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新図書館“悲話”…最高学府の中の最高学部―東大法学部コンビが「イーハトーブ」を破壊した元凶だった!!!???

  • 新図書館“悲話”…最高学府の中の最高学部―東大法学部コンビが「イーハトーブ」を破壊した元凶だった!!!???

 

 「私はやはりJRの駅前構想というのが市民にとっては突然という形で、市長から発表 され、そのあたりからですね、非常に混乱してきたということですので、首長も含めてですが、政治としての議会も含めて、私は非常に極めてその責任は重いと思っていると言わざるを得ないです。ですので、議会でこれをしっかり透明な場所で議論をして、最終的に良い合意形成をしてほしいと思います。かつ市長と議会が今、なぜここなのか、どういうプロセスを経てここなのか。やはり市民の前に出て自分の言葉で説明をしていただきたいと思います。そうしていただくということ、そしてその市民の理解を得ていただくということを前提条件として私自身は決議をしたいと思います」(会議録から、要旨)―

 

 5月19日に開催された「教育委員会議」(佐藤勝教育長ら委員6人)で、新花巻図書館の「実施基本計画」を最終的に決定した席上、委員のひとりの役重真喜子・岩手県立大学総合政策学部准教授が「駅前立地」をめぐって、こう発言。他の委員も同意した。一見、市民に寄り添うような発言内容に目を引かれたが、「待てよ」と何度か反芻(はんすう)した。当ブログ(5月5日付と同11日付)でも指摘してきたが、「補助執行」という図書館“行政”の闇の部分がこの「役重」発言によって、あぶりだされたように思ったからである。

 

 教育部門の補助執行については「花巻市教育委員会の権限に属する事務の補助執行に関する規則」(平成19年3月)で定められている。その中で、補助執行させる事務は「花巻市立図書館に関すること。花巻市立図書館協議会に関すること」で、担当職員は「生涯学習部長、新花巻図書館計画室の職員及び図書館の職員」に限定され、予算執行を除く市長の関与は排除されている。つまり、図書館を所管するのは本来教育委員会であり、首長部局が図書館部門に関わることができるのは「補助執行」に限定され、それに伴う関連事務も教育委員会の監視下で行われなければならないということである。

 

 ところが、「役重」発言を見る限り、そうした主体的な立ち位置はほとんど感じられないどころか、逆に首長部局の“暴走”ぶりや議会側の機能不全に批判の矛先を向けているように思える。行政学者の肩書を持つこの人が「補助執行」という地方自治のイロハを知らないはずはないと思うだけにナゾは深まるばかりである。

 

 役重さんは東大法学部を卒業後、国家公務員第1種試験にトップ合格し、農林水産省に入省。その後、研修先の魅力にひかれて合併前の旧東和町役場に就職。同町教育次長、合併後は花巻市まちづくり部地域づくり課長、総務課長などを務め、2012年に退官した。農村風景をコミカルに描いた自著『ヨメより先に牛(ベコ)がきた』(家の光協会、2000年4月)は「はみ出しキャリア奮戦記」として、話題を呼んだ。上田東一市長が就任した2014年から市教育委員会委員を務め、現在に至っている。役重さんは前記の会議でこうも発言している。

 

 「最終的な意思決定するのは議会ですので、それを大前提としてお話をしていますが、市としては議会に判断をしていただく行政の専門性、専門家としての案を出さなければいけないことですよね。今回、計画としてお出しするというときに、その市民会議の対話による議論を重視した、重視するということについては、問題ないと私は思っています。しか し、それによって市が決めました。ということは、適切ではないと思います。図書館としてのその専門性の見識を市としてもたくさん今まで積み重ねてきたはずです。 そういったものを総合的に市として、こういう理由で判断しました。と言うのでなければ、市民会議の方たちもちょっと自分たちが結論出したみたいになりかねないですし、市としての専門家集団としての責任ということとも、少し違うような気がします」(会議録から、要旨)

 

 学者の“正論”としてはうなずけるが、教育行政に長く携わってきた立場の発言としては余りにも他人行儀ではないか。「図書館とはこうあるべき」という専門的な見地からのコミットがほとんど、感じられない。まるで「丸投げ」の体(てい)である。一方、議会側が「機能不全」に陥っているという指摘については、その門外漢的な姿勢はさておき、二元代表制が危機的な状況に陥っていることに対する警鐘だと受け止めておきたい。

 

 一方、同じ東大法学部出身の上田市長は首長部局と図書館とのかかわりについて、地方自治法(第147条、第148条及び第154条)などを根拠にこう答弁している。「普通地方公共団体の長は当該普通地方公共団体を統轄し、これを代表する。普通地方公共団体の事務を管理し及びこれを執行するなど広範な権限を与えられており、同法154条において生涯学習部職員を含む職員の指揮監督権限を与えられている」(令和3年6月市議会定例会「会議録」から。要旨)―。つまり、「補助執行」を度外視する形で、新図書館の「整備基本計画」に直接関与することの正当性を強調する内容になっている。一体、当市の図書館“行政”の中で何が起きていたのか。

 

 「役重」発言については、6月2日開催の市議会6月定例会の一般質問で、本舘憲一議員(はなまき市民クラブ)が取り上げた。これに対し、佐藤教育長は「当局と議会側がしっかり、議論してほしい」というメッセージとして受け止めたとし、一方の上田市長は「大衆団交のような形でなければ、市民の前で説明することはやぶさかではない」と答えるに止まった。

 

 「教育委員会」制度について、文部科学省はHP上でこう位置付けている。「行政委員会の一つとして、独立した機関を置き、教育行政を担当させることにより、首長への権限の集中を防止し、中立的・専門的な行政運営を担保すること」―。この大原則がことごとく踏みにじられたのが、新花巻図書館の“迷走劇”の実態だったのである。生涯教育の「原点」でもある図書館問題が首長部局と教育部局の間の“密室”ゲームに終始したことのツケは計り知れないほど大きい。

 

 最高学府の最高学部で「法律」の大切さを学んだはずの当の本人たちが「コンプライアンス」(法令遵守)を蹂躙(じゅうりん)していた―。私たち市民はいま、まるで“悪夢”でも見せつけられるような残酷な現実の前に立たされている。考えて見れば、「新花巻図書館」号は発車する以前にすでに“脱輪”状態にあったということである。その犠牲者は納税者たる市民に他ならない。

 

 

 

 

 

(写真は当時、話題をさらった役重さんの奮戦記=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

≪追記≫~「サイレント・マジョリティ」VS「ノイジー・マイノリティ」!!!???

