多田耕太郎BLOG
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しっかりとした花芽が着いています。
少しずつ落葉し始めた枝の間から、来年の花芽がはっきりと見て取れるようになりました。
これから四ヶ月間、平均気温五度以下の状態で休眠し、四月に入るとすぐに膨らみはじめます。
この休眠状態の間に、剪定、摘蕾、硫黄合剤による消毒の作業を順を追って進めていきます。
これから十二月に入ると降雪量の天気予報を眺めながら作業の手順を考えていきます。
実際に作業に取りかかる前に、農園内の樹々を眺め廻り、花芽の着き具合と、新梢の伸び具合を見比べながら、どんな風に剪定しようかと考えるのも、少し楽しい思考だと思っています。
2010.11.18:
多田耕太郎
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年賀状を作成しています。
毎年、この季節になると年賀状のデザインを考えます。
今年は、田宮印刷さんでサクランボシーズン中に撮影していただいた画像の中から、コレはというものを選んでもらいました。
レイアウトはやはり田宮印刷さんのデザイナーのUさんにお願いしました。
Uさんからは、今シーズン当農園のパンフレットや広告のデザインを担当していただき、その出来映えに満足していました。
一昨日、校正原稿をいただき、やはり満足のいく出来映えでしたので、そのまま印刷してもらうことにしました。
これまで、たくさんの印刷会社さんやデザイナーの方々と付き合いさせていただきましたが、Uさんのように、一回でOKを出せる内容を提出しいただける方は初めてでした。
今年の年賀状、印刷する枚数は少ないのですが、もし届いた方は感想などいただければうれしいです。
2010.11.15:
多田耕太郎
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霧に包まれた朝です。
今年の秋、初めて深い霧に包まれました。五時頃の暗い時間には10�胆茲盡�えないくらいだったのが、明るくなって行くに従い霧が晴れてきました。
今日の予報はこの秋一番の晴天になりそうです。
昨夜、尖閣諸島の中国漁船衝突事故の流出動画を見ていて、ふっと感じたのは、漁船の乗組員の態度が漁をすること以外に危機に瀕しているという緊張感が全く感じられない様子でした。海上保安官の警告の音声や汽笛やサイレンが鳴り響く中でも意に介せずという態度、に見えました。
日本人と中国人の立場の違いという基本的な認識が彼ら漁民にはないのだろうとも思われました。
これまで何度か中国へ旅行してたくさんの人と知り合いになり、それぞれの立場で話をしてきましたが、私が感じるのは、彼ら中国の人達は本音と建前を区別して使い分けざるを得ない状況にいるのだということです。
今朝の新聞にはTPP協議開始というニュースが一面に載っていました。
日本の状況も、なんとなく霧に包まれた、建前と本音が噛み合わない所に漂っているのかな、と不安を覚える霧の朝です。
2010.11.07:
多田耕太郎
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小春日和です
久々に朝から晴れ上がり、気持ちのいい風が吹いています。
天気予報では、今日と明日だけが晴れで月曜日からは、またぐずついた空模様のようです。
なんとか今日明日でできる仕事をこなしたいと思い、吉岡君と黄君に出勤してもらうことにしました。
三人でパイプハウスの塗装を頑張って仕上げたいと思います。
2010.11.06:
多田耕太郎
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しっかりとした葉がまだ残っています。
周辺の公園などの広葉樹が色づき始めました。サクランボの樹も品種によっては落葉し始めているものもありますが、写真に写っている佐藤錦はまだまだしっかりとした緑の葉を着けています。
先週、西蔵王のあたりまで雪に覆われ、冬支度を急がなければと思っているのですが、その後は雨続きの毎日で思うように仕事が捗りません。
2010.11.03:
多田耕太郎
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雨除けパイプハウスの塗装作業中です。
最近、お客様や知り合いの方からサクランボシーズンが終わると、何の仕事をしているのですか?と聞かれることが度々あります。
どんな仕事でも同じだと思うのですが、仕事をしようとして探せば手に余るほどの仕事があるものです。
サクランボ栽培の場合は、手をかければキリのない程の仕事があるのです。ただしその仕事が採算性を考えたときにプラスになるのかをよく考えた上でしないと、とんでもないマイナスの出費になることもあります。
