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号外―「新花巻図書館」問題…まるごと市民会議の結成へ

  • 号外―「新花巻図書館」問題…まるごと市民会議の結成へ

 

 「おらが図書館を目指して」―。新花巻図書館のあり方をめぐって開かれた「としょかんワ-クショップ」(市主催の計7回)に参加した市民やその動きに関心を寄せる有志が中心になって、「新花巻図書館―まるごと市民会議」が近く結成される運びになった。呼びかけ人代表は市内在住の翻訳家、菊池賞(ほまれ)さん(55)で、ラテン語やドイツ語、イタリア語で書かれた18世紀以前の学術論文の翻訳が専門。

 

  その一冊がドイツ出身のイエズス会司祭、アタナシウス・キルヒャ-(1601―1680)の『普遍音樂』(1650年)。バッハやヘンデルら後代の作曲家たちに多大な影響を与えたが、その好奇心の対象は多岐にわたり、古代エジプトとその言語と象形文字、光学や磁気学をめぐる自然学、音楽、天上界と地上界、地質学、光と影、医学、暗号論、中国学など幅広い分野に及ぶという。『ハ-メルンの笛吹き男』の典拠とも言われる。菊池さんの訳書には他に、E・G・バロン著『リュ-ト 神々の楽器』、V・ガリレイ著『フロニモ』などがある。「図書館こそが知恵の源。みんなでアイディアを出し合いながら、未来に誇れる図書館をつくろう」と菊池さんは多くの市民の参加を呼びかけている。問い合わせは下記まで。

 

 

 

 

 

「新花巻図書館―まるごと市民会議」(結成趣意書)

 

 

 「図書館って、な~に」―。コロナ禍の今年、宮沢賢治のふるさと「イ-ハト-ブはなまき」では熱い“図書館”論議が交わされました。きっかけは1月末に突然、当局側から示された「住宅付き図書館」の駅前立地(新花巻図書館複合施設整備事業構想)という政策提言でした。多くの市民にとってはまさに寝耳に水、にわかにはそのイメ-ジさえ描くことができませんでした。

 

 やがて、議会内に「新花巻図書館整備特別委員会」が設置され、市民の間でもこの問題の重要性が認識されるようになりました。「行政に任せっぱなしだった私たちの側にも責任があるのではないか」という反省もそこにはありました。

 

 一方、当局側は「としょかんワ-クショップ」(WS)を企画し、計7回のWSには高校生から高齢者まで世代を超えた市民が集い、「夢の図書館」を語り合いました。「図書館こそが誰にでも開かれた空間ではないのか」という共通の認識がそこから生まれました。そして、その思いは「自分たちで自分たちの図書館を実現しようではないか」という大きな声に結集しました。

 

 そうした声を今後に生かそうと、WSに参加した有志らを中心に「おらが図書館」を目指した“まるごと市民会議”の結成を呼びかけることにしました。みんなでワイワイ、図書館を語り合おうではありませんか。多くの市民の皆さまの賛同を得ることができれば幸いです。     

 

                   

呼びかけ人代表  菊池 賞(ほまれ)

                                   

    《問い合わせ先》

 

携帯 090-6229-7738 E-mail mmikisanpe0309@yahoo.co.jp 

                              (牧野 幹)

 

携帯 090-5356-7968 E-mail ymasuko@rapid.ocn.ne.jp   

                              (増子 義久)

 

 

 

 

 

(写真はWSに参加した若者たち。世代を超えた自由な“図書館論議”の中から、「まるごと市民会議」が産声を上げた=10月11日、花巻市葛の市交流会館で)

 

緊急報告―「花巻城址」残酷物語その2…「鶴陰(かくいん)」精神

  • 緊急報告―「花巻城址」残酷物語その2…「鶴陰(かくいん)」精神

 

 「わが花巻において、安永から明治に至る間に文学・武技および書・画・和歌・俳諧の部門に於て名をなしたる者を合わせて祭る石碑である。…生年月日、卒年月日、年令の長短、血筋の詳細、職位等はすべて辞去した。そういうものが碑文にあっても何の役に立つものではない」(現代語訳)―。『易経』の一節「鶴鳴きて陰に在り。その子、之に和す」を引用して、「鶴陰(かくいん)碑」と名付けられたこの石碑には諸学、諸芸の人士194人の名前が刻まれ、市指定有形文化財に指定されている。

