最上義光歴史館

最上義光歴史館
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 8月20日より、

 山形市の某酒造から最上義光のお酒が発売されましたぁ。

 
         (= ̄+▽ ̄=)キラ〜ン★

 かな〜り、嬉しい。

 作って下さった酒造さん、ありがとうございます♪♪

 v(^_^v)♪ありがと♪(v^_^)v

 発売された日本酒は、

 「美山錦」を原料にした純米吟醸で、

 切れ味の鋭い、スッキリとしたお酒です。

 

 ( ̄-  ̄ ) ンー

 どちらかと言えば、辛口なのかなぁ

 そう言えば・・

 山形新聞の夕刊とフリーペーパーやまがたコミュニティー新聞にも

 

 

 掲載されていましたねぇ。

 これで、少しでも義光の知名度が上がればイイなぁ・・

 悲しい事に  "(ノ_・、)" グスングスン

 山形在住で義光の事を知らない人も、たまに居ますからねぇ・・

 早速ナッツも自宅用に2本注文してみました。

 飲む為でなく、ナッツ家代々のご先祖様にお供えとして・・

 ナッツは、お付き合い程度しか飲めなぃので・・・(笑)

 以前、飲みすぎて(゜_、゜;)

      ふら〜フラ〜になった事があって・・・

 それから控えるようになりましたョ。( ̄ー ̄∂) ポリポリ

 まぁ、ナッツの事は、どぅでもイイですね。  はぃ・・・

 今回、義光のお酒が出たので、米沢から直江兼続のお酒も取り寄せてみました。

   (。-_-。)/。・。・゜★・。・。☆・゜・。・マハリクマハリター

  じゃ〜ん!!

 

 遠い所、お越しくださいまして、(^人^)ありがとうございます。

 せっかくなので・・

 

 直江兼続vs最上義光

 うりゃ (((( -_-)乂(-_- )))) うりゃ

 夢の共演です。

 

 米沢市と山形市・・出羽の関ヶ原!!

 どちらも同じ山形県のお酒として、山形県のPRに繋がればイイですね。

                           \(o ̄▽ ̄o)


【義光の妻たち� ‖膾衂弯�/おおさきふじん】
   
 「矢が飛ぶのは弓の力、雲が走るのは龍の力、男がことをなすのは女の力によるのだ」日蓮上人はこんな意味のことを述べている。歴史の表面には表れなくても、女性の力の大きさは、だれも否定できないだろう。
 最上義光が偉大な業績をなしとげた陰には、彼を支えた女性がいたはずである。
 正室は、奥羽の名門大崎家の娘とする『最上家譜』その他と、近隣の豪族天童頼貞の娘とする『光明寺本系図』等があって、いまひとつはっきりしない。
 郷土史家、故川崎浩良氏は、大崎夫人を正室と見ておられる。この夫人が長男義康や駒姫など何人かの子をもうけ、また夫とともに会津に出かけて豊臣秀吉に謁したり、京都にのぼって京文化を楽しんだりしたという(『川崎浩良全集4』)。
 一方、山形大学教授で宗教史の権威、松尾剛次博士は、最上系図や山形寺町の成立過程、浄土真宗の弘通状態、さらに当時の女性の信仰・帰依などの問題を研究されて、天童氏の出とするほうが妥当であろうとしておられる(論文「山形寺町の形成」<平成十五年度・山形大学公開講座報告集所載)。
 いずれにしても、義光の長男義康が生まれたのが天正3年(1575)であるから、正室は、これ以前に嫁いだはずである。それが天正初めのこととすれば、山形は天童・中野グループと激しい抗争を繰り広げていた真っ最中となる。はたして天童家から入ったのかどうか。
最上家研究では大きな問題だが、これは今後にゆだねることとして、ここでは従来山形で語られてきたように、正室を大崎夫人として述べてみたい。
 義光の子は、義康の後に松尾姫、駒姫、家親、光氏(後、義親)とつづく。その何人かが、大崎夫人の子ということになるだろう。
 近江八日市市の最上家菩提寺、曹洞宗妙応寺の記録や『最上家代々過去帳』によると、文禄4年(1595)8月16日、「山形殿内室、奥州大崎家女」が亡くなったという。法名は「月窓妙桂大禅尼」。この日は、駒姫がはかない最期をとげてからわずか14日後である。ちょうど二七日(ふたなのか)めにあたるところから、夫人の死は、悲しみのあまり自ら命を断ったのではないかという人もあるほどだ。
 夫人を開基とする寒河江市の正覚寺には別伝がある。彼女は義康の生母であり、一時寒河江を領した義康と居をともにし、この地で亡くなったという。はたしてどちらが正しいか、これもはっきりしない。正覚寺には彼女が愛用したと伝える調度品が収蔵されている。
 また、山形市内専称寺は、駒姫の菩提寺として知られているが、この寺には慶長2年(1597)に義光が寄進した「出羽守内室像」といわれている画像が秘蔵されている。一般にはこれが大崎夫人であり、駒姫画像といっしょに寄進されたところから、駒姫を生んだ女性だとされている。品のいい尼僧姿を描いた桃山時代絵画として、県文化財に指定されている。
 名門大名最上家がどこから妻を迎えたかという、基本的なことがらさえ、いまだに確定できないのは、少なからず残念なことだ。
■■片桐繁雄著