高価な設備や機械を導入して高品質なサクランボを作ったとしても、それを購入してくださるお客様がいらっしゃらなければ成り立たないのは当然ですが、メンテナンスに多額の費用を投入して設備を維持しようとしても、設備そのものの耐用年数を越えてしまっていてはすべては無駄な投資になってしまいます。
まわりの農家を見渡してみると、そういった基本的な手当てをおろそかにしているのが目に付きます。
私のところが万全の策を講じているとは思っていませんが、なんとか効率的で無駄のない作業ができるように考えていくのも、私の毎日の仕事だと思っています。
2010.10.22:
多田耕太郎
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堆肥作りをしています。
飲料メーカーから貰った緑茶、烏龍茶、コーヒーの残渣に籾殻を混ぜ合わせ醗酵させています。
週に一回パワーショベルで攪拌して約二ヶ月後に集積場に運んでストックしておきます。
一回で作る量は約8�鼎韮卸遒泙任忙芦鵝¬鵤横記鼎鬟好肇奪�して来年の9月上旬に園地へ散布します。
これまで十年間続けて来ましたが、樹の生育と土壌のバランスがとても良いと思っています。この堆肥の肥料成分はとても低いのですが、堆肥が土に変わり柔らかい土壌になったところへ複合肥料を施すと、少ない量で肥料効果があらわれます。
手間はかかりますが、これからも、続けていくつもりです。
2010.10.17:
多田耕太郎
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来年から「紅姫」本格販売に向けての取り組み
写真に写っているのは、道路を挟んで農園に隣接した減反中の私の田んぼです。
ここを造成して冷蔵保存室付きの低温作業施設を建設する準備を進めています。今現在は開発行為の申請と制度資金の融資申し込みのための計画書づくりを並行して進めています。
「紅姫」については8月付けで商標登録の認可をいただき、果実全般で当農園以外では使用できない名称になりました。
今シーズン試験的に30軒の方々にサンプル品をお贈りしましたが、おおむね好評でした。個別にいただいたご意見等を参考にしながら来年からの販売計画を今年中に立てたいと考えています。
今一番頭を悩ませているのが、シーズン中と同じように直接個別のお客様に販売するのか、特定の販売店と契約販売するのかの選択です。8月に販売するサクランボを多くの方々に認知していただには時間がかかると思っています。
何かいい知恵を浮かべたいと前向きに考えている、今日この頃です。
2010.10.09:
多田耕太郎
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10月4日 冷涼な秋の朝です。
昨日で稲の刈り取り籾摺りもすべて終了して、米作の作業を切り上げることができました。機械化と基盤整備が進んだ米作は昔ながらの農作業というイメージからは遠いものになってしまったように思います。でも、合理化され均一で高品質な米作が明るい未来を見通すことが出来るかというとけっしてそんな事はないと思います。今の米の作り手として生産コストを考えれば、またまだ合理化されていないと感じるところもあるのですが、消費量の低迷と輸入米との価格差で米価が下げ止まらない現状について思いを巡らせると明るい気持ちで収穫の喜びを語ることが出来ないのです。それはほとんど価格、手取りの収入の低さに由来しています。
米作りが終わった翌日の朝に、サクランボ畑を眺めながら、すこし「愚痴」をこぼしてみました。
2010.10.04:
多田耕太郎
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稲の刈り取りの時期になりました。
中国旅行のブログを書いている間に、季節は秋になっていました。という感じです。
私のところの田んぼは、「ひとめぼれ」という品種を作付けしています。
今年の真夏の高温続きで、「コシヒカリ」の食味としての出来具合が全国的に良くないと言われていますが、まわりを見渡してみると、山形でもやはり「コシヒカリ」は食味的には芳しくないだろうと思われます。という理由は、殆どの「コシヒカリ」が倒伏しているからです。広辞苑によると、倒伏とは麦や稲が台風や肥料のやり過ぎで倒れてしまうこと。ですが、今年の場合、真夏の高温と十分すぎる日照時間のために、本来であれば大豊作の出来映えになっていたはずの稲作が、量は穫れても質が劣るという状況になってしまったのです。
元々、「コシヒカリ」という品種は多めに肥料を与えると倒伏しやすく、多収穫を狙って栽培すると食味が落ちる性質を持っているのです。
