ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
古くからの友人で、日本とアジアを民衆運動でつなごうとする市民運動・「APLA」の理事をしている大橋成子さんが、拙書「七転八倒百姓記」の書評をその機関誌;ハリーナ」(人々が創るもう一つのアジア)誌で紹介してくれました。
分かりやすく、端的に表現できる筆力は相変わらずです。 (ダブルクリックで拡大してお読みください。) |
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暑いですねぇ、みなさん。
少し前だが、久しぶりに訪ねてくれた秋田の友人が、「菅野くん、ずいぶんと老けたねぇ。足がふらつき腰も曲がっているよ。頭の髪だってほぼ無くなっているじゃないか。前回あった時はここまでではなかったのに・・。」と、見てはならないモノを見てしまったかのような表情だった。 その彼は80歳を前にして、なお、がっしりとした体躯を持つ現役の農民だが、73歳の俺は、かつて肩で風切って歩いていた勢いをすっかり失い、春のそよ風にすらあおられて、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ・・。ヒザと腰の痛みに耐えながら、歩く様は眼を覆うばかりだとその友人は言う。 すっかり年老いてしまったという事だ。 でもな、このいびつな身体も、長年無理を重ねて、農作業と地域づくりに休むことなく動き続けて来た結果だ。少し大げさに言えば、志のけっかだとも言える。だから俺にとってはご褒美だと思っている。自分のゆがんだ身体を決して否定せず、無くなった頭髪に引きずられることなく、自分を誉め、自分に拍手を送り、肯定して生きる・・今の心境はこれだね。 とはいえ、写真とはずいぶん違っている訳だから、写真は替えよう。 |
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蒸し暑い日が続いている。こんな時は「いもち病」が心配で、県や農協の広報も「いもち病注意報」を出して気をつけるよう呼びかけている。 「いもち病」とは一種のカビがつくりだす病気で、葉に付いた場合、緑の葉に点々と茶色の斑点ができ、やがて葉の全部が褐変する。葉の「いもち病」は、穂の「いもち病」につながり、ひどい場合は、田んぼ全てが枯れてしまったかのようになる。農家は気落ちのあまり「いっそ火をつけて燃やしてしまおうか。」とすらとなるほどだ。私はまだ経験がないけれど、その恐ろしさは充分知っている。 高温多湿。「いもち病」の蔓延する条件は充分にそろっている。すでに周りでは田植えと同時に一度目の殺菌防除を終え、二度目の準備を進めているが、殺菌、殺虫ゼロを目標にしている菅野農園では、まだ一度もやっていない。それだけに、息子は毎日田んぼを見まわり、その管理にいっそう気を使っていたのだが、遂に我が家の田んぼににも「いもち病」が発生した。 発生源は昨年同様、けんちゃんの田んぼだ。手がまわらず、雑草が生い茂っていた。そのため風通しが悪く、「いもち病」の巣になってしまった。そこを発生源に菌は周りに飛んでいく。我が家だけでなく、隣地に田んぼにも広がっている。 「全部の田んぼじゃないが、今年も殺菌剤ゼロのコメとはならないなぁ。」と肩を落とす息子。 その被害は大きい。ガッカリもする。とはいえ、けんちゃんに責任を求めることは出来ない。田んぼはみんなお互い様なのだ。 けんちゃんは86歳。もう水田管理することは無理なんだな。だからと言って、我が家で引き受けることも出来ない。他の方法を探すしかないだろう。 ま、けんちゃん、無理せず、楽しくやろうぜ。その内、1升もって遊びに行くよ。けんちゃんが言うようにまだ人生、半分なのだから。 |
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以下は2年前の文章です。どういう訳か、梅雨時になると食べたくなるんですよ。豚の角煮。
<豚の角煮> 梅雨に入り、暴雨こそありませんが、山形でも毎日が曇りか雨の日が続いています。それに、コロナ、無茶なオリンピック、雇止めへの不安や小粒になった国会議員、汚職がらみの政治・・と。鬱陶しさが増すばかりです。 こんな時には美味しいものでも食べ、酒を飲んで寝るのが一番。そこで・・夕方まで待って(この辺は俺も小粒だなぁ。)、日ごろあまり食べていない大好きなモノを食べることにしました。根が単純なんです。小粒なんですよ。 昨晩、まちの居酒屋から「豚の角煮」を買って来て、小皿に並べしばらく眺めてみました。バラ肉が黒っぽく照っています。沖縄のラフティのように黒砂糖と泡盛を入れて煮込んでいるのかな。 ずいぶん久しぶりだが元気だったか?角煮は当然何も応えてはくれませんが、返事の代わりにタマラナイ香りをあたり一面に放っています。箸を入れてみました。スッと入ります。柔らかい。そしていよいよ角煮を口に・・。たまらんですねぇ。口の中でゆっくりと溶けて行きます。それを味わいながら、グビッと酒を飲む。しばし続く至福の時間。口に運ぶほどに、飲むほどに肩のコリが取れていくような良い時、良い酒、良いツマミ。実際、あれやこれやの出来事はどうでも良くなっていったのです。 ずいぶん安上がりな男ですねぇ。世の中の事はすっかり忘れてる。志の低い男ですねぇ。どうしようもなく小粒なんですねぇ。 |
