ヒカリノミチ通信|増子義久

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  • 市長へのメール…新図書館の「駅前立地」に至る経緯を市民に対し、きちんと説明せよ!!??

      たったの10分間の「市長との対話」における、市民無視の顛末(てんまつ)については16日付当ブログで詳しく、触れた。とくに、新花巻図書館の「駅前立地」に至る経緯についてはほとんど言及がなかった。また、「病院跡地」への立地を求める署名活動についてはその妥当性に疑義をはさむなど“対話”どころか、話し合いは完全に平行線をたどった。     一方、冒頭の写真は平成29(2017)年7月10日付で市当局からJR側に提出されたイメージ図で、新図書館(当時は3階建て)と橋上化(東西自由通路)されたJR花巻駅とが2階部分で繋がっているのが見て取れる。立地適正化計画の中で「まなび学園」周辺への立地が公表されたわずか1年後には駅橋上化と一体となった、いわゆる「駅前立地」構想(ワンセット)が秘密裏に進んでいたことがうかがわれる。「駅前か病院跡地か」―という“立地”論争の背後にはこうした闇の部分、つまり「既成事実化」が付いて回り、現在に至っている。迷走に迷走を重ねた経緯について、その説明責任が行政トップの首長にあることは言をまたない。以下に4月20日付で発信したメールの全文を掲載する。   ※    新花巻図書館の「駅前立地」に至る経緯とそれを裏付ける「民意」の認識について、質問します。なお、事態が急テンポで動いている現状から、4月末日までに文書による回答をお願いします。     1)前市政は「花巻市立地適正化計画」(平成28年6月策定)の中で、新図書館の移転先として「生涯学園都市会館(まなび学園)周辺への図書館(複合)の移転・整備事業」と明記した。   2)前市政は上記の方針を急きょ転換し、令和2年1月29日付で「新花巻図書館複合施設整備事業構想」を公表した。JR花巻駅前のJR所有地に50年間の定期借地権を設定し、賃貸住宅を併設した図書館を建設するという内容で、市民参画の手続きを抜きにしたこの構想は同年11月12日に白紙撤回に追い込まれた。   3)前市政はその後も「駅前立地」にこだわり続け、法的な議決権を有する花巻市教育委員会議定例会(令和7年5月19日開催)で、駅前立地を盛り込んだ「新花巻図書館整備基本計画」が正式に議決・承認された。その後、令和8年1月7日付で設計業務に当たる業者との間で「業務委託契約書」が結ばれ、現在、“駅前図書館”を前提とした業務が先行している。   4)上記の市教育委員会議定例会の席上、役重真喜子委員(当時)は市長や議会側の責任を鋭く追及した(別添資料を参考)。後継の小原(勝)市政下でもその「説明責任」は依然として、果されていない。これは行政側のある種の“不作為”と言わざるを得ない。「駅前立地」へ至る経緯の背景には一体、何があったのか。その立地を正当化する合理的な理由を示してほしい。また、6,000筆を超える立地希望があった「病院跡地」についてはどのような検討がなされたのか―詳(つまび)らかにしてほしい。市民“不在”の行政運営はあってはならない。市民へのきちんとした説明とその理解が得られるまで、設計業務は一時中断すべきである。    なお、上記「市長へのメール」への回答は市民の知る権利を考慮し、何らかの方法で一般公開することを付記する。     〈「役重」発言〉~(会議録から、要旨〉    「私はやはりJRの駅前構想というのが市民にとっては突然という形で、市長から発表され、そのあたりからですね、非常に混乱してきたということですので、首長も含めてですが、政治としての議会も含めて、私は非常に極めてその責任は重いと思っていると言わざるを得ないです。ですので、議会でこれをしっかり透明な場所で議論をして、最終的に良い合意形成をしてほしいと思います。かつ市長と議会が今、なぜここなのか、どういうプロセスを経てここなのか。やはり市民の前に出て自分の言葉で説明をしていただきたいと思います。そうしていただくということ、そしてその市民の理解を得ていただくということを前提条件として私自身は決議をしたいと思います」(再掲)         (写真は駅と一体化した図書館のイメージ図。市当局はこの種の話し合いが行われたことは認めたが、その理由については口を閉ざし続けた=文書開示請求によって、入手した資料から)            
    2026.04.20
  • 「新図書館」をめぐり、市長と対話…ぜひとも、”オリザ”流を見習ってほしい~市長は「説明責任」を果たせ~一日も早い、図書館“疑獄”からの脱出を!!??

