿河守家親」の作だろうかということのようであったが、こちら側としては、瞬間的に「これは大変。ひょっとしたら義光の?」という受け取り方になっていた。
 「最上駿河守家親」なら、元和三年没。年齢三十六歳であるから、「六十余霜」とは合わない。亡くなったのは三月六日(太陽暦四月十一日)とされているから、春欄漫ではあっても、「久方の月の光、白妙の雪」といった景物からは程遠い。さらに亡くなる前、二晩ほど苦しんだとする記録もあるのだから、悠々と雪・花・月を愛でつつ、咲いた花にまで感謝しながら命終を迎えるという達観した境地には、これまたほど遠過ぎる。
 義光晩年に至りついた澄み通った心境が、この辞世に脈々と通っていると見るのははたして僻目だろうか。ということで、この漢詩(五言絶句〉と、和歌一首は、まず義光の作と見て誤りあるまい。
 葬儀は義光がみずからの菩提寺として建立していた「慶長寺」で執り行われた。二月六日(三月十六日)、春分近いころで日没は寅の刻、午後五時半ごろになる。その夕刻に、義光公の黄泉(よみ)路の旅にお供しようと、みずから生命を絶った四人の家臣がいた。
 長岡但馬、山家河内、寒河江十兵衛、それにもう一人。辞世の句を残した寒河江肥前守である。肥前守は義光の地域統一戦のなかで敗北した寒河江氏の一族だったと思われ、戦後は義光に帰参して幕下に入った人物と思われる。「最上義光分限帳」では最上一族以外ではトップの酒田の志付九郎兵衛三万石についで、第二番目に寒河江肥前守二万七千石が挙げられている。秋元本・伊藤本山形城内図、守春本城下図、どの絵図でも廓内に広大な屋敷を与えられている「寒河江新二郎」は、「肥前守」の子なのではあるまいか。
 彼の辞世は、『最上中興事略』という最上家伝来の古記録に採録されている。この本は、全体が漢文風。平仮名で書くべき部分まで万葉仮名風に漢字を当て、ひどく読みにくいが、ここでは読みやすい通常の文字使いになおして掲げてみる。

神去りまします悲しみに堪えず、従いまつらんと、今日死出の山形を立ち別るれば、三途(みつせ)は最上川なれや。うち渡らんと思いつめ、

霧となり霞と消ゆる夕べかな

 葬儀が終えたこの時は、早春の山形盆地もやや暖かに、ほのかなタ霞が消えてゆこうとする季節に変わりつつあったのだろう。

■執筆:片桐繁雄「歴史館だより��28/研究余滴20」より

最上義光連歌の世界��

1 おる花のあとや月見る夏木立      義光
2  御簾のみとりに明(け)やすき山   紹巴 

  慶長三年(一五九八)四月十九日
   賦何墻連歌      初折の表

 今回採り上げた句で、短詩型文学の解釈の困難さ、別の言い方をすれば、「座の文学」と呼ばれる「連歌(「誹諧連歌」もふくむ)」を、後世、その「座」に関わらぬ人々、すなわち我々が解釈することの困難さについての、考察を行う。
 この発句の大意は、そのまま素直に読めば、「春の桜を手折って風流を尽し、今、夏木立の中に座り、遅く出た月を眺めて(同じく、風雅の思いを人々と共有して)いる」となる。「桜・夏の月」いずれも、和歌に詠み習わされて来た素材で、そのとらえ方も、特に目新しくはないように見える。(この点については、別見を次回記したい)
 疑問を感ずるのは、「桜を手折ったのは誰かという点である。前述の大意では「義光(または、義光と紹巴ら一座の人々)」となろうが、これらの人々が置かれた世情を思う時、別解が可能かとも思うのである。
 その前提には、第一点として先に触れたが、「座」から離れた短詩型文学解釈の難しさが挙げられる。第二点として、その場の連衆が、その時どのような位置を社会の中で占めていたかということが考えられる。特に、義光・紹巴の師弟は、単なる文芸愛好家ではないのである。
 慶長三年(一五九八)四月とは、どんな時節であったか。その直前の三月十四日には、秀吉最晩年の風雅の盛事「醍醐の花見」が挙行された。(秀吉はその後、病に臥す)「おる花」とは、この行事を踏まえている可能性を、探ってみたいのである。となると、「醍醐の花見を人々とともに寿いだ後、今、初夏の月の下、我々は風雅の時を味わっている」ほどの意となるか。うがちすぎと言うべきであろうか。
 以上のように推測したくなるのは、義光・紹巴ともに、この比、権力の怖しさを改めて意識せざるを得ない状況にあったと思われるからである。
 三年前の文禄四年(一五九五)の秋は、義光にとっても紹巴にとっても痛恨の秋であった。義光にとっては駒姫の死がそれに該当することは、改めて述べるまでもない。紹巴は秀次に近侍していたということで、八月十九日知行百石を没収され、近江国三井寺門前に追放となった。
 奥田勲氏は「連歌師 − 日本人の行動と思想 − 評論社 昭和五十一年」で

