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「ニライカナイ」から「イーハトーブ」へ…震災14年と戦後80年~記憶の風化に抗いながら、この日に想うこと~「イーハトーブ“図書館戦争”」の渦中から!!??

  • 「ニライカナイ」から「イーハトーブ」へ…震災14年と戦後80年~記憶の風化に抗いながら、この日に想うこと~「イーハトーブ“図書館戦争”」の渦中から!!??

 

 「3・11」―。東日本大震災から、この日で丸14年を迎えた。あの日、壊滅的な津波被害を受けた岩手県大船渡市に今度は未曽有の山林火災が襲いかかった。消すことができない記憶として、あの大災厄の光景がまな裏に去来する。三陸沿岸の大槌町で、母親と妻、それに1人娘を津波にさらわれた照さん(白銀照男さん=享年73歳)は2022年12月に旅立った。10年以上たったその時点で、3人の行方は分かっていなかった。「もう待ちきれなくなって、照さんは自分の方から会いに行ったにちがいない」と私は無理やり、自分にそう言い聞かせた。

 

 震災14年を目前にした今月6日、福島第1原発事故をめぐって、業務上過失致死罪で強制起訴された上告審で、最高裁は「10メートルを超える津波を予測できたとは認められない」として上告を棄却し、旧経営陣の無罪が確定した。その一方で、北海道から沖縄まで県外に避難を余儀なくされている人は2月1日現在、2万7,615人に上っている(復興庁調べ)。「だれの責任も問われない」―この14年間とは一体、何だったのか。

 

 私はいま、沖縄・石垣島に滞在している。めっきり弱った足腰を少しでも鍛え直そうと、雪のない南の島につかの間の移住をしたというのが表向きの理由だが、実は狂奔(きょうほん)をきわめる「イーハトーブ“図書館戦争”」の戦場から一時、撤退したかったというのが本音だった。強権支配をほしいままにする敵陣のすぐかたわらに身を置いていては正直、心身の正常が保てないと思ったのである。そして、この老残の身も震災14年目のこの日、85歳の生を享受する幸運に恵まれた。

 

 私が寄宿するマンスリーマンションのすぐ目の前には真っ青なサンゴ礁の海が広がっている。時折、満艦飾のクルーズ船が行き来する。台湾や上海、香港だけでなく、オーストラリアなどから多い時には4,500人もの観光客を一度に運んでくる。滞在約2か月後の2月26日、その穏やかな海に突然、巨大な艦艇が姿を現した。米海軍のドッグ型輸送揚陸艦「サンディエゴ」(2万5千トン)と海上自衛隊の訓練支援艦「くろべ」(2,200トン)。この島への入港は初めてだった。自室からもその船影をはっきり、目撃することができた。

 

 「ニライカナイ」―。沖縄の人々は古来から「海の彼方に楽土がある」と信じ、その理想郷をこう呼んできた。その地ではいま、台湾や朝鮮半島の“有事”に備えるという名目で、軍事要塞化が急ピッチで進められている。与那国島から奄美大島に至る、いわゆる「南西シフト」である。2年前にはこの島にも陸上自衛隊石垣島駐屯地が開設された。地対艦と地対空のミサイル部隊が配備され、約560人の自衛隊員が駐屯している。そんな中、今年は戦後80年という節目の年を迎えた。

 

 県民の4人に1人が犠牲になった「沖縄戦」の激戦地では連日のように「戦禍の記憶」を後世に伝え残そうというイベントが続けられている。その一方で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題では政府の強硬姿勢はますます、むき出しになってきた。米軍基地の7割が集中する沖縄本島…ジュゴンが生息する辺野古の海では連日、軟弱地盤を改良するための土砂の投入が強行されている。その土砂の中には沖縄戦の戦火に倒れた遺骨も含まれている。「二度、殺すのか」という呪詛(じゅそ)のようなうめきが虚空をさ迷っているような気配を感じる。

 