直江兼続の最上侵攻
                             
 慶長5年(1600)9月、直江兼続は米沢から最上領に侵攻し、畑谷城攻略を経て山形城西方の長谷堂城を囲んだ。上杉勢は庄内からも侵攻した。長谷堂合戦は膠着状態となるが、関ヶ原の戦果が伝わるや、兼続率いる上杉勢は一部を除いて撤退した。
 同年六月、徳川家康は上洛要請を拒んで会津で領国経営に専念していた上杉景勝に向けて出兵した。このとき会津領国に対する包囲網が構築された。このような中で上杉氏は旧領越後の春日山に入った堀秀治に向けて越後一揆を扇動した。また、白石城を奪取して上杉領となった旧領を窺う伊達政宗を伊達・信夫方面に迎撃した。一方佐竹氏とは明確に手を結び、相馬氏や岩城氏らとも目立った戦闘はなかった。相馬には使者が送られている。後述のように越後北部(下越)の溝口・村上両氏とも交渉で戦闘の回避が意図されていたが、両氏は越後一揆の鎮圧に動いた。そして、最上義光を山形に攻めたのである。
 さて、誉田慶恩氏は兼続の最上侵攻の理由として�〆脳綮瓩�伊達氏に比べ戦力的に弱小で攻めやすいこと、��家康の命によって北奥羽の諸士を率いて上杉領へ攻め込もうとしていたこと、��上杉領における会津と庄内を結合して上杉氏の軍備の弱点を補おうとしたことなどを挙げ、特に��を強調した(『奥羽の驍将―最上義光―』人物往来社、一九六七年)。
傾聴すべき見解であるが、会津と庄内の一体化は庄内と連続する越後の下越地方から実現することもできたと思われる。そこは旧領である。残存した旧勢力とともに上杉家臣団による軍勢が動員されれば、軍事作戦は最上攻めよりも優位に展開できたのではなかろうか。また、同じく飛び地の状態であった佐渡との一体性も確保できる。
ところが兼続は、越後一揆は秀治に向け、下越の村上・溝口両氏を攻撃しないように指示している(八月四日付兼続書状。『新潟県史 史料編五 中世三』所収三二二九号文書。以下、同書からの引用は文書番号のみ記す)。現実とは異なり交渉で戦闘を回避したと認識していた(三二二八号)。つまり兼続には下越掌握による庄内の連結という構想はなかった。領国の一体化を目指すにしても、最上領を攻める固有の理由があったのではあるまいか。
前掲八月四日付書状(三二二九号)で兼続は義光と政宗を討つのは容易いが、家康の出方を見極めるまで動けないと記している。既に戦いに及んでいた政宗とともに、いまだ軍事行動を起こしていない義光が挙げられている。兼続は義光と政宗を東北における敵対勢力として当初から認識していた。そして、義光や政宗に対する攻撃は家康の動向に規定されていた。また、九月三日付の兼続書状(『山形縣史』一)では、景勝の関東出兵に休戦した伊達氏の同陣の可能性を探っているが、政宗との戦闘回避によって初めて景勝の家康との軍事対決が可能になるのであった。そして、ここでも義光の動向は政宗と一体的に捉えられている。
九月には義光・政宗の動向が家康への攻撃を規制しており、義光・政宗の動向が家康の背後への上杉氏の攻撃を防いだとする指摘を裏付けるが、基本的な兼続の視線は関東と東北の問題に向けられている。家康の駿府入りで関東への気遣いがなくなったという認識が上杉家中にある(『山形縣史』一所収九月一八日付上泉泰重書状写)が、上杉氏の活動が関東までを対象としていたことが分かる。会津は関東・東北支配の要地であった。兼続の行動はこの全国支配の方針に基づく、すぐれて政治的なものと考えられる。
家康との衝突が回避されつつある八月、反転攻勢として義光攻撃の準備が進められる一方で義光・政宗と外交交渉がもたれたとみられる。政宗のように休戦が成立すると、前述のように一転家康攻撃への動員が模索された。上杉氏の課題は東北の家康派の解体であったと考えられる。攻撃準備は圧力とみられるが、九月三日付書状にしめされたように交渉破綻を機に侵攻が実行された。それはあくまで家康派の解体・抑え込みが目的であったと考える。最上氏を滅ぼす必要はなく、一定の打撃を与えられれば十分だった。しかし、それは成功しなかったのだが。 