紹巴は決してすでに「連歌師」ではない。連歌師という立場を巧みに利用しつつ、権力構造の内奥に立ち入って、さまざまに紹巴なりの決定を行って来たのである。

と、紹巴と権力(秀吉・秀次)と関わりを論ぜられた。その紹巴は、権力に近づき、その一部を手にしたことの怖しさを、十二分に味わったこととなる。
 彼は慶長二年(一五九七)に許されて八月七日に、帰京を祝う連歌があった。義光は、翌日八日の「木食上人応其興行百韻」に参加している。その関係のなみなみならぬことがうかがえる。紹巴帰京の後の文芸行事に参加した人々は手放しで、紹巴の帰京を喜びえたであろうか。作品が何かの折に権力者の目に止った時、その権力者を寿ぐ表現により、受難を回避する工夫・配慮をすることもありえたのではなかろうか。
 採り上げた連歌の張行の時期・その折の人々のあり様を考え合わせると、このような推測を行ってみたくなってしまう。
 なお、この付け合いについて、前述したが補足すべきことがあり、次稿に記したい。

■執筆:名子喜久雄(山形大学名誉教授)「歴史館だより��28」より

《2021年12月の利用者アンケート集計結果》

休館のためアンケートの実施なし

※施設の老朽化に伴う設備不具合の原因調査を行うため10月16日から令和4年1月17日まで臨時休館

〇 クリスマスカードの話
 今年の暮れはクリスマス大寒波で、山形市内にもそこそこの雪が降り、当館前の公園には、雪の重みで折れた桜の小枝などが地面のあちこちに転がっていました。文字通りホワイトクリスマスだったわけですが、戦国時代を取り入れたクリスマスカードを作るとしたら、どんなメッセージがいいかという話になり、当館学芸員からでてきたのが「厭離穢土欣求浄土」という文言です。
 国際情勢からすれば、まさしくこのとおりではありまして、ネット上でも第三次世界大戦はすでに始まっているという記事が、Fという経済誌(毎年の世界長者番付の記事で有名な某誌)にでていました。その寄稿者のBryce Hoffmanさんは、
 「今起きている一連の紛争は、一見するとそれぞれ別個の紛争に見えるかもしれないが、単一の包括的な世界規模の紛争の構成要素と認めるべき性質をいくつか共有している。具体的には、大国が直接または代理勢力を通じて関与していること、政治的・経済的・イデオロギー的な目的が複雑に絡み合っていること、ひとつの紛争が他の紛争に芋づる式に影響を及ぼし、不安定化の連鎖を引き起こしていることなどである。
 こうした相互に関連した危機は、第一次・第二次世界大戦の初期とよく似ており、局地的な紛争と世界規模の紛争の境界を侵食して、支配と生存をかけたより広範な闘争へと国家や同盟国を引きずり込んでいく。これこそ、個々の戦い以上に世界大戦を定義づけるものだ。」と、指摘していて、
 「紛争の性質と規模がますますグローバル化しているとはいえ、この第三次世界大戦は、前世紀の2つの世界大戦とは大きく異なるものになるだろう。かつてカール・フォン・クラウゼヴィッツが『戦争論』に記したように「どの時代にも、その時代特有の戦争、特有の制約条件、特有の奇妙な先入観がある」のである。」と言っています。
 この特有のものとは今日の場合、皆様お気付きのとおり、情報戦のことかと思います。前線では塹壕を掘って火器でドンパチという状況は変わらないものの、衛星回線(そう、あのマスクさんが関わる衛星)やドローン映像・操作などの情報通信が戦を決する状況となっています。北の国の兵士がいくら体を鍛え痛みに耐えられるとしても、その時代特有の戦争に応じたものでなければ、かつての某国の、史上最大の戦艦が戦闘機に沈められ、竹鎗三百萬本で大型爆撃機に立ち向かおうとしたようなものです。そして、「特有の奇妙な先入観」をつくるのはきっとSNSなどではないかと。ただ、F誌は経済誌だけあって、第三次世界大戦なので経営者は心せよ、という論説にはなっています。
 なんかあらぬ方向に話がとんでしまいましたが、その、クリスマスカードのメッセージをどうするのかという話でして、そもそもは「世界人類が平和でありますように」という文言から、戦国時代ならばそれは「厭離穢土欣求浄土」ではないか、という話になったものです。それにしても、キリスト教の行事に仏教の教えを持ち込むという、平和と言っちゃ平和な話ではあります。


