第22回鉄道会議で承認

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   長井市史では、「軽便鉄道は、かつて『軽便鉄道法』によって定められた鉄道のこと」とありますが、事業決定の経過等については記載されていません。他の市町史などもほぼ同じ内容になっています。そんな中、長井線対策協議会が平成元年3月1日に編纂した「走れ!フラワーライナー」に、次のように明記されていました。

  ・明治44.12.28 第22回鉄道会議で軽便鉄道予算として承認される。

  「軽便鉄道法」(明治43.4.21 法律57号)に基づいて建設

 軽便鉄道法による建設は、予算の計上によって決定されるものであり、計画路線等の形で法律上に規定されるものではないようです。ここにも当時の鉄道行政を巡る複雑な政治状況が現れているようですが、それはさておき、鉄道会議の第1回の委員名が載っている資料が見つかりました。衆議院議員からの委員に「佐藤里治」氏の名が見えますが、佐藤議員は山形県西村山郡選出であり、鉄道庁関係委員会で重要な役割を果たしていたようです。鉄道会議の動きと地元のフィクサーが誰だったのか、気になります。

 

 【参考資料】「走れ!フラワーライナー 長井線転換の記録」 長井線対策協議会

       「新聞集成明治編年史 第8巻」 朝野新聞

 

2019.03.09:orada2:[   軽便鉄道あれこれ]

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