 「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設(新基地建設)を直ちに中止し、『世界一危険』だと言われる同飛行場(普天間基地)の今後の運用の在り方について、沖縄県を除く県内外への移転が可能かどうか―国民的な議論を盛り上げることにより、民主主義と憲法に基づいて公正に解決することを求める」―。私は2019(令和元)年の花巻市議会6月定例会にこんな内容の陳情書を提出した。結果は全会一致で不採択となったが、頭の片隅には「世界平和」を願う宮沢賢治のメッセージがあった。「対岸の火事」として、ソッポを向いて良いのかという自責の念も少しはあったのかもしれない。

 

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)―。賢治が理想郷と呼んだ、その足下で続けられてきたもうひとつの戦争―「イーハトーブ“図書館戦争”」はいま、大詰めを迎えつつある。「駅前か病院跡地か」という“立地”論争について、上田東一市長は今月6日、JR花巻駅前に新図書館を建設するという最終決定を公表した。これに先立つ議会の質疑ではこう言ってのけた。「病院跡地への立地を求める署名を精査した結果、重複や同一筆跡、県外や市外からもかなりあり、自筆での署名は半分の6,000筆程度と聞いている」

 

 市側が「多くの市民」という対話型「市民会議」の実態はどうであったか。意見集約をするためのこの会議は無作為抽出した3,500人の中から「参加を希望する」75人で構成されたはずだった。ところが、4回の会議の参加者は毎回75人を大幅に下回り、6人が一度も出席しなかったという驚くべき事実が明らかになった。さらに、個々人の意見をヒアリングシートに記述する最終回(2月15日)は何と22人も少ない53人の参加に止まった。果たして、これで「民意」が反映されたと言えるのか。市民会議のこの数字の“有意性”については結局、ひと言も触れることはなかった。「異論排除」の上田流がここでも見事に発揮されているとしか言いようがない。

 

 病院跡地への立地署名について、上田市長は「精査の結果を確認したわけでない」と言いつつも、あたかも”捏造”(ねつぞう)をほのめかすような発言を、しかも議会議場で口にした。市外在住者の署名は無効だとする物言いは余りにも次元が低すぎて、開いた口がふさがらないが、とりあえずこう反論しておこう。「図書館こそが万人に開かれた文化空間ではないか」―と。街頭署名に欠かさず参加した私は文字が苦手な高齢の親に代わって、息子さんや娘さんが署名する姿を何度も見た。この人にかかってはこれが「同一筆跡」ということになるらしい。一方では「ピンポ~ン」作戦で一軒一軒を訪ね、1人で524筆を集めた女性もいた。さらには「お母さんが駅前でも私は病院跡地よ」と目の前で図書館論争が繰り広げられるというひとこまも。これこそが真の意味での「草の根」の意見集約ではないのか。

 

 南の「ニライカナイ」と北の「イーハトーブ」…この二つの理想郷に共通するのは草の根の「民意」を鼻先で笑い飛ばすかのような権力の”横暴”である。いや、”暴力”と言った方が当たっているような気がする。かと思えば、海の向こうでは米国のトランプ大統領が「(パレスチナ自治区の)ガザを領有する」などという狂気の沙汰を叫んでいる。「新しい帝国主義」の到来なのか。暗い時代の幕開けへの予感…「ファシズム」の亡霊が周囲に漂い始めている。

 

 「3・11」と「戦後80年」、そして「齢(よわい)85歳」…。目まぐるしい時空の変転に翻弄(ほんろう)されているうちにふと、著名な歴史家、アーノルド・トインビーの「民族滅亡」の3条件が頭をよぎった。元々は花巻城の一角に位置していた「旧新興製作所」跡地が上田”失政”のあおりを受けて、瓦礫(がれき)の荒野と化して久しい。ひよっとしたら、目の前に広がるこの無惨な風景と、旅先の沖縄で突きつけられた「戦後80年」の重い現実、そして大震災と生年が重なるというある種の”めぐり合わせ”がトインビーを想起させるきっかけになったのかもしれない。

 

 

1.自国の歴史を忘れた民族は滅びる。
 

2.すべての価値を物やお金に置き換え、心の価値を見失った民族は滅びる。
 

3.理想を失った民族は滅びる。

 

