最上義光歴史館

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■ 松原の話
 江戸時代の「松」と言えば、街道の「松並木」もあります。1604年(慶長9年)に徳川家康が諸国の街道両側に松や杉を植えさせたことが始まりともされ、日陰の提供や防風林、道標としても用いられました。
 江戸時代の東北には、福島と青森とを結ぶ街道として、山形、秋田を経由する「羽州街道」と、宮城、岩手を経由する「奥州街道」の二つがありました。福島の桑折から分かれ、青森の油川で合流しますが、桑折と油川は奥州街道の宿場となります。
 羽州街道沿いの宿場数は58宿とも62宿とも言われますが、時代による変化や、宿場と宿場の間に置かれた間宿(あいのしゅく)という二つの宿場が月の半ばに交代した所などがあるため、正確な数ははっきりしていません。
 山形と上山の間には、「松原宿」と「黒沢宿」という間宿があり、松原宿は月の前20日間を、黒沢宿は月の下旬10日間を勤めました。「松原」はその宿名からすれば松の木が広がる原野であったかもしれないのですが、現況は個人の庭先に松の木がある程度で、ほとんどが住宅地と農地になっています。一方、「黒沢」は何件かの温泉宿が点在していますが田畑に囲まれた地域です。この街道区間は現在も、当時の街道筋がそのまま残っています。
 松原宿は、1622(元和8)年に上山藩と山形藩が分離したことから番所が置かれ、新設されたものです。通行する者の通判改めの他、青苧、蝋、漆などの荷改めなどが行われ、その松原番所跡には現在、石碑があります。 
 実は50年前、福島、山形、秋田の3県を結ぶ「奥羽新幹線」基本計画が、この羽州街道をなぞるように政府により作られました。また、日本海沿いに新潟と秋田を結ぶ「羽越新幹線」という計画もあり、現在、山形県内には「山形県奥羽・羽越新幹線整備実現同盟」というものがあります。しかしながら山形県以外はメリットに乏しいせいか、他県での動きはいまひとつのようです。一方、秋田までの運行となると、山形県内のほぼ各自治体にある新幹線駅の多くが通過駅となってしまう可能性など様々な懸念もあるようです。
 それでも福島青年会議所は今年9月に、福島市から山形市を経由して秋田市までを結ぶ新幹線をフル規格で整備する「奥羽新幹線」の検討会を発足させました。このように分岐点となる福島と青森で盛り上がってくれれば、話は動いてくるのでは。経済交流もさることながら、東日本大震災のときの教訓として、東北新幹線の迂回路線が必要との声を受けてのこともあるそうです。迂回路線としてそれならいっそ、日本海沿いに青森から山口まで新幹線が整備されればと思うのですが。これぞまさしく国土強靭化ではないかと。

■ ウルトラCの話
 当然、松にもいろいろありまして、代表的なものとしてアカマツ、クロマツ、カラマツ、トドマツなどがありますが、すべてマツ科ではあるものの、アカマツやクロマツは「マツ属」、カラマツは「カラマツ属」、トドマツは「モミ属」ということで、アカマツとクロマツは松の代表的な仲間とされる一方、カラマツやトドマツは松の仲間とは区別されるそうです。
 また、松の名前と言えば、おそ松、カラ松、チョロ松、一松、十四松、トド松という松野家の六つ子の兄弟の名前を思い出す方もいらっしゃるのでは。赤塚不二夫さん作の「おそ松くん」ですが、1962年の「週刊少年サンデー」が初出です。この年は実は私の生年でもありまして、これで一緒に育ってきたということですが、2015年には赤塚不二夫生誕80年記念として「おそ松さん」が放送されました。その実写版第二弾映画が来年2026年1月9日に公開とのことです。ちなみにその配役で、十四松はリチャードさんなのですが、なんとか乗り切れないものかと。確かに現場付近の店からすれば迷惑だったのでしょうが。
 さてさて、〽松の木ばかりが まつじゃない〜、という唄がありまして、この「まつのき小唄」を二宮ゆき子さんが歌ったレコードが1965年にでています。それまでお座敷などで唄われていた小唄で作曲者は不明なのですが、このレコードは藤田まさとさんと夢虹二さんの作詞で、1番目の歌詞はつぎのようなものです。
  〽松の木ばかりが まつじゃない〜
   時計を見ながら ただひとり
   今か今かと 気をもんで
   あなた待つのも まつのうち
 こんな感じで6番まであるのですが、それはそれとして、注目したいのはそのB面の「ウルトラCでやりましょう」(作詞:たなかゆきを、作曲:白石十四男)という曲であります。レコードがリリースされた前年の1964年に東京オリンピックが開催されたのですが、当時の体操競技はA、B、Cの3段階の難易度に分かれており、Cが最高の難易度でした。東京オリンピックで日本選手がCランクを超える超難度の技を披露した際、NHKアナウンサーの鈴木文弥さんが「ウルトラC」と表現し、当時の流行語となりました。
 ここでその全歌詞を載せたいところですが、一部のみの紹介ということで、例えば4番の歌詞はこんな感じです。
  〽星の数ほど 相手はあるし
   へたな遠慮は およしなさい
   どんなチャンスも 逃さずに
   二人きりに なったなら
   ウルトラCで やりましょう
 私の幼少の頃は「おそ松くん」とともにこんな歌が流行っていて、それがどんなものなのかはもちろんわからないわけではありますが、なんかいい時代だったのかもしれません。恐らく今のNHKでは、電波に乗せることは困難かと。ちなみに今の体操競技の難易度はAからIまであり、「ウルトラIでやりましょう」となると、どれだけえげつない、いや、高難度になるのでしょうか。