 

 盛岡藩の花巻郡代が置かれていた「花巻城」は明治維新によって払い下げられ、三の丸一帯は戦前まで「東公園」として開放されていた。園内には音楽堂も開設され、見事な桜並木が長いトンネルを作っていた。この地に鶴陰碑が建立されたのは明治17年。碑前で慰霊祭が営まれた時の模様について、地元紙はこう伝えている。

 

 「神前では剣道や槍、柔道の表と裏の技の形などを作法正しく披露し終わり、続いて風流家の歌、俳諧の催しがあり、午後三時頃から夜十時過ぎまで昼夜の催し物を尽くし、打上花火を上げました」

 

 「公園地内は7、8百の紅提灯を吊るし連ね、城跡の中腹下辺りには数百の灯籠を立て並べ、宿場内市中は各戸の軒に提灯を吊るし、大変に賑わいました。同日は特に好天だったため、近郷近在より老若男女の参詣が非常に多く、公園地内は人がぎっしりと詰まっており、かき氷屋は最も繁盛しました」(明治17年8月25日付「岩手新聞」)

 

 花巻出身で北海道帝国大学初代総長を務めた佐藤昌介(1856―1939年)が「花巻魂」と称賛し、その精神が宮沢賢治にも影響を与えたと言われる鶴陰碑はやがて、戦火の中での流浪を余儀なくされる。

 

 

 

(写真は2代目の鶴陰碑。初代は市博物館に移設・展示されている、=10月末、花巻市城内の武徳殿前で)

 

緊急報告―「花巻城址」残酷物語その1…城跡にパチンコ店!?

  • 緊急報告―「花巻城址」残酷物語その1…城跡にパチンコ店!?

 

 「旧花巻市の中心部の花巻城址(旧三の丸、のちの東公園)に位置し、眼下には北上川が流れ、はるかに胡四王山、早池峰山、姫神山、岩手山など山々がそびえ、閑静で眺望にすぐれ、かつ交通の便が良く市民のいこいの場として利用しやすい」―。東日本大震災が発生するわずか1カ月ほど前の2011(平成23)年2月、一通の陳情書が大石満雄市長(当時)宛てに提出された。元花巻城だった旧新興製作所跡地(旧社屋を含む)に子ども施設(仮称「こどもの城」)と中央図書館を併設する複合施設の建設を要望する内容だった。地元商店街や行政区長会、障がい者福祉施設の関係者など16団体が名前を連ねていた。

 

 大石市長は当初、この構想を前向きにとらえたが、立地の最適地と考えられていた東公園跡地(上部平坦地)を支える擁壁補強に莫大な費用が見込まれることが判明。立地場所を同じ市中心部に位置する旧県立厚生病院跡地に変更した。その後の市長選(平成26年1月)で、現職の上田東一市長が当選した結果、「立地適正化計画」(コンパクトシティ構想)に基づいた中心市街地活性化に方針を転換。その第1号として総合花巻病院が厚生病院跡地へ新築移転し、今年3月にオ-プンした。宙に浮いた格好になっていた「新興跡地」はその後、どういう経緯をたどったのか―

 

 「不特定多数の人々の市街地への誘導が可能となり、新興製作所や東高校などがあった、かつての人の流れを呼びもどし、活性化の一助になる」(陳情書)―。中心市街地の住民たちがこぞって期待したその一帯(「花巻城址」)はいま、“夢の跡”さながらの廃墟と化している。「なんで、街なかにガレキが放置されたままになっているのか」、「あそこがお城の跡だなんて信じられない」…。市当局が主催した「としょかんワ-クショップ」(計7回)で、私は過去の動きを説明しながら、「新花巻図書館」の建設候補地のひとつとして、この場所を提案した。しかし、とくに若い世代のほとんどが“廃墟のナゾ”を知らなかった。私は拙著『イ-ハト-ブ騒動記』(2016年)の中で「『城盗(と)り』攻防記」と題して、その経緯に触れた。この際、過去の記憶を呼びもどすための資料として、その部分を7回にわたって再録したい。

 

 

 

 

 「城跡にパチンコ店とホ-ムセンタ-の立地か。不動産業者が土地取得へ」―。激しかった市議選の余韻も冷めやらないクリスマスのその日、花巻市民はとんでもないプレゼントに腰を抜かした。