       小原市政下における初めての「市長との対話」が16日に開かれ、私は懸案の新花巻図書館について、事前に提出した別添資料(下記)に基づいて質問した。足かけ10年以上にわたった大プロジェクトの対話時間はわずか10分程度。実りのある対話は到底望めないと考え、前もって論点整理の資料を手渡していた。前市政下では当初、「病院跡地」を立地の第1候補に挙げていたにもかかわらず、その後「駅前立地」にシフトした経緯については最後まで当時の首長による説明はなかった。さらに、この立地に最終的に“お墨付け”を与えたとされる対話型「市民会議」もそもそも最初から、構成要件を満たしていなかった―など不透明な部分が多かった。    私の質問に対し、小原勝市長は概略、以下のように答えた。「駅前立地に至る経緯については担当部局(図書館整備室)から説明を受け、まちづくりの観点からも納得できた。ただ、“賢治色”をいかに打ち出すのかという点ではまだまだ、工夫が必要だと思う。市民の方々の知恵をお貸し願いたい」    一方で、①の民意の認識については「単なる数字の比較は選挙の世論調査でも分かるように必ずしも正確ではない」と的外れの強弁をした。そう言えば、前市長も「病院跡地」への立地を求める署名運動について、”捏造”(ねつぞう)をほのめかす発言をしたことがあった。「市民と創(つく)る/羽ばたく花巻」―。選挙カーの訴えが何とも空々しい。ある意味で、根っ子が同じの”暴言”そのものである。さらに、⑤の菊池雄星投手の名誉館長の件については「とても良いアイディアだと思うが、相手があることだから…」と言葉を濁した。③と④について時間切れで、割愛(かつあい)せざるを得なかった。      「もう、時間ですから…」―。ストップウォッチを手にした職員から再三、対話の打ち切りを促された。あまりの執拗(しつよう)さに「強制排除でもするつもりなのか」と毒づく事態に。「市民一丸」(市長の選挙公約)のこれが正体だった。真っ黒けの”のり弁”(開示文書)しかり。まるで、選挙”詐欺”そのものではないか。    「新図書館」問題も大きな争点にひとつになるであろう次期市議選は7月19日告示、同26日投開票の日程で行われる。この“夏の陣”には定数(26)を大幅に上回る候補者が名乗りを上げるとみられ、かつてない激戦が予想される。現在、“駅前図書館”を前提とした設計業務が進められているが、40億超円とも言われる巨額な予算を伴う本体工事の着工は2028(令和10)年度にスタートする。後戻りができない最終ゴールに向けた議論は新体制下の議会側に委ねられることになり、有権者の関心も選挙の行方に向けられている。      「今後のまちづくりに生かしてほしい」―。私は対話の終了に際し、劇作家で演出家の平田オリザさんの最新刊『寂しさへの処方箋―芸術は社会的孤立を救うか』(集英社新書)を贈った。オリザさんは「芸術・文化・観光」をまちづくりの基底に据えており、現在は「兵庫県立芸術文化観光専門職大学」(豊岡市)の学長の地位にある。前著の『但馬日記―演劇は町を変えたか』の中にはこう書いている。「賢治の思いが、100年の時を経たいまよみがえる。熱すぎない、冷たすぎない、その中間に芸術や文化を置いたまちづくりが求められている」    ところで、私は前市長が就任した際も「まちづくりの一助に…」と『ドウリズムの政治』(北山郁子著、2010年)と題する本を贈った。市政運営の要(かなめ)に「道理」を掲げ、旧花巻町長を2期務めた北山愛郎(1905年~2002年)の足跡を辿った内容で、愛娘の郁子さんがまとめた。国政に転じた北山は社会党(当時)の副委員長まで上り詰めたが、足元の前市長は「無理が通れば、道理が引っ込む」―をまさに、その通りに実行した「3期12年」を置き土産に去っていった。   ※   1)「駅前立地」に至る経緯の再検証と“民意”の認識について。