 

 

 「多くのサイレント・マジョリティーが我慢を強いられているということにもなりかねないと思っています」―。当ブログで取り上げた「役重」発言にこんなくだりがあります。上田市長、あなたはこの発言を引き取る形で、たとえば、「声の大きい人」をイメージする言葉として「ノイジー・マイノリティ」という表現を口にしていました。そのひとりを自認する私の体験談を伝えておきましょう。

 

 いまから65年前の昭和35(1960)年、日本では日米安保条約の改定に反対する「60年安保」の嵐が吹き荒れていました。そんなさ中、当時の岸信介首相は「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつもの通りだ。私には“声なき声”が聞こえる」として、改定を強行しました。今日のあなたの発言が当時の岸発言と違和感なく重なりました。あなたの先輩である東大生の樺美智子さんが機動隊とのもみ合いで死亡した時、私はすぐそばにいました。亡霊のような「ノイジー・マイノリティ」がいまなお、あなたの中に息づいていることにゾッとしました。いや、「サイレント・マジョリティ」こそが権力者が操る歴史の常とう手段なのかもしれませんね。

 

 

 

 

早くも上方修正…新図書館関連予算~“迷走劇”のツケがいま、現実に~市長の“不規則”発言が火に油!!??

  • 早くも上方修正…新図書館関連予算~“迷走劇”のツケがいま、現実に~市長の“不規則”発言が火に油!!??

 

 「わずか半年足らずの間に40億円超へ」―。新花巻図書館の「駅前立地」を受けた補正予算案が30日開会の市議会6月定例会に上程された。昨年10月「候補地比較調査」報告書で示された概算事業費(3,992,423千円)の内訳の中では「測量及び調査費」は14,180千円、「計画及び設計費」は330,940千円となっていた。これらが今回の補正予算(案)でそれぞれ15,436千円と408,000千円に増額された結果、補正後の概算事業費は合計78,316千円の増となる「4,070,739千円」にふくれあがった。

 

 さらに、「測量及び調査費」と「計画及び設計費」の合計額は比較調査時点で345,120千円だったが、補正後には423,436千円とその伸び率は約23%に上っている。わずか半年でのこの伸び率から換算すると、実際の工事に着手する時点での事業費はかなり高騰していると見込まれる。

 

 また、今回の予算措置では設計業者を選定するための「公募プロポーザル」方式に要する費用として、359千円が計上されている。しかし、「候補地比較調査」を受託した大日本ダイヤコンサルタント(株)がすでに、設計業務を含む概算事業費を見積もっているにも関わらず、「なぜまた、公募か」という疑問がつきまとう。この手法をめぐっては昨年夏、意見集約を行う業者を選定するために実施されたが、合格点に届かずに不調に終わった経緯がある。これに代わった「対話型市民会議」が駅前立地のイニシアティブを握ったのは周知の事実である。

 

 前回の「比較調査」データは立地選定の際の大きな判断材料になっただけに今回の加算の根拠に議会の論議が集まりそうだ。こうした概算事業費の増大の背景としては図書館問題の解決を10年以上、先延ばししてきた行政責任も問われなければならない。今議会はその意味で「新図書館」をめぐる総括的な議論の場になることを期待したい。公共事業“受難劇”は当市だけに止まらない。

 

 資材費や人件費、物価高の影響は全国各地で公共事業の入札不調を招くなど自治体運営を直撃している。たとえば、新図書館建設の是非が争点になった静岡県伊東市の市長選挙(5月18日投開票)では新人で元市議の田久保真紀さん(55)が初当選を果たした。田久保さんは選挙戦を通じて、「なぜいま新しい図書館なのか。財源の負担がないから良いという考えで取り組むのは、少し考えが違うのではないか 『民意が反映されていない』との思いから計画は中止し、市民が本当に求めているものを探るべきだ」と主張してきた。

 

 上田市政は「駅前立地」を強行した理由のひとつとして、「国庫補助」(合併特例債)の発行期限が令和12年度に迫っていることを理由のひとつに挙げているが、伊東市の直近の事例に謙虚に学ぶべきではないか。「伊東にいままでなかった施設(図書館)が国の援助を得て出来るということになり、こんなに大きなチャンスはないと考えていて、やはり積極的に取り組むべきだ」―こう訴えていた現職は敗北した。「他山の石、以て玉を攻むべし」(詩経)という諺(ことわざ)もある。

 

 

 

 

(写真はJR“駅前図書館”のイメージ図=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

≪追記―1≫~伊東市の田久保新市長が図書館の入札中止を職員に指示!!??

 

 新図書館建設の是非が争点になっていた静岡県伊東市長選で、現職を破って初当選した田久保真紀市長が5月30日に初登庁し、さっそく図書館の入札中止に踏み切った。今次の市長選では国の補助に“おんぶに抱っこ”の現職に対し、「優先順序を精査し、民意に耳を傾けるべきだ」とする新人候補に軍配が上がった。当市も同じような課題を抱えており、伊東市民の選択に注目が集まっている。「変えるものは変える」と主張する新市長の一問一答は以下のアドレスから。

 

 https://share.google/4qE6nod49aTQDBK8b

 

 

 

≪追記―2≫~図書館の存在が要介護リスクの改善へ!!!???

 

 「まちに充実した図書館があると、要介護者が減るのではないか」―。こんな仮説を裏付けるユニークな研究成果が明らかになった。慶応義塾大学SFCキャンパスの佐藤豪竜・総合政策学部専任講師らの共同研究で、全国の高齢者7万人を対象に調査した結果、「図書館が多く充実している街ほど要介護者が少ないことが示された」としている。

 

 ところで、SFCと言えば「対話型市民会議」のファシリテーター(進行役)を務めた同じSFCキャンパスの山口覚・大学院特任教授の名前が記憶に新しい。市側は若者世代の駅前待望論をタテに一貫して「駅前」を主張。山口教授の助言を得る形で市民会議も「駅前立地」を選択した。仮に佐藤専任講師がファシリテーターに選任されていたなら、ひょっとして“立地論争”は180度違った展開を見せていたかもしれない。なお、令和5年1月現在の当市の要介護(要支援を含む)認定者は北上市より、1,555人多い6,178人に上っている。詳しくは以下のアドレスから。

 

 https://x.com/i/trending/1928230175797387516/normal

 

 

 

≪追記―3≫~上田市長が行政報告の最中に“不規則”発言…正気なのか!!!???

