ぶっくぶくの部屋

ぶっくぶくの部屋
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数年前までのオレの休日の過ごし方と言えば、
ゴロ寝で本読み、というのが主流だった。
それは、疲れを残したくないという消極的強迫感
だったような気がする。
「だった」と書いたように、最近数年間はちょっと様子が
変わってきた。
休日だと朝早く目が覚めてしまう。
休日でも時々仕事があったり、仕事めいたことがあったりも
するが、それらを含めて、やること、やりたいこと、
やらなければならない(と思い込んでいる)ことが多く、
休みの終わりにはヘタってしまう。
まあ、少しばかり心地良い気がする疲れではあるが。
もしかすると、(多分)人生の半分を過ぎてから、
慌しい思いに駆られているのかなオレ…。

File No.144
『葬式は、要らない』島田裕己(幻冬舎新書 740円)
オススメ度★★☆☆☆

ちょっと前の新聞のコラムにこの本のことが書いてあった。
昨今の傾向や風潮などもあってか、なかなかに売れている
らしい。
「葬式は贅沢である」というのがこの本の基本的な
メッセージだ、と著者は冒頭に言い放っているが、
読み進めていくと、単なる「葬式無用論」ではないことが
わかってくる。
なぜ、葬式が派手で贅沢なものになっていったのか。
仏教では、死者が赴く浄土の世界を、徹底して豪華で美しい
ものに描き出す傾向があり、この影響が連綿と現代まで
続いているからだと言う。
また、浄土をそのまま地上に実現しようとしたのは平安貴族
であったことから、昔は高貴な身分の人間にしか許されなかった
贅沢が、今やオレたち一般庶民の慣習にまでなっているから、
「葬式は贅沢である」ということになるのだそうだ。
なるほど。
そういうことは、やっぱり教えられないとわからない。
まあ、知ったからと言ってどうなるわけでもないけど…。
葬式を贅沢にしたもうひとつの原因は「世間体」だとも。
確かに、それはあるなあ。
その最たるものが戒名。
今は全体のおよそ3分の2に「院号」がつくそうだ。
明治時代は18%、大正時代は20%、昭和のはじめは
戦争の影響もあって(若い方が戦死した)10%。
それが戦後になって飛躍的に増加する。
「戒名料」もバブル期には平均70万円を超えたそうだ。
もうひとつ興味深い数字を。
一般的に、一つの寺を維持していくのには300軒の檀家
が必要だと言われているそうだ。
1年間に営まれる葬式の数は檀家数のおよそ5%。
300軒の5%は15軒。
これに2007年日本消費者協会調査による、戒名料を
含むお布施の全国平均54万9000円を掛けると、823万
5000円、と相成る。
ん〜、かなり現実的な数字だなあ。
いろいろと参考になる内容ではあるが、檀家役員の末席を
汚す身としては、オレはダンゼン現状肯定派。
著者も最後に、故人が大往生して立派に生き抜いたことを
みんなで喜び合うような葬式、故人の死が、長く離れていた
生者の再会をとりもつことになるような葬式、そういう
ことは無用とは言えない、と書いている。
また、一人の人間が生きたということは、さまざまな人間と
関係を結んだということであり、その関係を再確認することが
一番好ましい葬式である、とも。
オレもまったく同感だ。
生きているときに何らかの関係を結んだ故人にお別れを告げ、
ある種のケジメをつけていく、というのは誰にでもある
ありのままの心であり、その場としての「葬式」は無用どころか、
最重要だとオレは思う。




昨日も今日も、早朝に目が覚めてしまった。
寝るのは1時頃なのに…?
疲れてないわけじゃないのに…?
愛車が、「早く起きて1週間分乗ってくれよお」と言ってる
ような幻聴さえ感じる始末。
その愛車に、ようやっと、しかも密かに命名した。
その名は「ビーグル・ブルー�供廖�
ダーウィンがその偉業の端緒となる世界航海に出た時の船が
「ビーグル号」。
そして、オレの愛車の色が「マリン(キャンディー)ブルー」の
2台目。
つまり、ブルーの自転車で、今まで知らなかった風の世界へこぎ出し、
自分自身の新たな境地を拓いてゆく、という意味と願いを込めたもの。
ちょっとカッコ良すぎかなあ…と考えてたら、目の前に段差が!
急停車したは良かったが、右足をペダルから外すのがわずかに遅れ、
そのまま横転してしまった。
場所は高畠駅前で、何人かに無様な姿をしっかり見られてしまった。
チョーはずかしい〜。
でもケガしなくて良かったあ。
カッコより安全運転第一だな。

File No.140〜143
『不毛地帯(一)〜(四)』山崎豊子(新潮社 970円〜1100円)
オススメ度★★★★☆

去年の秋から今年にかけて、フジテレビ系列で「不毛地帯」を
やっていたらしい。
らしい、というのは、殆どテレビドラマを見る機会がないので、
知らなかったということ。
それでも、酔っ払って帰ってきて、お茶漬けすすりながら1、2回
何気に見たような気はする。
確か、だいぶ以前に読んだ気もするが…、と思いながら、後日本棚
を探してみると、あった、あった。
発行日を見ると、昭和51年8月20日。今から34年前。
(だから単行本なのにこの値段)
もちろんオレではなく、亡父が買ったものだろう。
それを、マセたつもりで読んだのかも知れない。
これを初めて読んだ当時、オレはかなり感化されて、
新聞の連載特集「三井物産」を切り抜きして読んだりして、
オレも世界をまたにかけて活躍する商社マンになりたいなあ、
と机の上の参考書にヨダレたらしながら夢見てた。
まあ、ひとときの居眠りの夢に終ってしまったことは言うまでも
ないことで…。

閑話休題。
この「不毛地帯」は、主人公壱岐正が、大本営陸軍作戦参謀で終戦を
迎え、関東軍に終戦を告げに行ったまま、旧ソ連軍に捕まり、その後
11年もの永い年月に亘り、シベリア抑留という辛苦を味わう前半部。
帰国後、近畿商事に入社し、政府の次期主力戦闘機をめぐる国際商戦
の渦中に入ったり、日米の自動車会社提携の斡旋に動いたりと、
商社マンとして活躍し出す中盤。
そして、イランでの石油掘削に最後の仕事を賭け、ワンマン社長
大門一三に引退の引導を渡すというクライマックスを迎える後半部。
なんと、原稿用紙5000枚にも及ぶ大長編で、戦後の高度成長期と
ともに、企業戦士として激烈な商戦を戦い抜いた男の一生が描かれ
ている。
実はこの小説、実際のモデルがあると言われている。
主人公の壱岐正は瀬島龍三、近畿商事は伊藤忠商事が、それぞれ
モデルとなっているらしい。
瀬島龍三と言えば、伊藤忠商事会長、東京商工会議所副会頭などの
要職を務め、実力者として政官財界に広くその名を知られた人物
である。
もちろん、創作している部分も多いだろうが。
全編を通じて彩りを添えているのが、秋津千里の存在である。
壱岐の陸軍時代の元上司の娘にして陶芸家の彼女は、妻子ある壱岐に
ひそかに想いを寄せ続けていく…。

