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パブコメ“春闘”、ゼロ回答…この程度のレベルの人間に図書館問題を委ねていたとは、あぁ無情!!!???

  • パブコメ“春闘”、ゼロ回答…この程度のレベルの人間に図書館問題を委ねていたとは、あぁ無情!!!???

 

 新花巻図書館整備基本計画(案)に対するパブリックコメント(意見公募)の実施結果が5月18日付のHP上に公開された。公募期間は4月1日から同30日までで、応募総数は86人(133件)。私は7件について応募したが、とりわけ花巻という風土性を重視した「図書館像」―「宮沢賢治コーナーの充実と「まちづくり」について」(4月1日提出)の実施結果を検証する。ほとんどが基本計画(案)の中にすでに取り入れられているという回答になっているが、まずパプコメの全文を再掲し、それを受けた形で市側の対応を掲載する。

 

 

<パブコメ全文>

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(『春と修羅』序)―。賢治は自らを“現象”と位置づけているから、言ってみれば永遠に不滅の存在である。そんな賢治の全体像を具現する空間としての「宮沢賢治コーナー」をぜひ、設置してほしい。それを実践するためのいわば“処方箋”を以下に素描する。賢治関連本や資料などを蒐集し、単に閲覧に供するだけではいかにも浅慮と言わざるを得ない。このコーナーを図書館の内分館と見立て「IHATOV・LIBRARY」と命名することも合わせて要望する。ある意味、新花巻図書館の誕生は「イーハトーブ・ルネサンス」(文明開化)の幕開けといった趣(おもむき)も兼ね備えていると思うからである。

 

 

●「賢治の森」コ―ナ―の設置

 

 賢治を「師」と仰いだ人材はキラ星のように存在する。例えば、原子物理学者の故高木仁三郎さんが反原発運動の拠点である「原子力資料情報室」を立ち上げたのは賢治の「羅須地人協会」の精神に学んだのがきっかけだった。また、アフガニスタンでテロの銃弾に倒れた医師の中村哲さんの愛読書は『セロ弾きのゴーシュ』で、絶筆となった自著のタイトルはずばり『わたしは「セロ弾きのゴ-シュ」』だった。さらには、シンガーソングライターの宇多田ヒカルのヒット曲「テイク5」は『銀河鉄道の夜』をイメ-ジした曲として知られる。
 

 一方、戦後最大の思想家と言われた故吉本隆明さんに至っては「雨ニモマケズ」を天井に張り付けて暗唱していたというから、「賢治」という存在がまるで“エイリアン”のようにさえ思えてくる。吉本さんを含めた宮澤賢治賞とイーハトーブ賞(いずれも奨励賞を含む)の受賞者はこれまでに144の個人・団体に上っている。こうしたほとばしるような“人脈図”がひと目で分かるようなコ―ナ―を設置し、賢治という巨木がどのように枝分かれしていったのか。なぜ、賢治がその人たちの人生の分岐点に立ち現れたのか―その全体像を森に見立てて「見える化」する。さらに、定期的に受賞者を招き「私と賢治」をテーマにした講演会を開催する。

 

 

●「図書館」を軸としたまちづくり

 

 「図書館は屋根のある公園である」―。「みんなの森/ぎふメディアコスモス」の総合プロデューサーを務めた吉成信夫さんはこんなキャッチフレーズを掲げながら、こう述べている。「図書館というのは、今までのように閉鎖形で全部そこの中で完結しているというふうに考えるのではなくて、むしろ図書館の考え方が街の中に染み出していく。そして、街づくりというか、街の考えが図書館の中にも染み込んでくる、その両方が浸透しあうような造り方というのが、たぶん、これからいろいろな形で出てくるだろうと思っています」(開館1年後の記念講演)
 

 メデイアコスモスの中核施設である岐阜市立図書館館長を2015年の開館から5年間、務めた吉成さんは青壮年期に「石と賢治のミュージアム」や「森と風のがっこう」、「いわて子どもの森」(県立児童館)など岩手の地で賢治を“実践”した貴重な経験を持っている。その集大成は図書館の先進的な活動に贈られる最高賞「ライブラリーオブザイヤー」(2022年度)の受賞に結実した。
 

 「柳ヶ瀬商店街を活性化することに図書館がどうやって寄与できるのか」―。館長としての初仕事はかつて「柳ヶ瀬ブルース」に沸いた商店街の立て直しだった。そして、総合プロデューサー退任後の昨年9月、「無印良品柳ヶ瀬店」の店内の一角に本を陳列した無料の交流スペースがオープンした。名づけて「本のひみつ基地」。柳ヶ瀬商店街の歴史を展示した資料が並べられ、朗読会などにも利用される。仕掛け人のひとりである吉成さんは「足元の文化的な価値を見直し、今後のまちづくりに生かしたい」と抱負を語っている。まさに、“全身図書館”の本領発揮である。
 

 この「吉成流」に学び、図書館の来館者を駅前一極に限定せずに上町など中心市街地に呼び込むような新たな“人流”を形成する。「IHATOV・LIBRARY」で賢治を満喫した来館者を賢治の生家や一時期、教鞭を取った旧稗貫農学校(旧花巻病院跡地)、賢治の広場、花巻城址などのゆかりの地へと誘い、まち全体の賑わい創出につなげる。賢治の道案内でフィールドワークに出かけるという趣向である。

 

 

●「文化と観光」とのコラボミックス

 

 「科学だけでは冷たすぎる。宗教だけでは熱すぎる。その中間に宮沢賢治は芸術を置いたのではないか」(岩手ゆかりの作家で賢治関連の著作もある井上ひさし)―。兵庫県豊岡市で「演劇」によるまちおこしを実践している劇作家で演出家の平田オリザさんは自著『但馬日記―演劇は町を変えたか』の中で、井上のこの言葉を引き合いに出しながら、こう書いている。「賢治の思いが、100年の時を経たいまよみがえる。熱すぎない、冷たすぎない、その中間に芸術や文化を置いたまちづくりが求められている」。その活動拠点は芸術文化と観光をコラボした全国初の4年制大学―「兵庫県立芸術文化観光専門職大学」である。そういえば、詩人で彫刻家の高村光太郎は戦後の荒廃期、賢治童話を演じる子どもたちの姿に感激し、その児童劇団に「花巻賢治子供の会」の名称を献上したというエピソードも伝え残されている。
 

 さて、今度はその「オリザ流」に学びたい。著作や翻訳書、研究書、評論、映画やアニメ、漫画本、演劇、ドキュメンタリー、果てはアンチ賢治や地道な地元研究者の労作…こうした「多面体」としての賢治の一切合財を集めた「IHATOV・LIBRARY」が実現すれば、日本だけでなく、世界中から賢治ファンなどのインバウンド需要を喚起し、温泉観光地としての活性化も期待できる。また、賢治関連本は毎年、陸続と出版が続いており、まさに賢治“現象”には終わりがない。「世界で行きたい街」の第2位にノミネートされた盛岡に見習い、「世界で一番、行きたい図書館」を目指す。賢治の壮大な“実験場”としての「IHATOV・LIBRARY」こそが、未来を切り拓く「マコトノクサノタネ」(賢治作詞「花巻農学校精神歌」)を育(はぐく)む圃場である。

 

 

●「平和と連帯」メッセージの発信拠点に

 

 東日本大震災の際、米国の首都・ワシントン大聖堂で開かれた「日本のための祈り」やロンドン・ウエストミンスター寺院での犠牲者追悼会など世界各地で、英訳された「雨ニモマケズ」が朗読された。また、この詩に背中を押されるようにして、世界中からボランティアが被災地へ駆けつけた。そして、年明けの厳寒の元日に起きた能登半島地震。この時もこの詩に詠われた「行ッテ」精神がボランティアを奮い立たせた。さらに、「3・11」で甚大な被害を受けた岩手県大船渡市が未曽有の山林火災に見舞われた今回の災厄に際しても、賢治の寄り添い合いの精神が未来への光をともし続けている。
 