 

 2014(平成26)年12月25日、当局側は市中心部の工場敷地がそれまでの所有者から仙台市内の不動産業者へ売却される計画が進行していることを明らかにした。かつて、この一帯は花巻城址だった。その跡地にパチンコ店が進出するという情報に市民はパニック状態に陥った。

 

 「城跡にパチンコ店なんてとんでもない。第三者の手に渡る前に何とかして市側に所有権を移す手立てはないのか」「将来のまちづくりに禍根を残すようなことは絶対に避けるべきだ」「いったん市側で所有権を取得し、利用方法については市民とじっくり話し合ってからでも遅くはない」「イ-ハト-ブはなまきという将来都市像に傷がつく」「賢治のまちづくりはどこに行ってしまったのか」…
 

 「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)は当該土地を「公共用地」として、地方自治体などが取得を希望する場合、買取り希望通知があった日から3週間以内は他に譲渡できないと規定している。公共施設の整備などを優先さるための「土地の先買い制度」で当局側は当初、この跡地の旧社屋などを利用して、図書館や子ども関係の複合施設の立地を計画した経緯があった。

 

 土地所有者の株式会社「新興製作所」は平成19年、市内の工業団地へ移転。以来、工場建屋を残したまま放置されていた。「公拡法」に基づいて提出された「土地有償譲渡届出書」によると、売却面積は約3万5千平方㍍で、譲渡予定額は約7億7千万円。工場建屋の解体費用と相殺し、実際の売却額はわずか百万円に過ぎないことも明らかになった。

 

 地元住民は「市街地の健全な活性化の推進」を求める要望書を突きつけ、当局側は跡地の一部取得を申し入れた。その先買いの期限は年明けの1月26日に迫っていた。

 

 

 

 

(写真は秋晴れの下に無残な姿をさらけ出す花巻城址。高台部分が旧東公園。まさに青天の“霹靂(へきれき)城”=イカズチの神(雷)と呼ぶにふさわしい光景である=2020年10月末、花巻市御田屋町で)

 

 

忙中閑―コロナ神とBLMと大坂なおみと…

  • 忙中閑―コロナ神とBLMと大坂なおみと…

 

 「彼我(ひが)を差別しないというその“平等性”こそが、むごたらしい差別の実相を白日の下にさらした」―。トランプのジョ-カ-(道化師)ではないが、米大統領の「コロナ」感染は妄想の射程を無限に広げてくれたという意味では最近にない「ブラックジョ-ク」(風刺)ではなかったか。最初は劣勢が伝えられる大統領選の逆転劇をねらった大芝居―「仮病」ではないかと思ったほどである。そうではなかった。「コロナ神」(私はこのところ、尊称を込めてこう呼ぶことにしている)は実は、白人至上主義者であるトランプ大統領の下で差別を強いられてきた「ブラック」の蹶起(けっき)を促したのではないか…そんな気がするのである。

 

 「雇用や住宅、教育、健康などさまざまな面で、黒人をはじめとするマイノリティへの社会経済的不平等が新型コロナウイルスへの感染リスクや重症化リスクを高める要因となっている」―。米ブルッキングス研究所はコロナ感染による黒人の死亡率が白人の2倍以上にのぼっていることについて、こう分析している。コロナ禍のさ中の今年5月、ミネソタ州で黒人男性が白人警官に首を押さえられて死亡する事件が起きた。これをきっかけに人種差別や社会的格差に反対する「BLM」運動(ブラック・ライブズ・マタ-)が広がった。全米から全世界へ―とその伝播力はまるで同時多発的なコロナパンデミックの勢いを思わせた。

 

 「私はアスリ-トである前に、1人の黒人の女性です。私のテニスを見てもらうよりも、今は注目しなければならない大切な問題がある」―。テニスの全米オ-プンで、2年ぶりに優勝した大坂なおみ選手(22)はこんなメッセ-ジを掲げながら、頂点を極めた。決勝までの7試合全部に黒人被害者の名前を記したマスクを着けて登場した。14歳の時、黒人少年が白人自警団に銃殺された事件を経験した。「彼の死が目を開かせてくれた」と語っている。ハイチ出身の父と日本人の母を持つ彼女の生い立ちを聞いていると、「やっぱり、おじいちゃんの血が流れているんだな」と思ってしまう。

