最上義光歴史館

最上義光歴史館
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◇ 連歌AIのお話
 正直、私個人としては、連歌どころか短歌すらつくったことがなく、今回の日誌は、「歴史館だより」とネットから拾ってきている記事のコピペばかりです。つまるところchatGPTでできるようなことを手作業(ハンドメイド)で綴ったというところでしょうか。
 さて、AIと言えば、将棋の藤井聡太八冠でもおなじみになっていますが、文化分野全般にもAIはしっかりと入り込んできています。作曲、絵画、漫画の領域においても、AI生成による作品について報道されていますが、例えば文芸では、星新一の短編を全て読み込ませ、新たなショートショートを創作したりしています。
 北海道大学調和系工学研究室では、俳句を詠む人工知能「AI一茶くん」を開発をしています。その学習データは、小林一茶のみならず松尾芭蕉、正岡子規、高濱虚子らの作品をも網羅。それでも生成した俳句は古臭いものもあったので、現代俳句の四十万句をも取り入れました。文法生成のシステム開発とともに、俳句のチェック機能も装備。季語や切れが一個あるか、五七五であるかなどをチェックし、適合しないものをはじきます。その成果は、写真を見せて俳句を詠む、というものです。
 ならば、この応用で連歌生成AIというのもできるはず。まずは宗匠の役割を担うAIを。その名称は多分、「AI宗祇くん」かと。次に連歌を詠むそれぞれ個性を持たせたAIを5、6体ほど(武士の他、貴族とか僧侶とか)。なんかこれ、小松左京の未完の小説「虚無回廊」の主人公のようです。この小説の設定では、宇宙探査に行くために、人工的な自分のコピーを作り、それに専門の異なる6名の仮想キャラクターAIを載せるというものですが、そのAIの中には多様性をもたせるために女性キャラクターというものも入っていて。ん、待てよ、ということはAIにも性別が。確か、江戸時代には女性の連歌師もいたけれど、いや、ここは性別不詳(いわゆるQ)が正解なのか、悩ましいところではあります。

◇ AIの学習環境のお話
 手塚治虫の漫画でも、そのストーリーとキャラクターを読み込ませ、新たな作品が創作されたりしています。過日、報道がなされていましたが、「ブラックジャック」の創作もなされており、手塚眞氏は「ブラック・ジャックは200話以上あり、作品数が多い。そのなかでも物語が絡んでいる。これも研究には有効ではないか。それと手塚治虫らしさ、作家の個性もはっきりしている。作家を分析する上ではいい材料になる」とコメントしています。そうなんです。まずはしっかりした学習データが豊富にないとAIは創作できないんです。最上義光が関係する連歌だったら、データはそこそこありますよぉ。どうでしょう、誰か。
 一方、某印刷株式会社が、古文書などのくずし字をスマホで撮影し、解読できるAI−OCRアプリ「古文書カメラ」の配信を始めています。くずし字には、手書きのもの(書簡や証文、日記などの古文書)と木版印刷物(版本や錦絵など)があり、それぞれに文字の形や使われている字種が異なるのですが、いずれにも対応しているとのこと。解読したデータは、ユーザーが修正しデータとして蓄積することでAIの精度向上に役立てているそうで、学習データが多いことはやはり重要です。
 ちなみに、国立国会図書館とか京都大学図書館などでは、多数の古文書のデジタルアーカイブを公開していて、誰でもネットで閲覧できます。例えば慶長年間に発刊された「源氏物語」には木版活字が使用され、「伊勢物語」には各頁に版木のイラストがついているなど、最上義光が手に取ったかもしれない書物を手軽にみることができます。当館でもそのうち古文書のデジタルアーカイブ化をやらなくては、とは思ってはいるのですが、そのうちということで、すみません。