駅前立地に最終的にゴーサインを出した対話型「市民会議」は無作為抽出した市民3,500人に対し、会議への参加を呼びかけた結果、75人が応募し延べ4回の会議が開催された。しかし、すべての会議に出席したのはわずか42人で、6人が一度も出席しなかったことが明らかになっている。    一方、「旧花巻病院跡地」への立地を求める市民の署名数は市側が精査した結果、6,181筆に上った。「42VS6,181」というこの数字の開きをどうとらえるのか。再検証の結果を踏まえたうえで、この「民意」について改めてどう認識したか。     2)設計業務に当たる「昭和設計・tデ・山田紗子建築設計事務所共同企業体」との業務委託契約書(令和8年1月7日付)によると、「花巻らしい図書館として、宮沢賢治専用スペースの設置」や「(例えば、JR花巻駅東西自由通路など)現在計画中の周辺施設との調和を考慮し…」という条件が付与されている。しかし、現段階のプレゼン資料によると、こうした条件が満たされているとは思えない。     又三郎シャフトや星めぐり回廊など賢治を意識した設計の工夫は見られるものの、やはり牽強付会(けんきょうふかい)―“つまみ食い”(パッチワーク)のそしりは免れない。銀河宇宙という賢治の無限空間をビル群に囲まれた狭隘な立地環境の中で演出できると市側は考えているのか―。図書館と賢治との親和性についての認識を含め、改めて見解をお聞きしたい。     3)当市は「イーハトーブはなまき」の実現を将来都市像に掲げ、「賢治まちづくり課」を設置している。しかし、イベント偏重やふるさと納税の広告塔としての側面だけが目立つ。市民に根付いた「賢治」のまちづくりのイメージをどう描いているのか。また、市長自身の「図書館像」についても聞かせていただきたい。     4)市長は県職員時代、「文化スポーツ部長」を歴任した“文武両道”の使い手としても知られている。一方、当市を東西につなぐ駅橋上化事業が新年度からスタートした。この東西自由通路を分岐点とし、西地区は「スポーツ・運動・観光」ゾーン、東地区は「芸術・文化・教育」ゾーンときちんと棲(す)み分けることによって、このまちの輝かしい未来が約束されるのではないか。「将来都市像」と合わせて、考えを伺う。     5)市議会3月定例会での質疑で「大リーガーの菊池雄星投手を新図書館の名誉館長に」という提言があり、市長も前向きの回答をした。文字通り、文武両道を地で行くこの話題は市民の間でも持ちきりとなっている。市長の熱い思いを改めて、聞かせてほしい。       (写真は献本したオリザ本)         ≪追記ー1≫~市民一丸!?こんな記事を発見した!!?? ●「新興跡地」の後始末もよろしく●      岩手県土整備部は10日、東日本大震災の復興道路として整備する三陸沿岸道路(仙台市-青森県八戸市、約359キロ)のルート上にある、釜石市内の住宅などを強制収用する行政代執行を実施した。国土交通省南三陸国道事務所によると、復興道路事業で代執行を行うのは初めて。土地約1500平方メートル、住宅と倉庫(計75平方メートル)などで、土地はここに暮らす80代男性が、住宅などは市内の別の場所に暮らす90代女性が所有する。    この日午前8時15分すぎから、自主的退去と貴重品などの持ち出しを促したが男性が応じなかったため同8時半、小原勝・県土整備部副部長が代執行開始を宣言した。同事務所や県警、釜石消防署の担当者らが同市大町に用意した市営住宅に移るよう、男性を説得。「帰れ」などと応じなかったため、土地や住宅の測量と動産撤去を始めた。11日も説得と撤去を続け、近く男性の保護と建物の解体をする予定(2018年7月11日付「毎日新聞」)       ≪追記ー2≫~仮面舞踏会    「市政堂」を名乗る方から、以下のような市政批判の辛らつなコメントが送られてきた。