「たしか、この辺にあったはずだが…」―。宮沢賢治が作詞した「花巻農学校精神歌」の一節を墨書した木塔に無性に再会したくなり、旧花巻農学校跡地に整備された「ぎんどろ公園」を訪れた。著名な彫刻家、本郷新さんの「風の又三郎」群像碑や「早春」詩碑、賢治が植えたと伝えられる「ぎんどろ」の木々…。3年ほど前に足を運んだ時はまちがいなく、この近くにあった。それがない。市の担当者に調べてもらったところ、木製のために腐食が激しく撤去したという。
「我等ハ黒キ土ニフシマコトノ草ノ種マケリ」―。原文では「ワレラハ黒キ ツチニ俯シ/マコトノクサノ タネマケリ」となっているが、私は逆にこの野太い筆跡が好きで、こころが疲れた時には必ず、足を向けることにしていた。そして今回は例の精神歌「作詞・作曲」の誤記載問題で傷つけられたこころを癒(い)やすために…。私は幼少時、いわゆる“農学校通り”に住んでいた。卒業式を終えた花農生たちはこの歌を大声で歌いながら、学び舎を去っていった。流れ落ちる涙をこぶしで拭いながら、”放歌高吟”する行列を私はまるで、天から降臨した尊きものに接するような面持ちで眺めていた。
現在、宮野目地区に建つ県立花巻農業高校の前身は遠く、1907(明治40)年の「稗貫郡蚕業講習所」にまでさかのぼる。その後、1921(大正10)年4月、「郡立稗貫農学校」(2年後に県立花巻農学校と改称・移転)となり、賢治はこの間の4年4カ月間、教壇に立った。当時校歌を持たなかった生徒たちのために作詞したのが「精神歌」(作曲は川村悟郎)だったことは前に触れた。しかし、「精神歌」受難劇はその後も紆余曲折(うよきょくせつ)をたどり、現在に及んでいる。
同校が1969(昭和44)年、現在地に再移転することになった際、その跡地利用が市民の関心事になった。当時、市側は広大な一帯を宅地分譲する計画を打ち出した。「賢治精神を後世に。賢治の里の灯を消すな」―。この計画に反対ののろしを上げたのは、賢治の教え子で同窓会長でもあった照井謹二郎さん(故人)だった。燎原の火のように広がった市民運動の声を受け、市側は「宅地分譲」案を撤回。一帯は現市立図書館や文化会館などが集まる一大文教地区に生まれ変わった。木塔はある篤志家が寄贈したと伝えられている。
あれから、半世紀以上―。「精神歌誕生の地が旧稗貫農学校跡地(現病院跡地)だということは、賢治ゆかりという意味ではより由緒がある。しかも、隣接地にはまなび学園もあり、文教地区にうってつけ。図書館立地はここしかない。あの時の市民の一致団結した熱気を伝えたい」―。当時、市民運動の先頭に立った、元教員の押切郁さん(96)は現在、進行中の「新花巻図書館」問題の成り行きを不安げに見守っている。
「JR花巻駅前か旧花巻病院跡地か」―。一方、その“立地”論争はと言えば…病院跡地への建設を求める6000筆以上の“民意”(署名)を黙殺するように「駅前立地」へ向けて、強行突破の構えである。かつて、大先輩たちが図書館に傾けた情熱に耳を傾けようとしないばかりか、他方では賢治“利権”という闇の世界も見え隠れするようになった。受難劇はいま、最悪の場面を迎えつつある。
「我等ハ黒キ土ニフシマコトノ草ノ種マケリ」―。あの木塔はなくなったものの、ぎんどろ公園の黒土に蒔(ま)かれた「マコトノ草ノ種」はきっと、芽吹きの時を待っているにちがいない。「精神歌」の全文を刻した石碑は現在、羅須地人協会が移設されたと同じ県立花巻農業高校(市内葛)の敷地内に建っている。
旧稗貫農学校から旧花巻農学校(ぎんどろ公園)、そして現県立花巻農業高校へ。こうして、賢治と精神歌はまさに”不離一体”の形で伝え継がれてきた。それがいま、“駅前図書館”によって、その一体性が断ち切られようとしている。「豊かな自然/安らぎと賑わい/みんなでつなぐ/イーハトーブ花巻」―。市自らが標榜(ひょうぼう)するこの将来都市像が霧の彼方にかすんで見える。旧料亭「まん福」と旧新興製作所(花巻城址)、旧花巻病院(元稗貫農学校)…「三大跡地」の無惨な光景だけが茫々(ぼうぼう)と広がっている。
(写真はかつて、ぎんどろ公園内に建っていた「精神歌」の木塔=インターネット上に公開の写真から)