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)―。世界に目を向けると、いまもあちこちで戦火が絶えない。ウクライナやガザ…世界全体の悲しみの地にもこのメッセージを届けたい。「平和と連帯」を希求する賢治の心の叫びを積み込んだ「銀河鉄道号」…その始発駅は「IHATOV・LIBRARY」こそが一番、ふさわしい。

 

 

●将来のまちづくりに向けて

 

 「豊かな自然/安らぎと賑わい/みんなでつなぐ/イーハトーブ花巻」―。当市は「将来都市像」をこう描いている。いうまでもなく、「イーハトーブ」とは賢治が未来に思いを馳せた「夢の国」や「理想郷」を意味する言葉である。一方、図書館学の父とも呼ばれるインド人学者のランガナータンは「図書館は成長する有機体である」と述べている。「IHATOV・LIBRARY」が目指す”夢の図書”は世代を継いで成長し続ける永遠の有機体である。

 

 自らを「幽霊の複合体」(『春と修羅』序)と称してはばからない、この天才芸術家のその”お化け”の正体を暴いてみたいというのが偽らざる気持ちである。旧総合花巻病院の中庭に「Fantasia of Beethoven」と名づけられた花壇があった。設計者の賢治は「おれはそこへ花でBeethovenのFantasyを描くこともできる」(『花壇設計』)と豪語した。「賢治とは一体、何者なのか」……

 

 等身大の“おらが賢治”を取り戻したい。そこには少子高齢化の困難な時代に立ち向かうためのヒントがびっしり、詰まっているはずである。時代を逆手に取った伝家の宝刀、つまり「イーハトーブはなまき」でしかなしえない「まちづくり」の妙手がここにある。「IHATOV・LIBRARY」が万巻の書で埋め尽くされたあかつきには旧花巻病院跡地(旧稗貫農学校跡地)へ独立館として新築・移設する。真の意味での賢治ゆかりの地―“桑っこ大学”の愛称で呼ばれたこの地に「マコトノクサノタネ」が芽吹く未来を信じたい。未来世代へのバトンタッチである。

 

 ※

 

<市側の回答>

 

●「それを実践するためのいわば“処方箋”」及び「IHATOV・LIBRARYと命名」することについてはご意見として伺います。「宮沢賢治賞やイーハトーブ賞等の受賞者等による講演会の開催及び賢治との人脈図がわかるようなコーナーの設置等」については、「宮沢賢治など本市ゆかりの先人や、本市ゆかりの作家なども含めて図書企画展示等やイベントを開催します」と新たに記載します●

 

 

 膨大なパブコメ(意見表明)に対する市側の実質的な回答は上記のたった4行である。当方の真意がほとんど伝わっていないことに今さらながら、肌がざわッとする感覚に襲われた。いま真っ盛りの春闘になぞらえれば、完全な“ゼロ回答”ということになる。考えて見れば、上田東一市長も含め、これほどまでに貧相な思考の持ち主たちに「知の殿堂」とも呼ばれる図書館問題を委ねたことがそもそもの間違いだった。このまちは原点から出直すしかあるまいと心底、思う。私はパブコメを提出する際の当ブログに以下のように記した。あとの祭りだが、それが図星だったことにやっと、気がついた。

 

 

 宮沢賢治の作品のひとつに『図書館幻想』と題する何となく不気味な掌編があり、「ダルゲは振り向いて冷やかにわらった」という文章で結ばれている。研究者によると「ダルゲ」とは盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)時代の無二の親友だった「保阪嘉内」を指しているらしい。互いの生き方の違いから、1921(大正10)年7月18日、ある図書館の一室で二人は訣別を告げた。以降の賢治は生前唯一の詩集となった『春と修羅』など後世に残る創作活動に憑(つ)かれたように没頭したという。


 ところで、新花巻図書館の「駅前立地」に舵を切った市側は賢治関連について、こう記している。「宮沢賢治に関する資料については、市民から、宮沢賢治の出身地にふさわしい図書館としてほしいなどの意見が多いことから、今後出版される図書資料はもちろん、未所蔵で購入可能な資料は古本も含め積極的に収集し、地域(郷土)資料スペースにおいて配架する予定ですが、宮沢賢治専用のスペースを設けることも検討します」(「新花巻図書館整備基本計画(案)」説明資料)


 それにしても「市民から要望があったから…」という言い草は随分と上から目線というか、主体性がなさ過ぎではないか。「賢治まちづくり課」を擁する市側こそが率先して、賢治生誕地ならではの斬新な発想を示すべきではなかったのか。これを裏返せば「それがなかった」ということであろう。この辺りにもいかにも貧困な図書館像が透けて見えてくる。私自身は一貫して「病院跡地」への立地を求めてきたひとりであるが、その図書館像は建設場所によって変わるはずはなく、むしろ時代を継いで進化されるべきものであろう。以下のパブリックコメント(意見書)は賢治に導かれるようにして思い描いた私なりの図書館“幻想”である。

 

 

 

 

(写真はパブコメのイラスト図。基本計画(案)に“お墨付け”を与えるだけのアリバイづくりに利用された=インターネット上に公開の図柄から)

 

 

 

 ≪追記≫~提出した他のパブコメは以下の通り

 

 

・鶴陰碑と「新興跡地」の改修並びに新館長の「公募制」の導入について(同17日)

・当地ゆかりの現役作家コーナーの設置について(同22日)

・「駅前立地」に至る経緯の記述について(同23日)

・賢治「ゆかりの地」論について(同24日)

・対話型「市民会議の構成について(同26日)

・意見集約の「信憑性」について(同27日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 首長主導型の「図書館」行政は有効か…”本家筋”の教育委員会は蚊帳の外~こんなドサクサ紛れの中、タケダスポーツが移転を予告!!??

  •  首長主導型の「図書館」行政は有効か…”本家筋”の教育委員会は蚊帳の外~こんなドサクサ紛れの中、タケダスポーツが移転を予告!!??

 

 「新しい図書館は、今後何十年と使っていくこととなるものであり、市民の皆様の御意見を十分に伺いながら、より利用しやすい図書館の整備を早期に実施できるよう努力してまいりたいと考えております」―。平成26年2月に就任した上田東一市長はその年の12月市議会定例会の質疑で初めて、図書館の早期実現について言及した。この方針はその後「花巻市立地適正化計画」(平成28年6月)の中に正式に位置づけられ、足かけ10年に及んだ新花巻図書館の立地問題は今年3月、市側が「駅前立地」を最終決定するという経緯を辿った。

 

 「新花巻図書館整備基本計画の策定に関し議決を求めることについて」―を議題とする教育委員会議(佐藤勝教育長ら委員6人)が5月19日に開催される。提供される資料は3月21日付で策定された「新花巻図書館整備基本計画」(案)で、立案者として「花巻市」と並んで「花巻市教育委員会」の名前が並んでいる。突然の“登場”にオヤッと思った。図書館の立地問題を一貫してリードしてきたのは上田市長が率いる生涯学習部を中心とする首長部局だと思い込んでいたからである。このからくりについてはすでに言及してきたが、市民の理解を促すためにもう少し論点整理をしてみたい。

 

 図書館を所管するのは言うまでもなく、教育委員会である。しかし、時代の推移とともに「まちづくり」の観点から首長部局との間で権限移譲が進むようになり、その代表的な例が「補助執行」という制度であることは前述した。当市の場合の関係法令は―

 

●「花巻市教育委員会の権限に属する事務の補助執行に関する規則」(平成19年3月)

 

~地方自治法第180条7に規定に基づく規則。補助執行させる事務は「花巻市立図書館に関すること。花巻市立図書館協議会に関すること」で、担当職員は「生涯学習部長、新花巻図書館計画室の職員及び図書館の職員」に限定され、予算執行を除く市長の関与は排除されている。一方、「花巻市部設置条例」(平成18年1月)によると、市長の権限に属する事務分掌(生涯学習部)の中に「図書館」は入っていない。