 

 午後2時46分―。遠く離れたサンゴ礁の海にも弔いのサイレンが、潮風に乗って渡っていった。凪(なぎ)の海は不気味なほど、穏やかだった。

 

 

 

(写真は民意を無視して、埋め立て工事が強行される辺野古の海=インターネット上に公開の写真から)

 

 

《追記ー1》~議会特別委の設置を採択

 

 

 花巻市議会議会運営委員会(佐藤峰樹委員長ら8人で構成)は11日、「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」(瀧成子代表)から出されていた「新花巻図書館整備特別委員会等の設置を求める」―陳情に関する審査を行い、委員長を除く4人(はなまき市民クラブ2人と緑の風、共産党花巻市議団)が賛成、3人(明和会2人、社民クラブ)が反対し、採択された。議会内に設置されていた「整備特別委」は令和2年末に解散されたが、その後の立地場所の選定過程で不透明な部分が浮上したため、再設置を求めていた。市議会最終日の今月19日に全体の賛否が問われる。

 

 

 

《追記ー2》~上田”強権”支配の正体、ここに!!??

 

 

 3月15日付の「広報はなまき」に新図書館の建設が駅前に決定したことを告知する特集が掲載された。市議会3月定例会の会期は今月19日まで。予算委員会での関連質疑や議会側に特別委員会の設置を求める陳情審査の結果を待たないままの“強行”突破。この日を二元代表制の「崩壊記念日」として、記憶に留めよう。当ブログで触れた「ファシズム」は世界を差し置いて、賢治の理想郷「イーハトーブ」の地でいち早く、達成された。そう、上田「独裁」体制が―。詳しくは以下から

 

広報はなまき 令和7年3月15日号を発行しました暮らし・行政

 

 

 

《追記―3》~「僕の後ろに道は出来る」

 

 

 迷走劇を繰り返してきた新花巻図書館問題が14日開催の市議会3月定例会の予算特別委員会で一応の終止符を打った。駅前立地に前のめりになる市側の応答を議会中継で見ながら、ふと詩人で彫刻家、高村光太郎の詩「道程」が口の端に浮かんだ。杖をつき、車いすに身をゆだねながら、酷暑と厳寒の街頭署名に立ち続けた人たちこそが、未来への道を切り開いた“勝者”ではなかったのかと…


僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

 

 

議会側へ「駅前立地」を正式に表明…新花巻図書館、10年越しの”悪夢”の決着へ~決定過程に不透明感!!??

  • 議会側へ「駅前立地」を正式に表明…新花巻図書館、10年越しの”悪夢”の決着へ~決定過程に不透明感!!??

 

 「多くの市民に利用され、市全体の活性化にも寄与することが期待される『花巻駅前』を新花巻図書館の建設候補地として選択し、新花巻図書館整備基本計画を策定したい」―。市側は6日開催した議員説明会で、新図書館の「駅前立地」を正式に表明した。10年以上に及んだ迷走劇にとりあえずの終止符が打たれることにはなるが、旧花巻病院跡地への立地を求める署名が1万筆を超えるなど市民を二分する中での”強行突破“は後々まで大きなしこりを残すだけではなく、上田(東一)市政の強権体質への不信感を増大させるのは必至である。

 

 対話型「市民会議」(全4回)の意見集約について、市側はこの日「アクセス」や「活性化」「安全性」「周辺環境」「駐車場」の主要な五つの選択肢のうち、駐車場を除いた四つの選択肢で駅前が評価されたとした。また、評価の内容については「駅前はバスや電車などの公共交通機関が整っており、行きやすい」、「新しい図書館ができることで駅前が活性化し、花巻の印象が良くなる」、「高齢者や学生にも利用しやすい場所が駅前である」、「観光客や花巻市民が利用しやすく、町の発展につながる」、「駅前は交番に近く、明るく夜も安心」―などを挙げている。

 

