「一度、踏み出したら、後戻りは難しい」―。映画「開戦前夜」(石井裕也監督、2026年7月公開、原作は作家の猪瀬直樹著『昭和16年夏の敗戦』)を観ながら、ふと足元で進行中の新花巻図書館の光景が重なった。対米開戦(太平洋戦争)を前にした1940(昭和15)年秋、「近代戦は武力だけではなく、思想や戦略、経済など国家を挙げた戦いになる」として、総理大臣直属の「総力戦研究所」が設立された。軍・官・民の優秀な人材36人を集めた研究の結論は「日本必敗」。しかし、「ロシアに勝利した大和魂が米軍に負けるはずはない」という軍部の強硬派に屈し、日本は12月8日、泥沼の戦争にのめり込んでいく……
「忖度や自己保身、小さな無責任が重なり合って、結果的に誰も戦争を止められなくなった状況。みんなが示し合わせたように現実から目を背け、正しい発言が憚(はばか)られ、何となくの感情に流されてしまう当時の社会の『空気』があったと思う。大昔の出来事ではなく、いま現在に通じる問題だ」(パンフレットから、要旨)―。二発の原爆投下以外は研究所が描いた筋書き通りに進んだ当時の時代背景について、石井監督はこう述べている。「まさに、現在進行形の問題ではないか」と思わず、身を乗り出した。
新花巻図書館は2025(令和7)年6月、議会側が「駅前立地」にゴーサインを出し、建設に向けた関連予算を議決。来年3月をメドに設計業務が進められている。「病院跡地」への立地を求める“民意”は黙殺され、今では「一度、議会が承認した案件を元に戻すことはできない」という、まことしやかな“空気”が周囲に充満しつつある。このたたずまいが科学的なデータを積み上げた「日本必敗」を退けた当時の時代背景と違和感なく、二重写しになったのだった。
「相手の立場や苦しみに心を寄せ、分かり合おうと努力することは、対立や衝突を避けるための大事な一歩となります。それが人と人、国と国、それぞれの場面で信頼を育み、友好関係を築く礎になるのです。不戦の決意が込められた日本国憲法の平和の理念と非核三原則を堅持し、国際社会の緊張緩和と軍縮に向けた外交を強化してください」―。原爆の日の今月9日、長崎市の鈴木史朗市長は平和宣言の中で力強く、こう呼びかけた。一方、その翌日の10日「花巻市戦没者追悼・平和祈念式」で小原勝市長はこんな紋切り型の式辞を述べた。
「戦地や、激しい空襲で尊い命が失われた。平和の大切さを未来に伝えていくことが使命だ」(13日付「河北新報」)―。市議在職中、私が安全保障に関連して地方自治の役割をただしたのに対し、当時の上田東一市長がこう答弁したことがあった。「一般的に外交、防衛などは、この意味における国際社会における国家としての存立にかかわる事務と解されておりますことから、防衛、軍事、安全保障などは国の所管であり、地方公共団体には防衛、軍事、安全保障の権限はないと理解しているところであります」(平成27年9月定例会一般質問)―。長崎市長の平和宣言と小原発言の“雲泥の差”に驚くと同時に花巻市政に流れる及び腰にひどく、失望させられたことを思い出した。
その一方で、今回の二人の市長発言に私は何となく「違和」も感じていた。何だろうとしばらく考えた後、ふいに頭に浮かんだのが「賢治」との距離感だった。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)、「東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/
行ッテソノ稲ノ朿(束)ヲ負ヒ/南ニ死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ/北ニケンクヮヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ…」(詩「雨ニモマケズ」)―。宮沢賢治のこの有名なメッセージがおひざ元の小原市長の言葉よりもむしろ、鈴木市長の平和宣言の中に息づいているのではないか―これが「違和」の正体だった。
50席の座席は全部、埋まっていた。中高齢者に交じって、若者の姿も目立った。すすり泣く声が耳に届いた。「大昔の出来事」(石井監督)をいまに重ねる“感性”にホッとさせられた。かつて、東条英機内閣が戦争に舵を切ったように、現高市早苗内閣ももうひとつの「戦前」に回帰しているように見える。そして、足元の「イーハトーブ」では平和のメッセンジャ―のはずの「賢治」が利権の具に供されつつある。「後戻り」という政治決断こそが為政者に科せられた最大の使命であろう。いつの時代でも…
(写真は映画「開戦前夜」のポスタ―=インターネット上に公開された画像から)



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