この本を読み始めたのは4月はじめだから、読み終えるのに1カ月
以上もかかった。
でも、毎晩寝床で30分ほど読むことが日課となり、オレにとっては、
さながら毎日連続ドラマを観る(読む)ような楽しみな時間だった。
一気に読むのもいいが、長編を少しづつ毎日続けて読むのも、また
違った楽しみがあるもんだ、と改めて知った次第。
いつも、新書や文庫本など、いわゆる「お手軽」に済ませてしまう
ことも多いが、年に何回かは「重厚長大」な書物に没頭したいものだ。

蛇足ながら…。
本を読み終えてから、どうしても映像を観てイメージを補完してみたく
なり、かなり昔の映画版「不毛地帯」のDVDを借りてきた。
主演は仲代達矢。
ん〜、ちょっとオレのイメージとは違うかもなあ。
これだったら、唐沢寿明の方がいい。
佐藤浩市だったらもっといい。
渡辺謙だったらもっともっとオレのイメージに近い。
佐藤浩市は「官僚たちの夏」に出たし、渡辺謙は「沈まぬ太陽」
で好演した。そういうイメージもあるのかも知れないが…。
映画でもっとガッカリしたのは、物語が小説の半分ぐらいで終って
しまっていることと、秋津千里が全然出てこないこと。
DVDを観てしまったこと自体が「蛇足」だったみたい…。


上杉まつりも桜とともに無事盛況のうちに終った
翌4日早朝、なぜか目が覚めた。
いつもだと、前日までの疲れと泥酔でまともに起きられないのに、
なぜなんだろう…?
爆睡するのも体力が要るそうだから、やはり加齢現象なのか…。
で、前日までの「夢の跡」を確かめてみることにして、いざ自転車で。
イテテッ、やっぱカラダは正直だ。
堤防から河川敷を見渡すと、何人かの方々がゴミ拾いしてる。
休日の早朝6時。頭が下がる。
ちょっと離れたところでは、おばあちゃんが一人でゴミ拾い。
他のグループとは関係なく、たった一人の日常のボランティアのようだ。
そう、おまつりや地域イベントは、こういう人々に支えられているという
ことを、ゆめゆめ忘れてはならない。
華やかな舞台の陰で、ひっそりとそれぞれの分に応じた協力をして下さって
いるのである。
米沢は、こうした地域コミュニティのモラルが高く、それが大きな美質の
ひとつだと、常々オレは誇りに思っている。
わが世の春のごとく盛り上がるのは元気が出て大いに歓迎だが、
思い上がり過ぎてはいけないんだな。

File No.139
『地球環境報告�供拈弌々闇掘粉簀反圭� 740円)
オススメ度★★★★☆

この本、ある大学の売店で衝動買いしたものだが、読んでみて
大正解、久々の四つ星評価。
良かった点は、著者自ら実際に見聞したことを基本にしながら、
具体的な数字を豊富に引用して、「地球環境の危機的状況」を
つぶさにリポートしていること。
しかも、著者が実際に現地に足を運んでること、しかも10年・
20年というスパンでその変化を自分の目で確かめていることが、
読む側にリアル感を与えている。
例えば、家畜の過放牧が原因といわれる「砂漠化」。
アフリカ・中東・中央アジアなどでは、人口が増加していくに
ともなって、生活上の必要性から、家畜を多く飼うことになる。
その増えすぎた家畜が、草木を食いつくし、土を根付かせている
植生が失われ、砂漠化が進んでいるらしい。
また、水不足も深刻だ。
中国の黄河は、灌漑用水の引水によって水量が激減してしまって
おり、代替の地下水も枯渇しているところが多いらしい。
世界各地の水不足は、森林伐採による保水力低下や、農地開拓に
よる灌漑用水の過引水にあるということ。
一方、海洋環境の破壊も進んでいる。
南洋のきれいな海というと、サンゴ礁をすぐイメージする。
このサンゴ礁も、全世界のおよそ3割がすでに絶滅しているか、
絶滅に瀕している「高程度」の危機にある。
サンゴ礁は、「海の熱帯林」と呼ばれるほど、生態系の要となって
いるので、その大規模な絶滅危機が、他の生物に与える影響も
甚大だ。
ある地域におけるサンゴ礁絶滅の主因となったのが、毒物や
爆薬による漁獲というからオドロキだ。
熱帯魚などは、青酸化合物で気絶させて一網打尽に捕獲して
いるそうだ。
そして、その輸出お得意先は日本だというから、いやはや…。

いずれのケースも、かなりリアルに深刻に響いてくる。
人類の未来への警鐘という悠長さを通り越して、「いま、ここに
あそこにある危機」をオレ達に見せ付けてくれる。
著者は、水や海洋、森林など人間生活の基本を支える自然資源(環境)
危機のヤマは2020年ごろにやってくるのではないかと予想
している。
となると、あと10年後…?
「時すでに遅し」と思うことなかれ。
冒頭でも書いたように、一人ひとりが、驕ることなく、環境改善の
意識を持ち、ささやかながらも分に応じた改善努力をし続け、互いに
支えあっていくことこそ、人間の尊い営みなのだ、とオレは思いたい。


わかったつもりでも、本当はわかっていない
ことってあるよなあ。
オレの場合は、学生時代にカッコつけて哲学書なんか
読んじゃって、わかったつもりになっていた。
あ〜、ハズかしい。
でも、若い時は許されるかもしれないが、分別盛りに
なっても「わかったふり」をし続けるのはみっともない。
年を重ねて良かったと思うのは、
「自分はわかっていない」「世の中はわからないことが多い」
ということが少しずつわかってきたことかな…。