期待感の裏返しなのか。「一見、人柄の良さそうな温厚なお顔。もうひとつのお顔があったということか?恐ろしや~。花巻市民はまんまと騙されちまったってことか…」       ≪追記ー3≫~「役重」発言に対する説明責任をただちに果たせ!!??      新図書館の「駅前立地」を法的に議決・承認した花巻市教育委員会議定例会(2025年5月19日開催)の席上、役重真喜子委員(当時=岩手県立大学総合政策学部准教授)は市長や議会側の責任を鋭く追及し、以下のように述べた。これについて、前市長と後継の小原勝現市長はその説明責任を回避し続けている。政治の“暴力”を許してならない。私が図書館“疑獄”と呼ぶゆえんである。本来の所管である教育委員会委員の発言だけに、その意味するところは計り知れないほど重い。     「私はやはりJRの駅前構想というのが市民にとっては突然という形で、市長から発表 され、そのあたりからですね、非常に混乱してきたということですので、首長も含めてですが、政治としての議会も含めて、私は非常に極めてその責任は重いと思っていると言わざるを得ないです。ですので、議会でこれをしっかり透明な場所で議論をして、最終的に良い合意形成をしてほしいと思います。かつ市長と議会が今、なぜここなのか、どういうプロセスを経てここなのか。やはり市民の前に出て自分の言葉で説明をしていただきたいと思います。そうしていただくということ、そしてその市民の理解を得ていただくということを前提条件として私自身は決議をしたいと思います」(会議録から、要旨)     
    2026.04.16
  • 「トンネルを抜けると、も~っと長いトンネルだった」…のり弁物語の顛末記~“密室”行政が各地で問題化!!??

        小原(勝)市政がスタートした2月5日付で、新花巻図書館に関するJR交渉の経緯を記録した文書の開示請求をしていたが、ほぼ全部が黒塗りされた“のり弁”だった。首長が代わって、少しは情報開示の立ち位置に変化があるのかと期待したのだったが…。    上田(東一)前市政下の末期、新図書館の設計業者を選定する「公募ポロポーザル方式」(令和7年7月24日)が始められ、約4ヶ月後の12月3日には応募した61企業体の中から1社が選ばれた。この間、10月2日には上田市長が4選出馬の断念を表明するなど慌ただしい動きが続いた。「駅前立地」に向けた最終局面の裏舞台で一体、どんな交渉が行われたのか。ちょうど、「駅前か病院跡地か」ーという”立地“論争に市民の関心が高まっていた時期だった。    この間に該当する非公開の交渉記録は令和7年7月30日付から同12月22日までの計4回分。ところが、「設計・測量業務に向けた現地確認」や「新図書館整備に伴う(JR側との)の打ち合わせ」などの表題部分が開示されただけで、肝心の内容は一字一句残らず、真っ黒に塗りつぶされていた。その分量は何と25ページにも及んでいる。万人に開放されるべき公共図書館がなぜ、秘密裏の中に置かれなければならないのか。本来、公(おおやけ)に開かれるべき神聖な空間について、何か外部に秘すべき事情でもあるのだろうか。    「市民一丸」を掲げる小原市長に求められるのは何よりも透明性のある行政運営である。その尺度になるのは当然、「情報開示」のあり方であろう。前市政ではたまに「チョイ見せ」や「ウッカリ見せ」もあったが、後継市長は鉄壁な”守備固め”か…         (写真は開示された“のり弁”。新図書館号は結局一度もトンネルから姿を現すことはなかった)       ≪追記ー1≫~清瀬市でも非公開が問題化!?    東京都清瀬市長選で争点となった市立図書館再編問題を巡り、2023年に市が設置した有識者会議「これからの清瀬の図書館を創造する会」の議事録や資料が、1日から市のホームページ(HP)で非公開になっていたことが分かった。