最上義光歴史館

最上義光歴史館
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      《平成20年8月分の入館者アンケート集計結果》

 この集計結果は平成20年8月1日から同31日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。


          常設展示 (8/1〜8/31)
          開館日数・・・・・・・・・・27日間
          入館者数・・・・・・・・・・2,264人
          回答者数・・・・・・・・・・136人


 1.歴史館をどこで知りましたか

 (1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・35%
 (2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・・1%
 (3)インターネット・・・・・・・・・・・・・・7%
 (4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・・2%
 (5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・・1%
 (6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・・5%
 (7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・12%
 (8)観光案内所 (駅など)・・・ ・・・・・・・13%
 (9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・23%
  (10) その他・・ ・・・・・・・・・・・・・・・1%

 2.歴史館の入館は何回目ですか

 (1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・94%
 (2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・・6%
 (3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・0%

 3.ご覧になられた感想

 (1)内容はいかがでしたか

   �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・・・32%
   �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・・・52%
   ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・・・15%
   �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・・・・1%

 (2)最上義光と最上家について

   �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・・・42%
   �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・・・54%
   ��わからなかった・・・・・・・・・・・・・・・0%
   �い匹舛蕕箸發い┐覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ�%

 (3)入館料について

   �々發ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ�%
   ��適当である・・・・・・・・・・・・・・・・78%
   �0造ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ隠�%

 〜利用者の声〜

 ◎展示品が少ない。

 ◎楽しかった。

 ◎刀剣をもっと展示してほしい。

 ◎音声ガイドが聞きやすくてよかった。
 
 ◎解説ビデオがあるので、わかりやすかった。
 
 ◎もう少し詳しい資料がほしい。
 
 ◎展示物は少ないけれど、うまくまとめてあって説明がわかりやすい。

 ◎伊達や豊臣との関係を詳しく展示してほしい。

 ◎義光の人物像が身近に感じられる展示があるとよい。

 ◎文字が小さい部分があって、見えない。

 ◎解説がわかりやすかった。

 ◎映像の近くに家系図があるとよかった。

 ◎体験コーナーがあればいいと思う。

 ◎全国的に知られていないので、もっとPRした方がよい。

 ◎キャラクターが面白くてよかった。

 ◎小・中学生向けにクイズもあり、楽しかった。

 ◎合戦の内容をグラフィック化して、詳しくビデオで放映してほしい。

 ◎詳しく説明があり、資料も多いのでよかった。

 ◎手紙に現代語訳がついていたので、人柄を理解することができた。

 ◎音声ガイドや、単眼鏡が無料なのがよかった。

 ◎展示の順番がわかりづらい。

 ◎駐車場の割引券をだしてほしい。

 ◎実際に触れることができる物があって楽しかった。

 ◎展示スペースが狭い。

 ◎暗くする理由はわかるが、一部資料が見えづらい。

 ◎山形城の資料を増やしてほしい。


 1595年8月2日  豊臣秀次の家族や仕えていた女性達30数名が

 京都の三条河原で打ち首にされました・・・

 その中には、義光の娘の駒姫(お伊万の前)も入っていました。

 資料を見ると・・

 {夫の秀次に会う前に殺された}とか、

 {まだ15歳だった。}

 なんて聞くと・・

 とても可愛そうに思えて・・

 ナッツは、初めて事実を知った時、衝撃がはしりました。

 新暦に直すと9月2日・・

               今日が 命日 なんですよね・・



 ペパクラの作品報告〜
           (。 ̄_ ̄。)ノ~~~ ドモ
 ( ノ^^)ノ作品�癸�
 
 前回作った、最上義光の兜( 館長製作 )

 

 後ろから

 

    難易度★★★
    紙強度★★★★★

 兜の構造は、難しくないんだけど・・

 厚紙を使ったから、くっつかない(泣)だから、難易度も星3個です。

 ちなみに、厚紙とは・・

 兜を飾る土台になっている紙と同じ物です。

 館長は、苦労してました・・


 ( ノ^^)ノ作品�癸�

 直江兼続の兜( ナッツ製作 )