File No.138
『超訳 ニーチェの言葉』
フリードリッヒ・ニーチェ 白取春彦編訳(ディスカヴァー 1700円)
オススメ度★★★☆☆

この本、すごく売れてるらしい。
ニーチェの著作と言うと難しいという先入観がどうしても拭えない
のに、少々オドロキの傾向だ。
しばらく本屋でも品切れだったが、この間入荷した時にさっそく
買ってみた。
ナルホド、こういう内容なら売れるのはわかる。
ニーチェの様々な著作の中から、インパクトのある部分を抜粋して、
読みやすく「超訳」して232のチャプターに編集している。
たとえば、
「人を愛することを忘れる。
そうすると次には、自分の中にも愛する価値があることすら
忘れてしまい、自分すら愛さなくなる。
こうして、にんげんであることを終えてしまう」
また、
「他人をあれこれと判断しないこと。
他人の値踏みもしなこと。
人の噂話もしなこと。
あの人はどうのこうのといつまでも考えないこと。
そのような想像や考えをできるだけ少なくすること。
こういう点に、良き人間性のしるしがある」
つまり、ニーチェの箴言集のような内容になっていて、親しみやすく、
収録されているいくつかは、自分の心情ともあいまって、
勇気を与え、知恵を授け、思考の機会をもたらしてくれる。
だから、多くの人々に読まれているのだろう。

本当は、ひとつひとつ味わいながらジックリ読む本なんだろう。
せっかちなオレはバアーっと一気に読んでしまった。
読んでる時は感心しても、今となっては、あまり覚えていない。
これでは1700円の価値がない。
んじゃあ、もう1回、少しずつ読んでみるか。

ん〜、でもちょっと眠い。
昨晩、帰省した友人と深更まで痛飲した疲れが…。
でもアイツ、同い年なのに、オレの知らない新しい歌ばっか
うたってウケてたなあ。
オレ「若いフリしてんなよっ」
友人「いつもこういう歌ばっかだぜえ、オマエもしけてねえで
   歌って盛り上がれよ」
オレ「いやだ。そういう歌ではよう楽しまん!」
友人「あっそう、じゃあ北島三郎でも歌おうか」
オレ「うっせー、もうかえっつお」
余談ながら…。


ちょっとご無沙汰かな…。
本読んでないワケじゃあないけど、連日の飲み会で
かなりペースダウンしていることは事実。
先週後半は本さえ開けない日々が続いた。
木曜日はちょいと遠征してハメ外して、金曜日は
記憶断絶、土曜日はちょいと一杯のつもりが…。
このままじゃヤバっと思って読んだのがこの本。
なんつっても、
「2年連続 東大・京大で一番売れた本」という
オビタイトルがふるってる。
アタマいいヤツに少しでもあやかりたいと思ってる
オレみたいな人間は、このテのキャッチにものの見事に
ひっかかる。

File No.137
『思考の整理学』外山滋比古(ちくま文庫 520円)
オススメ度★★★☆☆

第1章の「グライダー」がいきなり面白い。
与えられた知識だけを吸収し、自ら飛ぶ力を持たない、
いわば詰め込み教育の産物たる秀才を称して「グライダー」。
多いかもな、そういう人。
インターネットが普及してからは、そういう傾向がもっと
顕著になっているような気がする。
ネットでちょこっと調べて、さらっとなでるように見ただけで
わかったような気になってしまうことって、オレも身に
覚えがある。
ネットは「入口」としては便利なツールだが、そればっかだと、
「自分で翔べない人間はコンピュータに仕事を奪われてしまう」
と著者は喝破する。
「見つめるナベは煮えない」というのも面白い。
まだかまだかと思いながらナベを見つめてても、なかなか煮える
まで時間がかかる、ように感じる。
つまり、自分の中で、あるアイディア(発想・着眼・想念)が
浮かんだら、それをすぐにカタチにしようとせず、しばらく
自分の中でジッと熟成させておくべきであるということ。
言い換えれば、そのことをしばらく忘れることが、ほど良い
「熟成」につながっていくのだそうだ。
フラッシュアイディアやジャストアイディアは、ゆめゆめ口に
してはいけないんだ。
自分の中でずうっと温めて、その間に、いろんな触媒を降り注ぎ、
醸成し、孵化を待つ…。
ああ、耳が痛い。
オレは真逆の言動をとっているのではないか。
最近も、あるアイディアを温める間もなくしゃべっちまった。
しゃべっちまうと、なんだか空しいし、それまでの興味関心も
とたんに色あせてしまうような気がする。
やっぱ、ひとつのアイディアから大事を成そうとするなら、
軽々と人にしゃべっちゃあいかんし、そのことだけに固執して
(=ナベだけを見つめていて)もいかん、ということなのか。
人間の脳の記憶容量には限りがあるから、当然のことながら
「忘れていく」ことも必要であると著者は言っている。
しかし、価値観がしっかりしてないと、大切なことを忘れ、
つまらないことを覚えていることにもなると。
これも、オレにはちょっと耳が痛い。
そして、もうひとつ。
どんなところだといい考えが浮かぶか?
それは、「三上」と「三中」だと言う。
「三上」とは、馬上・枕上・厠上。
つまり、馬に乗っている時、枕をして寝る時、そしてトイレで
便器に座っている時。
ちなみにオレは、馬上(オレの場合自転車)では何も考えず、
ただひたすら流れる風の中にいる快感に身をゆだねている
(カッコつけすぎ?)。枕上では、宝くじや大穴馬券に当たった
ことを夢想して寝る。厠上ではカレンダーを見ながら温泉に行く
楽しい予定を考える。
いい考えが浮かぶというよりは、楽しいことを想う場になっち
まっている。
まあ、それはそれで…。
一方、「三中」というのは、この著者の創作で、「無我夢中」、
「散歩中」、「入浴中」のことを指している。
確かに「散歩」は思考にすごく適してるかも知れない。

まあ、このように、各々の思考の整理の仕方について、この
本は述べているわけだが、確かに示唆深い。
そして、奇しくも読後感で誰かが言ったように、
「もっと若い時に読んでいれば…」とオレも思う。
後悔先に立たず…。
(でも、後悔しないヤツなんていっか?)