 

 「○○議員、目を覚ましてください」―。議会中継を見ていた私の耳には確かにそう聞こえたような気がした。5月30日に開会した市議会6月定例会で行政報告をした際、上田東一市長が手元の原稿から目を離しながら、後部の議員席に向かって、ボソボソと何ごとかをつぶやいた。居眠りを諭すつもりだったのか、(物事に対する)覚醒を促すつもりだったのか…

 

 仮に冒頭の発言が事実だとしたら、その確認を怠った責任は大きい。当の「○○議員」は「私の耳にも届いた。目をつぶって報告を聞いていた」と言っている。オフレコ発言だから、読み原稿にはその発言は残っていないにしても、音声記録はあるはずである。議員の名誉のためにも事実関係をはっきりさせるべきである。それにしても、こうした“不規則”発言もスルーしてしまう議長采配の無能ぶりにも驚かされる。

 

 

 

≪追記―4≫~「知る権利」を蹂躙、ガバナンス(内部統制)崩壊のシグナルか!!!???

 

 市議会定例会の冒頭に行われる市長による「行政報告」はこれまで、開会当日(5月30日)にHP上に公開されるのが慣例となっていたが、31日現在まだ掲載されていない。また、市民の生活に直結する予算案についても開会当日に議員説明会での説明が終わっているのに、市民への告示は未だにない。「知る権利」を蹂躙(じゅうりん)する“暴挙”と言わざるを得ない。「追記―3」で触れた“不規則”発言にどう対応するかも含めて、市側の出方を注視したい。

 

<注>~上記「行政報告」と議員説明会について、1日遅れでHP上に公開されたことを31日正午過ぎに確認した。なお、上田市長の”不規則”発言にかかる事実関係や釈明などは一切なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イーハトーブ」を破壊し尽くした責任を取って…上田市長と佐藤教育長は“腰ぎんちゃく”議員を道連れにして、直ちに辞職せよ~伊東市では新図書館反対の新人が初当選!!!???

  • 「イーハトーブ」を破壊し尽くした責任を取って…上田市長と佐藤教育長は“腰ぎんちゃく”議員を道連れにして、直ちに辞職せよ~伊東市では新図書館反対の新人が初当選!!!???

 

 「1・29」(2020年)から「5・19」(2025年)へ―。「新花巻図書館整備基本計画の策定に関し議決を求めることについて」―を議題とする教育委員会議(佐藤勝教育長ら委員6人)が5月19日に開催され、全員賛成で「整備基本計画」を最終的に議決した。議決に際し、役重眞喜子委員は「なぜ、駅前なのか。どういうプロセスを経たのか。市長が市民の前で自分の言葉で説明してほしい。これが議決の前提条件だ」と釘を刺した。今後は予算審議を伴う市議会の動きが焦点となるが、私はこの日が「終わりの始まり」の節目の日になるような予感がした。

 

 5年前の「1・29」に勃発した「イーハトーブ“図書館”戦争」は5年有余を経た本日「5・19」をもって、一見、市側の思惑通りに決着がついたように見える。しかし、私がこの間、目の当たりにしてきた光景はまるで、地底(じぞこ)から湧き出てくような草の根のエネルギーだった。マグマのような、その噴出を私は身震いするような面持ちで見続けてきた。「強権」支配に抵抗するその感動的な場面の数々は当ブログで縷々(るる)紹介してきたので、ここでは繰り返さない。私がいま、声を大にして叫びたいのは「5・19」が新たなスタート台になるであろう「始まり」宣言の発出である。

 

 

●「イーハトーブ」を破壊し尽くした責任を取って…上田市長と佐藤教育長は“腰ぎんちゃく”議員を道連れにして、直ちに辞職せよ●

 

 

 この若干、アジテーションめいた惹句を説明するためには文章よりも2枚の写真があれば事足りる。まず、冒頭の集合写真をじっくり、見ていただきたい。当ブログにも何回か登場願ったが、2年前の花巻まつりの際の記念写真である。上田東一市長の右隣が広瀬めぐみ・元参議院議員(詐欺事件で有罪となり、昨年8月に議員辞職)、さらにその右隣が藤原崇・元衆議院議員(昨年10月の総選挙で落選)。上田市長の左隣が川村伸浩・県議、前列右側が藤原伸・市議会議長で、他は市議会最大会派「明和会」の所属議員。お祭りだから、”提灯持ち”議員の方がピッタリか。また、右後方で嬉しそうに顔出ししているのは八重樫和彦・副市長である。

 

 この写真を眺めていると、広瀬、藤原両元国会議員の選挙運動にまさに、職務を投げ打つがごとく打ち込んでいたのが、上田市長とその提灯持ちに徹してきた写真の面々だということをまざまざと思い出す。そういえば、この時の選挙は皮肉交じりに”統一(東一)”教会がらみと騒がれたっけなぁ…

 

 一方、コメント欄に掲載した写真は2023年秋、米国・ホットスプリングス市との姉妹都市提携30周年を祝う花巻市民訪問団が派遣された際、佐藤勝教育長がダラス郊外の遊園地で収まった「ハイッ、ポ-ズ」写真である。訪米する10日ほど前、直属の部下が10代の女性にみだらな行為をしたという疑いで逮捕されるという事件があった。そのほとぼりも冷めないうちのこのポーズだった。

 

 「失われた10年」という言葉がある。1990年代のバブル崩壊後、経済が低迷した約10年間を指す。新図書館問題が迷走を続けた上田市政もちょうど丸10年を迎えた。来年2026年は市長選と市議選とが相次ぐ「選挙の年」である。「イーハトーブ」を破壊したと私が認識する面々はこの写真に登場する人物たちである。このほか、最後の生命線だった「図書館問題」に背を向けた市議たちの名前を以下に列挙する。今回の「始まり」宣言は二度と誤った「選択」を繰り返してはならないという不退転の自己決断でもある。「失われた10年」を取り戻すための…

 

 

<ひと目で分かる忖度議員リスト>

 

 図書館問題について、一般質問などで取り上げたことがなかったり、立ち位置を鮮明にしてこなかった市議、一般的に市長”与党”と呼ばれる「忖度」議員リストは以下の通り、かっこ内の数字は当選回数(敬称略)

 

・明和会~藤原伸(3回、議長)、高橋修(3回)、佐藤峰樹(2回)、盛岡耕市 (同)、横田忍(同)、及川恒雄(1回)、伊藤忠弘(同)、藤根清(同)、小原保信(同)

 

・社民クラブ~阿部一男(6回、最多当選)、若柳良明(5回)、照井省三(3回、上田東一後援会事務局長)

 

・公明党~菅原ゆかり(3回)、佐々木精市(1回)

 

 

 

 

(写真は今や、“文化財”的な価値さえある「イーハトーブ」の破壊者リスト=2023年9月10日、川村県議のFBから)

 

 

 

≪追記ー1≫~総事業費42・5億円の新図書館はいる?いらない?