 市側によると、「市民会議」は無作為抽出した市民3,500人の中から「参加したい」と手を挙げた75人で構成された。ところが、出席者は65人(第1回)、64人(第2回)、57人(第3回)、53人(第4回)と回を追うごとに減り、出席ゼロは6人にも上った。各回ごとの出席者を全人口比(89,656人=令和6年12月末現在)で比較すると、その比率がいずれも1%にも満たないのに対し、病院跡地への立地を求める署名数(10,269人)は11・5%に上っている。さらに、世代別の構成も「若年層」(20代~30代)が35人、中高年層(40代~60代)が34人に対し、図書館の利用率が一番高い高齢者(70歳以上)はわずか6人と偏重が際立った。つまり、百年の計とも言われる図書館建設の場所がほとんど、統計学上の民意を反映したとは言えない形で決められたと言わざるを得ない。

 

 さらに例えば、「アクセス」について「明らかに駅前が良い」と答えた人が42人いた一方で、9人が「どちらでも良い」とし、「活性化」については前者が27人、後者が12人を数えるなど、この小集団の中には2択の選択をしなかった人もかなり、含まれていることが分かった。まるで、数字の“詐術”…今回の「駅前立地」という決定過程は将来へ大きな禍根を残したのではないかという不安をぬぐえない。今後、建設に至る道のりには多くの紆余曲折も予想され、予断は許されないままの強引な“見切り”発車となった。

 

 「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」の瀧成子代表は今回の決定について、こう話している。「まちのシンボルでもある文化の殿堂を作ろうとしている時、どちらでも良いなどという選択はあり得ない。また、アクセスや活性化などを尺度にするのも本末転倒。人が集まる場所へ図書館を作るのではなく、人を呼び寄せるのが図書館だと私たちは思っている。そもそも、図書館の捉えた方が違う。諦めるわけにはいかない。賢治の里にふさわしい図書館づくりを目指して、運動を続けたい」ー。「何かの終わりの始まりなのかもしれない」という思いがふいに、頭をよぎった。詳しくは以下のアドレスから。

 

 

 

 

 

 

 

(写真は橋上化と図書館建設によって、東北駅100選にも選ばれた駅周辺は一変することが懸念される。手前のポールが賢治童話「風の又三郎」をイメージした「風の鳴る林」。奥が図書館の建設場所とされるスポーツ用品店=花巻市大通りのJR花巻駅前で)

 

 

 

 

《追記ー1》~世論調査従事者を名乗る方から「バイアスあるいは偏りばかりの意見集計」という専門的な見地からの以下のようなコメントが寄せられた。


 

1.無作為抽出された3,500人から参加の意思を示した75名を市民会議メンバーに選定した段階で、「サンプリングバイアス」と呼ばれる偏りが生じている。ゆえにそもそもこの75名の意見は市民を代表する意見とはなりえない。
 

2.ヒアリングシートを見ると、「回答バイアス」と呼ばれる質問項目の偏りが見られる。例えば「活性化」のような花巻駅前が有利だと一般に考えられる質問項目を先に掲げることでその後の質問項目についても同じような回答をする傾向があり、「回答バイアス」の中の「順序バイアス」と呼ばれている。数値的に見て総合花巻病院跡地の建設費用が安いことが示されているものを最後に持ってくるのも同様の「順序バイアス」である。
 

3.「どちらでもよい」というような回答は中立的尺度と呼ばれているもので、通常は「どちらともいえない」という表現が普通だが、この中立的尺度を入れると回答がこの尺度に集中する傾向が生じ、分析自体を甘いものにしてしまう恐れがある。
 

4.そもそもこの市民会議は意見の集約を図ることが目的と考えていたが、上述のような様々な偏りによって仕掛けられた小集団の意見を「集計」したものに過ぎず、意見を「集約」したとは言えない。

 

5.このように杜撰な、または、ある意味意図的に行われた可能性のあるミスリーディングな意見集約なるものによって、図書館という市民最高の文化施設(活性化施設ではない)が建設されようとしているのを目の当たりにし、市の意思決定過程に第三者的に、かのアカデミックを扮する御仁が関わっているのを見るにつけ、絶望的な思いを禁じ得ない。

 

 

 

 