■執筆:阿部哲人(米沢市上杉博物館学芸員)「館だより��15」より


      《平成20年7月分の入館者アンケート集計結果》
 
 この集計結果は平成20年7月1日から同31日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。


         常設展示 (7/1〜7/31)
         開館日数・・・・・・・・・・27日間
         入館者数・・・・・・・・・・1,526人
         回答者数・・・・・・・・・・97人

 1.歴史館をどこで知りましたか
 
 (1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・24%
 (2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・・2%
 (3)インターネット・・・・・・・・・・・・・・8%
 (4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・・9%
 (5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・・3%
 (6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・・5%
 (7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・18%
 (8)観光案内所 (駅など) ・・・・・・・・・・14%
 (9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・11%
 (10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・6%

 2.歴史館の入館は何回目ですか

 (1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・91%
 (2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・・4%
 (3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・5%

 3.ご覧になられた感想

 (1)内容はいかがでしたか
 
   �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・・・19%
   �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・・・64%
   ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・・・17%
   �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・・・・0%

 (2)最上義光と最上家について

   �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・・・17%
   �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・・・76%
   ��わからなかった・・・・・・・・・・・・・・・3%
   �い匹舛蕕箸發い┐覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ�%

 (3)入館料について

   �々發ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ�%
   ��適当である・・・・・・・・・・・・・・・・83%
   �0造ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ隠�%