 
 後ろから

 

    難易度★★★★
    紙強度★★★★★

 館長に対抗して厚紙を使った為に・・・

 ナッツは泣きました・・(ノ▽・、)クスン

 カッターで指を切りそうになりながらも完成♪

 力を入れて切らないと、厚紙だから切れない。

 指にカッターの窪みが・・

 
 ( ノ^^)ノ作品�癸�

 前田慶次郎の兜( 館長製作 )

 

 後ろから

 

    難易度★★★
    紙強度★★★

 前の2作品の苦労を踏まえ、厚紙に貼り付けずに中厚?

 厚めの紙に印刷することに・・

 切りやすい。

 くっつきやすい。

 作りやすい。\(●⌒▽⌒●)/ニャリーン

 紙の強度は落ちましたが、館長絶賛。

 義光も兼続のも、この紙を使えば苦労しなかったカモ・・

 兜以外の部分も作っていれば、

 前田慶次郎の兜の難易度は・・・


 ( ノ^^)ノ作品�癸�

 上杉謙信の兜( ナッツ製作 )

 
 後ろから

 
    難易度★★★★★
    紙強度★★★

 直江兼続の兜を作っているので、楽かと思ったら・・・

 (;^_^ A フキフキ

 飯綱明神の前立が・・

 細かい所も切り抜くので集中しないと・・

 次の日、ぉ眼メ(=ΦωΦ=)が筋肉痛に・・(意味不明)

 ナッツの好物→油揚げ (焼いて食べるのが好き♪)

 前立に狐サマもいるので、親近感もちましたぁ。


 ( ノ^^)ノ作品�癸�

 武田信玄の兜( 館長製作 )

 

 後ろから

 

    難易度★★★★
    紙強度★★★

 完成図が思い浮かばなかったらしく、

 信玄の兜の資料を見ながら苦労して作っていました。

 ナッツは、上杉謙信で燃え尽きたため・・・

 遠くから、(  ̄3 ̄)〜♪館長を見守っていました。←ちょっと薄情?

 武田信玄は義光と戦っていないケド、

 上杉謙信VS武田信玄という事で作ってみましたょ。

 5人の武将の兜が揃ったので、歴史館のロビーに飾ってみることに。

 数が揃うと、迫力〜!

 
 「木村サンの新作ができたら、また作りましょうね館長。」

 館長無言・・・・
           (/。\)ミザル [(−−)]キカザル (‐×‐)イワザル


撮影隊が来館〜



俳優の木之元亮サンがレポーターの「 旅の見聞録
 」!!


撮影風景を見学してみて、ナッツの感想(ミ ̄ー ̄ミ)・・

声が透る

存在感がある

迫力があったぁ〜

撮影風景を柱の影から覗き見し、〔壁〕 _・。) ジ〜



シャッターチャンスを狙うナッツ・・・

(^_[・]) ロックオン♪



邪魔にならないように、コソコソと動いていたら・・

(⌒▽⌒)ノ「こんにちは!!」

��(゜▽゜;)ビクっ〜!?

木之本サンに見つかったぁ〜

「こ、こんにちは・・」(^-^ ) ニコッ⌒★

とりあえず営業スマイルで挨拶を・・

( °o°)ハッ!!

「す、すみませ〜ん」

「しゃ、写真を一緒に・・」

お願いしてみたら、心よく了解してくれました。

\(@ ̄▽ ̄@)/わ〜ぃ



一緒に撮ってもらい、満足×2♪
そだ♪色紙、色紙〜♪

 と思い、事務室の家捜し決行!!
 
