最上義光歴史館

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武将兜ペーパークラフトの無料ダウンロードについて

ご覧の皆様、今回のペーパークラフトを企画しました米沢市の木村です。
平成20年度NHK大河ドラマが、上杉家の宰相、直江兼続公の「天地人」という、いい機会で、手にとって形のあるもので、小中学校の子供からお年寄りまで、歴史への興味を高めていただき、「本物」に接する機会を作るきっかけとしていただきたいと、この紙細工を企画しました。コンセプトは「上杉家武将とその好敵手達」というものです。
慶長出羽合戦では、上杉軍直江勢と最上軍が激突しましたが、最上義光公が寄せ手の上杉軍の奮戦振りを賞賛したように、勇将の威光を継ぐ両市の、同じ山形県民としてこれからもお互いに肩を組む証の一つにでもなれば幸いかと思っております。

この企画に当たりましては、各武将の甲冑の衣装デザインの使用を快くご許可いただきました所蔵先の神社、博物館の皆様方、また実際の設計、製作に多大なご協力をいただいた米沢市の川島印刷、精英堂印刷の両社に深く御礼申し上げます。

米沢市春日
木村吉孝


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◆最上義光所用「三十八間金覆輪筋兜」(画像は縮小版)◆





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最上義光所用「三十八間金覆輪筋兜」のペーパークラフト(大)

最上義光所用「三十八間金覆輪筋兜」のペーパークラフト(小)


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◆前田慶次郎所用「南蛮笠形兜」 宮坂考古館所蔵 (画像は縮小版)◆





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前田慶次郎所用「南蛮笠形兜」のペーパークラフト(大)

前田慶次郎所用「南蛮笠形兜」のペーパークラフト(小)


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◆武田信玄公所用「伝諏訪法性兜」 諏訪湖博物館所蔵(画像は縮小版)◆







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武田信玄公所用「伝諏訪法性兜」のペーパークラフト(大)

武田信玄公所用「伝諏訪法性兜」のペーパークラフト(小)


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◆直江兼続公所用「六十二間筋兜(『愛』の前立の兜)」 上杉神社所蔵(画像は縮小版)◆







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直江兼続公所用「六十二間筋兜(『愛』の前立の兜)」のペーパークラフト(大)

直江兼続公所用「六十二間筋兜(『愛』の前立の兜)」のペーパークラフト(小)


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◆上杉景勝公所用「日輪雲前立黒漆塗巾着形兜(抹頭形兜)」 上杉神社所蔵(画像は縮小版)◆









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上杉景勝公所用「日輪雲前立黒漆塗巾着形兜(抹頭形兜)」のペーパークラフト(大)

上杉景勝公所用「日輪雲前立黒漆塗巾着形兜(抹頭形兜)」のペーパークラフト(小)


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◆上杉謙信公所用「飯綱明神前立鉄錆地張兜」 上杉神社所蔵(画像は縮小版)◆







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上杉謙信公所用「飯綱明神前立鉄錆地張兜」のペーパークラフト(大)

上杉謙信公所用「飯綱明神前立鉄錆地張兜」のペーパークラフト(小)


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その他のペーパークラフト
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米沢・戦国「武士の時代」 >>こちら



※武将兜のペーパークラフトは米沢市の木村吉孝氏が企画し、川島印刷、精英堂印刷が設計製作したものです。

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前田慶次郎所用「南蛮笠形兜」宮坂考古館所蔵のペーパークラフトの縮小版です。
テーブルなどに飾ることができます!!
実際にかぶることができるフルスケールもあります!!
厚紙にプリントアウトして完成させよう!!






★ほかの武将兜ペーパークラフトは>>こちら

※このペーパークラフトは米沢市の木村吉孝氏が企画し、川島印刷、精英堂印刷が設計製作したものです。


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前田慶次郎所用「南蛮笠形兜」宮坂考古館所蔵のペーパークラフトのフルスケールです。
実際にかぶることができます!!
テーブルなどに飾ることができる縮小版もあります!!
厚紙にプリントアウトして完成させよう!!

※画像は縮小版です!!






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※このペーパークラフトは米沢市の木村吉孝氏が企画し、川島印刷、精英堂印刷が設計製作したものです。


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武田信玄公所用「伝諏訪法性兜」 下諏訪町立諏訪湖博物館所蔵のペーパークラフトの縮小版です。
テーブルなどに飾ることができます!!
実際にかぶることができるフルスケールもあります!!
厚紙にプリントアウトして完成させよう!!