↑今年のクリスマス前後の歴史館界隈(←流行語のようですが)の写真です。



〇 某GTPの話
 某館の学芸員が愛読する「〇―」の1月号は、さすが新年号だけあって昨今のネタ総ざらいといった感じで、私も実は思わず買ってしまったのですが、そこに「アンパンマンはイエスキリストだった」という記事がありました。あ〜、ついにこんなことまで、と思いつつ読み進めると、意外にも辻褄が合っていて、納得させられるものがありました。
 聖書では、イエスが食卓でパンを取り,それを裂き,これは私の体であると言って弟子たちに分け与える話があります(マタイ26)。アンパンマンも「さあ僕の顔をお食べ」と言って自分の体の一部であるパンを分け与えることから、そのような記事となったようです。この話、実はこの雑誌が唐突にぶちあげた話でもなく、作者のやなせたかしさんはクリスチャンであり、特に全国のミッション系学校の礼拝では、アンパンマンのモデルはイエス・キリストである、という説話がなされているようです。
 これから、それでは三位一体、つまり父や聖霊は、どのキャラクターになるのだという話になり、父は「ジャムおじさん」が、聖霊は「めいけんチーズ」があてはまるのでは、ということになりました。ちなみにアンパンマンワールドでは、ジャムおじさんもめいけんチーズも「妖精」となっています。無理を承知であてはめれば、バタコさんはマグダラのマリアか。一方、ネット情報では、めいけんチーズはバイキンマンの手先である、という説もありました。それでは、裏切者のユダはどうなのだと、「アンパンマン 裏切者」で検索したところ、カバオくんという説が出てきました。あっ、そうなのかと。いやいや、こんな論陣を張ったところで、世の中の役に立つわけでもないのですが。
 ちなみに某GTPを利用し、「アンパンマンはイエスキリストだった」というイラストを求めたところ、「宗教的な人物の描写には宗教的な感受性が伴います。このテーマを元にしたイラストを生成することは、慎重に考慮するべきです。」という、神の声のような答えが返ってきました。
 さらに話題は、「ドラえもんは弥勒菩薩である」という説にまで発展しました。弥勒菩薩は、釈迦仏が入滅した後、約56億7千万年後に地上に現れれる「未来仏」です。一方、ドラえもんの誕生日は2112年9月3日ということで、まあまあの未来からの使者です。どちらも衆生を救うことで一致しているわけで、調べてみるとネットにこの説が既にあがっており、そこでまたもや某GTPに「ドラえもんは弥勒菩薩である」というイラストを求めたところ、「画像の生成に問題があったようです。もう一度試すか、説明を調整してください。」と、しかも英語で返ってきました。やはり罰当たりなリクエストだったようです。
 いずれも無料で試した結果なので、某GTPによる画像生成はできないのですが、画像生成をリクエストするのには月額3千円 が必要で、さらに何でも答えてくれる(?)pro仕様は月額3万円とのことですが、当館においては当然そんな予算もなく、無料お試しで画像生成を求めた場合は、文書でそのイメージを返してくれます。
 それで、「最上義光と義姫のイラスト」というのをリクエストしたところ、文書のみですがかなり丁寧な描写が返ってきました。ただ、ちょっと見過ごすことができない記述がありました。まず、義光を「よしみつ」と、その読みをわざわざ表示していました。これはまあ、アルアルではありますが、もう一つ、何の情報から得られたのか不明なのが、「義姫は義光の妻」であるとの説明。義姫は義光の妹で伊達政宗の母なのですが、恐らくは義光と同じ義の字からの連想で、義光姫=義姫とでもなったのでしょうか。AIの限界と言うべきか、当方の知名度の問題と言うべきか、まあ、そんな状況ではあります。
 AIが仕事を奪う、ということがしきりに言われていますが、一方ではAIをチェックするのはやはり人が行うべきで、それには高度な知識経験が求められる、という説もあります。別に「義光はよしあきと読む」とか「義姫は最上義光の妹」とかは、高度でもなんでもないのですが、それでも誰でも知っていることでもないため、あえなくスルーしてしまうレベルなのかもしれません。義光を「よしみつ」と読むのはごく常識的ではありますが、最上義光とした場合は「よしあき」と読む、AIにそれができるようになるまでは、今のこの仕事はまだ安泰かもしれない、ということではあります。
 そしてまた、「世界人類が平和でありますように」から「厭離穢土欣求浄土」を発想するということも、AIにはなかなか難儀なことかと。こうしたところに人が入りこむ隙間はまだまだあるようです。