■ 松の柱も三年の話
 さてさて、ここで久しぶりにことわざの話でも。
「松の柱も三年」ということわざがあります。松の木は通常腐りやすいために、柱に使われないが三年はもつ、ということから、役には立たないどんな物や人でも当分の間は使えることの例えに用いられます。なかなか奥深いことわざではあります。物や人ばかりでなく、システムでもこのような凌ぎはままあるわけで、これが腐らなければなお結構というか、儲けものでして。組織でも家庭でも現実的な要諦ではあります。まあ、3年先すら予測不能の世の中で、それから先はまたその時考えるという、刹那的な昨今にふさわしいことわざでもあります。
 ただ、これ以外に「松」のことわざは見当たらず、一方で「竹」のことわざや慣用句は数多くあります。「雨後の竹の子」、「木に竹を接ぐ」、「竹を割ったよう」など。また、「竹に虎」という、虎の強さと竹の柔軟性を兼ね備え、豪華で縁起の良いものを表すものもあります。これが「雨後の松茸」、「木に松を接ぐ」、「松を割ったよう」では、何が言いたいのかよくわからなくなりますが、「松に虎」なら掛軸や屏風に結構あります。
 さて、「松の柱も三年」とは言え、「水の都」と言われる、かのヴェネツィアの建物を支える土台には、シベリア産のカラマツが使われており、1500年以上もの間、建物を支えているものもあるそうです。打ち込まれた杭が硬い地層の土で密閉され空気に触れないため腐食しないとのこと。その杭自体はもっているのですが、温暖化で水位が上がっていて、毎年のようにサン・マルコ広場が冠水しているニュース映像が流れてきます。
 一方、山形の蔵王で有名なのが「樹氷」ですが、これはアオモリトドマツ(オオシラビソ)が冬の風雪にさらされて凍り付いたもので「スノーモンスター」とも呼ばれます。しかし近年、蔵王の樹氷は危機に瀕しています。このアオモリトドマツには、2013年頃からガの幼虫による食害が始まり、続いてキクイムシが枯れ木内部を食い荒らすなどして被害が拡大しました。この害虫の発生も温暖化の影響によるものとの指摘があります。
 蔵王の樹氷再生にむけては、行政、識者、報道機関などによる「樹氷復活県民会議」を発足させ、また、林野庁は他の場所に自生する苗の被害地への移植や、苗木を育てるため種の採取などの再生事業を始めています。
 しかしながらマツの再生には50〜70年程度かかり「このペースで気温上昇が続くとマツが元通りになる21世紀末には、そもそも樹氷ができない環境となりかねない」とも指摘されています。そう言えば、温暖化で樹氷も北上しているというか、最近、樹氷といえば八甲田の名がくるようです。やはりアオモリトドマツの本場でもあるわけで。