 

●「花巻市教育に関する事務の職務権限の特例を定める条例」(平成20年12月)

 

~上位法「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(昭和22年4月)の第23条(職務権限の特例)に基づく条例で、市長が直接、管理・執行ができる教育関連の事務としては「(学校行事を除く)スポーツ全般と(文化財の保護を除く)文化全般」が該当するとされ、図書館関連は含まれていない。その後令和元年の法改正によって、具体的に「図書館、博物館、公民館その他の社会教育に関する教育機関のうち当該条例で定めるもの」についても、市長の管轄下に置くことができるとされたが、当市ではこの条例化に踏み切らないまま、現在に至っている。一方、「花巻市教育委員会行政組織規則」(平成19年3月)は属する教育機関(第23条)として「花巻市立図書館」を列挙している。

 

 以上から言えることは、首長部局が図書館部門に関わることができるのは「補助執行」に限定され、それに伴う関連事務も教育委員会の監視下で行われなければならないということである。ところが2020(令和2)年1月、突然公表されたのが「住宅付き図書館」の駅前立地(いわゆる“上田私案”)だった。仮に教育委員会の頭越しに行われたトップダウンの政策決定だとすれば、上田市長の法令違反は明らかで、その逆であるなら図書館を所管する教育委員会側の責任も問われなければならない。開示請求した内部文書を見る限り、この構想の立案過程に教育委員会が関与した形跡はまったくない。

 

 「教育委員会として、補助執行を出しっ放しはやはり良くなかったということがあります。教育全体、特に社会教育生涯学習の動きについて、なかなかご理解、情報提供する機会がなかったということも反省しております」(令和4年3月23日開催「第4回教育委員会議定例会」会議録)―。佐藤教育長のこの発言に見られるように「補助執行」のあり方にある種の疑問を呈しながら、その後改善された様子は見られない。上田市長の越権行為と佐藤教育長の不決断が“立地”論争の長期化を招き、市民の間に大きな不信感を植え付けたという意味で、双方の責任は計り知れない。と同時に「駅前立地」の決定に至る手続き自体も無効だと言わざるを得ない。

 

 「補助執行」をめぐっては他の自治体でも混乱が見られ、たとえば愛知県長久手市では昨年、議会側から「(市長が)古民家移転事業について、移転中止を判断したのは越権行為ではないか」と追及され、その運用の見直しを迫られたケースがあった。一方、徳島県阿南市は今年3月、「阿南中央図書館(仮称)整備計画」を策定したが、その計画策定者は「阿南市教育委員会」だけとなっており、図書館の所管が明確に位置づけられている。

 

 いまこそ、行政訴訟も視野に入れた「無効な行政行為」について、真剣に向き合うべき時かもしれない。

 

 

 

 

(写真は手狭な閲覧室で読書する高校生。不毛な“立地”論争がいたずらに時間と金を浪費した=花巻市若葉町の市立花巻図書館で)

 

 

 

≪追記ー1≫~「瑕疵ある議会答弁」

 

 匿名を名乗る方から、以下のような長文のコメントが寄せられた。新図書館問題の背後に広がる「闇の構造」に連日振り回されていた時だけに、頭の整理ができたような気がする。当市は今まさに行政と議会とがまなじりを決して監視し合うという「二元代表制」の崖っぷちに立たされていると言える。

 

 

 「瑕疵ある議会答弁」とは議会における質問に対する答弁が、内容に誤りがあったり、不十分であったり、あるいは違法な行為に基づいているなど、何らかの欠陥・瑕疵があることを指します。具体的には、質問に対する正確な説明がなかったり、誤った情報に基づいて答弁されていたり、あるいは、法的な根拠が欠如している場合などが考えられます。詳しく説明します。

 

 議会において、議員が行政機関に質問しそれに対する答弁がなされることは、地方自治法に基づき、行政の監視と責任追及の重要な役割を果たします。この答弁が、議会における情報開示の役割を担い、また、行政の活動をチェックする手段となります。「瑕疵ある議会答弁」とは、この答弁が、以下のような理由で欠陥を持っている場合を指します。
 

・内容の誤り:答弁に事実誤認や誤解がある場合。例えば、住民に誤った情報を伝えている場合など。
・不十分な説明:質問に対する回答が、必要な情報や詳細を欠いている場合。
・法的な根拠の欠如:答弁が法的な根拠に基づかず、違法な行為に基づいていたり、あるいは、法律を無視した答弁である場合。
・不当な発言:議員の個人的な意見や判断が、答弁として表明された場合。
・反論の余地のある発言:答弁内容が、明確な根拠や事実に基づかず、反論の余地がある場合。

 

 これらの「瑕疵」は議会において問題提起され、修正を求められる可能性があります。また、必要に応じて、議会が行政機関に対し、事実確認や説明を求める場合もあります。例として、以下のようなケースが考えられます。
 

 住民の意見を無視した答弁、法律に基づかない答弁、過去の議決事項に反する答弁、事実誤認に基づく答弁。「瑕疵ある議会答弁」は、行政の責任を問う上でも、市民の知る権利を保障する上でも重要な問題です。議員は、議会における答弁の正確性や妥当性を注意深く確認し、不適切な答弁がある場合は議会において指摘し、修正を求めるべきです。

 

 

 

≪追記―2≫~教育委員会議の瑕疵ある議案

 

 「読者」を名乗る方から関連のコメントが寄せられた。「図書館整備事業に権限のない市長が行なってきた瑕疵ある議会答弁とそれに基づく議論や手続きによって作成された新花巻図書館整備基本計画は瑕疵ある議案とはならないのでしょうか。議決そのものが瑕疵ある行為とはならないのでしょうか」

 

 

 

≪追記―3≫~「補助執行」という名の“底なし沼”!!??

 

 最近、“補助執行”パニックに陥っている。市例規集の外部リンクから「教育」や「図書館」などのキーワードを片っ端から検索する日々。図書館問題の「闇の構造」の解明にのめり込んでいるうちに、今度は「教育長に対する事務の委任等に関する規則」(平成18年1月)なる文書にぶち当たった。そうでなくても法令の条文というやつは素人にはなかなか、歯が立たない。ためつすがめつ、眺めているうちに「学校その他の教育機関の施設、設備、組織編制、教育課程、教科書その他の教材の取扱いその他管理運営の基本方針を定めること」(第二条5:委任事項)という条文が目に飛び込んできた。

 

 この条文に該当する「教育機関の基本方針」などは教育長の決裁事項ではなく、教育委員会議の議決事項になっていることが分かった。新花巻図書館整備基本構想(平成29年8月)に定められたいわゆる「3つの基本方針」と、その後イメージをより具体化し分かりやすくした説明資料(令和5年11月)の2件について、過去の会議録を辿った結果、このいずれも議決がされていないことが明らかになった。

 

 以上の点から、図書館整備に関しては市長部局のみならず、教育委員会でも適切な手続きが取られていなかったことが判明。今月19日開催予定の教育委員会議の議案となっている「新花巻図書館整備基本計画」(案)についても、それ以前の「基本方針」が議決を経ていない以上、「無効な提案」と言わざるを得ない。

 

 

 

≪追記―4≫~「まだありました」

 

 「懐疑的な市民」を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。まるで、災いや不幸などを閉じ込めていた「パンドラの箱」が開け放たれたような…。この箱には「希望」だけが残されたという。そのひとかけらに希望を託したい。

 

 

 ブログ記事に触発されたので、手続きのことを調べてみました。そうしたところ、また怪しいことが見つかりました。新花巻図書館整備基本計画の試案策定を検討する委員会のことです。新花巻図書館整備基本計画試案検討会議設置要綱の組織を規定している第3条に「検討会議は、次に掲げる者をもって組織し、委員は、市長が委嘱する。」とあり、市長が委員を委嘱する、と書かれています。ここでも図書館整備事業に権限のない市長がその検討会議の委員を委嘱してしまいました。

 

 そもそも教育行政は政治的中立性を保つため、市長部局から独立した教育委員会が担ってきましたが、その独立性を侵して、市長が最初に主張した図書館駅前立地を含む課題を職務権限のない市長が委嘱するという間違いをしてしまった感があります。この検討会議が教育委員会によって委嘱されていれば、法的に問題がなく、また、中立的第三者的な検討会議になったことでしょう。このような適法ではなく、中立性に疑問のある検討会議が策定した試案なるものを発展させた新花巻図書館整備基本計画は、計画としての妥当性があるようには感じられません。花巻市は法治主義から人治主義になってしまったのでしょうか。

 

 

 

≪追記―5≫~「まだまだ、ありました」―どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ!!!???