 〜利用者の声〜

 ◎館内がきれいでよかった。

 ◎もう少し分かりやすい説明があるとよかった。

 ◎駒姫の資料や物を大きく扱ってほしい。

 ◎おもしろかった。

 ◎展示文字を大きくしてほしい。

 ◎説明がわかりやすくてよかった。

 ◎東北全体像が分からないので、義光の実績が分からない。

 ◎山形城を復元したジオラマを置いてほしい。

 ◎石高57万石を現代風に分かりやすく説明してほしい。

 ◎多くの資料が大変参考になりました。

 ◎短命に終わった駒姫のストーリーのコーナーがほしい。

 ◎キャラクターグッズがほしい。

 ◎「みどころ」がわかりやすくてよい。

 ◎資料を増やしてほしい。

 ◎義光以降の最上家の歴史について、もっと知りたかった。

 ◎NHK大河ドラマになってほしい。

 ◎上杉、伊達との関係を詳しく説明してほしい。

 ◎天童氏との争いや伊達との関係も展示してほしい。

 ◎山形城主が最上から秋元になった経緯を説明してほしい。

 ◎順路を分かりやすくしてほしい。

 ◎日本全体の歴史との関わりを詳しく取り上げてほしい。

 ◎とても分かりやすいレイアウトで見やすかった。

 ◎喫茶店も明るく、入館者にサービス券を配るなど、サービスが良く気持ちよく
  やすらげる場所だった。

 ◎とても感じの良い歴史館だった。

 ◎ガイドの出し方、クイズ等もポイントが抑えてあり楽しかった。

 ◎高齢者向けの休憩所を充実させてほしい。


 
 つ、ついに (」゜口゜)」!!
 
 最上義光所用の兜が、ペーパークラフトに
 
 なりましたぁ〜( ̄▽ ̄)ノ_彡★

 

 しかも、無料でダウンロードできるなんて・・

 素敵すぎる・・ヾ(@°▽°@)ノ

 作ってくださった木村さん、ありがとうございます。m(_ _)m


 早速、歴史館でも作ってみる事に・・・

 美術工芸部隊!出動〜!!

 ∠( ̄∧ ̄) ラジャ!

 皆で製作会議を開いた結果、頑丈に作った方が良いとの事で、

 厚紙に貼って補強する事になりました。

 (これが後々最悪の事態に・・・)

 (この時は、まだ誰もその事に気がつかず・・・)


 はりきって、工作開始!

 (/ ̄ー ̄) (/ ̄ー ̄)

 
 **1時間目**

 :のり:で、厚紙に貼っていきます。

 (部屋中・・のり臭い)


 **2時間目**

 型紙にそって、切っていきます。

 !!!!!

 (かっ、かたい・・・)     (#+_+)=3ふぅ〜

 はさみで切れず、カッター班の投入⌒★

               _φ(++ ;) キリキリ


 **3時間目**

 厚紙を少しずつカッターで切り離し・・

 ��( ̄□ ̄;) あ゛っ!!

 血が・・・     σ( ̄ー ̄;;)

 指が厚紙で切れたぁ・・

      (痛い痛い痛い痛い痛い・・・)

 あれ?      (; ̄- ̄;)

 痛くない・・(笑)

 紙で切ると痛いのに、厚紙だと痛くない?

 そんな訳ないか・・・


 カッターで切り抜きしたら、手が痺れて・・

       └(・-・)┘┌(-.-)┐└(・。・)┘┌(-.-)┐

 か弱いナッツは、力仕事パス⌒★

             (∩_∩;)P 白旗〜!

 という事で続きは、うちの *ボス* に作ってもらいました。


 **4時間目**

 組み立て開始♪

 

 のりを付けて、のりしろを貼り合わせて・・・

 !!!!!!

 紙が厚すぎて・・

 くっつかない!!  (予想外です・・)

     |||||/( ̄□ ̄;)\||||||||||

 接着材を使った方がよかったような・・・

 仕方ないので、裏からセロハンテープで補強しました。

                 ♪〜( ̄ε ̄;)


 **5時間目**

 なんとか完成♪♪

 

 厚紙に貼ったのは失敗?

          (((( ̄ー ̄;)

 でも、かなり丈夫な兜になりましたぁ。

 実際にかぶる事もできま〜す。

 


   注意:兜作りに、厚すぎる紙は使わない事をお勧めします。
                      ( ̄ー ̄∂) ポリポリ


モガミヨシアキ(最上義光)とナオエカネツグ(直江兼続)は山形県を代表する英雄です!!

その二人から最上義光歴史館を見学するみんなに「挑戦状」が届きました!!
「最上義光からの挑戦状!!」の特別版「最上義光と直江兼続からの挑戦状!!」です!!

二人はいつ頃の人!?どんなことをした人!?二人の関係は!?二人にまつわる資料をそれぞれが紹介しています!!


【ダウンロード】

   ↓↓↓

●おもて ○うら