 色紙が見つからない・・

 という事で、

 近くのお店に買出しに・・ε=ε=ε=ε=(((┌・)┘

 千円札を握りしめ、

 「買えるだけお願いします。」ヘ(_ _ヘ)

 端数金額をおまけしてもらい♪

 急いで戻って、色紙を出してみる事に。

 「あの・・サイン下さい。」

 これまた心良く了解してもらい、

 

 サインを頂きました。

 

 (*^^*)  イイ人だぁ♪♪

 また、近くにお越しの際は遊びにきてくれるとイイなぁ。


【義光の妻たち�� 清水夫人/しみずふじん】

 先に天童夫人を失い、13年後の文禄4年(1595)には、大崎夫人の急死にあう。義光の落胆は想像にあまりある。
 とは言っても、壮年の出羽守山形城主に正室がいないのも困る。そこで白羽の矢を立てられたのが、清水第六代城主(現最上郡大蔵村)清水義氏の一人娘であった。
 清水氏は、現最上郡南部を領する有力な豪族だった。川が交通路として大きな役割をもっていた時代、最上川中流の清水は、軍事的にも経済的にも重要な所だった。
 ここから下れば庄内地域となり、海運の根拠地である酒田、そこから日本海を経て上方へとつながっていく。山形の最上氏にとって、なんとしても自分の支配下におきたいところ、それが清水だった。
 最上家が、一族成沢兼義の一子満久を清水に封じたとする『最上系図』を信じるなら、室町中期の文明年間(1469〜87)には、最上の勢力はここに及んでいたことになる。
 清水氏は、この満久を祖として義氏まで六代にわたって、ここの城主だったとされるが、義氏のころは庄内の武藤義氏と山形の最上義光という、両強豪のはざまにあって苦難の時代があったらしい。
 天正14年(1586)10月18日、義氏が没したとき、あとに男児がなかったため、その名跡を嗣いだのが、義光の三男光氏(のち義親)であった。清水家にはこのとき11、2歳の一人娘がいたとされ、義光が大崎夫人を喪ったころは、20歳前後の妙齢だった。
 名を「お辰」といい、うら若く美しい盛りだったに違いない。
 彼女が義光の室に入ったのは、はっきりしたことは不明だが、慶長の初め(1596〜)、義光50歳過ぎでもあろうか。「清水夫人」がこれである。
 寂しい暮らしをしていた義光にとって、春の日がさしこんだような明るく楽しい思いがしたのではなかったか。そのうちに、子供も生まれたのだろう。
 義光の子らの生年をみると、大崎・天童(そのほか?)夫人の所生と考えられる6人、1575年…義康  78年…松尾姫  81年…駒姫  82年…家親・光氏(義親)  84年…竹姫  88年…光茂(義忠)と、ここまでは、間隔が四年以内だ。ところが、この後は11年の間隔をおいて、1599年=光広(上山)、1602年=光隆(大山)の二人が生まれている。年若い清水夫人の子であろう。これに加えて、阿波徳島の里見家系図に「(里見親宜奥方)最上義光長女、寛文4年(1664)8月6日逝去」とある女性も、没年から推測して清水夫人のなした娘と見ることができそうだ。『増訂最上郡史』には「最上義光に嫁し……数子を分娩す」とあるそうだが(『大蔵村史』)、以上の考察からは、彼女には男児二人、女児一人があったことになる。
 清水夫人は、当然夫とともに京都に上り、中立売通りの最上屋敷で暮らしたと考えてよいだろう。慶長2、3、4年、義光の京都にあっての文学的活躍は、目覚ましいものがあるが、夫人のことも思いがけず、北野天満宮の記録に残されていた。
 慶長3年10月7日、「最上殿内衆が源氏物語をあつらえ、蝋燭二十丁を手土産に届けた」たという内容である。「内衆」とは家来たちのことだが、『源氏』をたのしむ家来などたぶんないだろう。これは義光の奥方、清水夫人からの依頼と見て間違いあるまい。上流階級の女性として、『源氏物語』は必須の教養書だった。まして、夫・義光が『源氏』の免許皆伝を受けていたのだから、なおさらだ。
 慶長5年の関ケ原稼の戦いに連動した出羽合戦(長谷堂合戦)では、義光は結局は勝ち組となって、57万石の大大名となった。翌年の夏には、早くも京都に行っている。
 清水夫人は、義光の晩年に明るい彩りを添えた女性だったといえるだろう。
 義光の領国経営も、いっそう力が入ったような感じがする。城下町の建設、最上川の開削、庄内地方の開発も順調にすすみ、いずれは鶴岡に隠居してのんびり暮らそうかなどと考えたのも、優雅な清水夫人がそばにいたからかも知れない。
 20年近い歳月を共にした義光が亡くなったとき、夫人は38歳。夫人は、生家清水家をたより、ふるさとに帰って草庵に隠棲、法名を真覚尼と称した。彼女の隠棲した庵が、現在の清水山光明寺である。
 清水家はやがて、当主義親が兄の山形城主家親と対立し、慶長19年にその攻撃を受け、滅亡の憂き目を見る。続いて家親が江戸屋敷で急死、後を嗣いだ家信の代、元和8年(1622)に最上57万石の大領地は没収されて、壱万石で近江大森へ移封となる。時に、夫人は47歳だった。
 若くして出羽の太守の奥方となり、大勢の侍女や家臣にかしづかれた都の暮らしも、まるで夢のような感じだったのではあるまいか。