市によると、25年度末で閉じる設定にしていたためという。本紙の指摘を受け、6日に再び公開された。    会議は23年6~10月に3回開かれ、図書館を6館から2館に減らし宅配サービスを導入するという、市の当時の案などが議論された。会議の意見を参考に市が24年2月に立てた「市立図書館サービス基本方針」では「6館体制を見直す」としか表現されず、図書館縮小について住民投票を求める市民らから情報公開のあり方に疑問が出るなど、議論になっていた。市HPは公開期限のルールはなく、平成時代の会議録なども残るが、有識者会議の議事録は当時の担当者が25年度末に指定したという。原田博美市長は6日の会見で、2年の公開期限を「適切だと思わない」と話した(4月8日付「東京新聞」電子版)     ≪追記ー2≫~しょせん…!!??     「市政堂」を名乗る方から、以下のような辛らつなコメントが寄せられた。タイトルはずばり、「しょせん(所詮)」…     「市民の声を聞く“市民一丸“を掲げての当選劇も、どこまで信用できるのか?増税メガネと言われた某総理も『聞く耳』を強調していたっけなァ。 前市政を踏襲するのが楽だし、行政にどっぷり浸かってきた経験が逆に足かせになって、これまでの市政にメスを入れることができないのではないだろうか」     ≪追記―3≫~ありゃまあ。この“迷走”ぶりはイーハトーブ議会とそっくりですな!!??    閉館した4つの図書館の再開を公約に当選した東京都清瀬市の原田博美市長が旧市立中央図書館の再開を断念した問題(4月2日付当ブログ「追記―3」参照)で、原田氏が市議時代に、中央図書館の解体を前提とした中央公園整備工事請負契約議案に賛成していたことが分かった。原田氏ら共産党会派の4人は反対討論を行わず、修正案も出さず、議案は全会一致で可決されていた(9日付「産経新聞」電子版)     
    2026.04.06
  • 断捨離「大作戦」(「本の目利き」三人衆―その3=完)…「シシ」になった男の“変身術”~あちこちで、“図書館”論争も!!??

       「国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願わくは之(これ)を語りて平地人を戦慄(せんりつ)せしめよ」―。民俗学の父と言われる柳田国男(1875~1962年)の代表作のひとつ『遠野物語』(1910=明治43年)の初版序文にはこんな不気味な言葉が置かれ、その一節にこうある。「天神の山には祭りありて獅子踊(ししをどり)あり…獅子踊と云ふは鹿(しか)の舞なり」    『シシになる。―遠野異界探訪記』(2025年6月初版発行、亜紀書房)―。著者は“平地人”の代表選手とも言える若き都会人―東京都内の広告代理店に勤めていた富川岳さん(39)で、己自身が「シシ」に変身するという奇想天外な内容である。2016年に地域活性化プロジェクトのメンバーとして、遠野市に移住。河童や座敷童子、山男・山女、天狗など様々な妖怪と神々が跋扈(ばっこ)する“異界”に突然、投げ出された。    柳田が100年以上も前に「戦慄」したのが、附馬牛(つきもうし)地区に伝わる「張山(はりやま)しし踊り」だった。富川さんがその踊り手になるまでのまさに鬼気迫るばかりの“変身”ぶりについては、とても愚筆の及ぶところではないので、ぜひ手に取ってお読みいただきたい。私はためらわずに現代版『遠野物語』と命名した。こんな美しい響きの言葉に耳目を奪われた。    「遠野巡灯篭木」(トオノメグリトロゲ)―。遠野には初盆から3年間、先祖が迷わずに家に戻れるように盆明けまで、軒先に目印の高い木を立てる風習がある。木の先端には提灯(ちょうちん)と戒名を書いた布がぶら下げられ、「迎灯篭木」(ムカイトロゲ)と呼ばれる。