《追記ー2》~市政堂を名乗る方から「まじヤバ花巻」と題するコメントが寄せられた。これが本当なら当市はかなり重症だと思わざるを得ない。

 

 

 市民会議とやらが、図書館建設場所の決定打になったようであるが、この市民会議3,500人から選ばれた75人。しかも、参加希望者…らしいが、この会議に出てくれないか?と誰からかはわからないがオファーがあったという人がいた。しかも、4回の会議に一度も参加しない、参加希望者ってアリなのか?それも6人もいたらしい。ますます怪しい花巻市政。

 

 

 

《追記―3》~「Darkness」を名乗る方から「闇は深い」という内容の以下のようなメールが寄せられた。市側の「駅前立地」の決定は市民サイドにも大きな波紋を呼び起こしつつあるようだ。

 

 

 花巻駅周辺はこれから大きく変わるのだろうが、本当に市民が望んだ事業なのか?橋上化では、西口住民の悲願と言っていたが、ヤラセ要望書には、市議会議員も絡んでいたらしい。今回の図書館では、1,000万円もかけての市民会議らしいが、疑惑だらけ。市民の血税でやりたい放題?詐欺まがいのやり方、ガサ入れが必要では?

 

 

 

《追記―4》~税務申告者を名乗る方から「図書カード」について、以下のコメントが寄せられた。最初は「何のことか」と思ったが、なかなか根が深い問題だと納得しました。図書館問題は意外にすそ野が広いなと…

 

 

 何気に今日の市議会のやり取りを聞いていましたが、新花巻図書館市民会議の出席者には図書カードで報酬が支払われたと聞いたように思います。今はちょうど税金の申告シーズンなので調べてみましたが、現金か図書カードのような金券でも源泉徴収義務があることが書かれています。コンプライアンス重視の花巻市なので、その辺りの事務はきちんとなされているとは思いますが、あえて注意喚起でコメントしました。なお、図書カードを受け取った方々は少なくとも市・県民税の申告はしなくてはいけないようですね。

 

 

 

《追記ー5》~コンサルが素早い反応

 

 

 「花巻新図書館/建設候補地は花巻駅前/今春にも基本計画案」―。業界紙「建設通信新聞」(3月10日付電子版)の記事を引用する形で、建設候補地に関する「比較調査」事業を受託した大日本ダイヤコンサルタント(本社東京)がいち早く、そのことをX(旧ツイッター)で告知した。なお、同コンサルタントはJR各社の鉄道事業などを請け負う独立行政法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」(JR鉄道・運輸機構)の有資格業者の名簿に登載されている。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

新花巻図書館の立地問題…市側は「駅前」で強行突破の構え~「イーハトーブ」、無惨!!??

  • 新花巻図書館の立地問題…市側は「駅前」で強行突破の構え~「イーハトーブ」、無惨!!??


 

 「駅前周辺の方々から、図書館建設についての考えをお聞きしました。私が聞いた限りでは駅前図書館には反対だという声が多かったので、ハッキリ言って驚きました」―。花巻市議会3月定例会の一般質問で5日、羽山るみ子議員(はなまき市民クラブ)は市側が立地場所の第1候補に挙げている花巻駅前の住民の中には「駅前」立地に反対の態度を持っている人が多いという「声なき声」の実態を明らかにした。「駅橋上化の際は西口住民の意向を最大限に尊重すると言っていたが、東口住民に対しては説明会さえもしていない。肝心の足元の住民をないがしろにするものではないか。駐車場の拡幅のため、市道が一方的に廃止することについも事前の説明はなかったという声もあった」と鋭く迫った。

 

 これに対し、菅野圭生涯学習部長は「具体的な問題で、説明の必要が生じた場合は話し合うのはやぶさかではない」と答える一方で、意見集約のために設置された対話型「市民会議」(計4回)の結果を踏まえたうえで、「今議会中(会期3月19日まで)に最終の立地場所について、議会に報告したい」とした。新図書館にかかわる「新花巻図書館整備基本計画試案検討会議」(3月11日開催)や「市図書館協議会」(同18日開催)、「市社会教育委員会議」(同19日開催)など大詰めの会議が目白押しの中で、駅前住民の意向を聴き、それをどう反映させようというのか。その場しのぎの言い逃れではないのか。菅野部長の詭弁ぶりはすでに実証ずみだったはずだが…(3日付当ブログ参照)