 

 静岡県伊東市の市長選は5月25日に投開票が行われるが、ここでも大きな争点が図書館問題。人件費や資材費の高騰が足を引っ張る形になっているが、さて、新花巻図書館の前途は?詳しくは次のアドレスから。

 

総事業費42.5億円の新図書館はいる?いらない? 伊東 …

 

 

 

≪追記ー2≫~やっと、「掲出」されましたね!!??

 

 「祝 阿部暁子さん(花巻市出身) 2025本屋大賞受賞「カフネ」 岩手県の初の受賞」―。5月23日付のHP上の告知によると、こんな懸垂幕が市庁舎本庁舎に掲げられた。花巻東高校出身の翔平君や雄星君ら大リーガーたちの活躍は即座に告示されていたのに比べて、ずいぶんと間が抜けているではないか。受賞が決まったのは1ヶ月以上も前の4月9日。新図書館問題で顕著になった上田市政の文学的な”音痴”ぶりがこんなところにも…

 

 ひょっとして、阿部さんが地元の首長を飛び越えて、達増拓也県知事を表敬訪問(5月9日)したことが、”表敬イベント”がことのほか好きそうな上田東一市長の気に障ったのかも。それにしても、「掲出」(けいしゅつ)とはこれまた、文学的な素養を欠いたいかにも”お役所”的な表現ですな。そして、その問い合わせ先が「図書館」とは、あぁ。

 

 

 

≪追記ー4≫~新図書館反対の新人が初当選(追記―1関連)

 

 任期満了に伴う静岡県伊東市の市長選挙は、新人で元市議の田久保真紀さん(55)が、3選を目指す現職の小野達也さん(62)に競り勝ち、初当選を果たしました。選挙戦で田久保さんは新図書館建設の中止などを訴えていました。 田久保真紀氏 1万4684票 小野達也氏  1万2902票(5月26日付Yahooニュース)

 

 田久保さんは選挙戦を通じて、こう訴えてきた。「優先順位の問題として、なぜいまこの時期に真っ先にやらなければいけないのが図書館なのかということに尽きる。経済状況を含めて、観光についても伊東市は決して非常に豊かで潤っている状況とは言い難い面もある。 そういった中でなぜいま新しい図書館なのか。財源の負担が無いから良いという考えで取り組むのは、少し考えが違うのではないか 『民意が反映されていない』との思いから計画は中止し、市民が本当に求めているものを探るべきだ」

 

 これに対し、現職の小野氏は「伊東にいままで無かった施設が国の援助を得て出来ると言うことになり、こんなに大きなチャンスは無いと考えていて、やはり積極的に取り組むべきだ」と主張したが、及ばなかった。今回の市長選は当市が抱える新図書館問題とある意味で相似形をなしていると言える。

 

 

 

 

パブコメ“春闘”、ゼロ回答…この程度のレベルの人間に図書館問題を委ねていたとは、あぁ無情!!!???

  • パブコメ“春闘”、ゼロ回答…この程度のレベルの人間に図書館問題を委ねていたとは、あぁ無情!!!???

 

 新花巻図書館整備基本計画(案)に対するパブリックコメント(意見公募)の実施結果が5月18日付のHP上に公開された。公募期間は4月1日から同30日までで、応募総数は86人(133件)。私は7件について応募したが、とりわけ花巻という風土性を重視した「図書館像」―「宮沢賢治コーナーの充実と「まちづくり」について」(4月1日提出)の実施結果を検証する。ほとんどが基本計画(案)の中にすでに取り入れられているという回答になっているが、まずパプコメの全文を再掲し、それを受けた形で市側の対応を掲載する。

 

 

<パブコメ全文>

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(『春と修羅』序)―。賢治は自らを“現象”と位置づけているから、言ってみれば永遠に不滅の存在である。そんな賢治の全体像を具現する空間としての「宮沢賢治コーナー」をぜひ、設置してほしい。それを実践するためのいわば“処方箋”を以下に素描する。賢治関連本や資料などを蒐集し、単に閲覧に供するだけではいかにも浅慮と言わざるを得ない。このコーナーを図書館の内分館と見立て「IHATOV・LIBRARY」と命名することも合わせて要望する。ある意味、新花巻図書館の誕生は「イーハトーブ・ルネサンス」(文明開化)の幕開けといった趣(おもむき)も兼ね備えていると思うからである。

 

 

●「賢治の森」コ―ナ―の設置

 

 賢治を「師」と仰いだ人材はキラ星のように存在する。例えば、原子物理学者の故高木仁三郎さんが反原発運動の拠点である「原子力資料情報室」を立ち上げたのは賢治の「羅須地人協会」の精神に学んだのがきっかけだった。また、アフガニスタンでテロの銃弾に倒れた医師の中村哲さんの愛読書は『セロ弾きのゴーシュ』で、絶筆となった自著のタイトルはずばり『わたしは「セロ弾きのゴ-シュ」』だった。さらには、シンガーソングライターの宇多田ヒカルのヒット曲「テイク5」は『銀河鉄道の夜』をイメ-ジした曲として知られる。
 

 一方、戦後最大の思想家と言われた故吉本隆明さんに至っては「雨ニモマケズ」を天井に張り付けて暗唱していたというから、「賢治」という存在がまるで“エイリアン”のようにさえ思えてくる。吉本さんを含めた宮澤賢治賞とイーハトーブ賞(いずれも奨励賞を含む)の受賞者はこれまでに144の個人・団体に上っている。こうしたほとばしるような“人脈図”がひと目で分かるようなコ―ナ―を設置し、賢治という巨木がどのように枝分かれしていったのか。なぜ、賢治がその人たちの人生の分岐点に立ち現れたのか―その全体像を森に見立てて「見える化」する。さらに、定期的に受賞者を招き「私と賢治」をテーマにした講演会を開催する。

 

 

●「図書館」を軸としたまちづくり

 

 「図書館は屋根のある公園である」―。「みんなの森/ぎふメディアコスモス」の総合プロデューサーを務めた吉成信夫さんはこんなキャッチフレーズを掲げながら、こう述べている。「図書館というのは、今までのように閉鎖形で全部そこの中で完結しているというふうに考えるのではなくて、むしろ図書館の考え方が街の中に染み出していく。そして、街づくりというか、街の考えが図書館の中にも染み込んでくる、その両方が浸透しあうような造り方というのが、たぶん、これからいろいろな形で出てくるだろうと思っています」(開館1年後の記念講演)
 

 メデイアコスモスの中核施設である岐阜市立図書館館長を2015年の開館から5年間、務めた吉成さんは青壮年期に「石と賢治のミュージアム」や「森と風のがっこう」、「いわて子どもの森」(県立児童館)など岩手の地で賢治を“実践”した貴重な経験を持っている。その集大成は図書館の先進的な活動に贈られる最高賞「ライブラリーオブザイヤー」(2022年度)の受賞に結実した。
 

