最上義光歴史館

最上義光歴史館
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義光と連歌

義光は、当時の知識階級が文学的な楽しみとした連歌が非常に優れていました。

連歌は源氏物語や古今和歌集以下の古典を背景にしながら、一座の人々と静寂優雅な境地を楽しむものです。
桃山時代の連歌は数多くありますが義光の作品は数においても質においても同時代諸侯の中では、細川幽斎を別格例外とすれば、他に匹敵する人物は黒田如水だけです。
作品の数は現在確認されたものだけでも33巻、句数は約250句にのぼります。

同席した文人としては、里村紹巴とその一派の連歌師たち、公家では日野輝資、飛鳥井雅庸、大名では細川幽斎、前田玄以、黒田如水、僧侶では木食上人応其、聖護院道澄、醍醐寺光台院の亮淳僧正、豪商では灰屋紹由、角倉了以など。
まさに錚々たる文化人たちです。

義光が国文学者の間で以前から高く評価されていたのも当然でしょう。
義光連歌の中には、発句を後陽成天皇から賜ったものがあります。
まさに驚くべきことです。(勘)


※写真「慶長三年卯月十九日 賦何墻連歌(義光発句)」初折表部分

最上義光歴史館 販売書籍等一覧
(書籍等名称 / 発行年月日 / 著者等 / 販売価格)
※2024年6月現在


「戦国の明星 最上義光」 
 平成26年1月
 片桐繁雄著
 (公財)山形市文化振興事業団 最上義光歴史館発行   
 1,000円



「重要文化財 光明寺本 遊行上人絵」 
 平成25年9月14日
 山形市発行/(公財)山形市文化振興事業団 最上義光歴史館編集  
 2,000円



「翻刻資料6 最上義光注里村紹巴加筆『連歌新式』」 
 平成21年3月31日
 (財)山形市文化振興事業団 最上義光歴史館  
 1,000円



「(案内冊子)最上義光歴史館(第三版)」 平成20年3月
 (財)山形市文化振興事業団 最上義光歴史館 
  500円



「翻刻資料5 最上下向道記」 
 平成19年3月31日
 (財)山形市文化振興事業団 最上義光歴史館  
 1,000円



「山形城と城下町の面影」 
 平成18年3月
 (財)山形市文化振興事業団 最上義光歴史館   
  100円

 

「翻刻資料4 最上義光連歌集 第三集」 
 平成16年3月31日
 (財)山形市文化振興事業団 最上義光歴史館  
 1,500円



「翻刻資料3 最上義光連歌集 第二集」 
 平成15年3月31日
 (財)最上義光歴史館  
 1,500円



「翻刻資料2 最上義光連歌集 第一集」 
 平成14年3月31日
 (財)最上義光歴史館  
 1,500円



「新稿 羽州最上家旧臣達の系譜 −再仕官への道程−」 
 平成10年3月31日
 小野末三著
 (財)最上義光歴史館発行  
 3,000円



特別企画展図録 「武人画家 郷目右京進貞繁」 
 平成6年4月26日
 (財)最上義光歴史館  
 1,000円→→500円



「最上家名宝展 山形を築いた最上義光」 平成4年10月1日
 (財)最上義光歴史館  
 1,000円→→500円

最上家の第1代斯波兼頼(しばかねより)は、今から約650年前の延文元年(1356)にこの地にきて城をつくり、「出羽国最上郡山形郷(でわのくにもがみごうりやまがたごう)」という地名から「最上(もがみ)」という名字を名乗るようになったといわれています。

その兼頼から数えて11代目の当主(城主)が義光です。義光は慶長5年(1600)の慶長出羽合戦(けいちょうでわかっせん)の活躍で57万石という広大な領地をもつようになりました。

現在の山形県のうち置賜地方を除く全部と秋田県の南の一部です。また、義光は57万石を治める城として、これまで住んでいた山形城を三重の濠(ほり)で囲まれた大変大きな城につくり直し、家臣や商人・職人たちが生活する城下町を整備しました。

この時に山形市の原型がつくられたといわれています。義光は現在の山形市の繁栄の礎を築いたといえます。

名 前 最上義光(もがみよしあき)
出身地 山形(山形城/現在の霞城公園)
生 年 天文15年(1546)1月
没 年 慶長19年(1614)1月18日(69歳)
墓 所 光禅寺(山形市鉄砲町)
出 自 清和源氏・足利一門斯波氏の支族
家 紋 丸ニ引両筋・竹ニ雀・五七桐・十六葉八重菊



最上義光(もがみよしあき)は今から約450年前の天文15年(1546)1月に最上家10代当主義守(よしもり)の長男として山形城で生まれました。

幼いころは「白寿丸(はくじゅまる)」と呼ばれ、永禄3年(1560)に元服し、将軍足利義輝(あしかがよしてる)から一字をもらって「義光(よしあき)」と名乗ります。通称は源五郎(げんごろう)です。