 

 「懐疑的な市民2」を名乗る方から、ふたたび長文のコメントが寄せられた。こっちの頭が付いていけないよう”迷路”に迷い込んだような気分である。それにしてもである。これほどまでに市民を愚弄する市政とは何なのか。気持ちが粟立ってきた。

 

 

 もう少し調べてみるとまた出てきました。生涯学園都市会館(通称まなび学園)の他3つの生涯学習施設を規定している「花巻市生涯施設条例」です。この条例は、花巻市例規集第11類教育の第4章「社会教育」のところに分類されていますし、この施設で提供されている各種講座を考えますと社会教育施設であることは頷けます。

 

 この条例の第3条は休館日を、第4条は開館時間を規定していますが、いずれにも「ただし、市長が必要と認めるときは、これを変更することができる。」と書いてあります。更に続く第5条は使用の許可を定めていますが、「施設を使用しようとする者は、あらかじめ市長の許可を受けなければならない。」とあり、生涯学習施設の管理は市長に属するかのように見えます。利用申請も花巻市長あて行い、許可も花巻市長名でなされることが様式からもわかります。

 

 ここでブログに何度も登場している「花巻市教育に関する事務の職務権限の特例を定める条例」では、市長が管理し、執行できる事務は、スポーツに関すること(学校における体育に関することを除く。)と文化に関すること(文化財の保護に関することを除く。)と規定されています。

 

 教育委員会の職務権限は法律(地方教育行政法)に列挙、規定されており、「青少年教育、女性教育及び公民館の事業その他社会教育に関すること。」は教育委員会の職務権限とされています。この法律では条例を定めることで、市長が管理、執行できる事務として、先の「スポーツ・文化」に加えて、「図書館、博物館、公民館その他の社会教育に関する教育機関」が挙げられています。これまで何度も見てきたように花巻市の条例には列挙されているような社会教育施設は見当たりません。

 

 そうすると図書館を始めとする社会教育施設は依然として教育委員会所管であることなりますが、それを定めている教育委員会の規則の中には生涯学園都市会館他3つの生涯学習施設は載っていません。本来は教育委員会所管の社会教育施設なのに、教育委員会の施設の中には入っておらず、いつ間にか「なはんプラザ」のような、市長が管理する施設の条例になってしまいました。

 

 似たような生涯学習施設が北上市にありますので、気になって調べてみましたが、教育委員会所管の施設のまま、実際の管理運営は補助執行に関する規定、北上市教育委員会の権限に属する事務の補助執行規程により「生涯学習センターの管理運営に関すること。」というように適切にルール化がなされていました。また、施設の利用申請書は北上市教育委員会あてに提出し、許可も北上市教育委員会で行われていることが様式からも簡単にわかります。

 

 長くなりましたので詳細は省きますが、社会教育事業に関することが教育委員会から生涯学習部長と生涯学習課の職員に補助執行させる規定になっていて、意味がわかりません。以上にように、花巻市の生涯学習事業なるものは市、市教育委員会両者とも、その事務執行組織や必要な手続きに、根本的で重大な誤解と誤認があるように見えます。

 

 

 

≪追記―6≫~「教育委員会協議会」では、一体何が…秘密会!!!???
 

 

 「教育長は、会議に付議すべき議案の事前審議その他研究協議を要するものがあると認めるときは、教育委員会協議会を招集することができる」(第8条)―。市教育委員会会議規則は「教育委員会協議会」について、こう定めている。ところが、19日開催予定の「教育委員会議」のHP上の告知にはこの協議会の件の掲載はない。過去の例を見ると、教育委員会議の前段に非公開で開催されていることが分かった。市民の多くが関心を寄せている図書館問題だからこそ、公開すべきではないか。ちなみに、ちょうど10日後の今月29日に開催される大阪・枚方市の教育委員会協議会は「傍聴可」となっている。

 

 

 

≪追記―7≫~“駅前図書館”の立地予定地のスポーツ用品店が旧イトーヨーカド-への移転を予告!!??

 

 

 「新花巻図書館整備基本計画の策定に関し議決を求めることについて」―を議題とする教育委員会議が5月19日に開催されるのに符節を合わせるかのように、同16日から29日までの期間限定で、「タケダスポーツ」の移転・閉店を告示するチラシが同社のHP上で公開された。それによると、新図書館の立地が決まっている「タケダスポーツ花巻」と「ネクサス花巻」の2店舗で、6月15日午後7時で営業を打ち切り、その後7月中旬をメドに旧イトーヨーカド―花巻店(現シーナシーナ)で、営業を再開する予定だという。

 

 JR花巻駅に隣接する「タケダスポーツ花巻店」の跡地は市側が終始、立地の第1候補地に挙げてきた経緯があり、その去就に市民の関心が高まっていた。また、建物の撤去費用などは市側が負担することになっているが、その予算措置の日程にも注目が集まっている。一方、市民の間にはこの間の一連の動きに新たな不信の声が渦巻いている。「とにかく、既成事実化を急いでいるとしか思えない。市民不在どころか、蔑視そのものではないか」―。上田(東一)市政はもはや、“狂乱”の域を超えてしまっている。これって、市民に対する”パワハラ”行為ではないのか。

 

 

 

≪追記―8≫~パブリックコメント意見の公表

 

 「パブリットコメント参加者」を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。7本のパブコメを提出した私自身、その結果報告を首を長くして、待っているひとりである。

 

 「パブリックコメントに寄せられた市民等の意見の公表とそれに対する考え方は実施機関が計画等の意思決定を行う前までにするように決められているようですが、5月19日に開かれる教育委員会議に出す新図書館の議案はもう意思決定されているのかな。たくさんの市民等が寄せた意見を大事に思っているのかな。素朴な疑問と印象ですね」

 

 「ところで、このパブリックコメントの場合、実施機関って市なのかな、それとも教育委員会?意思決定をするのは市長または実施機関の長と書かれてるけど、図書館に関して市長に権限が足りていないようだし、教育委員会が実施機関だとすると教育長が意思決定して、自らが招集する教育委員会議で審議するのかな。何だか難しいなあ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

図書館協議会も「基本計画」(案)を了承…「駅前立地」に向け、強行突破の姿勢が前面に!!??

  • 図書館協議会も「基本計画」(案)を了承…「駅前立地」に向け、強行突破の姿勢が前面に!!??