 「柳ヶ瀬商店街を活性化することに図書館がどうやって寄与できるのか」―。館長としての初仕事はかつて「柳ヶ瀬ブルース」に沸いた商店街の立て直しだった。そして、総合プロデューサー退任後の昨年9月、「無印良品柳ヶ瀬店」の店内の一角に本を陳列した無料の交流スペースがオープンした。名づけて「本のひみつ基地」。柳ヶ瀬商店街の歴史を展示した資料が並べられ、朗読会などにも利用される。仕掛け人のひとりである吉成さんは「足元の文化的な価値を見直し、今後のまちづくりに生かしたい」と抱負を語っている。まさに、“全身図書館”の本領発揮である。
 

 この「吉成流」に学び、図書館の来館者を駅前一極に限定せずに上町など中心市街地に呼び込むような新たな“人流”を形成する。「IHATOV・LIBRARY」で賢治を満喫した来館者を賢治の生家や一時期、教鞭を取った旧稗貫農学校(旧花巻病院跡地)、賢治の広場、花巻城址などのゆかりの地へと誘い、まち全体の賑わい創出につなげる。賢治の道案内でフィールドワークに出かけるという趣向である。

 

 

●「文化と観光」とのコラボミックス

 

 「科学だけでは冷たすぎる。宗教だけでは熱すぎる。その中間に宮沢賢治は芸術を置いたのではないか」(岩手ゆかりの作家で賢治関連の著作もある井上ひさし)―。兵庫県豊岡市で「演劇」によるまちおこしを実践している劇作家で演出家の平田オリザさんは自著『但馬日記―演劇は町を変えたか』の中で、井上のこの言葉を引き合いに出しながら、こう書いている。「賢治の思いが、100年の時を経たいまよみがえる。熱すぎない、冷たすぎない、その中間に芸術や文化を置いたまちづくりが求められている」。その活動拠点は芸術文化と観光をコラボした全国初の4年制大学―「兵庫県立芸術文化観光専門職大学」である。そういえば、詩人で彫刻家の高村光太郎は戦後の荒廃期、賢治童話を演じる子どもたちの姿に感激し、その児童劇団に「花巻賢治子供の会」の名称を献上したというエピソードも伝え残されている。
 

 さて、今度はその「オリザ流」に学びたい。著作や翻訳書、研究書、評論、映画やアニメ、漫画本、演劇、ドキュメンタリー、果てはアンチ賢治や地道な地元研究者の労作…こうした「多面体」としての賢治の一切合財を集めた「IHATOV・LIBRARY」が実現すれば、日本だけでなく、世界中から賢治ファンなどのインバウンド需要を喚起し、温泉観光地としての活性化も期待できる。また、賢治関連本は毎年、陸続と出版が続いており、まさに賢治“現象”には終わりがない。「世界で行きたい街」の第2位にノミネートされた盛岡に見習い、「世界で一番、行きたい図書館」を目指す。賢治の壮大な“実験場”としての「IHATOV・LIBRARY」こそが、未来を切り拓く「マコトノクサノタネ」(賢治作詞「花巻農学校精神歌」)を育(はぐく)む圃場である。

 

 

●「平和と連帯」メッセージの発信拠点に

 

 東日本大震災の際、米国の首都・ワシントン大聖堂で開かれた「日本のための祈り」やロンドン・ウエストミンスター寺院での犠牲者追悼会など世界各地で、英訳された「雨ニモマケズ」が朗読された。また、この詩に背中を押されるようにして、世界中からボランティアが被災地へ駆けつけた。そして、年明けの厳寒の元日に起きた能登半島地震。この時もこの詩に詠われた「行ッテ」精神がボランティアを奮い立たせた。さらに、「3・11」で甚大な被害を受けた岩手県大船渡市が未曽有の山林火災に見舞われた今回の災厄に際しても、賢治の寄り添い合いの精神が未来への光をともし続けている。
 

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)―。世界に目を向けると、いまもあちこちで戦火が絶えない。ウクライナやガザ…世界全体の悲しみの地にもこのメッセージを届けたい。「平和と連帯」を希求する賢治の心の叫びを積み込んだ「銀河鉄道号」…その始発駅は「IHATOV・LIBRARY」こそが一番、ふさわしい。

 

 

●将来のまちづくりに向けて

 

 「豊かな自然/安らぎと賑わい/みんなでつなぐ/イーハトーブ花巻」―。当市は「将来都市像」をこう描いている。いうまでもなく、「イーハトーブ」とは賢治が未来に思いを馳せた「夢の国」や「理想郷」を意味する言葉である。一方、図書館学の父とも呼ばれるインド人学者のランガナータンは「図書館は成長する有機体である」と述べている。「IHATOV・LIBRARY」が目指す”夢の図書”は世代を継いで成長し続ける永遠の有機体である。

 

 自らを「幽霊の複合体」(『春と修羅』序)と称してはばからない、この天才芸術家のその”お化け”の正体を暴いてみたいというのが偽らざる気持ちである。旧総合花巻病院の中庭に「Fantasia of Beethoven」と名づけられた花壇があった。設計者の賢治は「おれはそこへ花でBeethovenのFantasyを描くこともできる」(『花壇設計』)と豪語した。「賢治とは一体、何者なのか」……

 

 等身大の“おらが賢治”を取り戻したい。そこには少子高齢化の困難な時代に立ち向かうためのヒントがびっしり、詰まっているはずである。時代を逆手に取った伝家の宝刀、つまり「イーハトーブはなまき」でしかなしえない「まちづくり」の妙手がここにある。「IHATOV・LIBRARY」が万巻の書で埋め尽くされたあかつきには旧花巻病院跡地(旧稗貫農学校跡地)へ独立館として新築・移設する。真の意味での賢治ゆかりの地―“桑っこ大学”の愛称で呼ばれたこの地に「マコトノクサノタネ」が芽吹く未来を信じたい。未来世代へのバトンタッチである。

 

 ※

 

<市側の回答>

 

●「それを実践するためのいわば“処方箋”」及び「IHATOV・LIBRARYと命名」することについてはご意見として伺います。「宮沢賢治賞やイーハトーブ賞等の受賞者等による講演会の開催及び賢治との人脈図がわかるようなコーナーの設置等」については、「宮沢賢治など本市ゆかりの先人や、本市ゆかりの作家なども含めて図書企画展示等やイベントを開催します」と新たに記載します●

 

 