先週は低気圧に悩まされた。
ちょうどMAXの時に酒田にいて、一泊して翌日
東京の予定。
夜中じゅう吹き荒れた暴風は朝になっても止まず、
電車か飛行機かと迷いながらも、とりあえず早朝の
酒田駅へ。
そしたら、特急「いなほ」の始発は運行する模様。
一方、羽田行のANAの残席は2席。
空港まで行って乗れなかったらアウト。
となったら、選択は当然、と即断即決で電車へ。
「いなほ」は順調に酒田駅を定時に出発、と思いきや、
ほどなく徐行運転に。
「風速が規制値を超えてるため」とのアナウンスが
繰り返される。
「な、なんだよ〜」と少しイラつき始めながら車窓に
目をやると、最上川をわたって間もなくの線路沿いに
慰霊碑のようなものがあった。
「そうか!」
あれは2005年のクリスマスの日、「いなほ」が強風で
脱線事故を起こし、5人の尊い命が奪われた。
その慰霊碑なんだと気がついて、思わず合掌。
「そうそう、亡くなった方のためにも、あの事故を教訓に
して、安全第一でなきゃ」
と気を取り直して長期戦の体制へ。
朝飯抜きで、車内販売なし、自動販売機なしの中、飲まず
食わずでおよそ5時間、じっとガマンの子であった。
3時間近く遅れて新潟に着き、ほどなく上越新幹線で
東京へ。そして、その日の最終の山形新幹線でトンボ帰り。
通算すると、およそ9時間も電車に揺られた1日だった。
ふう〜。
人間辛抱だ!
人は人生の残り時間の方が少なくなった時から短気になる、
というのがオレの持論で、自身もご他聞に漏れない。
が、不本意にムダ・ムリを強いられることに単純に怒って
ばかりいないで、グっと飲み込んで受け入れる時もたまには
必要で、それが器量の大きさになる…。
ちなみに、オレは受け入れたんじゃあなくて、疲れきって
怒りもどこかに雲散霧消してしまっただけ。

File No.136
『青年ヒトラー』(平凡社新書 760円)
オススメ度★★★☆☆

「いなほ」の車内で読んだのがこの本。
なんせ、新書2冊ぐらい読めるほどの時間乗っていたから…。
以前も書いたけど、かのアドルフ・ヒトラーは、オレと同じ
4月20日の生まれ。
まあ、誕生日が一緒というだけで、あとは何の共通点もないが。
いや、ひとつだけあるかも。
それは、アドルフが読書家だったということ。
それも、体系的な読書ではなく、あちこち拾い読みのつなぎ
あわせだったという点。オレの読書も気まぐれで、場当たり的で、
興味関心がコロコロと変わっていく。
そもそも、この本を手に取ったきっかけは、アドルフがなぜあのような
狂気の世界に入っていったのかを知りたかったため。
自叙伝の『わが闘争』では、おそらくその答えは出ないだろう。
アドルフはオーストリア生まれで、青年期をウィーンで過ごす。
画家を目指して美術学校の入試に連続して失敗したウィーン時代は
失意の底にあったようだ。
彼が劇的に変わるのは、第一次世界大戦に従軍してからのようだ。
伝令兵として目覚しい活躍を見せ、「一級鉄十字章」にも輝いている。
その後、政治活動に目覚め、ミュンヘンを拠点にナチ党を立ち上げる。
その総決起をしたのが、かの有名なビアホール「ホフブロイハウス」。
オレも、十数年前に行った事があるが、夜中にもかかわらず、
ゲルマンの血を引く堂々たる体躯の男たちが、1リットルのジョッキ
を豪快に飲み干し、立ち上がって勇ましく合唱する様は、まるで
アドルフの頃を彷彿とさせた。きっと、その時の熱気と興奮も
こんな感じだったのだろうと…。
そして、最大のナゾは、アドルフがなぜあれほどまでのユダヤ人迫害
をしたのか、である。
この本では、
「彼(アドルフ)がユダヤ人の存在やあり方をそれほど憎悪し、
否定しなければならない理由や背景はまったくない」と述べている。
そして、
「反ユダヤの主張が庶民一般、労働者、兵士などの共感を呼んだ。
…反ユダ主義の考え方が、広く民衆に受けることに彼は気がついた」
と。
つまり、信条・哲学というより、政治的なプロパガンダだったの
だろうか。
そして彼の闘争は、筆舌に尽くしがたい凄惨な所業の数々と
破滅への道をたどっていく。
まさに「文明の危機」とまで言われた悲劇の道でもある。
果たして、アドルフ一人が「狂気」だったのだろうか…。

久しぶりにホルモン食った。
いやあ、食った、食った。
ずうっと食ってなかった分まで食った。
で、ちょっと足の親指の付け根がジーンってカンジ。
そう、わかる人はわかる。
ビールとホルモンが大敵と言われている○○。
でも、やっぱ禁断の味はうめえ〜よっ!

File No.135
『発達障害かもしれない』(光文社新書 700円)
オススメ度★★☆☆☆

前から発達障害に関心があって…。
好奇心という少々不謹慎な関心じゃなく、きわめてマジメな
問題意識として。
この本でとりあげているのは、高機能自閉症やアスペルガー症候群
などを含む「自閉症スペクトラム」という考え方。
つまり、境界線をあまり厳格にせず、発達障害と言うのは連続して
いるものだという考え方。
それだけ、発達障害の診断と言うのは難しいらしい。
ましてや、LD(学習障害)やADHD(注意欠陥多動性障害)と
なればなおさらだ。
一応、国際的な機関が取り決めた基準はあるが、それを読んでみても、
素人のオレにはあまりピンとこない。
そもそも発達障害ということに関心を持ったのは、「スワンベーカリー」
を読んでから。
このスワンベーカリーというのは、クロネコやまとの宅急便で物流の
一大革命を起こしたヤマト運輸元社長の小倉昌男(故人)が、社会
福祉事業として、後半生を賭けて取り組んだ障害者の自立ビジネス
モデル。
オレは能力も財力もろくにないが、「少しでも人のために役立てるような
人生でありたい」という考えだけは常に抱きつづけている(いたい?)
そんな思いが芽生え始めてきた頃、小倉昌男の本に出会った。
感動した!
そして、実際の店舗も見に行った。
そうしているうちに、
なんで障害が起きるのか?
障害に関する病気ははっきり区別できるのか?
障害は治るのか?
社会に生き自立していけるのか?
健常者はもっと歩み寄り、同情じゃなく、当たり前に共生していけない
のか?
という、疑問や問題意識が次々と生まれてきた。
いろいろな本を読んだり、人の話を聞いたり、軽度の発達障害を持つ
子どもと交流してみたりしてきて、少しづつ、何となく、わかって
きたところもある。
この本も、相応の答えを用意してくれていた。
障害が起きる原因はわからない。
男子に多く現れるのも、よくわかっていない。
しかし、イギリスのローナ・ウィングの言葉は、きわめて示唆深い
ものだった。
「私たちの方から、彼らの世界に近づいていく努力をするしかない。
そして、彼らの世界や文化に近づき得た人たちだけが、彼ら一人
ひとりを私たちの世界に導いてくることができるのである」
「導ける」人間の一人にオレもなれたらなあ、とつくづく思う。
浜田廣介が揮毫している「強く優しく男の子」という言葉が
今さらながら胸に響く。
オレもまだまだやなあ〜。
でも、まだまだだと謙虚になれるのは、本を読んでいる唯一の
効用かもしれない。