 

 北海道根室市に住む祖父の大阪鉄夫さん(75)は北方領土・歯舞群島(勇留島=ゆりとう)の出身で、日ロ間にまたがる“国境の海”を抱える根室漁協の組合長を20年以上にわたって務めている。だ捕の恐怖におびえながらの「密漁」やロシア側に情報を流して、密漁を見逃してもらう「レポ船」…。現役時代、この地を取材した私は領土問題(政治)の“人質”にされる国境漁民の苦悩を何度も聞かされた。大阪さんは昨年11月、孫娘のなおみさんを初めて、東端の納沙布岬に案内した。眼下に歯舞群島の島影がぼんやりと浮かんでいた。おじいちゃんは孫に対して、「国をまたいで生きる」ことの困難と勇気を教えたかったのではないか、ふとそんな気がした。

 

 「文化担う人々への抑圧も見よ」という見出しの記事で、北海道大学のアイヌ・先住民研究センタ-の北原次郎太(アイヌ名・ モコットゥナシ)准教授はこう述べている。「文化を知ることは、相手に歩み寄るための一つの手段だ。その文化や担い手を抑圧する構造を見なければ、単なる消費や収奪となる。『黒人文化だけでなく、黒人も愛してほしい』というBLM運動から発せられる言葉は、アイヌの状況にもそのまま重なっている」(10月10日付「朝日新聞」)―

 

 「黒人の命は大切」→「黒人の命も重要」→「黒人の命こそ大事」…。「Black Lives Matter」はその後、日進月歩の速さで進化し続けている。決勝後のインタビュ-での大坂さんの受け答えが印象深い。記者から「7回の試合で7枚のマスクを使いましたが、伝えたかったメッセ-ジは何ですか?」と聞かれ、「あなたが受け取ったメッセ-ジは何ですか?というのがより重要な質問です。社会が問題提起を始めることが意義であり、目標です」(総合スポ-ツ雑誌『Sports Graphic Number』9月14日号)と答えている。個々人が「自分事」として“思考”を続けることの大切さを、この未知なる脅威は私たちに伝えたかったのかもしれない。

 

 アイヌの世界では病気のことを「パヨカカムイ」(徘徊する神)と呼ぶ。病気をまき散らすのもこの神に課せられた役割なのだという。私は「ムダな抵抗」を戒めた謂(い)いだと勝手に解釈している。“疫病神”扱いされているこのウイルスに対し、「コロナ神」という尊称を献上したいと思う所以(ゆえん)である。ひょっとしたら、アニメ映画「鬼滅の刃」の”鬼”って、コロナ神みたいなものなのかも…。あぁ、妄想が止まらない。百聞は一見に如(し)かず―

 

 白人警官による黒人への殺傷事件が後を絶たない。根の深いこの問題に米国はどう向き合おうとしているのか。大統領選は2日後に迫った。

 

 

 

 

(写真は大きな反響を呼んだ大坂選手のマスク姿=インタ-ネット上に公開の写真から)

忙中閑―空気の日記…それがある日突然、なくなるということ!?

  • 忙中閑―空気の日記…それがある日突然、なくなるということ!?

 

 “アベノマスク”を揶揄(やゆ)していた自分がいつの間にか、その姿に違和を感じなくなっているという不可思議…。そういえば、詩歌の世界でも年中、通用する“季語”になったみたいで。そして、スポ-ツ界に目を転じれば、あの“なおみマスク”が…。そんな時に出会ったのが「空気の日記」―

 

 「空を見上げれば、すいすい元気に飛び交うアキアカネの群れ。おお、秋だ秋茜(あきあかね)だ。足元を見れば、道には色づいた落ち葉がチラホラ並びはじめている。去年の秋と今年の秋の違うところは――落ち葉のなかに、白いマスクが何枚か混ざっているところかな」―。詩人23人が輪番でつづるWEBサイト「空気の日記」の9月23日付の文章にこんな一節が…。「玄関先の古紙回収のトイレットペ-パ-が盗まれた」(4月1日付)という一文でスタ-トしたこの日記は、こんな具合に書き進む(以下、9月25日付朝日新聞「天声人語」から引用)

 

