最上義光歴史館

最上義光歴史館
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致道博物館に出向いていた兜が戻ってきました!

短い間でしたが、久しぶりの対面にドキドキです☆


殿よくぞご無事で!!
鶴岡の地はいかがでしたでしょうか。


皆様お待たせしました!
ぜひ兜に会いに歴史館へお越し下さいませ♪

10月6日は豊烈神社の例大祭です。
朝から大賑わい☆☆


御神輿が神社を出発します。
「エイサ エイサ」と威勢のいい声が響きわたります。


歴史館前の大通りを御神輿が練り歩きます。


神社境内では奉納神事である古式打毬が行われています。
小学生による徒(かち)打毬の試合が披露されていました。


紅白に分かれ的穴を狙い毬をスティックで投げ入れます。
難しそうですが、続々と点が入っていました。
みんな上手ですね〜♪


秋晴れの山形、絶好のマラソン日和です。
「いざ皆の者、走るのじゃ〜!!」


歴史館の武将隊も「エイエイ オー」と勝鬨(かちどき)の声をあげ、
応援にいざ出陣です☆


山形城北門の石垣の間をランナー達が走り抜けていきます。


武将達も「がんばれー」と声援をおくります。
ランナーの皆さん驚きながらも、手を振り返してくれました。


中には駆け寄ってハイタッチをする方も。
少しは快走の力になれましたかね♪♪


近くの給水スタッフの皆さんともパチリ。
ランナーの方も、スタッフ・武将隊の皆さんもお疲れ様でした。


お祭り王国山形の祭りが大集合した「祭りだ!ワッショイ!」が
開催されました。
文翔館前には山車と大獅子がスタンバイ☆


山形市南の鎮守、六椹八幡宮のお神輿です。
威勢のいい掛け声が響きます。


にぎやかなお囃子が!!
むらやま徳内まつりの皆さん、キレッキレの踊りです♪


そして…大変です!!
米沢の上杉軍が山形へ攻めてきました!!!


上杉景勝公、直江兼続、そして前田慶次のお三方☆
やまがた愛の武将隊の皆様です。
残念ながら義光公はお休みとのこと…。


そして…伊達軍までもが山形へ!!!

伊達政宗公、茂庭綱元のお二方。
伊達武将隊が仙台よりはるばるいらしていました☆


最上義光公が通った羽黒古道

 慶長5(1600)年9月、出羽の長谷堂合戦の論功により、最上義光公は徳川家康から25万石から57万石に加封され大大名となった。義光公は戦国期に荒廃した神社仏閣の造営などに力を入れ、領内を穏やかで安定したものにするため寺社を優遇したと考えられる。
※1『羽州羽黒山中興覚書』によると、羽黒山の御堂(現三山合祭殿)や五重塔の修造、奥の院荒澤寺御影堂、荒澤不動堂、月山本宮などの造営が成された。なかでも羽黒御堂の修造は、慶長10(1605)年にはじまり、翌年の6月に行われた落慶法要時の様子が次のように記述されている。

「慶長十一(1606)年六月、最上出羽守義光公、當山御参詣有。供ニ局・上�瓠⊂絏借防歓諭�武士大勢供奉。麓野路より荒澤江登山。出羽奥州無双之馬ニテ両國ト云フ秘蔵之名馬を被レ爲レ引。局・上�瓮蕨爾茲蟇�黒江被レ爲レ登。此日晴天成ル所ニ義光公荒澤江上着之刻より天氣俄に變り大雨切に降。依レ之。羽黒より金(鐘)ヶ岡通、八(鉢)子村より清川村江下向有。上臈供奉之乗物等、恠有ニて漸々下着也。山形御歸城三日之内ニ、荒澤より羽黒江被レ爲レ引名馬落死。」とある。

 この金(鐘)ヶ岡通とは何処なのか。※2『三山雅集』に「そのかみ(阿久谷の上という意か)当山の大鐘鋳成シける旧跡にてかく名付け侍るや鐘鋳谷といふ処も爰に残る侍る。」とある。羽黒本社の図(P57)の下方に描かれている皇野と羽黒本社との間、阿久谷の上に「金ヶ岡」と描かれている。
 この他、羽黒山絵図(文政十三年庚寅年初秋写之)や湯殿月山羽黒三山一枚絵図などにも同様に描かれている。

 このように、この古道は、月山から流れる立谷川左岸にある鉢子集落から皇野を経て、羽黒山頂へ続く約3kmの道である。皇野には盛土状の地形を有する開山塚と呼ばれる所があり、蜂子皇子の墓と伝えられ、この一帯を元羽黒という。室町時代まで五百余の坊舎があり、手向の街並みが形成される以前は羽黒山への表参道であったといわれている。

 また、※3『義経記』には義経の奥州下りの途次、弁慶ひとりが代理として羽黒山参詣の折、あげなみ山を通り、清川の五所王子(現 御諸皇子神社)で義経一行と合流する時に通った道といわれている。近年、地域住民によって整備され「羽黒古道トレッキングコース」として利活用されているのがこの古道である。



■執筆:矢野光夫

参考文献
※1 『羽州羽黒山中興覚書』P9〜10 経堂院精海著 戸川安章校注 昭和16年8月10日発行
※2 『三山雅集』P57、P82〜83 経堂院往持 東水編纂 昭和49年8月25日 (株)東北出版企画発行
※3 『義経記2』P250 佐藤謙三、小林弘邦訳者 1982年9月1日 (株)平凡社発行


今回のこども講座は霞城公園北門前にある第七小学校です。

三ノ丸内の学校ということもあり、歴史に興味ある子も多いようです。
後で発表会があるようで熱心にメモをとる姿が印象的です♪


最上義光のことだけでなく、地元の城北町の歴史についてもお勉強。
ぜひ最上義光歴史館へも来て下さい!