 

 「レインボ―計画」―。いまから36年前の平成元年、国土交通省(当時、建設省)が主導した花巻駅前の再開発計画(土地区画整理事業)がスタートした。6か年の年月をかけ、10・7ヘクタールの敷地に宮沢賢治をモチーフにしたモニュメントや多目的広場、ショッピングプロムナードなどを整備し、花巻の「顔」としての賑わい創出が約束されたはずだった。しかし、その夢の青写真は人口減に伴う駅利用者の激減などで果されないまま、現在に至っている。

 

 そんな時に浮上したのが、駅橋上化と新図書館の二大プロジェクトだった。「花巻の未来のために」と当時、土地を安価で提供した住民のひとりはぶぜんとした表情で吐き捨てた。「潤ったのはほんの一部の人たち。そして今度は橋上化によって、賢治のイメージさえも消されようとしている。当時の無念さがトラウマみたいに残っている」。この住民が怒りを抑えきれないといった表情で続けた。「これに追い打ちをかけたのが、例の住宅付き図書館の駅前立地だった。寝耳に水どころか、新聞で初めて知った。もう、だまされたくはない」―

 

 「図書館は誰のために、何のために作るのか…」―。羽山議員が質問を終えようとした時、上田東一市長がさえぎるようにして、手を挙げた。「そこなんですよ。誰のために?そりゃ、市民のために作るんですよ」。私は鼻白む思いで議会中継の画面を見つめていた。「高齢者のためだけの図書館で良いのか。それなら今の図書館で十分。若い人は圧倒的に駅前を希望している」(2022年12月議会)―。こう宣(のたま)わったのは一体、誰だったのか。あなたではなかったか。

 

 “若者待望論”を振りかざしながら、一方で高齢者を分断し、あまつさえ今度は足元の住民の心を踏みにじる形で、新図書館は不幸な出自を迎えようとしている。上田市長は直近の記者会見でこうも述べている。「新しい図書館については、まだこれからです。基本計画が最終的に決まって、その上で基本設計に入っていくということになりますから、今の私の任期の中で実施設計あるいは建設工事まで入るとか、そういうところまではいけないと思います」(2月19日付)。あとは野となれ、山となれ…。上田失政の第1号「新興跡地」(花巻城址)の荒れ野がまな裏に浮かんだ。賢治が”夢の国”と呼んだ「イーハトーブ」の、これがいまの無惨な姿である。

 

 

 

 

(写真は意見集約の不公平性を追及する羽山議員=3月5日午前、花巻市議会議場で、インターネット中継の画面から)

 

「駅前」抜きの“駅前図書館”論争…迷走どころか、脱線寸前~大詰めの攻防戦!!??

  • 「駅前」抜きの“駅前図書館”論争…迷走どころか、脱線寸前~大詰めの攻防戦!!??

 

 「市側は新図書館の建設候補地について、一貫して『駅前立地』を主張してきたが、肝心の足元の地元住民の動向がさっぱり、伝わってこない。これまでの経過をどう説明してきたのか」―。花巻市議会3月定例会の一般質問初日の3日、本舘憲一議員(はなまき市民クラブ)はこう切り込んだ。しばらく間をおいた末、菅野圭生涯学習部長はシドロモドロに「とくに駅前に特定した説明会などは実施していない」と答弁。これを引き取る形で、上田東一市長が「市民全体を対象にした説明会が複数回開かれており、駅前の住民もその場で発言する機会はあったはずだ」と苦しい答弁に終始した。

 

 この日の質疑応答ではあの「住宅付き図書館」の駅前立地構想(いわゆる“上田私案”)がまるで亡霊のように姿を現した。本舘議員は行政開示文書で明らかになったイメージ図を掲げ、こう迫った。「駅橋上化(東西自由通路)と図書館とは実はワンセットの事業ではなかったのか。図書館の駅前立地は市の建設部と図書館を担当する生涯学習部、JR東日本の三者で合意された既定路線ではなかったのか」―