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ざわわ、ざわわ、ざわわ
広いサトウキビ畑は ざわわ、ざわわ、ざわわ・・・ あなたもきっとこの歌を1度は聴いたことがあるに違いない。 沖縄戦の辛い体験の中から産み出された 優しくて・・切なくて・・それでいて温かくて・・。 沖縄の大切な友人、崎山正美さんからのシェアです。(下段) おきなわ季節だより 2023.6.25 さとうきび畑 慰霊の日の日中は事務所で電話番と来館者対応。お客がいない時間は『さとうきび畑』の歌を聴いていた。慰霊の日に『さとうきび畑』の歌を聴くのは、私の長年の習慣となり、この歌への私の思い入れは深い。つくづく寺島さんは沖縄戦で親を亡くした子の気持ちを良く表したと感謝し、尊敬する。寺島さんについては朝日新聞のデジタル版の記事をここに紹介しよう。 さとうきび畑の寺島尚彦さん 沖縄戦悼む てらしま・なおひこ 3月23日死去(肺腫瘍)73歳 3月26日葬儀 50年来の友人である詩人の谷川俊太郎さんが、告別式で詩を読み上げた。「いまどんな背景の中に君を置けばいいのだろう/(中略)風にうねるさとうきび畑にひとり立ちつくす君」 沖縄戦を歌った「さとうきび畑」の作詞作曲で知られる。東京都の出身で、初めて沖縄を訪れたのは64年6月のことだった。 緑に波打つさとうきび畑で案内人に聞いた。「土の下にまだ戦没者が埋まっています」。このときの衝撃を「ごうぜんと吹き抜ける風の音だけが耳を打ち、戦没者たちの怒号とおえつを確かに聴いた気がした」と著作で書いている。 歌にしなければ。だが、激しい言葉では音楽を壊してしまう。ならば……。こうして「ざわわ」は66回繰り返されることになった。 67年の発表当時、「反戦を言わない反戦歌」と評された。歌手の森山良子さん、ちあきなおみさんら30人以上が歌い継いできた。 意外にも、再び沖縄の地を踏んだのは95年だった。「歌が地元でどう受け止められたか、不安だったようです」と次女の夕紗子さんは言う。コンサート会場で、「いい曲を書いてくれてありがとう」と感謝された。以後、年10回近く沖縄を訪れるようになった。 常に穏やかな人だったと友人ら。だが脚本家の高木凛さんは、沖縄戦で住民が飛び降りた断崖(だんがい)のゴルフ場で、彼が怒る姿を見た。「どんな気持ちでプレーしているのか。心が痛む」 01年、沖縄県糸満市の平和記念公園を訪れ、6年前にひざの高さだったクワディーサーの木が背丈を超しているのに気づいた。死者のすすり泣きを聞いて成長するとの言い伝えを聞き、「緑陰(こかげ)」という曲が生まれた。 <緑陰さえ燃え尽きてしまった/残ったのは悲しみより深い悲しみ/苦しみより重い苦しみ> 沖縄を歌った最後の歌になった。 |
ツバメの巣立ちが近づいている。
「ツバメそのものが珍しくなっている。ネオニコチノイド系農薬のせいだ。農薬で弱った虫を食べ、ツバメだけでなくミツバチも、多くの野鳥もいなくなっている。」 「菅野さんの家では、家の中で巣作りしている。これも珍しい。他ではあまり見る事が出来ない光景だ。きっと幸運が舞い込むよ」と友人。 農薬の為だけでなく、巣作り出来る場が無くなったことも減ってしまった一因だろう。かつては家の外に巣を作っていたが、最近の住宅はツバメや野鳥を寄せ付けない。そこで我が家では、玄関の戸を開け、家の中に巣を作れるように止まり木の様なものを作って待っていた。さあ、来てくれ! 今年、最初にツバメを見たのは4/1。以来ずっと玄関を開けて・・。もちろん寒いけどな。いつでも入って来れるようにと思ってさ。やがてやって来て巣作りを始めた。ヤッタゼ。そして今日(6/19)、5羽のツバメが巣立ちを迎えている。また4,000�劼慮�こうまで帰っていくのか・・。どこか淋しい思いだ。 (写真は我が家の庭のグミの実。甘くてすっぱくて美味しい。春の最初の果実だ。) |
たくさんのコメントとシェアをいただきました。そして力を貰いました。感謝です。