まわりで何年となく「コシヒカリ」を作っている方に聞くと、今年はけっして多めに肥料を与えたわけではないのに、倒伏してしまった。原因は、稲作にとって条件が良すぎて肥料分の吸収が進みすぎたのだろうと言っています。
私のところの「ひとめぼれ」は倒伏しないで明日からの刈り取りを待っている状況ですが、はたして食味の方は?と考えていますが、内心、今年は最高の出来だ!と思っています。
2010.09.29:
多田耕太郎
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中国 東北地方旅行記その18(長春から仙台そして山形へ)
長春空港を飛び立った、中国南方航空の機内はほぼ満席で、何組かの比較的年配の方が多い日本人旅行団体が一緒でした。
出発ロビーで目に付いた、ツアーのプレートを着けている年配の方々の話が耳にはいるのを聞くと、長春、ハルビンをまわって来られたようでした。
私の今回の旅行で、大連以外ではほとんど日本人観光客と遭うことがなく、中国東北地方(瀋陽以北)の観光地としての魅力が一般の日本人には、やはり少ないのだなと改めて思いました。
ガイドブックを眺めてみても、ハルビン、長春、瀋陽といった三百万人を越す人口を抱える街の案内でも、歴史的な建造物や観光地として訪れてみたいと思わせるように、魅力をアピールしていないように思います。というよりは景勝地や歴史遺産としての位置づけが、どこかで曖昧になっているのではないか、二三の例外を除けば、戦前に、日本、或いはロシアからもたらされた文化や施設、街並みなどに興味をそそられる程度で、今のそれぞれの街に敢えて観光に行きたいという風にはならないのだろうと思います。
「坂の上の雲」効果で、旅順、大連にはこれからたくさんの観光客が訪れるだろう、ということが言われていますが…。
同乗した、それらの団体の旅行者の方々が、どのような旅先の思いを抱いて帰国するのかに興味を持ったりしたのです。
私が中国東北地方に興味を持って旅行するようになったのは、いわゆるガイドブックに載らない、場所や人に魅力を見出したこと、ましてや歴史的な記述が(日本では)曖昧な所だからでした。
私の周囲の、深い付き合いのない知人などからは、毎年毎年中国へ何をしにいくのか?向こうに誰か「いいひと」がいるに違いない。などと言われることもしばしばです。こういう言葉の裏には、思い込んでいる世界観があり、それが未知数の世界なのに、それらの人に植え付けられた歴史観や偏見の産物のように私には思われます。
仙台空港の到着ゲートを出ると、預け入れ駐車場のワゴン車が待っていて、黄君と二人で暑いねと言いながら荷物を運び入れました。預けてあった車に乗り換え、十日振りに自分で車を運転しました。
山形までの高速道路を走りながら、日本はやっぱり美しい国だ、と改めて思いました。
8月12日午後4時半に自宅へ帰りました。
これで私の2010年の中国東北地方旅行記、終了です。
感想や質問などありましたら、いただきたいと思っています。
2010年9月20日 多田耕太郎
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2010.09.20:
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中国 東北地方旅行記2010
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中国 東北地方旅行記その17(寧安市鏡泊郷から長春空港へ)
11日、香賓旅店の前でハンナ先生を見送った後、香賓旅店の食堂に入ると、食堂には15人程が宴会をしていました。その中に日本から里帰りしている親子がいて、話を聞いてみると愛媛県に住んでいるのだそうです。
両親と息子さん二人と七年振りの里帰りで、もう亡くなったのだけれども、この父親の親が、いわゆる残留孤児で、家族全員が日本に帰ってから13年になるのだそうです。
この鏡泊の周辺には残留孤児や残留婦人がたくさんいた、という話しは前回訪れたときも聞いてはいました。この鏡泊周辺の日本人入植者は、昨年私が訪れた、方正県や依蘭県方面のようにまとまった開拓団という形での入植者とは違うようで、それぞれの地区に漁民としてだったり、小さい単位で本来の民間開拓者として入植したようです。地理的な要因で終戦後も移動がままならず、残留しなくてはならなかった人が多かった、のではないかと、私は思います。
なだらかな起伏と肥沃な大地の中で、すべてを賭けて生きていた人達のことを思うと、壇一雄の小説、「夕日と拳銃」の中で、最後に開拓地に骨をうずめる覚悟を決める逸見六郎の心理が重なるようにも思われます。
香賓旅店で、宴会の中に招かれてビールを少しご馳走になった後、二階にある客室に入り、帰国のための準備をして早めに眠りました。
