HOME > ◇岩部山三十三観音

岩部山三十三観音めぐり紀行12

  • 岩部山三十三観音めぐり紀行12
  • 岩部山三十三観音めぐり紀行12

第12番「岩間山 正法寺(岩間寺) 千手観世音菩薩」

 

水上は いづくなるらん 岩間寺 岸打つ波は 松風の音

 

水上を訪ねて行くと、岩間寺にたどり着いた。

水はやがて川となり、さざ波は松風の音のよう

 

◇水は「智水」※とし、「岸うつ波」は観音浄土の補陀落を表しているとすると、

「智水の源を求め、浄土のような岩間寺へ向かう。」と解釈できます。

※仏の智慧を、煩悩を洗い流す水にたとえた語

また、「岩間寺(いはまでら)」を古語の「いはまほし」(言いたい)とかけているとすると

「智水を求めるならば、浄土のような岩間寺へと伝えたい。」とも解釈できます。

2020.06.05:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]

岩部山三十三観音めぐり紀行11

  • 岩部山三十三観音めぐり紀行11
  • 岩部山三十三観音めぐり紀行11

第11番「深雪山 上醍醐准胝堂(醍醐寺) 准胝観世音菩薩」

 

逆縁も もらさで救ふ 願なれば 准胝堂は たのもしきかな

 

逆縁とは「仏の教えを信じないこと」(順縁の反対語)

そんな人々も皆、准胝観音様は慈悲の心で救ってくださる。

なんと頼もしいことだろう。

 

◇「逆」と「准(順)」が対句になっています。

「准胝堂(じゅんていどう)」と「巡礼道」をかけていると考えると、

「巡礼を行うことで、観音様が救ってくださる。」とも解釈できます。

2020.06.04:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]

岩部山三十三観音めぐり紀行10

  • 岩部山三十三観音めぐり紀行10
  • 岩部山三十三観音めぐり紀行10

第10番 「明星山 三室戸寺 千手観世音菩薩 」

 

夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波

 

夜通し、月の明かりを見ながら三室戸寺への道を分けて行くと、宇治川の瀬に白波が立ち騒いでいる。

 

◇月を「見よう」と「三室戸(みむろと)」をかけています。

月は「真如の月」※とし、白波は観音浄土の補陀落を表しているとすると、

「煩悩の闇の中、明月に照らされ、浄土のような三室戸寺で心の迷いが晴れわたる」

と解釈できます。

※明月が闇を照らすように、煩悩の迷いが晴れること。

2020.06.03:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]

岩部山三十三観音めぐり紀行9

  • 岩部山三十三観音めぐり紀行9
  • 岩部山三十三観音めぐり紀行9

第9番 「興福寺南円堂 不空羂索観世音菩薩」

 

春の日は 南円堂に 輝きて 三笠の山に 晴るるうす雲

 

暖かい春の日※のように、観音様の慈悲の心が南円堂を輝かせている。

三笠山の薄い雲もやがて晴れるであろう。

 

◇三笠山を法皇自身になぞらえ、「私の心の曇りも、観音様の光明で晴れることだろう。」と解釈できます。

※江戸末期まで、興福寺が春日大社を支配していたため、「春の日」と「春日大社」をかけています。

 

2020.06.02:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]

岩部山三十三観音めぐり紀行8

  • 岩部山三十三観音めぐり紀行8
  • 岩部山三十三観音めぐり紀行8

第8番 「豊山 長谷寺(初瀬寺※) 十一面観世音菩薩」

 

いくたびも 参る心は はつせ寺 山もちかひも 深き谷川

※長谷寺は奈良県桜井市初瀬にあるので初瀬寺とも云われています

 

初瀬寺は景色がよく、幾度訪れても初めての心地となる。

観音様の「全ての人を救う」ご請願は、長谷の山や谷川のようにとても深い。

 

◇上の句「心ははつ(初)」にするため、長谷寺ではなく、あえて「はつせ寺」(初瀬寺)にしたと考えられます。

観音経は「弘誓深如海」(広き誓願は海のように深い)と申されています。

 

遊歩道からは岩陰にあるので見つけにくいかもしれません。

2020.06.01:nakagawako:コメント(0):[◇岩部山三十三観音]