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※このペーパークラフトは米沢市の木村吉孝氏が企画し、川島印刷、精英堂印刷が設計製作したものです。


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武田信玄公所用「伝諏訪法性兜」 下諏訪町立諏訪湖博物館所蔵のペーパークラフトのフルスケールです。
実際にかぶることができます!!
テーブルなどに飾ることができる縮小版もあります!!
厚紙にプリントアウトして完成させよう!!

※画像は縮小版です!!








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※このペーパークラフトは米沢市の木村吉孝氏が企画し、川島印刷、精英堂印刷が設計製作したものです。


【義光の妻たち�◆‥憩孤弯�/てんどうふじん】
   
 山形の北隣の領主天童氏、里見家は、舞鶴山に城を構える有力な豪族だった。室町時代中期には山形と並ぶ大名とさえ見られていた。義光がこの家から側室を迎えたのは、当時としては当然の政略結婚であった。
 天正5年(1577)、義光が最上川下流方面へ進出しようとしたとき、天童氏を中心とした「最上八楯」の豪族グループは、同盟を結んでこれに抵抗した。さすがの最上軍もこれを攻め崩すことができず、一旦は和睦をしたらしい。和睦を維持するために、天童からこの女性が入ったのであろう。
 和泉守天童頼貞の娘であり、頼久(頼澄とも)の姉だという。父頼貞は、山形と和睦成立中の天正7年に没し、そのあとをまだ若かった頼久がつぐ。
 夫人は、天正10年に義光の三男光氏(後清水氏を嗣ぎ、義親と改めた)を生み、その年の10月12日には亡くなってしまう(大蔵村清水興源院の記録)。産後の肥立ちでも悪かったのだろうか。おそらくは、20歳代の若さだったにちがいあるまい。
 最上と天童を結びつけていた彼女がいなくなると、両者の関係はふたたび悪化する。政略結婚であろうとも、この女性は両家の仲をやわらげる大きな働きをしていたのである。
 そのころは、野辺沢氏の離反で、天童氏を盟主とする「最上八楯」同盟も崩れており、天正12年10月の最上勢攻撃のまえに、天童方はもろくも敗れ去る。頼久は山を越えた奥州の国分能登守(母の実家)を頼って逃亡する。
 義光はしかし、これを追撃しなかった。逃げ去るのを黙認した。
 無駄な戦いは避けるべしという義光の信念からか、それとも亡き天童夫人への思いやりからであろうか。おそらくその両方だったかと思われる。
 義光は、城跡の山頂に勝軍地蔵をまつる愛宕神社を再建した。これは、もともとは天童氏が尊崇した神社である。「最上氏も天童氏も、ともにこの地の主として生きてきた。敵対したとはいっても、憎しみはない」という義光の考えによるものと語られている。
 慶長14年(1609)6月24日、清水城主となっていた光氏は、愛宕神社に石灯篭を寄進した。この年、年令は28歳ごろと推定される。
 「光氏祈念成就之所」として、「矢口左衛門尉・角川小源太・角河治部少輔」の名も彫られている。名字から見て、彼らは現最上郡、新庄市を中心とする地域の有力な国人層と思われ、側近として光氏を支えていたのであろう。
 ところで、光氏の「祈念」とは、何だったろうか。生母の実家である天童氏が逃亡し去り、長兄・義康は父の不興をかって廃嫡のうえ、不幸な最期をとげた。関連して一部家臣が国外に退去する。父は、一族・重臣を領内の要所に配置し、領国支配の体制を固めつつあった。どこか不安な雰囲気をはらむ情況のなかではあったが、自分は清水という最上川中流の重要拠点の城主に抜擢され、2万7千3百石という大領地を与えられた。青年光氏にとって「祈念成就」すなわち「願いがかなった」とは、このことであろうか。
 彼は、城地清水の興源院を母の菩提寺として、位牌を安置した。
 安定した地位を得たとき、光氏が母のふるさと天童の鎮守愛宕神社に、感謝の意をこめて寄進したのが、この石灯篭かもしれない。そう考えると、この神社に寄進した理由が理解できるような気がする。
■■片桐繁雄著