 

 「病院跡地47人VS.駅前28人」―。新図書館の立地場所をめぐるパブリックコメント(意見表明)を記載した資料が13日開催の「市立図書館協議会」(委員12人)で、初めて公にされたが、同協議会の委員は議論を深めることのないまま、市側が提出した「整備基本計画」(案)を了承した。複数の委員は市側の労をねぎらうなど本来の使命を放棄した”追認”ぶりをさらけ出し、傍聴席の失笑を買った。市側は今回の会議をもって、市民説明会とパブコメを合わせた「市民参画」手続きはすべて終了したとしており、今月19日に開催予定の「教育委員会議」での議決の行方に注目が集まっている。

 

 この日の会議には成立要件の過半数(6人)をやっと一人上回る7人が出席。提供されたのはパブリックコメント(4月1日から同30日まで公募)の内容を記載しただけの原本で、分析や精査は未完了のまま。応募総数は86人(134件)で、過去のパブコメに比べても異例の多さとなった。関心の多くが立地場所の是非に置かれ、その一端が冒頭の数字に表れた。しかし、今回のパブコメによる意見表明が「整備基本計画」(案)の中に具体的にどのように反映されるかについては「現在、策定中だ」と答えるにとどまった。つまり、基本計画の「成案」を提示しない段階で、“お墨付き”を取り付けるという禁じ手まで動員した。5月11日付当ブログでも詳述したが、この日の会議でも「補助執行という隠れ蓑」が見え隠れした、整理すると―

 

1)「花巻市立図書館協議会規則」(平成18年1月)には「議事は出席した委員の過半数をもって決する。可否同数のときは、議長の決するところによる」(第7条)と規定されている。しかし、新図書館の建設という重要案件にもかかわらず、採決はなされずに各委員が考えを表明するという形に終わった。「規則」違反が明白である。また、この種の審議会に欠かせない「諮問―答申」の関係についても、次に見るように曖昧なまま、手続きが進められた。

 

2)図書館の憲法と言われる「図書館法」(昭和25年4月)には「図書館協議会は、図書館の運営に関し館長の諮問に応ずるとともに、図書館の行う図書館奉仕につき、館長に対して意見を述べる機関とする」(第14条)と規定されている。つまり、資料の収集や整理、貸出、レファレンスサービス、広報活動、利用者へのサポートなど図書館の運営にかかわるのが主たる任務とされており、今回議題とされた「整備基本計画(案)」ついて、そもそも館長が諮問するのは権限外。要は権限のない審議会による意思決定が行われたということである。

 

3)一方、社会教育法(昭和26年6月)は市町村教育委員会の事務や社会教育委員の職務について、こう規定している。「所管に属する図書館、博物館、青年の家その他の社会教育施設の設置及び管理に関すること」(第5条)、「社会教育委員は、社会教育に関し教育委員会に助言するため、次の職務を行う。… 社会教育に関する諸計画を立案すること」(第17条)―。このことから、図書館などの社会教育施設の「整備基本計画」の立案は本来、社会教育委員の職務であり、当市の場合もこれを審議するのは「市社会教育委員会議」であり、その立案の結果を教育委員会に助言するのが正当な手続きであった。

 

 

 以上見てきたように、5年有余にわたる図書館“迷走劇”の原因は元をただせば、図書館法や社会教育法などに定められた「図書館とは何か」という本旨をことごとく無視した上田(東一)市政に帰することが明々白々になった。「住宅付き図書館」の駅前立地…要は「儲かる」図書館を指向した時点で、たどり着くべき”終着駅”はすでに決まっていたのである。

 

 いまから8年前の2017(平成29)年7月、「最大スペックのラフデザイン」と名づけられた花巻市作成のイメージ図がJR盛岡支社に提供された。長い間の市政課題だった新花巻図書館と駅橋上化(東西自由通路)は実は「ワンセット」構想だったという「図書館」事始めのスタートだった。そしていま、莫大な時間と金を浪費した構想が市側の思惑通りに実現に向かいつつある。夢や希望…。この間に損なわれた人心の喪失は計り知れない。ふと、「図書館法」の生みの親は当市ゆかりの山室民子(1900―1981年)だということを思い出した。

 

 

呪(のろ)われた”図書館という不吉な言葉が頭の中を去来している。

 

 

 

 

 

 

(写真は当初から「駅前立地」が既定路線だったことを示すイメージ図=文書開示請求した資料から)

 

 

 

 

≪追記≫~トランプ大統領、図書館トップを解任!!??

 

 AFPは5月10日付で、トランプ大統領がカーラ・ヘイデン議会図書館長を解任したと報じた。ヘイデン氏は女性かつアフリカ系として初めて、図書館トップの座についていた。「どこか似てるな」。このニュースを聞きながら、反射的に足元の図書館“騒動”に思いが重なった。

 

 報道によると、議会内でも批判が相次ぎ、民主党下院トップのハキーム・ジェフリーズ院内総務はこう語った。「恥ずべき行為であり、書籍の禁書化、米国の歴史のホワイトウォッシュ、そして時計の針を逆戻りさせようとする(トランプ氏による)継続的な取り組みの新たな一手だ。議会図書館は米国民の図書館だ。米国の生活様式に対するこの前例のない攻撃に対する責任は、遅かれ早かれ問われるだろう」

 

デタラメな”図書館”行政…新花巻図書館問題で次々に露呈~喫緊の「整備基本計画」(案)にも暗雲が!!??

  • デタラメな”図書館”行政…新花巻図書館問題で次々に露呈~喫緊の「整備基本計画」(案)にも暗雲が!!??

 

 「補助執行がその隠れ蓑だった」―。新花巻図書館の「駅前立地」へ向けた地ならしが進む中、その行政手続きの拙速ぶりに警鐘を鳴らしてきたが、上田東一市長が法律や規則に抵触する形で”図書館”行政に介入してきたことが明らかになった。「地方自治法」や「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」などによって、 社会教育に関する教育機関の一部の事務を首長部局に委任することが認められているのが、いわゆる「補助執行」制度である。

 

 一方、この制度と関連するものとしては「花巻市教育に関する事務の職務権限の特例を定める条例」(平成20年12月)があり、市長が直接、管理・執行ができる教育関連の事務としては「(学校行事を除く)スポーツ全般と(文化財の保護を除く)文化全般」が該当するとされ、図書館関連は含まれていない。他方、「花巻市教育委員会の権限に属する事務の補助執行に関する規則」(平成19年3月)によると、補助執行の対象は①花巻市立図書館に関すること、②花巻市立図書館協議会に関すること―の2点に絞られ、その事務に携わることができるのは「生涯学習部長、新花巻図書館計画室の職員及び図書館の職員」に限定されている。

 

 条例制定が前提にもかかわらず、いきなり図書館に関する補助執行を生涯学習部など担当部局に丸投げした結果、今回の新図書館問題をきっかけにその「闇」の部分が白日の下にさらされた格好である。上田市長の“越権行為”が現れた典型例が「住宅付き図書館」の駅前立地構想(2020年1月29日)である。この構想が上田市長の主導で進められてきたのは周知の事実であり、“上田私案”と呼ばれる所以(ゆえん)もそこにある。法律や規則を無視したデタラメな”図書館”行政の実態が偶然、明るみに出た出来事があった。

 

 「令和2年の1月29日に駅前のスポーツ用品店の場所に図書館をつくって、そこに複合施設ということで、賃貸住宅を図書館の上に併設した図書館を作る構想というのを発表したことがあります。その発表は、市長がしたのではありません。私が議員の方々に発表をしたというものであります。したがいまして、市長がなにも今日来なければいけないということではないと思います」(4月27日付当ブログ「追記―3」参照)―

 

 「整備基本計画」(案)の市民説明会の際、生涯学習部の担当者はこう答弁した。「市長がなぜ、出席しないのか」と市民が詰め寄ったことへの返答で、私は「市長への忖度か」などとなじった。この場を借りて謝罪すると同時に逆にこの担当者が自分の「職分」を十分にわきまえていたことを理解した。ある種、幕間劇めいたこの光景は目を覆うばかりの上田市長の独断専行を市民の目からそらすため、現場職員が必死になって築いた「防波堤」のように私には見えた。「補助執行」に名を借りた図書館構想の“不都合な真実”が暴かれるのを恐れたのだろうという私の推測は多分、的外れではないと思う。

 

 「そういえば、図書館関連で教育長が口を開いたことは一度もなかったな」と今さらながら自分の不明を恥じてしまう。議会答弁や議員説明会、記者会見…。公の場で真っ先に手を挙げるのはいつも上田市長だった。3月27日開催の定例記会見の場で上田市長はこう述べている。「市ではこの結果(対話型「市民会議」などの市民参画手続き)を踏まえまして、JR花巻駅前を、先ほど申し上げましたとおり建設候補地に選定したところであります」(会議録から)。本来なら、図書館を所管する教育長の口から告げられるべきなのに一事が万事…上田市長の口癖である「コンプライアンス」(法令遵守)を自ら足蹴りする形でうぶ声を挙げたのが「新図書館」の誕生劇だったのである。