一方、冒頭の「メグリトロゲ」は郷土芸能と現代カルチャーを織り交ぜた「コラボ」演出で、コロナ禍の2021年に初演を迎えた。富川さんはこうした活動のあり方を「Reboot Folklore」(地域文化の再起動)と定義している。    「元祖の柳田本を脚本・演出したのが(宮沢)賢治の物語世界ではなかったのか」―。新旧の『遠野物語』を合わせ読むうちにハタと思い至った。そして、その仲介役こそが賢治とも交流があった語り部の佐々木喜善ではなかったのか。『なめとこ山の熊』や『鹿踊りのはじまり』、『注文の多い料理店』、『虔十公園林』などなどその通底性を挙げれば枚挙にいとまがない。元祖本の第8話に“神隠し”の話として「寒戸の婆(ばば)」が採録されている。こんな内容である。    「(松崎村の)寒戸にいた娘がある日、木の下に草履(ぞうり)を残して消息を絶った。その30年後、親戚たちが集まっているところへ、その娘がすっかり老いさらばえた姿で帰ってきた。事情を尋ねる親戚たちに対し、娘はみんなに逢いたくて帰って来たものの、山に帰らなければならないと言って去って行った。その日は風が強かったので、遠野ではそれ以来、強風の日は『寒戸の婆が帰ってきそうな日だ』といわれたという」(要旨、ウイキペディアより)    一方、賢治の代表作『風の又三郎』は二百十日の9月1日、山の分校に転校してきた「高田三郎」君がわずか10日後、風の強い日に姿を消してしまうという内容である。「あいつはやっぱり、風の神の子どもだ」―。分校の子どもは「寒戸の婆」と同じように、その背後に「神の存在」を見ているのである。物語世界に欠かせないモチーフのひとつであるその「風」がいま、窮地に立たされている。    「駅前か病院跡地か」―で揺れた新花巻図書館の立地場所がとりあえず、JR花巻駅前に決まり、現在設計業務が進められている。「賢治のふるさとならでは…」という触れ込みのデザインにずばり「又三郎シャフト」なるものがある。シャフトとは「動力伝導用の回転部品」のことらしいが、プレゼン資料には「各空間からの換気経路」とあり、どうやら“風”の通り道らしい。だとすれば、これほどまでに貧相な発想はあるまい。「どっどど/どどうど/どどうど/どどう/青いくるみも吹きとばせ…」―。又三郎が歌う、空に吸い込まれそうな清らかな歌声はどこからも聞こえてこない。耳に届くのは無機質な電車の発着音だけである。    『「本の目利き」三人衆―その2』で紹介した村上巨樹さんは2年前、JR花巻駅前に古書店を開業した。そして、「シシになった」富川さんも4月18日、後を追うようにJR遠野駅前に同じ古書店「河童ブックス」をオープンさせる。二人に共通するのは村上さんがギター奏者(ミュージシャン)、富川さんがシシ踊りの踊り手(ダンサー)…つまり、記憶を継承する古書群が「芸術・文化」と背中合わせに同居しているということである。まさに「Reboot Folklore」の担い手として、これ以上の人材は見当たらない。    遠野三山のひとつ、早池峰山の存在がなかったら『遠野物語』が誕生しなかったように、図書館のもうひとつの立地候補地である「病院跡地」からは賢治がこよなく愛したこの霊山がキラキラと輝いて見える。賢治の物語世界(ナラティブ=物語性)を駅前のビル群の中に埋没させてはなるまい。「Reboot」(再起動)をさせるためには一日も早く、“賢治”をここから救出しなくてはならない。           (写真は本を分別・整理する富川さん。「本に囲まれているだけで、気持ちが高まって…」=4月2日午前、花巻市桜町3丁目の自宅で)       ≪追記―1≫~“風の夕食”    「そりゃ風だって、一日中飛び回っていたんでは腹もすくじゃろうが。“風の夕食”という言葉を覚えておけ」―。ここまで書き及んできて、アイヌの古老(エカシ)が独り言のように漏らしたつぶやきをふと、思い出した。