(註)8月24付で送付していた「市長へのメール」へ回答が期限の9日午後6時すぎに届いた。以下にメールの内容(再掲)と回答書の全文を掲載する。
※
〈市長へのメール〉~市政運営における「宮沢賢治」の位置づけについて
賢治生誕130年に当たる今年、「賢治まちづくり課」を中心に各種イベントなどを企画・運営されていることに敬意を表します。こうした中、明らかに賢治に関する誤記載や虚偽利用を疑わせる案件が散見されます。「賢治のまち」を標榜する当市としては、仮にそうした疑義があった場合、直ちに修正する立場にあると考えます。以下の2点についての対応をお尋ねします。回答は市議会9月定例会が開会する9月9日までにお願いします。
1)当市は二地域居住や関係人口の創出を図るため、6月定例市議会で関連の5,643千円を予算化した。当該事業に直接関与するのは「(株)雨風太陽」(本社・花巻市、高橋博之社長)。市側は今後、「同社の拠点である花巻ベースを活用したお試し居住などの実証事業に取り組みたい」としている。なお、同社は生産者と消費者をつなぐ「ポケットマルシェ」(ポケマル)として、当市のふるさと納税にも参入している。
ところで、高橋社長は自らが提唱する「関係人口」論の原点を賢治の世界観に求め、たとえば賢治の「作詞・作曲」による「(花巻農学校)精神歌」もそのひとつとして紹介している(8月3日付当ブログ参照)。しかし、作曲を担当したのは実は賢治の知人だというのが定説になっているため、この誤記載のすみやかな訂正を求めてきたが、現在に至るもそのままである。「イーハトーブはなまき」の実現を掲げる当市としては、賢治にかかわるこうした基本的な誤りは決して看過すべきではないと考える。相手方企業に訂正方を申し入れる考えはないか。
2)当市のふるさと納税の返礼品のひとつに「花巻黒ぶだう牛」があり、「ふるさとチョイス」のポータルサイトにはその由来がこう書かれている。
「花巻出身の詩人で童話作家の宮沢賢治の寓話(ぐうわ)『黒ぶだう』で、仔牛がぶどうを食べる描写があることから名づけられた、花巻ならではのブランド牛です。寓話『黒ぶだう』は花巻市御田屋町の旧菊池捍邸が舞台とされ、赤狐に誘われた仔牛が留守の人間の別荘に入り込み、勝手に『黒ぶだう』を食べていたところに住人の公爵一行が帰宅し、逃げ遅れた仔牛は見つかってしまいますが、怒られもせず、逆に黄色いリボンを結んでもらうというものです…」
令和5年3月の定例記者会見で、この「旧菊池捍邸」モデル説に疑義を唱えたのは他ならない上田東一・前市長。その後、モデル説を提唱した関係者も「(モデルだという)確証は得られなかった」と証言して、現在に至っている。この間の経緯を知る立場にある行政側は削除や訂正のないまま公開し続けているが、これは明らかに”虚偽”広告そのものではないか。見解を伺う。
〈市長へのメール〉への回答書
頂戴した御質問につきまして、市としての基本的な考え方は、令和6年10月に増子様からいただいた御質問に回答いたしましたとおり、多くの方が宮沢賢治作品を研究することはそれだけ宮沢賢治の世界を豊かにすることであるとも考えられ、それらの説は研究の成果として尊重されるべきで、市として個々の研究の成果についてその当否を判断すべきとは考えていないところであります。
しかしながら、増子様のこのたびの御指摘につきましては、「精神歌」の作曲者が賢治の知人というのが定説と言われておりますことから、1点目の(株)雨風太陽のホームページの記載内容に関し同社へ情報としてお伝えしたいと考えております。
2点目のふるさと納税ポータルサイトの返礼品における紹介記述につきましては、返礼品提供事業者の意向に基づいて掲載しているものでありますが、市が実施するふるさと納税事業の公共性を鑑みますと正確な表現が求められますことから、「黒ぶだう」のモデルが旧菊池捍邸であることが確証できないという経過を踏まえ、当該返礼品提供事業者にこの旨をお伝えするとともに、記述内容について協議いたします。
花巻市長 小 原 勝
<担 当 課 地域振興部定住推進課 (電話24-2111 内線271)>



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