 

 上田市長は当初、このワンセット論に対し「断じて、そんなことはない」と強弁したが、その直後今度は「令和2年の段階まではある意味で、ワンセットだったと言える。しかしその後、二つの事業が単独でも国の補助を受けられるようになり、別々の事業として位置付けることになった。現に橋上化はいま、実施設計の段階にある」と前言を翻(ひるがえ)す答弁を繰り返した。

 

 「令和2年」―。この年こそが「新花巻図書館」迷走劇の始まりだった。2020(令和2)年1月29日、“上田私案”が市民や議会の頭越しに天から舞い降りてきた。上田市長はこうした過去の経緯を踏まえたうえで、こんな謎めいた発言を口にした。「仮に立地場所が病院跡地になった場合、JR側から約束違反ではないかと責任を問われる可能性はある。しかし、市としては責任の取りようがない。われわれ行政はそれほど愚かではない」―。私はこの発言の背後にある種のレトリックを嗅ぎ取っていた。「(JRとの)約束を反故(ほご)にするわけがない」ーという意味での”詭弁”(きべん)を…

 

 2番手の伊藤盛幸議員(緑の風)は建設場所の意見集約をするための対話型「市民会議」のあり方について、こうただした。「無作為抽出した3,500人の中から参加希望のあった75人で構成したということだが、4回の会議に一度も出席しなかった人はいたのか。また10項目の設問のうち、8項目については駅前立地の選択が多かったと報告された。こうした手法は多数決の原理につながり、民意がきちんと反映されているかどうか疑問だ」―

 

 これに対し、菅野部長は「色々な事情で6人が全4回とも欠席した。設問は多方面にわたっており、単なる多数決とは違うと思う」と答えた。伊藤議員が激した調子で口にした。「(「住宅付き図書館」の駅前立地という)市民や議会不在の前例があるから、念にな念を入れて聞いている」―。またぞろ亡霊がむっくり、目を覚ましたようだった。

 

 本舘議員の質問が終わり、次の伊藤議員が登壇した際、菅野部長が「(本舘議員の質問に)補足説明をしたい」と言って、手を挙げた。「駅前の住民を対象とした説明会を実施していないのはまだ、立地場所が最終的に決まっていない段階なので、その必要はないと判断した。病院跡地周辺の住民に対しても同じだ」―。冗談を言ってもらっては困る。場所も建物の説明も一切ないないまま、図書館の「駅前」立地を強行しようとしたのは他ならない上田市長その人ではなかったのか。

 

 その場を取り繕(つくろ)おうとすればするほど「語る」に落ちたり、「藪(やぶ)」をつついて、蛇が飛び出したりと…この日の攻防戦の行司軍配は議員側に挙がったように見えた。一方、上田市長は1万筆を超える病院跡地への立地署名について、「精査した結果、自筆サインをしたのは約6,000人と聞いている」とその数に疑義を呈した。こっちは「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む」という諺(ことわざ)がピッタリか。さ~て、「パンドラの箱」を開けた、その先に待ち受けるものは…。この日、傍聴席には40人以上の市民が詰めかけ、質疑の成り行きを見守った。

 

 

 

 

(写真は「ワンセット」のイメージ図を掲げて、質問する本舘議員=花巻市議会議場で。インターネット中継の画面から)

 

 

 

 

 

《追記ー1》~ブログ読者を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた

 

ブログ記事から素直に読み取れること

 

1.いわゆる「ワンセット論」についてはこれまでの答弁を覆した。補助事業云々の理屈は、市の組織内部のローカルな話。

  

2.新図書館花巻駅前立地で利益を受けるはずの地域住民よりも花巻駅の持ち主であるJR東日本の利益を重視していたらしいこと。駅前市民の意見聴取はなく、JR東日本と何度も議論や交渉を重ねていたこと。

  