●禁制の集会に行くかのように/息をするのも恥じ入りながら/ス-パ-にこっそり出かけてく(4月12日)

●手を洗っても洗っても拭えない汚れがあり/蛇口から流れつづける今日という一日(5月6日)

●陰/陽/白/黒/必要/不要/緊急/不急/一輪の花でさえ/そんなふうにはほんとうは分けられない」(6月6日)

●STAYとかHOMEとかGO TOとか/わたしたち犬みたいだよね」(7月19日)

●マスクをする 呼吸をする/暑くてくらくらメマイがする/なぜかセカイがくるくる回る(8月6日=この日は75年目の広島原爆の日)

●布でつくられたマスクを手洗いする朝が/いつもの流れにまざって/この日常を/たやすく認めたら/わたしが壊れる(9月9日)

●わざわざ書くまでもないような/ささいなことを/ううん/わざわざ書いておかないと/あとあと喉元過ぎて忘れてしまうだろうから(9月10日=沖縄那覇在住の詩人)

 

 

 「空気の無くなる日」(1949年)―。ふいに、70年以上も前の映画のシ-ンが目の前によみがえった。子どもたちが5分間、呼吸を止める訓練をしたかと思えば、自転車のチュ-ブや氷袋に空気をためようとするなどてんやわんや大騒ぎ。彗星が接近する「その年の7月28日」に5分間だけ、「地球上から空気がなくなってしまうそうだ」というデマに踊らされるドタバタ劇である。1円20銭だった氷袋が何百倍にも高騰するというあたりは、コロナ禍でのマスクの買い占めを彷彿(ほうふつ)させるではないか。この2年前、当時の児童雑誌に掲載された同名の小説(岩倉政治著)の映画化で、私も恐るおそる見に行った記憶がある。ところで、冒頭に引用した詩はこう続く。

 

 「マスク暮らしも、板について。人気のないところでのマスク外すタイミングも心得た人々の、外し方もそれぞれ個性が出ていて、観察するとけっこう面白い。顎の下にずらしてタバコ吸ってる、顎マスク。片肌脱いだ遠山の金さんのように片方外した、片耳マスク。ゴム紐が伸びきってないとああはできないだろう頭の上の、あみだマスク。口だけ隠せばじゅうぶんだと思っているらしく堂々と、鼻出しマスク。人の気配を感知するとさっとポケットから現れる、忍びマスク。マスク景色も、十人といろだ」

 

 「ところ変われば、セリフも変わる――世界お国別、口説き文句の違いです。これは唸った。アメリカ人にマスクをさせるには、『ヒ-ロ-に、なれるよ』(アメコミだ)。イギリス人には、『紳士は、してるよ』(おとなだ)。ドイツ人は、『マスクは、ル-ルだよ』(まじめだ)。イタリア人は、『モテるよ』(さすがだ)。さて、日本人は?と固唾を飲んで待った。さて、なんだとおもう?なんだとおもう?なんだとおもい、そうかとおもった。そうかとおもい、やっぱりとおもった。そして、ちょっと悲しくなった。答えは『みんな、してるよ』(赤信号だ)」…

 

 あぁ、早くマスクを外して、すっきりしたい。でもやっぱり、新型コロナウイルスがおっかない。齢80歳にして、ふたたび「5分間呼吸停止術」に挑戦するとするか。でもたったの5分間、息を止めることができたとしても…。物理学に「イナ-シャ(慣性)の法則」というのがあるそうである。平たく言えば、周囲に慣れ親しむというような意味なのだろうか。ぐるりと見まわすと、私たちのまわりにはすでに「ニュ-ノ-マル」(新常態)という名の城壁が張りめぐらされている。「付けるも地獄、外すも地獄」―あぁ、“マスク地獄”よ!?

 

 10月19日付の日記にこんな一節があった。目の前にはもう、冬が駆け足で近づいている。

 

春、夏、秋、と
くりかえされる
カンセン、という
ひとつの音に
わたしはもう
驚かなくなっているのだろうか

ほんとうは少しも慣れていないことを
見せないことに
慣れただけなのだろうか

ひさしぶりに降りた駅
一瞬 マスクをはずして
風のつめたさを吸いこむ……

 

 

 

 

 

(写真は「空気の無くなる日」のひとこま。何となく滑稽かつ悲しげな光景である=インタ-ネット上に公開の写真から)