本は人を呼び寄せ、人は本を呼び寄せる…一冊の本の数奇な旅物語~終着駅「イーハトーブ」での奇跡の再会~そして、本日は「賢治忌」!!??

  • 本は人を呼び寄せ、人は本を呼び寄せる…一冊の本の数奇な旅物語~終着駅「イーハトーブ」での奇跡の再会~そして、本日は「賢治忌」!!??

 

 秋の気配が感じられるようになった9月上旬、宮沢賢治記念館の真向かいにある蕎麦屋にひとりの女性客が訪れ、名物の手打ちそばを注文した。お父さんと店を切り盛りするあゆちゃんは大の本好き。店内の片隅に“私設”本棚を設け、なかなか手に入りにくい希少本を並べている。『100年かけてやる仕事―中世ラテン語の辞書を編む』(小倉孝保著、プレジデント社)を手に取ったこの女性がビックリした表情で言った。「ところでどうして、この本がここに?」。編集者の中嶋愛さん本人だった。「えっ」と今度はあゆちゃんの方が驚く羽目に…

 

 『100年かけて…』の旅の始まりは約5年前にさかのぼる。当時、当市では新図書館の立地場所をめぐって、「駅前か病院跡地か」という市民を二分する“立地”論争が激しさを増していた。そんな折、「図書館は成長する有機体とも言われる。だから、そこの住人の本たちも世代を継いで成長するものでなければならない」―。一家言ある本の目利きの知人にすすめられたのがこの本だった。

 

 同書は英国が準国家プロジェクトとして、100年をかけて完成させた『英国古文献における中世ラテン語辞書』の誕生の物語を追ったドキュメンタリ-である。編纂事業がスタ-トしたのは第1次大戦が始まる前年の1913年で、完成したのは2013年。ひと口に「100年」と言われてもピンとこない。著者は新聞記者らしい感覚で、その時空間をこんな風に説明していた。「日露戦争前に辞書の必要性が叫ばれ、徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜が亡くなった大正2年にプロジェクトが始動。そして、第一次、第二次大戦、戦後の混乱と経済復興、バブル経済とその崩壊を経て初めて辞書が完成している」

 

 付箋を貼り、折り目をつけ、傍線を引きながら、貪(むさぼる)ようにして読んだ。「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(宮沢賢治『春と修羅』序)―。大好きな賢治のこの言葉が「世紀をまたぐ」事業を支えた心意気と重なり合うような気がした。「そうだ、100年事業として、“まるごと賢治図書館”(IHATOV・LIBRARY)の実現を目指そう」ー

 

 そんな粋(いき)がりの一方で、この本たちの行く末がにわかに気になり始めていた。齢(よわい)86歳。本棚からあふれんばかりの”総本山”が悲鳴を挙げつつあった。とっさに思いついたのがメシより本が好きなあゆちゃんだった。「彼女なら、安心。好きなだけ持っていって」と断捨離の第1号に指名した。その中の一冊がこの本だった。そして、“私設”本箱の中から、目ざとくこの本を見つけ出したのが、自ら編集を担当した中嶋さんだったという―「縁(えにし)」の不思議。「著者(小倉さん)にも伝えたいからと…」と中島さんは付箋付きの本を写真に収め、「ところで、この人は何者?」と逆にあゆちゃんに問いかけたのだという。私はこの後日談を聞いて、有頂天になってしまった。「こんな奇跡はめったにないな」と―

 

 本の目利き(知人)→本中毒(私)→メシより本好き(あゆちゃん)→名編集者(中島さん)→本書の著者(小倉さん)…。たまたま、この日(9月21日)は賢治没後94年の「賢治忌」に当たっていた。私はさっそく、一冊の本が巡りめぐったこの旅物語を賢治に報告した。幽霊を自認する「おらが賢治」はこんなエピソードには目がないと思ったからである。小倉さんは本書を執筆した動機について、以下のように記している。

 

 「自分たちの生きている時代に完成しそうもない、つまり自分たちが使うあてもない辞書をつくることになぜ、それほど精力を傾けたのか」―。そう、本とそれを収蔵する図書館という“空間”は未来永劫に続く人類の希望なのだと、心底そう思った。その足元では利便性やまちの賑わい創出だけをスローガンに掲げた“駅前図書館”が2030(令和12)年の開館に向けて強行されようとしている。

 

 

 

 

 

 

(写真はあゆちゃんの仲介で、奇跡的な“遭遇”が実現した付箋だらけの希少本)

 

 

 

 

 

 

 

 

2026.09.21:masuko:[ヒカリノミチ通信について]

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