さて、憲法も、軍備も、沖縄も、原発も、俺たち自身の暮らしも・・あらゆるものが追いつめられている。だが、深刻なのはそれに対する抗議の声が聴こえない事。聴こえても小さいままで、大きくはならないこと。民主主義が機能していない。 農と食も同じだ。すでに書いたように後が無い。このままでは取り返しの付かないことになるだろうが、それでも大きな声にはならない。どこに声をぶっつければ良いかが分からないということもあるだろう。もう諦めたという人もいるだろうな。それも分からないではないが、俺たち世代だけではなく、次世代の事も合わせて考えれば諦める訳には行かないことではある。 流れの方向を変えるには、シンドクテモ声を上げるしかない。あらためて言うまでもなく俺たちがこの国の主人公だ・・たしか・・そうだよな。なら、国と社会の操縦桿を握っているのは俺たちだ。国じゃない。国会議員でもない。一匹の蝉の声は小さくても、大合唱となれば違って来る。それが民主主義というものだろう。 んなことは、今更お前に言われなくても分かっているよ!全て分かっているんだよ!・・そりゃぁそうだよなぁ。 そこで・・だ、いや、それでも・・だ。もし首都圏で大合唱の場所があれば、いったいどれだけの人が討論の輪に加わってくれるだろうか?。そこの所が分からない。でも、それが知りたい。どう思いますか? (画像は菅野農園の放牧養鶏) |
いよいよ農業の世界は切羽詰まってきた。特に稲作では際立っている。「おれ、都会人だから関係ない」って?食糧を供給してきた農業の危機は、あなたの食といのちの危機に直結している。 まず、いま食べ物の供給地である農村で起きていることを稲作を中心に、思いつくままあげてみる。 �� 農民はどんどん離農している。もちろんずいぶん昔からその傾向はあったが、ここ数年はそれ以前とは比べものにならないぐらいの早さと規模で離農が進んでいる状態だ。村では今までになかった「農仕舞い」(農終い)という言葉が行き交う。安さを求めて風土の違う海外の農産物と無理やり価格競争させ、国内農産物を買い叩いてきた結果だ。農家のコメの出荷価格は生産原価にすら届かない。こんな国ではアホらしくて農民なんてやってられないという事だろう。自分の家族の為のわずかな畑や水田を残して、後はきれいサッパリと離農する。 �� その結果、農民と言えば、少数の大規模農家(法人)と、今さら勤めには……と残った、わずかな年寄りだけ。就農している農民の年齢ピークは70〜73歳。その人たちもあと数年で現場から離れていくだろう。そのあとを継ぐ世代はほとんどなく、わずかな大規模農業だけが残るのだろうが、それもやがて離農に追い込まれていくだろう。無策のなか、国内農業には破綻への道だけが開かれている。 �� プロの農民たちが逃げ出すぐらいだから、現場は慢性的労働力不足。だから圃場も充分に管理できない。水田から春の若草の風景が消えつつある。代わりに広がっているのは、除草剤による枯草の風景だ。農法の省力化、ケミカル化だ。SDGs?どこの話だ? �� そこに追い打ちをかけているのが海外に依存している化学肥料と家畜のエサの高騰。そして、農業機械の高騰だ。機械への補助金があるだろうって?それは昔の話。今は規模拡大など「成長路線」の計画書を提出できなければ補助の対象にはならない。よって現状維持の菅野農園などの家族農家には一切の補助金が無く、いったん故障したらそのまま離農するしかない。つまりは「小農はやめてしまえ」という事。事実、どんどんやめている。 �� その上、頻繁な異常気象とコロナウイルスや政変などによる流通ルートの不安定さだ。その結果、最悪のシナリオが近づいているようにも見える。これは国民的な問題だ。そうなったなら遺伝子組み換え作物であろうが、農薬漬けの穀物であろうが、それがコオロギなどの昆虫食であっても、手に入るものは何でも食べなければならなくなる。 �� トマホークの買い付けなどと言っている場合じゃない。安定して食べ物を確保する道、自国の農を育てる道こそ肝心だったのだが、農の崩壊過程に入った今となってはもう遅すぎかもしれない。 �� そんな事態が近づいているにもかかわらず、食べ物を粗末にするおバカな番組が横行して、食の危機を改善する民意が育たない。政治も国民のいのちを守る、最低限の役割を果たしていない。 もはや「ゆでガエル」状態だね。感性が完全にイカレテしまっている。 だけど、全ての国民がアホなわけではない。ある種の破局が近いことに気付いている人たちは、首都圏を離れ、あるいは離れずとも、田畑と暮らしとの距離を縮め、自力で生存の道を確保しようとしている ちょいと話が変わるがな。3月下旬の夜半。わが家の鶏舎にキツネが侵入して、ニワトリ100羽を残らず殺していくという事態が発生した。厳重に警戒している中での出来事だった。もし侵入に失敗したら、俺たちが彼等を捕まえていた。現に菅野農園では今までにも7匹ほどのキツネを捕まえ、処分している。それでも奴らは来た。食べ物を求め、覚悟の上での侵入だったのだろう。 食べ物が無いという事はそういう事だ。命がけのこと。人間だってキツネにもなる。 俺は幾度となく、警鐘を打ち続けてきた。あとはあなた方が自分で何とかするしかないな。でもな、最悪の時を迎えた場合でも、残っている小農はきっと、あなた方と共に一緒に食べ物を探す努力はすると思うよ。でも基本は「自分で何とかすること」だ。 |