 

 市立図書館協議会(5月13日)、市教育委員会議(5月19日)…。正式の「整備基本計画」の策定に向けた動きが急ピッチで進んでいる。「審議会等の設置及び運営に関するガイドライン」の規定によると、遅くとも会議開催3日前までに資料を配布しなければならないとされている。しかし、図書館協議会の委員のひとりは「市側から当日までには何とか間に合わせるという連絡があった」とその拙速ぶりに怒りをあらわにしている。ところで、補助執行の範囲はその後暫時、改正されて令和元年には次のように拡大された。

 

 「地方公共団体は、条例の定めるところにより、当該地方公共団体の長が、次の各号に掲げる教育に関する事務のいずれか又は全てを管理し、及び執行することとすることができる」(「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」第23条:職務権限の特例)として、その各号については「図書館、博物館、公民館その他の社会教育に関する教育機関(「特定社会教育機関」)の設置、管理及び廃止に関すること」と定めている。

 

 たとえば、山形県長井市では4年前、市立図書館を含めた社会教育施設を首長部局の管轄下に置く条例改正に踏み切っている。上田市長が本当に“上田私案”(上田図書館)の実現を望んでいるのなら、長井市のように条例を改正して、思う存分に振る舞えばよいだけの話である。だからと言って、これまでの“越権行為”が見逃されてよいわけがない。と同時に、それを許してきた図書館を所管する教育委員会の責任も問いたい。正当な権限を委任されていない補助執行自体が無効ではないか、と。いま渦中にある「新花巻図書館整備基本計画」(案)は事実上、「幻(まぼろし)」の図書館像と化している。

 

 

 

 

 

(写真は立地候補地の「事業費比較」資料を示しながら、「駅前立地」の正当性を主張する上田市長=2024年12月9日、花巻市議会議場で)

 

 

 

 

≪追記ー1≫~AIに聞きました


 「無効な行政行為」を名乗る方から、図書館と行政とのかかわりについて、AIに質問したという以下のコメントが寄せられた。“末期”高齢者にとってこの世界は遠くにかすむ存在だが、う~ンとうなずかせる部分もあった。

 

 新図書館の建設候補地の選定について、市の担当は人工知能、AIを活用していましたので、今回のブログの記事についてAIに聞いてみようと思いました。そもそも市の教育員会が担当するべき図書館の事案について、教育委員会が担当なのに、市長がその仕事を担当しているかのように詐称して行われてきた花巻市の実情が明らかになりました。その回答は以下のとおりです。


 

 

・無効な行政行為とは、その成立当初から効力を生じない行政行為のことです。これは、行政行為の瑕疵が重大かつ明白である場合に認められます. 具体的には、処分要件の誤認など、行政行為の主体や内容が不明確な場合に無効となります

 

・無効な行政行為は、初めから効力を有しないため、取消訴訟を提起することもできません. また、無効確認訴訟によって、無効であることを確認することも可能です。無効な行政行為の判断は、行政行為の瑕疵が重大かつ明白であること、つまり、誰が見ても明白に違法であると認められる場合に限られます

 

・無効な行政行為と、取消し可能な行政行為の違いを理解することが重要です。取消し可能な行政行為は、一定の瑕疵があるものの、その瑕疵が重大かつ明白でない場合、行政行為は有効として扱われ、後日取消しが可能になります

 

 

 

 

≪追記―2≫~私もAIに聞いてみました


 「両面宿儺」を名乗る方から「追記―1」に関連し、「無効な行政行為」について小学校5年生にも分かるよう、AIに説明を求めたという以下のようなコメントは寄せられた。

 


 こんにちは!「無効な行政行為」について小学校5年生にも分かるように説明しますね。行政行為って何?まず、「行政行為」とは、国や市区町村などの行政機関が、私たち国民に対して行う決定のことです。例えば~・運転免許証を発行すること・建物を建てる許可を出すこと・税金の額を決めることなどが行政行為にあたります。

 

 「無効な」行政行為とは?「無効な行政行為」というのは、行政機関の決定に、とても重大な問題があるため、最初から法的な効果がないとされるものです。例えるなら、学校のテストで先生が出した問題が、教科書にも載っていないような難しすぎる内容だったり、間違った知識を問うものだったりしたら、そのテスト自体が「無効」になるようなものです。

 

 具体例で理解しよう。例えば:
1. 権限のない人が決定した場合~市長だけが決められる事を、事務員が勝手に決めてしまった
2. 明らかに法律違反の決定~憲法や法律で禁止されていることを許可する決定をした
3. あり得ない内容の決定~「空を飛べる権利を与える」など、現実にはあり得ない許可を出した

 

 こういった場合、その行政行為は「無効」となり、最初から効果がなかったことになります。普通の「取り消せる行政行為」との違い

 

 ちょっとした手続きミスや軽い問題がある行政行為は「取り消せる行政行為」と言って、誰かが「これはおかしい」と言うまでは有効です。でも、「無効な行政行為」は、誰も指摘しなくても最初から効力がないんです。つまり、「無効な行政行為」は、問題があまりにも大きいため、「そんなこと最初からなかったことにしましょう」と扱われるということです

 

 

 

≪追記―3≫~「ガイドライン」違反が明白に!!??

 

 「新花巻図書館整備基本計画(案)」を議題とする市立図書館協議会(委員12人)が5月13日午後2時から開催される。審議に付す資料配布などについて「審議会等の設置及び運営に関するガイドライン」(令和6年7月、一部改正)はこう定めている。「会議資料は、審議等の内容を明確かつ簡潔にまとめること。また、事前に各委員等に配布するよう努めること。(遅くても3日前)」―

 

 公募委員のひとりは「まだ、届いていない。配布は当日になるらしい」と怒りを隠さない。10年以上に及び、世論を二分した「図書館」論争に決着をつけための重要な会議への資料配布が当日とはとても信じられない。審議時間をなるべく少なくしようという”底意”さえ感じられる。明らかな「ガイドライン」違反である以上、当日は資料配布と説明に止め、改めて審議の場を設定すべきであろう。

 

 なお、「整備基本計画(案)」に対するパブリックコメント(4月1日から同30日まで公募)の結果については5月12日現在、HP上などでの公表はなされていない。ちなみに「パブリックコメント制度に関する指針」(平成29年7月、一部改正)には以下のように規定されている(意見の処理)。

 

1、 実施機関は、提出された意見を考慮して意思決定を行うものとする。 
2 、実施機関は、提出された意見に対する考え方を取りまとめ、提出された意見と併せ て公表するものとする。 
3、 実施機関は、提出された意見を考慮して、公表した案等を修正して意思決定を行ったときは、その修正の内容及び理由を公表するものとする。

 

意見集約の信憑性に疑義…“図書館”立地のためではなく、“駅前”立地のための意見集約だった―という手の込んだ謎解きに挑んだ結果は(パブコメ総集編)!!??

  • 意見集約の信憑性に疑義…“図書館”立地のためではなく、“駅前”立地のための意見集約だった―という手の込んだ謎解きに挑んだ結果は(パブコメ総集編)!!??

