「現に在るものをぶち壊すのが私の職業です」…映画「金子文子」と花巻版「歴史秘話ヒストリア」!!??

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 「現に在るものをぶち壊すのが私の職業です」―。映画「金子文子/何が私をこうさせたか」(浜野佐知監督、2026年2月公開)の冒頭、「朴烈」事件に連座した文子は予審判事に向かって、こう言い放った。国家権力に命をかけて立ち向かう覚悟の気持ちが100年の時空を超えて、観る側にビシビシ伝わっていた。1923(大正12)年9月3日、関東大震災の3日後に朝鮮人アナ-キストの朴烈(パクヨル)と内縁の妻、文子は皇太子暗殺を企てたという大逆罪容疑で逮捕された。3年後、文子は死刑判決の恩赦を拒否して獄中で縊死(いし)したとされる(研究者の間では“拷問死”などの説もある)。23歳の若さだった。

 

 「石黒鋭一郎」―。こんな人物の名前が突然、画面に登場する。逮捕当初、朴烈と文子は東京・市ヶ谷刑務所に収監されていた。担当の予審判事は立松懐清(かいせい)。立松は若干の“同情心”と自供を誘導する策略として、二人が戯れているツーショットを写真に収めた。のちに、当時の政界を揺るがすことになった“怪写真”事件である。松本清張の『昭和史発掘1』に次のような記述がある。「朴烈の隣の房にいた石黒鋭一郎という者が高田保馬著『社会学原理』の中にはさみこんで、(保釈に際し、私物を持ち帰る)宅下げした」

 

 石黒によって、外部に持ち出された写真はやがて、野党の立憲政友会の手に渡り、若槻内閣批判の発端になるなど政界を巻き込む一大スキャンダルに発展。その責任を取らされる形で、立松判事も司法界を追われた。そのわずか1年後の1927(昭和2)年、旧花巻町でオペラの独唱会が開かれた。立松の妻、ふさは当時オペラ界では知られた存在だった。職を失った夫を助けるため、ふさは地方回りの独唱会を続けていた。宮沢賢治と親族関係にある賢治研究家、関登久也はその時の様子を以下のように活写している。少し長文になるが、当時の時代の雰囲気を知るために全文を掲載する。

 

 

●「昭和二年頃でありましたか、東京から声楽の立松房子夫人(ママ)が花巻に参りました。夫君の立松判事が職務上の事件から、世間的に問題を捲き起こし、たいへん同情されて居りました。随つて立松夫人の独唱会もそれらの原因もあつてか人気を呼び起し、当日の朝日座に於ける会は、大入でなかなかの盛会でした。その頃賢治は羅須地人協会を開設し、音楽に多大の関心を持つて居られましたので、オルガンやギターを買つて勉強してゐると云ふ話が私達の耳にも這入つて居りました」

 

●「さて当夜の独唱会には私も参り、立松夫人の奇麗な、しかも精神的なソプラノに感激して耳を傾けて居りましたが、プログラムもだんだん終りに近づいた頃、可愛い尋常一年位の女の子が舞台に出て来て、手にあまる美しい花束を、立松夫人に渡しました。花束は実に水々しく真紅の花、淡紅色の花、それに白や水色など、或ひはほやほやした毛のアスパラガスなど交へたものでした。その少女は町の宮金といふ砂糖問屋の可愛い百合子さんといふ少女でした。立松夫人は夫君を助ける為に一人児を家に置いて、地方廻りの独唱会を開いてゐるといふことなど、大分人々の同情を買つてゐましたが、花束を捧げた少女と、立松夫人のとり合せは大変涙ぐましい情景で、しかも美しい大きな花束は一層、その場面の気分を引立たせたので、満堂は酔へるが如く拍手の嵐を送りました」

 

●「その時あの花束は一体誰が送ったのだらうと考へてみましたが、少したつてそれは賢治が手作りの花を少女へ頼んで渡したのだといふことがわかりました。それまでは賢治といふ人はそんなことをする人だとは思つて居りませんでしたので、意外な感興を吾々は呼びおこしたものです。立松夫人と大きな花束と賢治といふ取合せは今も美しい一つの詩となつて、吾々の脳裡に消ゆることなく残つてゐます」(『宮澤賢治素描』から)―。

 

 

 花巻温泉からさらに奥まった谷あいにホロホロ鳥を飼育・販売する「石黒農場」がある。この創業者こそがあの“怪写真”を房外に持ち出した、当時無政府主義者として獄中にあった「石黒鋭一郎」その人である。長野県出身の石黒は戦後、縁あって当地花巻に疎開し、この農場を開いた。一方の「朝日座」は当時の芝居小屋(映画館)で、その一帯は花巻まつりの際、露店や見世物小屋が集まる御旅屋(おたびや)として開放された。現在はホテル花城が建っている。

 

 金子文子(と朴烈)―立松懐清(と妻ふさ)―石黒鋭一郎―宮沢賢治、そして関登久也…。激動の時代に翻弄(ほんろう)された人脈図を見ているうちにふと、思った。「文子役を演じた女優の菜葉菜さんは実は文子の生まれ変わりではないのか。その鬼気迫る演技の背後に私たちは100年前の文子の短い生を見ているのではないか」―と。「治安維持法」という暗黒の時代が“衆愚”政治に姿を変えて、今また世界中を覆いつつある。足元に目を転じれば、“民意”をせせら笑うかのような新花巻図書館の駅前立地が強行されようとしている。

 

 賢治の自作詩「宗教風の恋」や「昴」(すばる)には関東大震災に言及した言葉が綴られており、当然「朴烈」事件など当時の時代状況は知り尽くしていたはずである。立松夫人に贈るための花束を作った賢治が世界平和と人間解放を謳った「農民芸術概論綱要」を執筆したのは、文子が獄死した大正15年ごろと言われる。無産政党「労農党」のシンパとして、経済的や精神的な支援に当たっていたのもちょうど、この時期に当たる。

 

 「現にあるものをぶち壊すのが私の職業です」―。私は文子の檄(げき)をブツブツとつぶやきながら、映画館を後にした。「現に在るもの」―着々と進められる“駅前図書館”のたたずまいが目の前に浮かんだ。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(概論綱要序論)―。銀河宇宙という広大無辺な賢治の「心象空間」(ナラティブ・ワールド)をビルの谷間に“獄死”させてはならない。ふと見上げると、賢治が登山行を繰り返した岩手山の残雪がキラキラと輝いていた。

 

 

〈注〉~文中に登場する人物のうち、浜野監督と女優の菜葉菜さんを除いては全員が故人)

 

 

 

 

(写真は石黒が持ち出した〝怪写真”(左)と死刑判決を言い渡された際、バンザイを叫ぶ文子(菜葉菜さん)=パンフレットなどから)

 

 

 

2026.05.07:masuko:[ヒカリノミチ通信について]

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