今日は朝からいい天気だったので、「よお〜しっ」と
思って、シーズン初乗りにいざ!
というところでちょいと迷った。
クロスにしようか、新車のロードにしようか…。
あれこれ考えた挙句、ロードは靴とかめんどくさいし、
もったいないから、お手軽クロスで出発と相成った。
まだちょい寒いが、春の景色と匂いはすごく良かった。
軽く20kmほど走って帰還。
新車がうらめしそうにオレを見てるような気がして…。
「なんで乗んないの?もしかして、また衝動買い?」
と家人がど真ん中直球の言葉。
ん〜、そう言われると、完全否定できないなあ〜。

File No.134
『週刊司馬遼太郎 「坂の上の雲」の世界』(朝日新聞出版 857円)
オススメ度★★★☆☆

実はこの本も衝動買い。
本屋で雑誌を立ち読みしてたら、フト目に付いて手にとってみた。
写真や絵がすばらしく良くて、しかも内容も面白そう。
1000円以上するだろうから買うまでもないか、と思いつつ
裏の値段を見たら、ナント857円。
これは買いじゃん(なんでそう思ったのかは良くわからん。なんせ
ほとんどビョーキなのだから)
かくして、オレの部屋は未読の本の山また山。

でも、負け惜しみじゃあないけど、この本なかなか面白かった。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』に関わる20ぐらいのテーマを、
写真と絵とエッセイとコラムで綴っており、さすが朝日新聞、
編集がウマイ。
一昨年、松山に行った時のことがよみがえってきて、「坂の上の雲
ミュージアム」のところなんかは興味深く読んだ。
そう、あの時、街の中にマドンナ(夏目漱石の『坊ちゃん』に出てくる)
の格好をした女子大生のような女性たちがいて、観光ガイドを
してたっけ。
このミュージアムはすごい、とその時感動したものだが、入館者数は
年間10数万人ぐらいなんだって。
そういやあ、昨年末のNHK「坂の上の雲」もオレが思ってたほどの
視聴率じゃあなかったなあ。
すこしカタいイメージがあるんだろうか。長編だしねえ。
でも、日本を代表する歴史小説のひとつだとオレは思っている。

正岡子規は、故郷の松山を、
「春や昔 十五万石の城下かな」と詠んでいる。
これほど、松山ののどかさ、おおらかさを空気で伝えるような名句は
ないだろう。
そう言えば、米沢も十五万石だったから、この句は米沢に当てはめて
みてもいいんじゃあないかしら、と不謹慎なことを考えたりして…。
米沢も春爛漫の季節だなあ〜、ふああ〜眠い…。
春眠暁を覚えず。
『坂の上の雲』の3人の主人公はいずれも「超凡」だが、オレは
さしずめ「真凡」か「本凡」だな、こりゃ。
あ〜、また松山行ってタルト食いてェ。


プロ野球セリーグ開幕3連戦は、昨年の覇者ジャイアンツが
スワローズに負け越した。
スロースターターはいつものことながら、熱烈G党としては
あまり面白くない。
とは言っても、テレビの中継は殆ど観れなかった。
以前のように、何とか都合つけて観るということもしなくなった。
それだけ、スリリングでなくなったのかも知れない。
昨日の日曜日は首・肩が痛くてそれどこじゃあなかった。
1時間のマッサージを受けて、ほんの少しラクになったような
気がしたが、今朝になったらまた元の木阿弥。
オレにもいよいよ襲ってきたか、○○肩が…。

File No.133
『衆愚の時代』楡 周平(新潮新書 680円)
オススメ度★★☆☆☆

楡周平というと真っ先に思い出すのが処女作にしてベストセラー
になった『Cの福音』。
確か「C」とはコカインのことで、その密輸に手を染めていく
男の物語だったように記憶しているが、詳しいストーリーや内容
はあまり良く憶えていない。
読んだ本の内容を長く憶えていられない、というのは今に始まった
ことではないけど、そういう経験をするたびに少し自己嫌悪に
陥ってしまう。
時間かけて金かけて読んだ本を忘れてしまうなんて…。
でも四つ★や五つ★クラスの本は、さすがに記憶に残っている。
ということは、読んでる時は相応に面白かったけど、心の奥底
までは響かなかったということ?
まあ、精神衛生上そういうことにしておこうっと。

で、この本は、テレビを中心としたマスコミの空論やタテマエ論
などによって、「衆愚」と化した国民への警鐘とでも言うべきか。
面白かったところを少し拾ってみる。
まずひとつは、「2:6:2の法則」って聞いたことあるでしょ。
どこの組織でも、役に立つ「人財」が2割、普通の「人材」が6割、
そして、役に立たない「人罪」もしくは「人在」が2割という、
誰が考えたかわからない法則のこと。
よく、労務や人事のセミナーなんかで出てくるよね。
そして、それを聞いてきた奴が、自社や他のところで、シタリ顔で
同じことを講釈してたりする。
でも、この本では、それは相対評価だから当たり前のことと指摘する。
5段階で相対評価をすれば、それぞれに一定の割合で分布させるのは
当然のこと。
「困ったちゃん」が会社からいなくなっても、また次の「困ったちゃん」
が現れるというのは、相対評価の中では必然的なことかもしれない。
ふたつめは、著者が提唱する「プラチナ・タウン」構想。
これは、地方都市に巨大現役引退者住宅施設を建設し、アミューズメント
機能を充実させ、ケアを集中させてコストを下げ、楽しく豊かな
老後をおくってもうらおうというもの。
アミューズメントと言っても、これまでのような、如何にも年寄りっぽい
ものではなく、アクティヴで刺激的なものだ。
理想論かもしれないが、オレは面白そうで、賛成だ。
オレがそういうところへ入居したら、天気のいい日はサイクリング、
雨雪の日は本を読んだり映画を観たり、1週間に1回ぐらいは麻雀で
熱くなり、1週間に1〜2回はおばあちゃんたちと王様ゲームで
目尻を下げ…、なあ〜んて空想してみたりして。
楽しいじゃんか、そういうのって。
そのほか、「若いパワー」だけが是ではなく、使える老人もいれば、
使えない若者もいるということとか、新人議員の修行中は給料半分で
いいんじゃあないかとか、「そうだよなっ」ていうホンネがちり
ばめられている。
この本に書かれている8割には賛同または納得、または共感することが
できる。
でも、あとの2割は、ん〜、オレはそうは思わない、とか、そんなこと
書くまでのことじゃない、と思う部分。
で、評価は少々厳しい二つ★。
新書大賞のベスト5に食い込むのはちょいと難しいかな、ってオレは
思う。