夕方、風が急に吹き止む―「夕凪」(ゆうなぎ)のことをアイヌ語では「レラ(rera=風)・オヌマン(onuman=夕方)・イペ(ipe=食べる)」と表記する。風はまさに「生き物」そのものなのである。    仮に又三郎を“空調”に見立てるようなことがあってはそれこそ、罰(バチ)が当たる。前回(その2)、当ブログに登場した『宮沢賢治殺人事件』(吉田司著)が“正夢”になってしまう。”賢治殺し”に加担させられるのはまっぴらご免である。ちなみに、アイヌの世界では「風」のことを「レラカムイ」(風の神)と呼ぶ。これを和訳すれば、さしずめ「又三郎」ということにでもなろうか。     ≪追記―2≫~又三郎とは実は私のことだった!?    『風の又三郎』が初めて、映画化されたのは私の生年と同じ昭和15(1940)年である。だから又三郎は私の”分身”だとずっと、思い続けてきた。ところで、映画で分教場の最上級生「一郎」役を演じた俳優、声優の大泉滉さん(故人)は前年、同じ作品が築地小劇場で上演された際は主役の「又三郎」役でデビューした。生前、その辺のいきさつを聞いたことがある。それにしても戦雲が漂う中、こうした演劇や映画が誕生したこと自体に驚愕(きょうがく)させられる。    日露の血を引くアナキスト作家、大泉黒石の子として生まれた。祖父はロシア皇帝ニコライ2世の来日時に侍従役だったことで知られる。主役抜擢のきっかけについてはあのとぼけた表情で、こう語った。「まちなかで学生風の男から子役にならんかね、と。混血だから、髪の毛は真っ赤。貧乏だったから、お願いしますって…」。そういえば、賢治は作品の中で又三郎を「赤毛の子ども」と表現し、分教場の子どもたちにも「あいつは外国人だな」と言わせている。「どっどど/どどうど…」。ビールをあおりながら、あたりかまわずに高吟(こうぎん)する大泉さんの姿が懐かしい。     ≪追記ー3≫~図書館の解体を中断!!??    東京都清瀬市は1日、解体作業が始まっている旧中央図書館の解体工事の中断を決めたと発表した。3月29日に投開票された市長選で大きな争点となったのが、昨年、6館から3館に減った市立図書館をめぐる問題だった。旧中央図書館の解体中止を掲げた、無所属新顔で前市議会副議長の原田博美氏(50)=共産、社民推薦=が、無所属現職の渋谷桂司氏(52)=自民、公明推薦=を破り、初当選した。同市は解体中断を決めた理由について、選挙結果を踏まえ「市民の意向や新たな市政運営方針を総合的に判断した」としている」(2日付「朝日新聞」電子版)     ≪追記ー4≫~一方では、移転・新築オープンへ    新しい 広島市 立中央図書館が4月1日午前10時、JR 広島駅 前に開館する。開館に先立ち、報道陣向けの内覧会があり、明るく開放感のある館内が披露された。新図書館は、広島駅と歩行デッキで結ばれた商業施設「エールエールヒロシマ」の8~10階にある。中央の吹き抜けやイベントスペースを囲むように、書棚が配置されている。広々とした通路を周回しながら、本探しを楽しめるレイアウトだ。大きな窓から採光する構造にもなっている。    ただ、地上階から図書館フロアに直通するエレベーターはなく、休日の混雑時は館内移動に時間がかかる恐れがある。 松井一実 市長は「来館者が増えるきっかけになるならば、うれしい悲鳴」としつつ、「利用状況に応じて、問題が生じれば必ず解消する心づもりだ」と話した。図書館専用の駐車場や 駐輪場 は設けていない(3月29日付「朝日新聞)=(註)広島市立中央図書館をめぐっては、当市と同じように市民の反対運動や公文書の非開示問題などがあり、オープンが大幅に遅れた。                  
    2026.04.02
  • 断捨離「大作戦」(「本の目利き」三人衆ーその2)…「港」という小宇宙の不思議な空間!!??