◇ 連歌に由来する慣用句の話 
 連歌に由来する慣用句として、「花を持たせる」、「月並み」、「挙句のはて」を紹介しました。さらには「二の句が継げない」という慣用句も関係ありそうではありますが、実は全く無関係です。こちらは宮廷歌謡の「朗詠」に由来しています。「朗詠」は、全部で3段から構成されており、真ん中の段を「二の句」と呼びます。二の句では、音の高さを上げるのですが、高音で歌うのが難く言葉が出ないことから「二の句が継げない」といったそうです。
 「二の句が継げない」とは、相手の発言に驚き、呆れを感じた場合に用います。 なので、謙遜するつもりで、発句の次に「二の句が継げない」などと言おうものなら、発句に対して、呆れてものが言えない、という意味になってしまい、とんでもないことになってしまいます。
 さらに「二の句が継げない」と似た慣用句に「二の矢が継げない」があります。「次にとる手段や手立てがない」ことを表します。つまり、「手詰まりの状態」ということなので、連歌の場合はこちらが適当かも。それはそうとして、一人で「三の矢も四の矢も用意しました」などと言う人もいるかもしれませんが、連歌では無意味です。一人で連歌を続けるのであれば別ですが。「ぼっち連歌」とでも名付けましょうか。

◇ 小便小僧の話 その1
 神戸の公共空間においては裸婦像が多く、過去に、それらの立像の腰にスカーフがまかれるという事件が起きたそうです。そこで思い出したのが、今年の春に開催された、静嘉堂文庫美術館の特別展「明治美術狂想曲」です。その特別展のメインのひとつが黒田清輝の「裸体婦人像。その絵は、明治34年の第6回白馬会展の際、警察の指導により下半身を布で覆って展示された「腰巻事件」の説明とともに展示されていました。
 これと似たようなことですが、バチカンのシスティナ礼拝堂にあるミケランジェロ作「最後の審判」も一時期、男性図絵の股間にふんどしを描き足したことがありました。性別に関係なく、穿いてないと見る方は安心できないようです。
 ところで山形市内で最も有名な屋外彫刻と言えば、北山形駅前にある小便小僧でしょうか。これも普通の裸の像なのですが、時事の話題などをテーマにした衣装が着せられています。昨年は、多様性をレインボーカラーで表した衣装をとなっていました。下もちゃんと穿いてはいるのですが、それでも当然、隠しようもない部分があり、むしろ出しています。

◇ 小便小僧の話 その2
 小便小僧と言えば、そのオリジナルとなるブリュッセルの小便小僧は、世界三大がっかり名所 (他に、コペンハーゲンの人魚姫、シンガポールのマーライオン) のひとつとしても知られています。きっと御存じの方も多いとは思います
 逆に実物を見て、その大きさに驚く彫像もあります。例えばフィレンツェにあるダビデ像。もともとウフィッツィ美術館近くの広場にあったものですが、保護のため美術館に移され、もとあった広場にはレプリカが置いてあります。その像の高さは517cmあり、その瞳がハート型になっていることなどには気付くこともなく、ちょうど目の前にくるあの部分にどうしても視線がいきます。さらに歴史に造詣がある方々は、ダビデ王はユダヤ人なのに割礼の跡がないのはなぜだ、という議論になるそうです。審美的な理由でこうなっていると結論づける方もいるのですが、それはおとなしく被ったままです。

◇ 小便小僧の話 その3
 知る人ぞ知る有名な小便小僧に「祖谷渓小便小僧」というのがあります。徳島県の祖谷は深い渓谷の地で、そこには県を代表する観光名所のかずら橋とか 自家用ケーブルカーで露天風呂に行き来する旅館もある祖谷温泉とか、鉄道好きの方にはお馴染みの大歩危(おおぼけ)駅とか小歩危(こぼけ)駅とかがあります。
 祖谷渓小便小僧は、祖谷温泉に行く道筋にあるのですが、車のすれ違いも困難な曲がりくねった道路で、広場も駐車場もなく、ガードレールの外にある高さ約200mの岩場に立っているだけです。
 どういう経過でここに小便小僧を建てることとなったかはわからないのですが、この渓谷の、この高さにいると、どうしてもやってみたくなる、というのが自然の摂理なのでしょう。ちなみにその足元には、けっこうなお金が投げ込まれていました。人の気持ちを動かし、金を置きたくなる、やはりこれは本物です。