■ 樹氷研究の話
 樹氷を研究している柳沢文孝山形大学名誉教授によると、50年前と比較し年間平均気温が約2〜3度上昇したため「夏場にガが過ごしやすい環境になってしまった」といいます。柳澤教授の専門は「樹氷、酸性雨、黄砂、地球温暖化」と環境問題の王道を歩まれているわけであります。
 かつて仕事の関係で、この先生の研究室を訪問したことがあります。そこにはなんとも多様な資料やレトロな模型などが置いてあり、これを誰にどう引き継ぐのか、部外者ながら心配になったのですが、数千点にのぼる資料は2021年に山形市立図書館に寄贈されたとのことで、図書館では担当職員をおきそのデータベース化が進められています。おおよそのリスト化はなされたとのことで、その資料は、学術論文をはじめ樹氷のパンフレットや絵葉書まで多岐にわたるそうです。
 また山形大学には「蔵王樹氷火山総合研究会」を置き「樹氷の会」を設立、「樹氷マイスター」を養成し、2024年10月にその第一期生4名が認定されたそうです。資料や人材をどう引き継ぐか、これが一番肝心なところですが、しっかりと手を尽くされているようです。残るは資金的な問題でしょうか。樹氷がアオモリトドマツではなくアカマツであり、その根と共生する菌根菌つまり松茸が山となっていたなら、協力者や活動資金の心配はないのでは、などと下衆な考えが浮かんでしまうのですが。

■ 松茸の話
 さて、松茸山というのは数千万円単位の取引にもなるそうです。ただし、一山そのままの売買はそうそうはなく、松茸山を買うというのは通常、山の一部区域の入山権を買う、ということを言うのだそうです。年額で数十万円程度とのことですが、権利を得た人のみが入山することなど、いろいろ条件があるらしいのですが、実は、条件なしで、1日2千円で取り放題という山が、山形県の高畠町にあります。
 ただし、高畠町観光協会のHPによると、「初心者は松茸を見つける確率はゼロに等しいんです。最近話題の熊だって出るかもしれないし、ヘビだって、スズメバチだって出ないって言い切れないんですよ。」とのことで、「2,000円でどれだけ採れるんですか?」「採れなかったら1本くらいサービスないんですか」などの問い合わせもあるとのことです。
 また、松茸採りの心得として、「毒きのこも生えない場所に松茸は生えない。また、やけになって毒キノコを見て採って満足しない事」ともあります。今年は9月20日〜11月上旬まで、閉山時期は状況によって早まり、休山日は未定とのこと。時間は午前5時から午後3時まで、午前10時30分に受付締切とのことで、場所その他詳しくは高畠町観光協会に確認を。採れなくても最寄駅などで販売しているそうです。その最寄駅である高畠駅は、山形新幹線も停まり、なんと駅に温泉もあります。
 とにかく松茸は、「有難さ」では他の追従を許さないものではありますが、やはりそれは日本だけのようです。かなり昔の話ですが、学食で「松茸ご飯」が提供される時期があり、もちろん、松茸がどこにあるのかわからない、うっすらとそれらしい色と香りがするだけのご飯なのですが、それでも白飯の数倍のお値段で、話の種程度しか食べないものではあります。
 韓国からの研究生と一緒に学食に行った時に、この「松茸ご飯」がでていたので、せっかくなので食べてみてはと勧めたところ、「こんな栄養のないものに、なぜ高いお金を払って食べたがるのかわからない。」と言われました。やはり「薬食同源」が根底にある韓国の人に対しては、「香り松茸」とか「初物七十五日」とか言っても説得力に欠けるかぁ、と思ったところではあります。
 松茸については、自然にその魅力がわかるとか食欲がわくというものでもなく、ある程度の経験というか勉強が必要ですが、例えば「西洋松露=トリュフ」というものがありますが、自分としてはその香りには食欲を感じないというか、ものによっては香りすら感じることができない「トリュフ音痴」でして、例えばパスタの上に黒だとか白だとかのトリュフのスライスをうやうやしくのせられても香りがわからず、ただただ値段のことだけが気になってしまうわけで、つまりコスパを無視してものが食べられる身分でもないわけで、個人的にトリュフについては、かの研究生と同じではあります。勉強が足らない、と言われればそれまでなのですが、その学資に乏しいわけでして。