   いにしへの錦の床も夢とのみ
      心しみずの里にこそすめ

 「むかしのぜいたくな寝床もまるで夢のような過去となり、今はふるさと清水の里に住んで、心も澄みきっております」。「すめ」はかけことばである。

   今はわれ浮き世の空の雲晴れて
      心の月の澄み渡るかな

 「今は私はつらい浮き世の雲も晴れ渡り、心の月が清らかに澄み切った思いです」

 夫人の詠じた和歌である。
 近衛少将、出羽守の後室ということで、新庄藩主、戸沢政盛は真覚尼に五十四石の土地を寄進して、手厚く遇した。
 寛永15年(1638)8月20日逝去。62歳であったという。
 大蔵村清水の光明寺と興源院には、夫人の遺品として、和歌の歌留多や、銅鏡、着用した袈裟などが大切に秘蔵されているが、それらにも夫人のやさしい人柄や高い教養を感じ取ることが出来る。
■■片桐繁雄著

傾奇御免!! 大ふへん者 前田慶次郎見参!!

米沢市の宮坂考古館には、慶長5年(1600)の出羽合戦で、最上領から撤退する上杉軍の殿をつとめて大活躍したとされる前田慶次郎所用の「朱漆塗紫糸威五枚胴具足」が所蔵されています!!南蛮笠の兜に裃のような肩当、鱗形袖と…傾奇者にふさわしい異風ないでたちのヨロイです!!他にも槍や面などの遺品も展示されています。


財団法人宮坂考古館
米沢市東1丁目2-24
Tel.023-23-8530

【開館時間】
午前10時〜午後5時(4月〜9月)
午前10時〜午後4時(10月〜3月)

【休館日】
月曜日(祝祭日の場合は翌日)

【入館料】
大人300円 大高校生200円 小中学生100円 (団体割引あり)


マップ>>こちら


★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★





前田慶次郎の兜(「南蛮笠形兜」米沢市・宮坂考古館所蔵)のペーパークラフトです。画像は縮小版です!!南蛮笠の兜に裃のような肩当、鱗形袖と…傾奇者にふさわしい異風ないでたちのヨロイです!!

【ダウンロード】
  ↓↓↓
前田慶次郎所用「南蛮笠形兜」のペーパークラフト(大)

前田慶次郎所用「南蛮笠形兜」のペーパークラフト(小)


★ほかの武将兜ペーパークラフトは>>こちら

※このペーパークラフトは米沢市の木村吉孝氏が企画し、川島印刷、精英堂印刷が設計製作したものです。