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もし起これば破局。こんな情報が私に届きました。にわかには信じがたいですが、フェークとも思えないところが恐ろしい。拡散致します。(菅野芳秀)
森重 晴雄 2日 · 私、森重晴雄は原子力の耐震構造を研究し、原発の主要耐震構造の設計に携わってきました。また、伊方原発3号機の建設責任者でもありました。 実は、緊急に皆様にお知らせしなければならないことがあります。それは、福島第一原発の1号機の原子炉は、強い地震が来れば倒壊の危機にあるということです。 この1号機の原子炉は450トンもあり、高さは20mもあります。すぐ隣には使用済み核燃料(10万年の隔離管理が必要)を392体も冷却しているプールがあります。原子炉の下には、高線量で近付くことも出来ない溶け落ちた核燃料デブリがあります。そのデブリは1〜3号機を合わせると約880トンもあります。 その原子炉が倒れればどういうことになるのかお考え下さい。 とても恐ろしいことです。使用済み核燃料のプールが崩壊すれば、使用済み核燃料の溶融も免れません。そうなれば溶け落ちた約880トンもの核燃料デブリの制御も不可能になります。 3.11どころではありません。世界の大変な危機となります。 私はこの原子炉倒壊が心配で、原子炉が倒壊しないように緊急対策の工法を指示した文書を政府要人に渡しました。 しかし、政府要人の回答は、東京電力から連絡がない限り対応しないという何とも無責任な回答でした。 政府と東京電力は原子炉倒壊の危機が迫っているにもかかわらず、無知なのか無責任なのか分かりませんが、何の対策もしようとしていません。 原子炉が倒壊してからではどうにもならなくなります。 3.11を超える大惨事を想定せざるを得ません。 どうか皆様も、政府と東京電力が原子炉倒壊の危機に緊急対策をするように、声を大にして下さい。 ...もっと詳しく |
朝日連峰の残雪がどんどん小さくなり、ブナやナラの若葉たちが山頂目指してせり上がっていく。里には園風景、渡る風が気持ちいい。こんな春の若草の景色の中に、どうしても目が行ってしまうのが除草剤によって枯れてしまている畔草だ。そもそも畔草は風雨から畔を護り、根は土をしばり水田の決壊を防いでいる。だから農家は畔草を散髪しても、根まで枯らさなかった。
いま、枯れた畔の風景が広がっている。心が荒む風景だ。背景に水田経営の規模拡大と小規模(家族)農家の離農と老齢化。今更どうしようもないのか。数千年、数百年の農家、農村の歴史と文化。それらを背負いながら、なお離農を決断する農家に翻意をうながす言葉は見当たらない。 キーワードは「地域社会」「支え合う」「つながる」「環境」などだろうが、根本はこんな現実を作るに至った政治。それを選んできた我々に返って来る。 |
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山形県の農家に生まれ育った菅野芳秀さんの「自分史」。
表紙に刻まれた言葉、「地域を創るタスキ渡し」は、まさに今の私たちに求められていることだ。
都会の生活の快適さのために、地方に犠牲を強いる社会。より安いものを求める消費行動は、「効率」の名の下に農業の大規模化、法人化を促進させ、生産者や生産地を疲弊させる。気がつけば日本は世界一の農薬消費国。私たちの生活スタイルが自らの命や健康を脅かしている。
高齢化や土地の荒廃により離農が進み、国内から海外へと供給元が移りつつあるが、その構造は変わらない。
地球規模で農業が、環境が、地域が壊されてゆく。こんな社会が持続可能なわけがない。
一度は逃げ出した農業、故郷を、三里塚や沖縄の農民、漁民の生き様に学び、ただ嘆くのではなく、地域、行政を巻き込み、持続可能な社会へと変革していく。子供や大地を危険にさらす農薬空中散布の中止から、生ゴミを通じた消費者と生産地を繋ぐレインボープラン、置賜自給圏へと実践を重ね、土を育むことで台所と農地、都市と農村、現在と未来へのタスキが繋がれていく。
決して容易ではなかった闘いの記録には、これからの社会を切り拓くヒントが散りばめられている。まさに次の時代へのガイドブックである。