        「人や本や、そして色んなモノたちがより集う場所こそが港。だから、『港』と名づけたんです」―。原油の積出港が攻撃され、ホルムズ海峡の封鎖問題で全世界が揺れる中、私は店主の村上巨樹さん(43)の言葉に「そうだよな」といちいち、うなずいていた。名刺には「古書、レコード・CD、東南アジア食品…」と印刷され、裏には入港する大型船のデザインがあしらってある。JR花巻駅近くに2年前の秋に開業。いわゆる、“古本屋”とは一味ちがう雰囲気である。突然、店の奥からギターをつま弾く音が聞こえてきた。    もともと、音楽好きだった村上さんは中学1年の時、ギターの音色に取りつかれた。特訓を受け続け、ギター奏者としての腕はめきめき上達した。やがて、作曲も手がけるようになり、自主音楽レーベル「CADISC」を主宰するほか、ギターとドラムだけのバンド「te-ri」(テーリ)を結成。ヨーロッパやアメリカの縦断ツアーも敢行した。転機が訪れたのは東日本大震災(3・11)。地元・花巻の高校から東京の大学を卒業し、ごく普通の社会人生活を送っていた。未曽有の大災厄…村上さんはきっぱりと都会に別れを告げた。    田舎暮らしのそんなある日、何気なく聴いたYouTubeからポップ調の音楽が流れてきた。海を隔てたミャンマー(首都ネピドー)で開かれた音楽イベントの映像だった。これまで耳慣れない旋律(メロディー)にビビッときた(らしい)。それはひょっとしたら、“民族の魂”みたいなものだったのかもしれない。2016年、念願のミャンマ―へ。祭りや儀式に流れる、仏の国ならではの独特の旋律に肌が敏感に反応した。生来とも言える“文化人類学”的な嗅覚がそれを生み出した風土や歴史の探求に向かわせた。    太平洋戦争中、旧日本軍はタイとビルマ(現ミャンマー)とを結ぶ泰緬鉄道〈415km〉の突貫工事に着手した。旧連合国捕虜や現地のアジア人労働者など10万以上が犠牲になり、“死の鉄道”とも呼ばれた。昨年9月、タイ側のカンチャナブリから現場に足を運び、当時のビルマ戦線の悲惨な歴史の記憶を心に刻んだ。    映画「ビルマの竪琴」(竹山道雄原作・市川崑監督、1956年)は日本兵「水島上等兵」が復員後、僧侶に帰依(きえ)して亡き戦友の霊を弔うという筋書きである。水島上等兵が竪琴で「仰げば尊し」をつま弾くシーンが後半部分に出てくる。日本への帰国が決まった戦友とビルマの土になることを心に決めた水島上等兵との最期の別れの場面である。「今こそ別れめ、いざ、さらば…」―。「加害と被害の描写があいまいだ」という批判を承知しつつ、私はこのシーンに何度も涙をこらえることができなかった。    「僧侶が音楽演奏をすることが禁止されているので、この映画は今もミャンマ―では上映禁止になっています」と村上さんは話し、こう続けた。「でも、あの最後の場面にはやはり…」―。「サウンガウッ」と呼ばれる竪琴は千年以上の伝統を有する民族楽器で、映画に使われたのもこれである。「まだまだ、手が届きません。一日も早く、あの深い音色を自由に操りたい」と村上さん。と次の瞬間、背後の本棚からどぎついタイトルの本が目に飛び込んできた。    『宮沢賢治殺人事件』(1997年3月、太田出版)―。筆者のノンフィクション作家、吉田司さんとは旧知の仲だった。この1年前、賢治のふるさと「イーハトーブはなまき」は生誕100周年を祝うイベントで盛り上がっていた。ある時、彼から突然電話がかかってきた。    「このお祭り騒ぎにはホトホト、嫌気がさしてきた。おれは賢治の聖者伝説、つまり“神話崩し”をやろうと思う。ところで、あんたのふるさとは花巻だったよね。ただのぶった切りでは身も蓋(ふた)もない。あんたは等身大の賢治を描いて、合わせて一本勝負というのはどうかね」―。滑り込みのセーフ。賢治が“殺される”、わずか1か月前に上梓されたのが拙著『賢治の時代』(1997年2月、岩波書店)だった。    ギターの音が聞こえなくなった。副業にしている「ギター教室」が終わったようだった。ブログ用の写真撮影に応じた村上さんがポツリと言った。「僕はアイヌ民族の『ウポポ』(座り歌)にも興味があるんです」―。コロナ禍で最後の古書店が消えたのが開業の直接のきっかけだったが、約5000冊の本に囲まれた空間に身を置いているうちに違った肌合いを感じた。「時間と空間とが無限に交差する小宇宙」…これこそが古書店「港」ではないかと。そして「真の意味でのナラティブ(物語性)は古書や歌や踊りといった、混然一体とした空間から生まれるのではないか」とブツブツと独り言ちていた。             (写真はギターを手に“本談義”に興じる村上さん=花巻市大通り1丁目で)
    2026.03.26
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