〇 ファクトチェックの話
 このSNS隆盛の社会で、なによりもまず求められるのがファクトチェック(事実確認)です。例えば「アンパンマンはイエス・キリストだった」という話は、本当にやなせたかしさんがこれを意識してキャラクターを設定したかもしれず、また、少なからぬミッションスクールで語られる話となれば、ファクトチェックが求められるところですが、先ほどの「カバオくんはユダ」という話は、さすがにファクトチェック以前のことでしょう。一方、これが「イエス・キリストはアンパンマンだった」という話になってしまうと、もうこれはAIの言うとおり、慎重に考慮すべき問題として扱わなければなくなるかもしれません。
 ファクトチェックのためのAIというのも恐らくあるとは思いますが、ディープラーニングに用いた資料が同類であれば、そのチェックにも限界がありそうで、そこで重要になるのは人の多様性であったりします。まあ、平たく言えば、金子みすゞさんの「みんなちがってみんないい」というか、相田みつをさんの「他人のものさし 自分のものさし それぞれ寸法がちがうんだな」というか、そういうものが大事になるようでして。
 そこで思い出したのが、映画「ブレードランナー」に出てくるレプリカント(アンドロイド)を見分けるシーンです。いろいろな質問をして感情反応があるかどうかで見分ける、フォークト=カンプフ検査というのだそうですが、その質問には動物に関係するものが多いと、原作の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」にあります。
 例えば、それが食べられるかどうかを質問するわけで、牡蠣の生食はいいとして、ホヤやナマコはどうかとか、ウサギやハトは食べてもイヌやヘビはどうかとか。イナゴは食べても鈴虫は食べないとか。ご承知のとおり、特に食文化というのは多様でして、理屈では食べられても、感情的には人それぞれで、このあたりがAIの課題になろうかと。つまり文化的な背景とか常識とかをどうするかという、ここに人が介在する必要性がでてくるわけです。
 もうひとつ、なりすましとかディープフェイクとかの問題があります。それらについては、既に多くのメディアなどで問題が指摘されていて、なにもここで素人の私が云々する必要もないのですが、最近こんなことがありました。
 当館の企画展「シン・市民の宝モノ2025」にむけ出品を受け付けている最中の話ですが、陶磁器製の最上義光像があるとして持ち込んだ方がいて、荷ほどきをすると、正に「山形県史談」にある最上義光の図とそっくりの像が現れ、おおっ、どこでこんなものを作っているのだ、と皆で眺めていたのですが、当館学芸員が、「あ〜これ、加藤清正だ」と指摘。その理由は、「虎の敷物に乗っている」とのことで、多分、武者人形のようなものではないのか、ということで落ち着きました。なんか、武将ものは、髭を付けるとみんな同じ感じになるようで、ただ、虎の毛皮ならば加藤清正の持物という、宗教画のような判別ができるわけです。別にこれはなりすましとかディープフェイクとかではないのですが、ファクトチェックの一例のようなものかと。


「山形県史談」最上義光像 
来年もよろしくお願いします。