プロ野球も開幕したことだし、オレも今日こそは
シーズン開幕日と思って、昨日からタイヤに空気詰め、
車体?のホコリをふき取って、満を持していた。
まあ、午前中はちょっと寒いから午後の温暖な時間帯を
狙っていたのだが、あれれ…、雪!?
ふう〜、シーズンインは1週間持ち越し。
今年の春はなんだかフンギリ悪いよなあ〜。

File No.132
『ダーウィンの夢』渡辺政隆(光文社新書 740円)
オススメ度★★★☆☆

昨年は、進化論の祖・ダーウィンの生誕200年、その主著
『種の起源』出版150年の記念すべき年だったらしい。
えっ?、じゃあ、ダーウィンって、日本で言えば江戸時代末期の人?
そんな前にビーグル号で世界航海し、進化論を提唱するなんて、
やっぱ英国の「知」というのは世界最先端だったんだなあ。
で、この本は、記念すべき年に、ダーウィンの進化論を、それ
以降の発見・学説等で補足・補完しながら、一般人にもわかり
やすく物語風に解説したもの。
この進化論物語は、カナダのバージェス頁岩層から始まる。
ここには、世にも奇妙奇天烈な形状をしたバーチェス動物群と
呼ばれるカンブリア紀中期(およそ5億500万年前)の生き物の
化石がぞくぞくと見つかる、生物学者らのいわば「聖地」のような
ところらしい(今まで聞いたこともないし、もちろん行ったことも
ないが)。
余りにも奇妙すぎるゆえ「バーチェス・モンスター」とも呼ばれる
彼らが、ヒトを含めた今の地球上の生き物の原型種であろう、という
のだからオドロキだ。
さらに、この頃(およそ5億年前)には、現在の地球に生息する
生物を構成する遺伝子がほぼ出揃っていたというのだから、
ちょっとビックリ。
著者は、ここを起点に、地球上に生命体が生まれ、それが海に生息
し、陸に上がり、二足歩行や空へと進化する壮大な劇のエッセンス
を『種の起源』を引用しながら、きわめて興味深くみせてくれる。
地球上の生命起源説について著者は三説あげている。
雷による放電説、熱水噴出孔説、そして宇宙からの飛来説。
最後の宇宙からの飛来説というのは、地球に衝突した隕石の中に
生命の源となるものが含まれていたというもの。
じゃあ、もしかしたら、オレたちは宇宙のどこからかやってきた
というワケ?
そういえば、前に読んだ物理学者の本にもそんなことが書いてあった。
もうひとつ。
進化というのは、決して直線的な1本道ではないということ。
一つの起源から無数に枝分かれして、その大部分が絶滅しながらも、
気の遠くなるような進化を経て、今の生物系がある。
例えば、小中学校で習ったネアンデルタール人とかクロマニョン人
というのは、まぎれもなく現人類の祖先だと今の今まで思って
いたが、直系祖先ではなく、言わば縁戚祖先のようなものらしい。
ホモサピエンスはアフリカ一ヵ所で進化した新人類であるというのだ。
もうひとつ例をあげると、チンパンジーは人類の祖先のように
思われがちだけど、これもある時期に同一祖先から枝分かれした
遠い親戚のようなものらしい。
しかも、ヒトとチンパンジーのゲノム(遺伝情報)の一致度は
98.77%。
ヒトとチンパンジーが同じ祖先から分かれた700万年間に
生じた遺伝的な違いは、わずか1.33%しかないということ!

ダーウィンは、進化には方向性や意志がなく、運命あるのみと
言っている。
「われわれはどこから来て、どこに行くのか」という未来永劫
にわたる命題に対するダーウィンの答えは、
「ヒトはすべての生きものと同じ祖先から来て、どこへ行くとも
知れない」というもの。
こうした生物の壮大な進化の歴史劇の中で、われわれは謙虚に
ならざるを得ない。


わが国のナショナル・フラッグ・キャリア、いわゆる
国旗を掲げて世界を飛行する、その国を代表する航空会社の、
JALが今年1月に経営破綻した。
負債総額は2兆3200億円超。もちろん上場廃止。
新たにグループCEOとして再建を託されたのは、京セラ名誉
会長の稲盛サン。
最近の新聞では、再建計画が予定通り進んでいない旨の記事が
載っていたが、稲盛サンもこの本を読んだのだろうか。

File No.131
『JAL崩壊 ある客室乗務員の告白』
日本航空・グループ2010(文春新書 740円)
オススメ度★★★☆☆

ヒドいとは聞いていたが、JALの内情がこれほどヒドいとは。
その元凶は、会社側と組合側の無益な闘い。
これは、今はスーパーバイザー(SU)と呼ばれる現役のチーフ
パーサーが書いたものらしいが、JALの真の再建を願うと銘打つ
ように、スキャンダルやお粗末過ぎる社内事情の暴露だけに
とどまらず、合理的且つ抜本的な改善提案を随所に盛り込んで
いる。
例えば、機長らのストライキに臨む会社側の弱腰に対して、
「どうぞ、おやりなさい。そして、空港で激怒する乗客たちに
自らの正当性をちゃんと説明して理解を得ないさい」と
簡単明快、一刀両断。
つまり、年収3000〜4000万円の超高給取りの機長は、
スト権を振りかざして、あくなき待遇改善を求めて闘いの
ポーズをとるが、乗客の怒りを鎮め、陳謝しながら冷や汗を
かきとおすのは、いつも弱い立場の地上勤務者だと、筆者は
言いたいのである。
経営実態にそぐわないような高給の機長、「魔女の館」とも
畏怖される客室乗務員たちの管理者MGR、「UUU」という
暗号さえも使われた自分勝手で横暴な乗客、チクリ・いやがらせ・
裁判に終始する組合、そして、それらをコントロールできない
会社経営サイド等々、JAL負の遺産が迫真の具体性を持って
描かれている。
ちなみに、「UUU」とは、「うるさい、うるさい、うるさい」
お客の暗号マークだそうだ。社内だけの暗号が露見してしまって、
今は使われてないようだが。
オレはよく飛行機に乗って移動するような華々しい仕事ではない
から、あまり経験はないけど、乗務員や地上係員にクレームを
付けてる客を何回か見たことがある。
正当なクレームもあるだろうけど、「そりゃ、ちょっと言い過ぎ」
ってな例も多いのでは。
ここで取り上げている一例は、搭乗時間の遅延。
オレも前から不思議に思ってたんだけど、日本の航空会社って、
出発時間が過ぎても、最後の客が乗るまで待つよね。
時間通り乗ったオレたちがバカ正直過ぎるのか、と思わせる
ぐらい遅刻者に寛容なのはなぜなんだろう。
それは、乗り遅れた客とのトラブルや事後処理がウザイという
一言のようだ。何とも現実的過ぎるお言葉。
でも、遅れた理由は貨物に載せるほどあろうと、ジャストタイム
でハッチを閉めるべきだとオレは思う。それも断固たるキャプテン
指示として。