 膨大なパブコメ(意見表明)に対する市側の実質的な回答は上記のたった4行である。当方の真意がほとんど伝わっていないことに今さらながら、肌がざわッとする感覚に襲われた。いま真っ盛りの春闘になぞらえれば、完全な“ゼロ回答”ということになる。考えて見れば、上田東一市長も含め、これほどまでに貧相な思考の持ち主たちに「知の殿堂」とも呼ばれる図書館問題を委ねたことがそもそもの間違いだった。このまちは原点から出直すしかあるまいと心底、思う。私はパブコメを提出する際の当ブログに以下のように記した。あとの祭りだが、それが図星だったことにやっと、気がついた。

 

 

 宮沢賢治の作品のひとつに『図書館幻想』と題する何となく不気味な掌編があり、「ダルゲは振り向いて冷やかにわらった」という文章で結ばれている。研究者によると「ダルゲ」とは盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)時代の無二の親友だった「保阪嘉内」を指しているらしい。互いの生き方の違いから、1921(大正10)年7月18日、ある図書館の一室で二人は訣別を告げた。以降の賢治は生前唯一の詩集となった『春と修羅』など後世に残る創作活動に憑(つ)かれたように没頭したという。


 ところで、新花巻図書館の「駅前立地」に舵を切った市側は賢治関連について、こう記している。「宮沢賢治に関する資料については、市民から、宮沢賢治の出身地にふさわしい図書館としてほしいなどの意見が多いことから、今後出版される図書資料はもちろん、未所蔵で購入可能な資料は古本も含め積極的に収集し、地域(郷土)資料スペースにおいて配架する予定ですが、宮沢賢治専用のスペースを設けることも検討します」(「新花巻図書館整備基本計画(案)」説明資料)


 それにしても「市民から要望があったから…」という言い草は随分と上から目線というか、主体性がなさ過ぎではないか。「賢治まちづくり課」を擁する市側こそが率先して、賢治生誕地ならではの斬新な発想を示すべきではなかったのか。これを裏返せば「それがなかった」ということであろう。この辺りにもいかにも貧困な図書館像が透けて見えてくる。私自身は一貫して「病院跡地」への立地を求めてきたひとりであるが、その図書館像は建設場所によって変わるはずはなく、むしろ時代を継いで進化されるべきものであろう。以下のパブリックコメント(意見書)は賢治に導かれるようにして思い描いた私なりの図書館“幻想”である。

 

 

 

 

(写真はパブコメのイラスト図。基本計画(案)に“お墨付け”を与えるだけのアリバイづくりに利用された=インターネット上に公開の図柄から)

 

 

 

 ≪追記≫~提出した他のパブコメは以下の通り

 

 

・鶴陰碑と「新興跡地」の改修並びに新館長の「公募制」の導入について(同17日)

・当地ゆかりの現役作家コーナーの設置について(同22日)

・「駅前立地」に至る経緯の記述について(同23日)

・賢治「ゆかりの地」論について(同24日)

・対話型「市民会議の構成について(同26日)

・意見集約の「信憑性」について(同27日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 首長主導型の「図書館」行政は有効か…”本家筋”の教育委員会は蚊帳の外~こんなドサクサ紛れの中、タケダスポーツが移転を予告!!??

  •  首長主導型の「図書館」行政は有効か…”本家筋”の教育委員会は蚊帳の外~こんなドサクサ紛れの中、タケダスポーツが移転を予告!!??

 

 「新しい図書館は、今後何十年と使っていくこととなるものであり、市民の皆様の御意見を十分に伺いながら、より利用しやすい図書館の整備を早期に実施できるよう努力してまいりたいと考えております」―。平成26年2月に就任した上田東一市長はその年の12月市議会定例会の質疑で初めて、図書館の早期実現について言及した。この方針はその後「花巻市立地適正化計画」(平成28年6月)の中に正式に位置づけられ、足かけ10年に及んだ新花巻図書館の立地問題は今年3月、市側が「駅前立地」を最終決定するという経緯を辿った。

 

 「新花巻図書館整備基本計画の策定に関し議決を求めることについて」―を議題とする教育委員会議(佐藤勝教育長ら委員6人)が5月19日に開催される。提供される資料は3月21日付で策定された「新花巻図書館整備基本計画」(案)で、立案者として「花巻市」と並んで「花巻市教育委員会」の名前が並んでいる。突然の“登場”にオヤッと思った。図書館の立地問題を一貫してリードしてきたのは上田市長が率いる生涯学習部を中心とする首長部局だと思い込んでいたからである。このからくりについてはすでに言及してきたが、市民の理解を促すためにもう少し論点整理をしてみたい。

 

 図書館を所管するのは言うまでもなく、教育委員会である。しかし、時代の推移とともに「まちづくり」の観点から首長部局との間で権限移譲が進むようになり、その代表的な例が「補助執行」という制度であることは前述した。当市の場合の関係法令は―

 

●「花巻市教育委員会の権限に属する事務の補助執行に関する規則」(平成19年3月)

 

~地方自治法第180条7に規定に基づく規則。補助執行させる事務は「花巻市立図書館に関すること。花巻市立図書館協議会に関すること」で、担当職員は「生涯学習部長、新花巻図書館計画室の職員及び図書館の職員」に限定され、予算執行を除く市長の関与は排除されている。一方、「花巻市部設置条例」(平成18年1月)によると、市長の権限に属する事務分掌(生涯学習部)の中に「図書館」は入っていない。

 

●「花巻市教育に関する事務の職務権限の特例を定める条例」(平成20年12月)

 

~上位法「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(昭和22年4月)の第23条(職務権限の特例)に基づく条例で、市長が直接、管理・執行ができる教育関連の事務としては「(学校行事を除く)スポーツ全般と(文化財の保護を除く)文化全般」が該当するとされ、図書館関連は含まれていない。その後令和元年の法改正によって、具体的に「図書館、博物館、公民館その他の社会教育に関する教育機関のうち当該条例で定めるもの」についても、市長の管轄下に置くことができるとされたが、当市ではこの条例化に踏み切らないまま、現在に至っている。一方、「花巻市教育委員会行政組織規則」(平成19年3月)は属する教育機関(第23条)として「花巻市立図書館」を列挙している。

 

 以上から言えることは、首長部局が図書館部門に関わることができるのは「補助執行」に限定され、それに伴う関連事務も教育委員会の監視下で行われなければならないということである。ところが2020(令和2)年1月、突然公表されたのが「住宅付き図書館」の駅前立地(いわゆる“上田私案”)だった。仮に教育委員会の頭越しに行われたトップダウンの政策決定だとすれば、上田市長の法令違反は明らかで、その逆であるなら図書館を所管する教育委員会側の責任も問われなければならない。開示請求した内部文書を見る限り、この構想の立案過程に教育委員会が関与した形跡はまったくない。

 