3.無作為抽出された3,500人の意見を聞いたならば、統計学的な意味は十分にあったはずだが、75人だかそれ以下の出席者の意見では、その極めて小集団の意見でしかなく、花巻市民の代表的な意見とはなり得ないこと。

 

 

 

《追記―2》~愚かな市民を名乗る方から「約束違反」という以下のようなコメントが寄せられた


 今市議会での市長発言、「仮に立地場所が病院跡地になった場合、JR側から約束違反ではないかと責任を問われる可能性はある。しかし、市としては責任の取りようがない。われわれ行政はそれほど愚かではない。」って図書館立地場所について、事前に何か約束が花巻市とJR東日本で結ばれていたってことでしょうか?「われわれ行政はそれほど愚かではない。」と市長は断言していますが、10年以上この課題を解決できない行政は愚かではない、ということでよろしいでしょうか?

 

  

新花巻図書館の立地問題の決着に向けて…市議会3月定例会が開会~市民会議の発言時間はたったの2分間!!??

  • 新花巻図書館の立地問題の決着に向けて…市議会3月定例会が開会~市民会議の発言時間はたったの2分間!!??

 

 「市民会議には、42名の方が4回すべてに参加していただいたほか、19名の方が3回、6名の方が2回と多くの市民の方にご参加をいただいております。ご参加いただいた市民の皆さんには、新花巻図書館の建設候補地について真摯に話合いをしていただき大変感謝しております。市といたしましては、市民の皆さんの対話による市民会議で出された意見を非常に重く受け止めて、建設候補地を定めるための判断材料として尊重して参りたいと考えております」―

 

 新花巻図書館の立地問題や総合花巻病院の再建問題などの重要案件を審議する花巻市議会3月定例会が26日に開会。上田東一市長は新図書館の立地問題への早期解決へ向けた決意を冒頭のように述べた。それにしても…。この数字をもって「多くの市民」と言ってのける心性には驚き入るばかりである(22日付当ブログの追記参照)。今回、意見集約をするための対話型「市民会議」に欠かさず参加したある市民はこう語っている。「真摯な話し合い」というその中身は…

 

 「ディベートではなく、対話によるという話し合いのルールが毎回、強調された。相手を説得したり、納得させたりせずに共通理解を図るというもの。発言時間は1人2分以内(4回目は3分)とされ、グループ内の雰囲気や時間を気にしながら、自分の言いたいことを選び、まとめるのは大変なことだった。言いたいことが十分言えないモヤモヤを感じて終わった。市民とともに作り上げた結論であるという大義名分が必要なのだろうか。建設地を決定できない市が最後の頼みの綱にしたのが対話型の話し合いという市民の声だったとさえ思われた」

 

 その一方では…「581億7,862万円」―。令和7年度当初予算案として、前年比5・5%増の過去最高額が計上された。任期の最後になる予算計上だけにその執行に期待が寄せられているが、果たして…。これといった“サプライズ”も見当たらない内容に辛口筋からは「カロリーメイト型オワコン」予算とのネーミングも。和訳すると「賞味期限が切れた総花」予算ということになるかも。納得。

 

 今議会には「新花巻図書館整備特別委員会等の設置を求める」―陳情が提出され、議会運営委員会に付託された。提出者の「花巻病院跡地に新図書館をつくる署名実行委員会」(瀧成子代表)は「立地問題が大詰めを迎える中、(令和2年末に解散した)議会側の特別委員会を再設置してほしい」としている。一般質問は3月3日から4日間で、会期は3月19日までの22日間。図書館と病院関連の質問者は以下の通り(敬称略)。

 

 

 

<図書館関連>
 

・本舘憲一(はなまき市民クラブ)、伊藤盛幸(緑の風)、羽山るみ子(はなまき市民クラブ)
 

<病院関連>
 

・鹿討康弘(緑の風)、阿部一男(社民クラブ)、羽山るみ子(はなまき市民クラブ)

 

 

 

 

 

 

(写真は任期最後となる市長演述(施政方針)を述べる上田市長=26日午前、花巻市議会議場で、インターネット中継の画像から)