■ マンション修繕の話
 マンションの修繕は現況調査の上、屋上部の雨漏れ、外壁の剥離、ベランダや雨どいの修繕、ドアサッシ等の鉄部塗装、照明などの電気設備ときて、30年を過ぎたあたりで上下水管の心配をしなければならなくなります。これらの工事のうち、共用部分は修繕積立金次第なのですが、各戸に入る工事はその調整がひと仕事です。あと、特に難物なのがエレベーター、経年で交換部品がなくなります。すると、そのメーカー系のメンテナンス業者が点検を請け負わなくなります。しかも工事ともなれば、仮設エレベーターを設けられればいいのですが、それができない場合、高層階の住民は地獄を見ます。長期修繕計画については、まずは国土交通省「長期修繕計画作成ガイドライン」あたりをご覧願います。

■ 別世界の話 その1
 赤坂プリンスホテル新館の解体では、最上階を残しながら丈をつめていく「達磨落とし」のような新技術が話題になりました。スマートに解体するというという考え方もあったように思われます。
 さて、以前の職場で就職したばかりの頃、山形の特産品さくらんぼのPRと称し、中央官庁の関係部署にそれを運ぶという仕事があって、その仕事が終わり、赤坂見附駅近くにある某市町村共済組合の安宿(現在は建て替えられて結構な料金になっています)に戻る途中、上司が赤坂プリンスホテル新館を見あげて、あそこに行ったことがないのでそこでコーヒーでも飲もう、ということになりラウンジに入ったのですが、そこのコーヒーは想定の倍以上の値段で、思わず引いてしまったのですが、それでもフロアのボーイさんが傅(かしず)きながらオーダーを取りにきて、カラフルなドラジェ(糖衣菓子)などを添えたコーヒーが運ばれると、その上司も途端に気持ちが大きくなり、「君たち、これが赤プリよぉ。」と、ドヤ顔で言っていたのを思い出します。
 新館の最上階には「トップ オブ アカサカ」というバーというかビューラウンジがあり、まあ、バブルな感じのお客さんが多いのですが、後日ここに行ったとき、ここからの夜景を見て、「これが赤プリの夜景よぉ。」と言いたくなりました。しかしふと、あの上司のドヤ顔が浮かび、ここは言葉を飲みこみました。
 ただ、政財界の方々は、もっぱら「旧館」を利用していたようで、とにかく旧館の玄関先には立派な黒塗りの乗用車が行き来していて、例えばあの小泉さんという方はよくここで食事をしていたそうです。
 旧館は取り壊さず改装したのですが、以前、休日の朝、某市町村共済組合の安宿のチェックアウトを済ませ、この旧館の前を通ると、上品なセレブといった感じの方々が結婚式に集まっていて、まさに別世界を目の当たりにしました。現在ここは、レストラン、結婚式場などを備えた「赤坂プリンス クラッシックハウス」となっています。

■ 別世界の話 その2
 かつて、高輪あたりのプリンスホテルで行われる有名人の結婚披露宴は、テレビで生中継されることがあり、山形のお茶の間でも見ることができました。しかし今時の有名人の結婚は、SNSの文面が映し出されるのみです。
 有名人の結婚披露宴がテレビ放映されていた頃、山形の職場での結婚式というと、新郎新婦の親戚筋から大顰蹙をかうような半裸踊りで場を盛り上げた(≒場を荒らしていた)ものですが、ここ10年以上、職場の人の結婚式というものに呼ばれたことがありません。神前もまして仏前もなく、せいぜい、仲間内の飲み会程度です。こんな状況なので、職場の上司として仲人を務めたという人の話も最近は耳にしていません。
 仲人と言えば、同級生に医者が何人かいるのですが、彼らが上司に仲人を頼むと、その礼金の相場は1本なのだそうです。お金の単位で「本」というのは、いわゆるその筋の取引などで用いられる単位かとは思いますが、とにかく、入るものが大きい商売は、出るものも大きいのでしょう。
 私どもも、金額について1本と言う時もありますが、それはせいぜい1万円のことです。たまに古いおやじギャグで、100円とかを人に渡す時、「はい、100万円!!」と言うことはありますが、ただ、医者の場合は、100万円は100万円です。

 なんか、雨漏りの話からとんでもない話にいってしまい、すみません。