 「教育委員会として、補助執行を出しっ放しはやはり良くなかったということがあります。教育全体、特に社会教育生涯学習の動きについて、なかなかご理解、情報提供する機会がなかったということも反省しております」(令和4年3月23日開催「第4回教育委員会議定例会」会議録)―。佐藤教育長のこの発言に見られるように「補助執行」のあり方にある種の疑問を呈しながら、その後改善された様子は見られない。上田市長の越権行為と佐藤教育長の不決断が“立地”論争の長期化を招き、市民の間に大きな不信感を植え付けたという意味で、双方の責任は計り知れない。と同時に「駅前立地」の決定に至る手続き自体も無効だと言わざるを得ない。

 

 「補助執行」をめぐっては他の自治体でも混乱が見られ、たとえば愛知県長久手市では昨年、議会側から「(市長が)古民家移転事業について、移転中止を判断したのは越権行為ではないか」と追及され、その運用の見直しを迫られたケースがあった。一方、徳島県阿南市は今年3月、「阿南中央図書館(仮称)整備計画」を策定したが、その計画策定者は「阿南市教育委員会」だけとなっており、図書館の所管が明確に位置づけられている。

 

 いまこそ、行政訴訟も視野に入れた「無効な行政行為」について、真剣に向き合うべき時かもしれない。

 

 

 

 

(写真は手狭な閲覧室で読書する高校生。不毛な“立地”論争がいたずらに時間と金を浪費した=花巻市若葉町の市立花巻図書館で)

 

 

 

≪追記ー1≫~「瑕疵ある議会答弁」

 

 匿名を名乗る方から、以下のような長文のコメントが寄せられた。新図書館問題の背後に広がる「闇の構造」に連日振り回されていた時だけに、頭の整理ができたような気がする。当市は今まさに行政と議会とがまなじりを決して監視し合うという「二元代表制」の崖っぷちに立たされていると言える。

 

 

 「瑕疵ある議会答弁」とは議会における質問に対する答弁が、内容に誤りがあったり、不十分であったり、あるいは違法な行為に基づいているなど、何らかの欠陥・瑕疵があることを指します。具体的には、質問に対する正確な説明がなかったり、誤った情報に基づいて答弁されていたり、あるいは、法的な根拠が欠如している場合などが考えられます。詳しく説明します。

 

 議会において、議員が行政機関に質問しそれに対する答弁がなされることは、地方自治法に基づき、行政の監視と責任追及の重要な役割を果たします。この答弁が、議会における情報開示の役割を担い、また、行政の活動をチェックする手段となります。「瑕疵ある議会答弁」とは、この答弁が、以下のような理由で欠陥を持っている場合を指します。
 

・内容の誤り:答弁に事実誤認や誤解がある場合。例えば、住民に誤った情報を伝えている場合など。
・不十分な説明:質問に対する回答が、必要な情報や詳細を欠いている場合。
・法的な根拠の欠如:答弁が法的な根拠に基づかず、違法な行為に基づいていたり、あるいは、法律を無視した答弁である場合。
・不当な発言:議員の個人的な意見や判断が、答弁として表明された場合。
・反論の余地のある発言:答弁内容が、明確な根拠や事実に基づかず、反論の余地がある場合。

 

 これらの「瑕疵」は議会において問題提起され、修正を求められる可能性があります。また、必要に応じて、議会が行政機関に対し、事実確認や説明を求める場合もあります。例として、以下のようなケースが考えられます。
 

 住民の意見を無視した答弁、法律に基づかない答弁、過去の議決事項に反する答弁、事実誤認に基づく答弁。「瑕疵ある議会答弁」は、行政の責任を問う上でも、市民の知る権利を保障する上でも重要な問題です。議員は、議会における答弁の正確性や妥当性を注意深く確認し、不適切な答弁がある場合は議会において指摘し、修正を求めるべきです。

 

 

 

≪追記―2≫~教育委員会議の瑕疵ある議案

 

 「読者」を名乗る方から関連のコメントが寄せられた。「図書館整備事業に権限のない市長が行なってきた瑕疵ある議会答弁とそれに基づく議論や手続きによって作成された新花巻図書館整備基本計画は瑕疵ある議案とはならないのでしょうか。議決そのものが瑕疵ある行為とはならないのでしょうか」

 

 

 

≪追記―3≫~「補助執行」という名の“底なし沼”!!??

 

 最近、“補助執行”パニックに陥っている。市例規集の外部リンクから「教育」や「図書館」などのキーワードを片っ端から検索する日々。図書館問題の「闇の構造」の解明にのめり込んでいるうちに、今度は「教育長に対する事務の委任等に関する規則」(平成18年1月)なる文書にぶち当たった。そうでなくても法令の条文というやつは素人にはなかなか、歯が立たない。ためつすがめつ、眺めているうちに「学校その他の教育機関の施設、設備、組織編制、教育課程、教科書その他の教材の取扱いその他管理運営の基本方針を定めること」(第二条5:委任事項)という条文が目に飛び込んできた。

 

 この条文に該当する「教育機関の基本方針」などは教育長の決裁事項ではなく、教育委員会議の議決事項になっていることが分かった。新花巻図書館整備基本構想(平成29年8月)に定められたいわゆる「3つの基本方針」と、その後イメージをより具体化し分かりやすくした説明資料(令和5年11月)の2件について、過去の会議録を辿った結果、このいずれも議決がされていないことが明らかになった。

 

 以上の点から、図書館整備に関しては市長部局のみならず、教育委員会でも適切な手続きが取られていなかったことが判明。今月19日開催予定の教育委員会議の議案となっている「新花巻図書館整備基本計画」(案)についても、それ以前の「基本方針」が議決を経ていない以上、「無効な提案」と言わざるを得ない。

 

 

 

≪追記―4≫~「まだありました」

 

 「懐疑的な市民」を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。まるで、災いや不幸などを閉じ込めていた「パンドラの箱」が開け放たれたような…。この箱には「希望」だけが残されたという。そのひとかけらに希望を託したい。

 

 

 ブログ記事に触発されたので、手続きのことを調べてみました。そうしたところ、また怪しいことが見つかりました。新花巻図書館整備基本計画の試案策定を検討する委員会のことです。新花巻図書館整備基本計画試案検討会議設置要綱の組織を規定している第3条に「検討会議は、次に掲げる者をもって組織し、委員は、市長が委嘱する。」とあり、市長が委員を委嘱する、と書かれています。ここでも図書館整備事業に権限のない市長がその検討会議の委員を委嘱してしまいました。

 

 そもそも教育行政は政治的中立性を保つため、市長部局から独立した教育委員会が担ってきましたが、その独立性を侵して、市長が最初に主張した図書館駅前立地を含む課題を職務権限のない市長が委嘱するという間違いをしてしまった感があります。この検討会議が教育委員会によって委嘱されていれば、法的に問題がなく、また、中立的第三者的な検討会議になったことでしょう。このような適法ではなく、中立性に疑問のある検討会議が策定した試案なるものを発展させた新花巻図書館整備基本計画は、計画としての妥当性があるようには感じられません。花巻市は法治主義から人治主義になってしまったのでしょうか。

 

 

 

≪追記―5≫~「まだまだ、ありました」―どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ!!!???