ところでこの本、JALの暗部・恥部ばかりをさらけ出している
ようだが、さにあらず。
筆者たちは、JALの真の再建を心から願っているというスタンス
を持っているので、そんじょそこらの暴露本とはワケが違う。
再建を願っているどころか、確信しているようなフシもある。
そのワケは、優秀な人材が数多くいる、というかけがえのない
財産があるからだろう。
事実、オレたちの就職の頃も、その前も後も、JALは学生の
人気就職先の最上位にあった。
そして、それを裏付けるように、この筆者たちの文章力や構成力、
論旨などにも、高い知性を感じる。
ただひとつ、期待外れだったのは、あれだけ世間の耳目を集めた
「沈まぬ太陽」に一言も触れていないこと。
まあ、オレだけの勝手な期待だから仕方ないか…。
何はともあれ、優秀な人材がいっぱいいるんだから、みんなが
本気になれば、ふたたび「ナショナルフラッグ」が高々と
掲げられるだろう、と思う(願う?)。



すごかったねえ爆弾低気圧。
昨日はちょいと用事があって宮城県にいたんだけど、
12階建ての頑丈なビルが揺れるほどだった。
あとから聞いたら、オレのいた周辺では、
風速25m超を記録したらしい。
米沢に戻って聞いたら、
「風は強かったけど、それほどでも…」
やっぱ、米沢は自然災害が少ないかもしれないなあ。

File No.130
『差別と日本人』野中広務・辛 淑玉(角川Oneテーマ21 724円)
オススメ度★★☆☆☆

久々にベタなタイトルで、ちょいはずかしいけど、
2010年の新書大賞第2位になったというんで、さっそく
買ってきた。
オレも相変わらずランキングに弱い。
みんながいいという本なら…、という主体性のなさ。
でも、こんだけ出版の洪水の中にあって、しかも、残りの
人生で読める本も限られているから、つまんない本で
時間を浪費したくない、などと自分勝手に正当化したりして…。
ところで、第1位はというと、この間とりあげた『日本辺境論』。
オレとしては、『世界は分けてわからない』もなかなか良かったが、
ランキング上位にはこなかったようだ。

この本は、元衆議院議員・自民党幹事長の野中広務と、人材育成
コンサルタントの辛淑玉が、「部落」や「在日」などの問題を
中心に、日本の差別についての対談を主に構成している。
差別問題というと、何だかタブー視されているようなところも
あるが、辛は委細かまわず、舌鋒するどく、どんどん突っ込んで
くる。
野中も、自分の出自やら、政治家としての業績などをあげながら
応じるが、辛のあまりにもスルドい突っ込みにタジタジになる
場面も多々出てくる。
オレのようなフツーの読者は、この辛の余りにも攻撃的な物言いに
少々辟易してくるかもしれない。
辛の夫(事実婚)が「なんで、そんなに躍起になるんだ」と思った
と同様の考えを抱くだろう。
でも、それだけでは新書大賞第2位にはならない。
辛は、後半のところで、周りからも家族からもけむったがられながら、
それでも「私が家族を守らなくて、誰が守ってくれるの」という
心情を吐露しはじめる。
だから、強くなければならない、理不尽なことには敢然と立ち向かわ
なければならない、という気持ちでこれまでの人生を生きてきた、
と語る辛は、きっと対談中に落涙しただろう、と思うと、
こちらも、少しジーンとしてきた。
被差別者の悲哀・悲惨さは、これぐらい言わないとフツーの人には
わからない、ということなのだろうか…。

ちょっと笑えたのは、辛が東京都知事石原慎太郎の数多の差別的
発言について、その人格とともに口を極めて酷評する場面で、
野中が「昨日、石原とメシを食った。アイツもあれでいい男なん
だから」と応じると、辛が「しんじられない、あんな人を」と
やり返すところ。
目を吊り上げる辛に、野中が「まあ、まあ」と応じているところが
目に浮かんで、なかなか面白い。
「差別」という少々ヘビーな問題について、この本は、象徴的に、
具体的に、そして対談と言うわかりやすい手法で、読む側に
考える機会を与えてくれる。


「おとうと」って映画がなかなか面白かったらしい。
らしい…というのは、オレ観てないけど、わが母君が
観てきたらしい。
これも、らしい…というのは、実は殆ど親子の会話がない。
気が付いてみると、一日の会話は、「おはようさん」と
「いってきや〜す」しかなかったりして…。
こんじゃあ、余りにもマズイというか、ツメタイ。
よおしっ、明朝は「おかげさんで今朝も快便でありました」
とでも言ってみようか。
(われながらバガだず、ほんとに)

File No.129
『大いなる看取り』中村智志(新潮文庫 590円)
オススメ度★★☆☆☆

「ぼくは、この本に触発されて『おとうと』を撮った」
(山田洋次)というオビの文句につられてこの本を買った。
東京・山谷のドヤ街にある「きぼうのいえ」という
ホスピスでの人間模様を描いたノンフィクション。
ドヤ街だけに、登場する人々は、普通ではないそれぞれの
事情を抱えている。
たとえホームレスしてても、最期には優しく看取られる、
という趣向だが、すべてそううまく話がいくわけではない
ということも、かえって現実味を増している。
中でも、第8章「ある愛の終着駅」は涙を誘う。
ある中年の男と女が北海道で出会う。
男は妻子もちの単身赴任。女は夫と死に別れた子持ちの
未亡人。ふたりはほどなく結ばれ、駆け落ちのように
上京する…。と、ここまでは、よくありそうな話だが、
そこから、二人は切れない絆を培っていく。
初老にさしかかり、これから二人で住み込みの仕事に
就こうとした矢先に、女にガンが見つかる。
そこから看取りまで、男の深い献身的な愛情が注がれる。
男が残してきた妻も、大いなる許容の愛を男に注ぐ。
やっぱ、愛情と言うのは、相手のことをしっかりと見つめ、
受け止める、というシンプルなことが基本なんだなあ、
と改めて感動させられた。
こればかりでなく、他のケースもなかなか興味深い。
きれいごとだけでは終らないケースもある。
感動させられた割には評価が少し低いのは、筆者が
対象に入りすぎているような場面があったため。
なぜそう感じるのか、というと、筆者はわかってても、
読むほうがよく事情や雰囲気や間合いの空気などが読めない
ようなところかなあ。
きちっと伝えるには、伝え手が冷静でなければならない。
ある人が言った言葉を思い出す。
「喜劇役者は、決して自分で笑いながら演じてはならない。
悲劇は、大げさな悲しみの演技が鑑賞側の心をかえって
しらけさせる」
ナルホド!
いろいろ思い当たることがあるなあ…。
大真面目な顔してトボけるのは、すっごい面白いけど、
最近、大ボケかましが素になったりして…ヤ、ヤバイ…。
大脱線のボケかましたところで、See you again.