 

 市側は「駅前立地」に至った意見集約の根拠について、①重要視された分類の上位五つは「アクセス」(56人)、「活性化」(51人)、「安全」(42人)、「周辺環境』」(40人)、「駐車場」(34人)となった、②この結果から、「活性化」「アクセス」については「明らかに駅前が良い」、「周辺環境」「安全」については「どちらかといえば駅前がよい」と4分類において駅前が評価され、総合花巻病院跡地については「駐車場」についてのみ「どちらかといえば病院側がよい」と評価されたことが分かった―としている。

 

 以下に疑問点を列挙する。市民の多くも同じような疑問を抱いており、「新花巻図書館整備基本計画」(案)においては、その点に留意して記述するように要望する。

 

 

1)ヒアリングシートの「10分類」の指標は対話型「市民会議」の総意を反映する形で作成されたのか。メインファシリテーターである山口覚・慶応義塾大学教授の助言はあったのか。あるいは同種のひな型を参考にしたのか。

 

2)上位五つの選択は会議参加者に委ねたとのことであるが、AI による解析によると、そのほとんどが「知のインフラ」とも呼ばれる図書館立地にはなじまない指標となっている。むしろ、商業施設やアミューズメント施設などを対象とした意見集約といった方が的確かもしれない。逆に言えば、会議参加者の側に「図書館とは何ぞや」という根本的な認識が希薄だったことの証左とも言える。こうした「図書館」認識について、メインファシリテータ―や市側の担当者による助言・指導はなかったのか。

 

3)意見集約に当たって、なぜ上位五つの分類だけを適用したのか。むしろ、「他施設との連携」や「文化・歴史」「防災」など下位の方が図書館立地の適否を判断する上で重要な指標であると考えるが、それを除外した理由は何か。分類指標に順列を付けることを統計学上では「順序バイアス」と呼ばれ、今回の場合も「駅前立地」へ有利に働くような順列になっていると思われる。ただ、こうした腹の探り合いは余り生産的ではないので、この場では駅前立地の決め手とされた「4分類」の指標が”図書館もどき”ではなく、いかに真正の図書館との“親和性”に欠けているのか―以下に具体的な検証を試みたい。


 

 

●そのひとつの「周辺環境」について、AI は「駅前は人通りが多く、夜でも明るくて安心できる」(令和7年3月15日号「広報はなまき」)とその理由を回答している。周辺環境あるいは立地環境は図書館のような文化施設の場合、とりわけ重要視される指標である。そのケーススタディとして、以下の事例を取り上げたい。

 

 岩手の地で「石と賢治のミュージアム」(一関市)を立ち上げるなど、賢治を“実践”したことで知られる吉成信夫さんは「公募」によって、岐阜市立図書館の館長を2015年から5年間務めた経験がある。その業績が認められ、2022年には先進的な活動に贈られる最高賞「ライブラリーオブザイヤー」に輝いた。

 

 「みんなの森/ぎふメディアコスモス」の中にその図書館はある。岐阜駅から北へ約2キロメートル、岐阜城がそびえる金華山のふもとにその施設は位置している。設計したのは著名な建築家の伊東豊雄さん。「岐阜駅─長良川─金華山をつなぐ緑の拠点をつくることで、街に緑のネットワークが広がっていくことを期待したい」と設計の動機を語っている。メディアコスモスは開館9カ月半で、来館者100万人を達成した。図書館を含むこの複合施設を軸にした雄大な「周辺環境」が誘客に貢献しているのは言うまでもない。金華山を望むテラス席は人気の的になっている。

 

 一方、当市の建設候補地のひとつだった「病院跡地」も霊峰・早池峰を眺望できる位置にあり(残念ながら、花巻城址はがれきの荒野と化して、見る影もないが)、広い敷地にも恵まれている。メディアコスモスもそうであるように図書館という建造物は「世界の美しい図書館5選」などのセレクションに見られるように、その造形美も試される文化施設である。駅舎やホテルなどに囲まれたビル群の中に造形美を求めるのはそもそも、無理である。「人通りが多く、夜でも明るい」というだけでは余りにもみすぼらしくはないか。これでは図書館が泣いてしまう。

 

 

●さらに、AIは「安全」について「駅前は交番が近く、明るく夜も安全」(同上「広報はなまき」)と回答している。一方で、会議参加者の一部からは「病院跡地」について、土砂災害や急傾斜地崩壊などの“災害リスク”を懸念する声も出されたが、議論を深めた形跡はうかがえない。「安全」の解釈の天地の隔たりにびっくりさせられる。

 

 言うまでもなく、建物本体の「安全」の確保は周辺環境に劣らずに重要な指標である。図書館の立地予定地は病院跡地の一部とされたが、市側は確たる証拠を示さずにその安全性は担保されていると述べるに止めた。しかし、当該地全体が市有地である以上、そうした災害リスクを除去することこそが行政の使命である。仮に図書館用地に限らずとも将来、公共施設の利活用に供することを考えれば、安全性の確保の議論こそが急務ではなかったのか。「交番が近いから…」とはこれまた、図書館論議とどう絡むのか。。

 

 

●「アクセス」と「活性化」の指標はいずれも通常の「賑わい創出」には欠かせない指標である。公共交通と図書館との相乗効果による駅前活性化(賑わい創出)は他都市(広島市や和歌山市など)でもよく見られるパターンである。しかし当市の場合、「病院跡地」という有力候補地があったにも関わらず、最初から「図書館は駅前でなければならない」という特殊な事情があった。裏を返せば、今回の意見集約は図書館の駅前立地の適否を判断することではなく、「駅前立地」そのものの“お墨付き”を取り付けるのが狙いだったということである。「図書館」はとどのつまり、”刺身のツマ”に過ぎなかったのである。

 

 「年間80万人」の誘客をスローガンを掲げた総合花巻病院の移転・新築が結局は”空手形”だったことを苦々しく思い出す。華々しい謳い文句の背後には必ず、隠された闇が存在するという”教訓”である。そろそろ、結論を急ごう。

 

 「駅橋上化事業(東西自由通路)の見返りが図書館の駅前立地だった。この二つの巨大プロジェクトによって、『受益』する利害関係者にとっては最初から、『駅前』以外の選択肢はなかった」―。反論がある場合は4月23日付で提出したパブリックコメント「『駅前立地』に至る経緯の記述について」に対して、誠意ある回答を寄せてほしい。

 


 

 5年有余にわたった新花巻図書館の“立地”論争の結末を見ながら、私はこの絵に描いたような“茶番劇”に妙に得心する気分になった。JR花巻駅前のスポーツ用品店敷地にある日突然、「青天霹靂(せいてんへきれき)」劇場が幕を開けた。鳴り物入りの演目は「ある不幸な出自―「『住宅付き図書館』の駅前立地」物語…上田東一市長自らが脚本・演出を手がけたこのサプライズこそがすべての始まりだった。

 

 多くの時間と莫大な金を投じたこの長編劇の筋書きは乗客(市民)をいかにして、終着の「JR花巻駅」まで無事に“道連れ”にすることができるかどうかにかかっていた。その都度、”中立・公正”を装うための、色んな小細工が用意された。たとえばー。度重なるワークショップや市民説明会、「事業費比較」調査、公募「プロポーザル」、果ては真っ黒く塗りつぶされた公文書や議会質疑における虚偽答弁と反問権の乱発…。返す刀で今度はこの私的なブログを”ウソ”呼ばわりしたりと…ありとあらゆる「権謀術数」(けんぼうじゅつすう)が山と積まれた。

 

 進行を妨げようとする市民は強制排除され、電車の前に立ちふさがった市民はまるで、“暴徒”扱いされた。そして、終着駅にたどり着いた途端、詰め腹を切らされたのが市民会議の参加者ではなかったのか。ある意味、最大の犠牲者だったのかもしれない。

 

 万が一将来、“駅前図書館”に何らかの瑕疵(かし)が生じるような不都合な事態が発生した場合、その責任の一切は市側にあることを最後に明記しておきたい。仮にも「市民会議の意向を最大限に尊重した結果…」などという口吻(こうふん)は口が裂けても許されないと…

 

 


 

(写真は白雪に輝く早池峰山。こうした景観を包み込んだ図書館構想は見果てぬ夢と化した=2024年12月末、花巻市内の中心部から)

 

 

≪追記ー1≫~『賑わいを創出する図書館』

 

 ブログで紹介した吉成信夫さんが岩手で過ごした19年間の”賢治”体験の後、岐阜市立図書館長や「みんなの森/ぎふメディアコスモス」の総合プロデューサーを歴任した足跡を記録した上記本(KADOKAWA)を上梓、6月23日に発売される。サブタイトルは「開館9ヶ月半で来館者100万人を達成した『みんなの森/ぎふメディアコスモス』の冒険」ー