 

 「懐疑的な市民2」を名乗る方から、ふたたび長文のコメントが寄せられた。こっちの頭が付いていけないよう”迷路”に迷い込んだような気分である。それにしてもである。これほどまでに市民を愚弄する市政とは何なのか。気持ちが粟立ってきた。

 

 

 もう少し調べてみるとまた出てきました。生涯学園都市会館(通称まなび学園)の他3つの生涯学習施設を規定している「花巻市生涯施設条例」です。この条例は、花巻市例規集第11類教育の第4章「社会教育」のところに分類されていますし、この施設で提供されている各種講座を考えますと社会教育施設であることは頷けます。

 

 この条例の第3条は休館日を、第4条は開館時間を規定していますが、いずれにも「ただし、市長が必要と認めるときは、これを変更することができる。」と書いてあります。更に続く第5条は使用の許可を定めていますが、「施設を使用しようとする者は、あらかじめ市長の許可を受けなければならない。」とあり、生涯学習施設の管理は市長に属するかのように見えます。利用申請も花巻市長あて行い、許可も花巻市長名でなされることが様式からもわかります。

 

 ここでブログに何度も登場している「花巻市教育に関する事務の職務権限の特例を定める条例」では、市長が管理し、執行できる事務は、スポーツに関すること(学校における体育に関することを除く。)と文化に関すること(文化財の保護に関することを除く。)と規定されています。

 

 教育委員会の職務権限は法律(地方教育行政法)に列挙、規定されており、「青少年教育、女性教育及び公民館の事業その他社会教育に関すること。」は教育委員会の職務権限とされています。この法律では条例を定めることで、市長が管理、執行できる事務として、先の「スポーツ・文化」に加えて、「図書館、博物館、公民館その他の社会教育に関する教育機関」が挙げられています。これまで何度も見てきたように花巻市の条例には列挙されているような社会教育施設は見当たりません。

 

 そうすると図書館を始めとする社会教育施設は依然として教育委員会所管であることなりますが、それを定めている教育委員会の規則の中には生涯学園都市会館他3つの生涯学習施設は載っていません。本来は教育委員会所管の社会教育施設なのに、教育委員会の施設の中には入っておらず、いつ間にか「なはんプラザ」のような、市長が管理する施設の条例になってしまいました。

 

 似たような生涯学習施設が北上市にありますので、気になって調べてみましたが、教育委員会所管の施設のまま、実際の管理運営は補助執行に関する規定、北上市教育委員会の権限に属する事務の補助執行規程により「生涯学習センターの管理運営に関すること。」というように適切にルール化がなされていました。また、施設の利用申請書は北上市教育委員会あてに提出し、許可も北上市教育委員会で行われていることが様式からも簡単にわかります。

 

 長くなりましたので詳細は省きますが、社会教育事業に関することが教育委員会から生涯学習部長と生涯学習課の職員に補助執行させる規定になっていて、意味がわかりません。以上にように、花巻市の生涯学習事業なるものは市、市教育委員会両者とも、その事務執行組織や必要な手続きに、根本的で重大な誤解と誤認があるように見えます。

 

 

 

≪追記―6≫~「教育委員会協議会」では、一体何が…秘密会!!!???
 

 

 「教育長は、会議に付議すべき議案の事前審議その他研究協議を要するものがあると認めるときは、教育委員会協議会を招集することができる」(第8条)―。市教育委員会会議規則は「教育委員会協議会」について、こう定めている。ところが、19日開催予定の「教育委員会議」のHP上の告知にはこの協議会の件の掲載はない。過去の例を見ると、教育委員会議の前段に非公開で開催されていることが分かった。市民の多くが関心を寄せている図書館問題だからこそ、公開すべきではないか。ちなみに、ちょうど10日後の今月29日に開催される大阪・枚方市の教育委員会協議会は「傍聴可」となっている。

 

 

 

≪追記―7≫~“駅前図書館”の立地予定地のスポーツ用品店が旧イトーヨーカド-への移転を予告!!??

 

 

 「新花巻図書館整備基本計画の策定に関し議決を求めることについて」―を議題とする教育委員会議が5月19日に開催されるのに符節を合わせるかのように、同16日から29日までの期間限定で、「タケダスポーツ」の移転・閉店を告示するチラシが同社のHP上で公開された。それによると、新図書館の立地が決まっている「タケダスポーツ花巻」と「ネクサス花巻」の2店舗で、6月15日午後7時で営業を打ち切り、その後7月中旬をメドに旧イトーヨーカド―花巻店(現シーナシーナ)で、営業を再開する予定だという。

 

 JR花巻駅に隣接する「タケダスポーツ花巻店」の跡地は市側が終始、立地の第1候補地に挙げてきた経緯があり、その去就に市民の関心が高まっていた。また、建物の撤去費用などは市側が負担することになっているが、その予算措置の日程にも注目が集まっている。一方、市民の間にはこの間の一連の動きに新たな不信の声が渦巻いている。「とにかく、既成事実化を急いでいるとしか思えない。市民不在どころか、蔑視そのものではないか」―。上田(東一)市政はもはや、“狂乱”の域を超えてしまっている。これって、市民に対する”パワハラ”行為ではないのか。

 

 

 

≪追記―8≫~パブリックコメント意見の公表

 

 「パブリットコメント参加者」を名乗る方から、以下のようなコメントが寄せられた。7本のパブコメを提出した私自身、その結果報告を首を長くして、待っているひとりである。

 

 「パブリックコメントに寄せられた市民等の意見の公表とそれに対する考え方は実施機関が計画等の意思決定を行う前までにするように決められているようですが、5月19日に開かれる教育委員会議に出す新図書館の議案はもう意思決定されているのかな。たくさんの市民等が寄せた意見を大事に思っているのかな。素朴な疑問と印象ですね」

 

 「ところで、このパブリックコメントの場合、実施機関って市なのかな、それとも教育委員会?意思決定をするのは市長または実施機関の長と書かれてるけど、図書館に関して市長に権限が足りていないようだし、教育委員会が実施機関だとすると教育長が意思決定して、自らが招集する教育委員会議で審議するのかな。何だか難しいなあ」