前の回に書き忘れたんだけど、
白石一文の直木賞受賞作品『ほかならぬ人へ』の中で
ナ、ナント、われらが米沢牛が登場してる。
主人公の宇津木明生が、女上司の東海課長のマンション
でスキヤキをご馳走になる場面。
このスキヤキの牛肉が、百グラム1500円の米沢牛という
設定。しかも、この主人公、高価な米沢牛を1kg近くも
食べ、その上ビールを5リットル飲んでる。
そして、翌日はモーレツな下痢したと…。
もったいない。ちゃんと自分の血肉にせんかい。
オレだってそんなに食ったことない(というか、食えない)。
バチあたったんだよっ!
(架空の主人公に怒ってもしかたないが…)

File No.128
『15歳の東京大空襲』半藤一利(ちくまプリマー新書 780円)
オススメ度★★☆☆☆

一昨日、3月10日は山形県の公立高校の入学試験日。
受験生諸君ご苦労さま。
あとは「人事を尽くして天命を待つ」しかない。
それと、今から65年前の3月10日は、東京大空襲と言う
世にも悲惨な無差別大量殺戮が行われた日でもある。
もちろん、オレはまだまだ生まれていない。
が、ちょうど父母が十代の学生時代だったようだ。
その悲惨さは、昨年、東京都慰霊堂に行って実感した。
このことは、前にも書いた通り。
この本は、昭和20年当時、15歳の少年だった筆者の
東京大空襲の回想・追憶である。
筆者の家は、東京下町の向島だったそうだから、空襲被害が
最も酷かった地区のひとつだ。
この日の夜、アメリカの爆撃機B29は、1670トンの
焼夷弾を雨あられとふりおとし、10万人以上もの無辜の民の
命を奪った。
その只中にいた半藤少年の体験記は、今読んでみてもリアルだ。
自身も、川に飛び込んでおぼれ、死に瀕する。
でも、業火の描写が多く出てくるが、正直言って、とてもとても
今のオレには想像を絶してしまう。
「…北の方からも南の方からもついに迫ってきた火の柱から
噴き出される火の塊が喊声を上げるようにして人々にとりつき
はじめました。…それは凄惨この上なく、まさに地獄の劫火
でした。逃げ場を失って地に身を伏せる人間は、瞬時にして、
乾燥しきったイモ俵に火がつくように燃え上がる。髪の毛は
火のついたかんな屑のようでありました…」
こんな地獄絵図のような様相は、想像つかない。
さぞ、怖かったろうに。さぞ、無念だったろうに…。
筆者も80歳。当時を実体験した人もどんどん鬼籍に入って、
語り継ぐ人が少なくなってきている。
だからこそ、オレたちは、こうした生の体験・回想を読み繋ぎ、
筆者が言うように、戦争に結びつくような微細な芽をも、ことごとく
摘み取っていかなければならないのだと思う。
そして、戦火に散った同胞の魂を、年に1、2度ぐらいは鎮める
時を持ちたいものだ。
イデオロギーや主義主張とは関係なく、日本人として…。

もうすっかり春へまっしぐらと思っていたところに
雪が降った。今夜から明日にかけて、ところによって
大雪になるらしい。
オレの「輪春」は、ふたたび遠くなりそうだ。
輪春って、球春にならったオレの造語。
つまり、自転車に乗れるシーズンインの意味。
ああ、キャンディブルーの新車がオレを待ってる。

File No.127
『ほかならぬ人へ』白石一文(オール読物2010年3月号 960円)
オススメ度★★★★☆

これも、前回取り上げた佐々木譲の『廃墟に乞う』とともに
第142回直木賞受賞作品。
今まで白石一文の作品を読んだことがない、と書いたが、
正確に言えば、最後まで読んだことがない、ということ。
本を買うには買ったが、数頁読んでほっぽってしまった。
その理由は、簡単に言うと、言い回しが小難しいこと。
いくら高尚なことを書いても、多くの人に伝わらなければ
ダメじゃないの、というのがオレの持論でもあるので、
このテはちょっと苦手かなって…。
そんな先入観が少しあって、読もうか読むまいか、
迷いながら読み始めたら、こ、これは表現も筆致もスムーズ
で読みやすい。しかも、ストーリーも自然でわかりやすく、
且つ、すごく面白かった。
読んで良かった。
主人公の宇津木明生は、名家の三男に生まれるが、小さいときから
生まれそこなったのではないかと、家族の中で疎外感を感じて
いた。
ふとしたことでキャバ嬢と出会い、両親から絶縁して結婚して
しまう…、とストーリーはごくフツー。
でも、この小説の趣向は、主人公の明生をはじめ、次兄の靖生、
明生の結婚相手のなずな、明生の幼馴染の渚と、自分が想ってる
以外の人では絶対ダメという人間が多く登場し、愚かしくも
あり、滑稽でもあり、悲惨でもある生き方を繰り広げていく。
そして、いずれもが、相思相愛とはいかなくて、哀しい道を
ひたすら歩み続けてしまう。
付き合ってる相手、結婚相手に対して、「ホントにこの人な
のか?」という自問は、多くの人の深層に絶えずあるのでは
ないだろうか。
そして明生も、そういう無限地獄の中に吸い込まれていくの
だろうか…。いや、明生は…。ここが、この小説の大きな
ヤマ場となる(だから書けない)。

著者の白石一文自身も、パニック症候群に罹り、最初の
結婚に失敗し、元妻と長男と別離し、永らく会っていない
という。そんな、自身の経験・苦悩・煩悶が、今作のベース
になっているのではないだろうか。
そして、この著者、オレと同時代の男でもある。
むろん、キャラクターはまるっきり違う(と思う)が、
同時代の雰囲気を感じさせるものがある。
そうした、ある種の共感めいたものと、読まず嫌いだった
お詫びも込めて、直木賞受賞ご祝儀相場の四つ★!



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