 

 吉成さんはFBにこう記している。「岩手からなぜ、岐阜に来て図書館長になったのか。…僕の10年にわたる旅の理由も書いてます。ワタクシからパブリックへ、ジブンゴトとして思い切り書いてみました」。座右の書は賢治の『農民芸術概論綱要』だという。新図書館問題で揺れる花巻市民にはぜひ、読んでほしい1冊である。

 

 

 

《追記ー2》~指鹿為馬(しろくいば)

 

 「憂う市民」を名乗る方から、こんなメールが寄せられた。ピッタリだなと納得した。

 

 指鹿為馬とは、鹿を指して馬だと言い張ることから、誤ったことを無理やり押し通すこと、権力で白を黒と言い張ることを意味する故事成語です。具体的には、中国の秦の始皇帝の没後、趙高が鹿を献じてこれを馬だと白を黒に言い張った故事に由来します。この故事成語と同じ現象が、今も起きていることを深く憂うものです。

 

 

 

《追記―3》~「こんにゃく問答」も顔負けの市民説明会!!??

 

 新花巻図書館の「駅前立地」の最終決定を受け、市当局は4月中旬から旧一市三町で、「整備基本計画」(案)の市民説明会を開いた。延べ118人が参加し、63人と最も多かった「まなび学園」では質疑応答が4時間にも及んだ。その会議録が2日、HP上に公開された。冒頭いきなり、以下のようなやり取りがあった。

 

 噛み合わないどころか、“こんにゃく問答”も顔負け、図書館問題に対する意識のずれは実はしょっぱなからだったことに今さらながら、気がついた。意識的にこう答弁したのだとすれば、それは詭弁どころか詐欺行為にも該当する。国会でも重要案件については、最高責任者の首相発言が欠かせない。質問者の意図は100年の計とも言われる図書館建設に「ゴーサイン」を出したトップの真意を問いただしたもので、至極当然である。とぼけるのもいい加減にしてほしい。それとも、市長への忠誠心、いや忖度(そんたく)かな。

 

(市民)「この説明会にですね、建設場所を決定した市長が顔を見せていないと。これは非常に問題だと思います。すぐ市長室に電話して来てもらうべきだと思ってるんですよ」

 

(市側)「令和2年の1月29日に駅前のスポーツ用品店の場所に図書館をつくって、そこに複合施設ということで、賃貸住宅を図書館の上に併設した図書館を作る構想というのを発表したことがあります。その発表は、市長がしたのではありません。私が議員の方々に発表をしたというものであります。したがいまして、市長がなにも今日来なければいけないということではないと思います」

 

 

 

《追記―4》~教育委員会議も強行突破か!!??

 

 「新花巻図書館整備基本計画の策定に関し、議決を求めることについて」―。この案件を審議する「教育委員会議」(委員長・佐藤勝教育長ら委員6人)が5月19日に開催される。「整備基本計画」(案)に関するパブリットコメント(意見書)は4月1日から同30日まで公募されたが、その締め切りの2週間余りの時期に「議決」を求めるという拙速ぶりに驚かされる。図書館の”本家筋”に当たる同会議がどう対応するかが注目される。

 

 一方、この計画案を議題とする「市立図書館協議会」の臨時会が5月13日に開催されることも告知されるなど市議会6月定例会(5月30日開会、6月7日まで会期19日間)に向けた動きが慌ただしくなってきた。市側は同定例会に関連予算を上程したい構えだが、市民の間には「パブコメがきちんと、計画に中に反映されるのか」と不安の声が聞かれる。

 

 ちなみに、「花巻市パブリックコメント制度に関する指針」(意見の処理)にはこう規定されている。①実施機関は、提出された意見を考慮して意思決定を行うものとする ②実施機関は、提出された意見に対する考え方を取りまとめ、提出された意見と併せて公表するものとする。

 

 

 

《追記ー5》~憲法記念日に寄せて

 

 憲法擁護者を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。私自身、当市の図書館問題は実は民主主義や憲法を考えることと根っ子で通底していると認識している。同じ思いに意を強くした。

 

(公務員の選定罷免権、公務員の本質、普通選挙の保障及び投票秘密の保障)第十五条 

 

1)公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

2)すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。(略)

 

 新図書館整備事業の進捗状況を見るにつけて、花巻市長を始めとする公務員たる市の職員が、この条文をどのように理解しているのか、疑問を覚える。

 

 

 

《追記―6》~夢枕の「東一」さんと「東民」さん!!??

 

 図書館問題に明け暮れたせいなのか、最近、夢枕に「上田東一」市長がしょっちゅう現れる。大抵はまなじりを決して議論しているか、ののしり合っているかの“悪夢”である。ところが、昨夜は「東民」を名乗る人物が…。よく観察すると、昭和30年から3期12年間、釜石市長を務め、落選後に市議に返り咲いた「鈴木東民」元市長ではないか。

 

 反骨のジャーナリストとして知られ、「東民」名は自由民権運動にちなんで名づけられたと言われる。ともに「東大」出身のエリートで、上田市長もちょうど就任3期目の後半に入った。「東大」とは実に日本一を豪語するにふさわしい命名ではないか。と思いながら、この2文字を凝視しているうちに、「大」から「人」が消え、いつの間にか「耳なし芳一」ならぬ、”人(で)なし”「東一」に変身していた。「東民」と「東一」と。まさに、名は体(たい)を表すとはこのことか―と思っていたら、目が覚めた。寝汗がびっしょり…

 

 

 

≪追記ー7≫~素朴な疑問

 

 市民を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。私自身も7本のパブリックコメントを提出。それが基本計画(案)の中に具体的にどう反映されるのか気になっていただけに、同じ疑問を抱く。

 

 

 市のホームページに5月2日、教育委員会議が新花巻図書館整備基本計画の策定に関し議決を求めることについてを議題として、5月19日午前11時頃というような不確定な日程で開催されることが掲載されています。その後5月7日に、市図書館協議会の開催(13日)が新花巻図書館整備基本計画(案)という案の段階の議題が提案されることが市のホームページに掲載されました。

 

 案の段階の新花巻図書館基本計画が市図書館協議会で審議される前に、どうして教育委員会議で案の段階でなくて成案として議題となるのでしょうか。市役所のルールではOKなのかもしれませんが、普通に考えると出来レースのような手続きのように感じられます。

 

 

≪追記―8≫~何やら、天井裏が騒々しい!!??

 

 追記の「4」と「6」で指摘したように、教育委員会議や市図書館協議会の日程設定の拙速さが目立っているが、念のためにその経緯を調べた結果、市図書館協議会臨時会のHP上の開催告知の初出はパブリックコメントを募集中の4月28日付(締め切りは同月30日)。この時の議題は「新花巻図書館整備基本計画(案)」で、開催日時は5月13日午前10時となっていた。その後、5月7日付の告示で、開催時間が「午後2時」からに変更になったが、初出の28日付の告知はすでにHP上から削除されている。

 

 図書館協議会で審議する内容については「審議会等の設置及び運営に関するガイドライン」の規定で、遅くとも会議開催3日前までに資料を配布しなければならないとされている。しかし、その3日前にあたる5月10日現在、その資料となるべき新図書館整備基本計画のパブリックコメントの結果が公表されていない。審議する内容が確定していない現状で、図書館協議会を開催することは同上ガイドラインに違反している。

 

 一方、当日の審議資料が仮にパブコメ抜きの「計画案」だとすれば、市民参画の上位に位置するパブコメ(市民の意見表明)を無視した単なる“お墨付け”を取り付けるだけの儀式と見られても致し方あるまい。最終の「成案」を審議するのが図書館協議会の役割であり、場合によっては、図書館問題の成否をにぎる図書館協議会自体の存在意義も問われかねない。