最上義光歴史館

最上義光歴史館
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■ マンション修繕の話
 マンションの修繕は現況調査の上、屋上部の雨漏れ、外壁の剥離、ベランダや雨どいの修繕、ドアサッシ等の鉄部塗装、照明などの電気設備ときて、30年を過ぎたあたりで上下水管の心配をしなければならなくなります。これらの工事のうち、共用部分は修繕積立金次第なのですが、各戸に入る工事はその調整がひと仕事です。あと、特に難物なのがエレベーター、経年で交換部品がなくなります。すると、そのメーカー系のメンテナンス業者が点検を請け負わなくなります。しかも工事ともなれば、仮設エレベーターを設けられればいいのですが、それができない場合、高層階の住民は地獄を見ます。長期修繕計画については、まずは国土交通省「長期修繕計画作成ガイドライン」あたりをご覧願います。

■ 別世界の話 その1
 赤坂プリンスホテル新館の解体では、最上階を残しながら丈をつめていく「達磨落とし」のような新技術が話題になりました。スマートに解体するというという考え方もあったように思われます。
 さて、以前の職場で就職したばかりの頃、山形の特産品さくらんぼのPRと称し、中央官庁の関係部署にそれを運ぶという仕事があって、その仕事が終わり、赤坂見附駅近くにある某市町村共済組合の安宿(現在は建て替えられて結構な料金になっています)に戻る途中、上司が赤坂プリンスホテル新館を見あげて、あそこに行ったことがないのでそこでコーヒーでも飲もう、ということになりラウンジに入ったのですが、そこのコーヒーは想定の倍以上の値段で、思わず引いてしまったのですが、それでもフロアのボーイさんが傅(かしず)きながらオーダーを取りにきて、カラフルなドラジェ(糖衣菓子)などを添えたコーヒーが運ばれると、その上司も途端に気持ちが大きくなり、「君たち、これが赤プリよぉ。」と、ドヤ顔で言っていたのを思い出します。
 新館の最上階には「トップ オブ アカサカ」というバーというかビューラウンジがあり、まあ、バブルな感じのお客さんが多いのですが、後日ここに行ったとき、ここからの夜景を見て、「これが赤プリの夜景よぉ。」と言いたくなりました。しかしふと、あの上司のドヤ顔が浮かび、ここは言葉を飲みこみました。
 ただ、政財界の方々は、もっぱら「旧館」を利用していたようで、とにかく旧館の玄関先には立派な黒塗りの乗用車が行き来していて、例えばあの小泉さんという方はよくここで食事をしていたそうです。
 旧館は取り壊さず改装したのですが、以前、休日の朝、某市町村共済組合の安宿のチェックアウトを済ませ、この旧館の前を通ると、上品なセレブといった感じの方々が結婚式に集まっていて、まさに別世界を目の当たりにしました。現在ここは、レストラン、結婚式場などを備えた「赤坂プリンス クラッシックハウス」となっています。

■ 別世界の話 その2
 かつて、高輪あたりのプリンスホテルで行われる有名人の結婚披露宴は、テレビで生中継されることがあり、山形のお茶の間でも見ることができました。しかし今時の有名人の結婚は、SNSの文面が映し出されるのみです。
 有名人の結婚披露宴がテレビ放映されていた頃、山形の職場での結婚式というと、新郎新婦の親戚筋から大顰蹙をかうような半裸踊りで場を盛り上げた(≒場を荒らしていた)ものですが、ここ10年以上、職場の人の結婚式というものに呼ばれたことがありません。神前もまして仏前もなく、せいぜい、仲間内の飲み会程度です。こんな状況なので、職場の上司として仲人を務めたという人の話も最近は耳にしていません。
 仲人と言えば、同級生に医者が何人かいるのですが、彼らが上司に仲人を頼むと、その礼金の相場は1本なのだそうです。お金の単位で「本」というのは、いわゆるその筋の取引などで用いられる単位かとは思いますが、とにかく、入るものが大きい商売は、出るものも大きいのでしょう。
 私どもも、金額について1本と言う時もありますが、それはせいぜい1万円のことです。たまに古いおやじギャグで、100円とかを人に渡す時、「はい、100万円!!」と言うことはありますが、ただ、医者の場合は、100万円は100万円です。

 なんか、雨漏りの話からとんでもない話にいってしまい、すみません。


《2020年9月の利用者アンケート集計結果》

 この集計結果は令和2年9月1日から同30日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。

常設展示  (9/1 〜 9/30)
開館日数・・・・・・・・・・・・・26日間
入館者数・・・・・・・・・・・・・1,763人
回答者数・・・・・・・・・・・・・5人


1.歴史館をどこで知りましたか??
(1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・0%
(2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・0%
(3)インターネット・・・・・・・・・・・・・20%
(4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・0%
(5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・0%
(6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・0%
(7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・40%
(8)観光案内所 (駅など)・・・・・・・・・・・0%
(9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・20%
(10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・20%

2.歴史館の入館は何回目ですか??
(1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・80%
(2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・20%
(3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・0%

3.ご覧になられた感想
(1)内容はいかがでしたか??
   �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・100%
   �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・0%
   ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・0%
   �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・0%

(2)最上義光と最上家について??
   �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・100%
   �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・0%
   ��わからなかった・・・・・・・・・・・・0%
   �い匹舛蕕箸發い┐覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ亜�

〜利用者の声〜

山形市 女性/小学生
かざってあるものをくわしく説明していたのがよかったです。

宮城県宮城郡松島町 男性/20代
前回同様に貴重な展示品を丁寧な解説で、とても楽しめました。今回は、絵の解説などを通しても最上家の家臣団について知ることができたので、次回以降も義光公のみならず、個性的な家臣団のピックアップにきたいします。

※当館サポーターの個人名は「ボランティア」または「ボランティアさん」に変更しています。


■光禅寺の所在地
 ちょっとややこしい話ですが、光禅寺は最上義光が生前、当時の「三日町」(現在の七日町)に開創したのですが、没後、城主が最上家から代わったときに現在の場所(現在の鉄砲町)に移転しました。その際、その地名も「三日町」とし、もとあった場所は「元三日町」という地名になりました。つまり光禅寺がある地名は当時、「鉄砲町」ではなく「三日町」となるのですが、例の「山形風流松木枕」では、「今三日町」と記されています。「元三日町」と「今三日町」、当時、「三日町」の呼び分けには、やはり工夫が必要だったようで。

■山形の立ち位置
 戦国時代以降、全国各地で鉄砲が生産されましたが、以前は特定の地域で火縄銃が生産され、米沢や仙台は全国有数の生産地であったそうです。つまり上杉と伊達なのですが、最上はいつもその狭間にいる感じです。
 山形市内の鮨屋での話ですが。山形は内陸の盆地で、川魚以外に地魚などあろうはずもないのですが、「山形は庄内と塩釜の間にあり、いろいろ仕入れることができるんですよ。」と言っていました。まあ、いろいろは入手できるようですが、新鮮なものは地元で、いいものは東京に行ってしまうわけでして。
 鉄砲も似たような状況で、山形は米沢と仙台の間にあります。鉄砲は生ものではないので、鮮度とかは関係ないかもしれませんが、でも、最新式のものとかはどうなのでしょうか。まあ、いろいろは入ってはくるかも。
 ちなみに、「米沢筒」は、長さ1メートル、重さ6キロの十匁筒が有名とのこと。重いので運用は難しいが威力に優れているそうです。一方の「仙台筒」は多口径多種類の銃を取り揃え、どちらかというとシンプルで口径の大きい銃が多く、また、騎兵が使用する馬上筒も多いそうです。上杉といい伊達といい、デカい口径が好きなようで。ちなみに、最上義光の兜に残る鉄砲玉の跡はやはり、十匁の玉によるものでは、とのことです。殿、よくぞ御無事で。


ボランティアガイドさんが持ってきてくれました。


よく家紋につかわれています。
山形城最後の城主、水野家の家紋も沢瀉です。

葉が鏃(やじり)に似ているため、「勝ち草」として武将達に好まれました。


山形城の発掘調査でも、最上義光時代の沢瀉の鬼瓦が見つかっています!

 旗に関する表現に「旗幟(きし)鮮明」という、立場を明らかにするという意味の四字熟語があります。英語には同じく「Show the flag」という表現があるのですが、かつてアメリカのアーミテージ国務副長官が、9.11同時多発テロ事件の直後、日本の駐米大使にこの言葉を発しました。これを素直に「立場を明らかにせよ」、つまりアメリカ側に立て、と捉えればよかったのですが、一部で「戦地で日の丸を見せよ」と前のめりに解釈したとか、しなかったとか、まあ、外交のことはよくわからないのですが。
 さらに米側は「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」と、自衛隊の地上部隊の派遣を求めてきました。イラク戦争後の治安維持に当たるアメリカ軍への支援要請です。その際、「2000個のブーツ」という言い方で、1000人規模の派遣が求められました。これはもう解釈云々という話ではないわけで、まあ、軍事のことはよくわからないのですが。
 結局、2001年にテロ対策特措法をつくってインド洋での米英軍艦艇などへ給油支援、2003年にはイラク復興支援特措法を成立させ、初めて陸海空3自衛隊を同時派遣ということで、まあ、政治のことはよくわからないのですが。
 ところで、「旗色が悪い」と言い方ですが、これは陣容陣を表すものであるため、その語源からすると1対1の場合に用いる表現ではありません。例えば、家人を相手にした1対1の場合は、「旗色が悪い」ではなく「平伏」とか「退散」とかという表現になるかと、これは我が家の場合ですが。


 さてさて「作首」以外の生首の使い道としては、髑髏盃というのが、古今東西にあります。浅井久政・長政及び朝倉義景を討ち取った織田信長が、その髑髏を杯にしたという話は有名です。京都隣国との酒宴で、これで回し飲みをしたとも伝えられていますが、実際は箔濃(はくだみ)つまり漆と金粉を塗った髑髏を宴で披露しただけとのことです。
 髑髏杯にちょっと似た感じのものに、毛ガニの甲羅酒というのが思い出され、そのミソがまた、脳みそではないのですがそんな感じで。もちろんその風味がなんともいいわけですが。そう言えばかつて、山形市内にネパール料理店がありまして、そこのメニューには「羊の脳みそ」というのがありました。ソテーで供され、くせがなく、ふわふわしていて、きくわたのような食感でした。すみません、話がだいぶ脱線してしまいました。