翌、12日は、朝3時に起きて、4時前に黄君とお母さんが餃子を持って来てくれたのを食べて朝食にしました。4時丁度には曽さんが迎えに来て、旅店前で、黄君のお兄さん、お母さん、旅店の女主人の香さんと握手を交わし別れの挨拶をしました。
写真は、鏡泊を出て敦化へ向かう車窓から見た延々と続く畑です。
鏡泊から敦化を通り長春まで450�辧�途中休みなしで高速道路を走り、9時前に空港に着きました。
曽さんとまた再会する約束をして別れ、フライトは12時なので、黄君と二人、出発ロビーでひとを眺めて過ごしました。
8月12日最終日です。
2010.09.18:
多田耕太郎
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中国 東北地方旅行記2010
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中国 東北地方旅行記その16(寧安市鏡泊湖周辺周遊)
朝食を済ませると、黄君の小学生時代の恩師だったという、曽さんが車で迎えに来てくれました。
曽さんはまだ四十才で七年ほど前に教師を辞めてインターネット関連の仕事をしているそうです。昨年買ったという黒塗りのトヨタカローラはまだ新車の匂いのする車でした。
黄君によると、曽さんに、今日はこの周辺の案内をしてもらい、夕方にハンナ先生を牡丹江まで送ってもらい、明日は私と黄君を、長春の空港まで送ってもらうように頼んだのだそうです。
黄君が、鏡泊湖北部の地下森林公園に行きましょう、といって出かけました。
私は事前に下調べをしていなかったので、地下森林とはどんなものなのか見当がつかなかったのですが、いざ行ってみると火口跡の巨大な窪地に原生林があって、その中に散策路が整備され、高低差100mくらいを降りて洞窟や大木を見学するというところででした。約3時間かけて散策路を一周し、かなりハードな見学コースでした。
鏡泊湖そのものも、1万年ほど前のこの地下森林公園を火口とする噴火によって牡丹江がせき止められて出来た湖なのだそうです。
その後、鏡泊湖観光の正面入り口前の集落にある、三年前に宿泊した食堂兼旅館で昼食をとりました。
三年前は8月の半ば過ぎだったせいか、客も疎らだったように記憶しています。
今年は鏡泊湖の入場口へ向かう車がとても多く、ほかの店の前にもたくさんの車が停まり、賑わっているようです。
やはり、三年前よりは中国の庶民の生活が豊になってきているのだとも思いました。
昼食の後、40�劼曚彬未稜�安市渤海鎮にある興隆寺を見学に行きました。興隆寺は以前にも見学したのですが、三年前は渤海国のことをまったく知らないまま見学して素通りしてしまったようなものだったので、今回は、改めて古代史を少し勉強して、高句麗と渤海の繋がりや古代日本との繋がりも何となく感じながら見学することが出来ました。
四時過ぎに鏡泊の香賓旅店に戻りました。
黄君の両親が住んでいる養魚池のほとりにある家で夕食をご馳走になる約束をしていたので、鏡泊から湖の対岸にある黄君の両親の家まで黄君のお兄さんが運転するピックアップトラックで約6�劼瞭擦鮃圓�ました。
写真は黄君の両親が管理している養魚池です。この写真の右手に両親が住む15坪程の家があります。
三年前もここを訪れたのですが、そのときは私の母と、横浜のYさん、山形のHさん、それに通訳のイン先生の5人でした。
三年前の風景で忘れられないのは、夕食を香賓旅店でとることになっていたのですが、その前に材料調達の様子を見学がてら黄君の両親の所に行ってみたいということになり、全員で訪ねると、上半身裸の黄君と、お父さんがこの写真にある小舟に乗り投網で夕食用の魚を捕る作業をしていました。私はとても美しい光景だとおもいましたが、私の母と横浜のYさんは、うっすらと涙を滲ませて眺めていたのを思い出します。
人里から何キロも離れた所で魚を育て、それを毎日お父さんが水揚げし、お母さんがバスで50�厠イ譴薪豕�城の町まで持って行き、市場で売る生活と、それを日本にいてもいつも気遣う、三男の黄君が父と二人で私たちのために投網をかけている姿が、とても輝いて見えたのです。黄君と彼を育てた世界のようなものに感動したのでした。
その養魚池のある家に着くと、黄君の両親と黄君のもう一人の兄夫婦とその娘さんが出迎えてくれました。お母さんがすぐに家の中に案内してくれて、テーブルの上には乗りきらない程の量の魚料理と餃子、炒め物が並んでいました。
黄君と二人のお兄さん、お父さんが、私と何度もビールで乾杯しながら、「黄君のことをよろしく頼みます。」という言葉が残りました。
辺りが薄暗くなったあたりに、香賓旅店に戻りました。旅店の前には曽さんの車が待っていて、ハンナ先生に「またね!」とだけ、別れを告げて見送りました。
8月11日の夜です。
2010.09.17:
多田耕太郎