元亀元年(1570)25歳の時に第11代の当主(城主)になりました。それから約40年の間にたくさんの業績を残します。

慶長7年(1602)には、57万石(徳川・豊臣を除いて全国第5位)の大大名になりました。

慶長16年(1611)には従四位上・近衛少将(じゅしいのじょう・このえのしょうしょう)になりました。

慶長19年(1614)1月18日義光は病のため69歳でその生涯を終えます。





燦・虎賁郎将最上義光

 天下麻のごとく乱れた十六世紀、奥羽の世界もまた例外ではなかった。この混乱に終止符を打ち、出羽国に平和と安定をもたらしたのが、最上義光である。
 幾多の困難にうちかって、壮大な国づくりの夢を実現した最上義光。その偉業は、今もなお山形地方に大きな影響を及ぼしている。
 
 古くは南北朝時代、清和源氏の一流、斯波兼頼が出羽探題として最上府中山形にはいり、この地を政治の拠点とする。それから190年の後、天文15年(1546)、義光は第10代山形城主、最上義守の嫡男として生を享けた。その青年時代は苦難の連続であった。米沢の伊達氏、庄内の武藤氏をはじめとする、諸領主との幾多の戦いを経て、16世紀の末には現在の山形県内陸部の過半を領有するにいたる。
 そして慶長5年(1600)、天下を二分した関ヶ原合戦に際しては、徳川家康と連携して会津の上杉景勝と戦い、その論功によって57万石という大々名となる。その版図は置賜地方を除く山形県の全域から秋田県の南部におよび、その広大さと豊かさは、俗に「最上百万石」と称されるほどであった。
 世は乱世から泰平へと、大きな転換期を迎えていた。
 人口の急増、貨幣経済の浸透、生産技術の向上…義光はこうした時代の動きを洞察して、新たな領国の建設に努めた。
 雄大な山形城を築き、周囲には整然とした城下町を建設した。多くの堰をつくって、新田を拓いた。庄内の穀倉地帯は、実に最上義光からスタートしたといって過言ではない。治水、交通路の整備、鉱山の開発、最上川難所の開削、神社仏閣の護持…出羽国は、英傑最上義光の出現によって、画期的な変貌を遂げたのである。

 義光は出羽の人と土地を愛した。信義を重んじ、伝統文化を尊んだ。
  「命のうちにいま一度最上の土を踏み申したく候 水を一杯のみたく候」
  これは、文禄の役に際して、故郷を思う心を述べた手紙の一節。
 「偽りは侍の道にあらず」断固としたこの言葉は、妹義姫(伊達政宗の母)あての書簡にある。
 古典文芸に造詣ふかかった義光と、その家臣たちによって、山形に数多く美術工芸がもたらされた。出羽太守の城下山形に絢爛たる桃山文化の華がまさに咲き誇ろうとしていた。
 だが、その矢先、元和8年(1622)8月の最上家改易によって、こうした動きは滞ってしまう。
 そしてその後、山形はめまぐるしく藩主交替が繰り返される。一貫性のない政治の下に生きねばならなかった山形の民衆にとって、「出羽百万石、黄金の時代」だったのである。
 幕末庄内の勤王の志士清川八郎は、その著書「西遊草」のなかで最上義光の業績をしのんでいる。江戸幕府の儒学者塩谷宕陰は、義光を「虎将」と讃えて漢詩にうたった。
 後世の人々からまで大きな存在として仰がれた義光は、慶長19年(1614)1月18日、波乱と栄光に満ちたその生涯を閉じた。時に69歳。
 出羽国が生んだ最大の英傑、虎賁郎将最上義光。
 その名は、燦として、永く人々に語り継がれていくにちがいない。(勘)


▼沿革と概要

山形繁栄の基礎を築いた戦国武将最上義光の名を冠した当歴史館は、散逸の危機にある最上家関係の資料を収集、保管、調査研究すると共に、広く一般に公開し、義光公並びに最上家を顕彰する施設として山形市が建設、平成元年12月1日に開館いたしました。

開館当時は鉄筋コンクリート造平屋建で、屋根が日本風の切り妻造り、建物自体はヨーロッパ風の建築様式が用いられ、前庭との調和を図った建物として建設されました。

平成4年2月には、施設の充実を図るため、収蔵庫、第二展示室、研修室及び喫茶室等を増設し、現在の鉄筋コンクリート造平屋建一部二階建が完成いたしました。

当歴史館の敷地は、最上家初代斯波兼頼公の菩提寺光明寺があった場所です。義光公が整備し、居城とした山形城の二の丸東大手門前の一等地に位置しております。現在は、国指定の史跡山形城跡から連なる市街地歴史文化ゾーンの中核として、歴史と文化の情報発信地の役割を果たしております。

▼館内の様子




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