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中国 東北地方旅行記2010
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中国 東北地方旅行記その15(寧安市鏡泊湖周辺周遊)
10日の夕食は黄君が村の中の食堂に招待してくれました。そこは彼の友人が夫婦で開いている焼肉店でした。
私とハンナ先生、黄君のお兄さんが、ご馳走になりました。
店の主人が、下味をつけた羊の骨付きのモモ肉一本を丸ごと回転させながら焼き、ひとりひとりが焼けたところをナイフで切り取って食べるという料理?でした。
そこそこに食べてビールを飲み終わると、黄君がカラオケに行きましょうというので、全員で村のはずれにあるカラオケ店に行きました。二時間ほどみんなで歌って飲んで楽しい時間を過ごし10時に香賓旅店に戻りました。
翌、11日朝は4時に起きてシャワーを浴びて珈琲を飲み、5時から散歩に出かけました。
写真は散歩途中から鏡泊湖を眺めたところです。
散歩は、村からトウモロコシや大豆の畑が続く丘陵に向かい、鏡泊湖を眺めながら隣の村外れを通り抜け、昨日通って来た幹線道路まで5�卍�歩きました。途中、昨日挨拶だけした、村の共産党書記をしているという、孫さん夫婦と会い、「毎日散歩をするのですか?」と聞いてみると、「ほぼ毎日です。」と笑顔で言いながら早足で歩いていきました。
コンクリートで舗装された幅8�丹未瞭始�を歩いていると、6時を過ぎる頃からトラックやトラクターが、荷台に土木作業に向かう格好をした男女をたくさん乗せて私たちを追い越していきました。
寧安市内や近辺の高速道路や建築の工事現場へ向かうのだと思いますが、今の中国中が建設ラッシュだということが垣間見られました。
幹線道路まで出た所で、黄君に電話を入れてお兄さんに迎えに来てもらい、7時に旅店に戻り、旅店の向かい側にある店で餃子とお粥の朝食をとりました。
8月11日の朝です。
2010.09.15:
多田耕太郎
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中国 東北地方旅行記2010
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中国 東北地方旅行記その14(延吉市から敦化市そして寧安市鏡泊へ)
10日の朝は熱も下がり、いつものように四時に目が覚め、少しだけ明るくなった窓の外を眺めながら、お湯を沸かして持参した珈琲を飲みました。
毎年、中国に旅行して一番の楽しみは、どんな小さな街にでもある朝市を眺め回ることです。
ハンナ先生の部屋に電話して五時半に出掛けることにしました。
写真は朝市で売っていた煙草です。巻き紙も一緒に売っていて、試しに吸ってみたところまあまあおいしかったので適当にブレンドしてもらい一包み購入しました。税関で見つかればどうなるのだろうと一瞬考えましたが、まあその時はその時に考えようと思いました。
朝市で目に付いたのはこの煙草の他には松茸でした。一キロ200元(2700円)から150元で売っていました。お土産に手頃かなと思ったのですが、あと三日間持ち歩く期間を考えて止めることにしました。
朝市の場所からほど近い延吉駅に行き、敦化までの9時半発の硬座の切符を買いました。
ホテルに戻り、朝食を済ませてから、李さんに電話を入れてお礼を言うと、「来年はもっと時間をとって長白山観光に行きましょう、待っています。」と言ってくれました。
敦化駅に着いたのは12時で、駅からバスターミナルまで歩いている間に、「冷麺」の看板が目に入ったのでさっそくお昼にしました。
敦化市内も七月末の洪水で市内の至る所が冠水し、橋も流された所が有ったそうです。
バスターミナルに着いて、鏡泊方面へのバスを探しましたがすべて午前中に出てしまい、午後の便は無いというので、やはりここからもタクシーで行くことにしました。
敦化から鏡泊まで180�辧�広葉樹に覆われた山並みを抜ける、出来たばかりの高速道路を走りました。
途中、黄君に電話を入れて、3時前には着くことを知らせました。
三年振りに訪れた鏡泊は、村のたたずまいもあまり変わらず、村の中のメーンストリート?にある食堂兼旅館の前でタクシーを降りると、黄君兄弟が笑顔で出迎えてくれました。
鏡泊は鏡泊湖の南東湖岸にある村で、鏡泊湖を目の前にして背後にはなだらかなトウモロコシ畑が広がる丘陵があり、とても穏やかな雰囲気の村です。
夕食まで黄君とハンナ先生と三人で湖岸を散策して過ごしました。
8月10日です。
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2010.09.14:
多田耕太郎
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