ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
置賜自給圏を共にやって来た議員の友人から
「山形県議会の推奨図書に菅野さんの『七転八倒記百姓記』が推薦文付きであげられていたよ」と, 写真付きで送ってくれました。 その人の気持ちがうれしいですね。 一人でも多くの議員に読んでもらいたいです。 |
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2日ほど前の話だけど、その日の朝はきれいに晴れ渡った青空で、厳しい寒さ。
温度計はマイナス12度を指していた。 こんな日には「ダイヤモンドダスト」が現れる。 「何それ?始めて聞いた」 こんな人がほとんどだろうな。 大気中の水蒸気が小さな氷晶となり、太陽の光に照らされてキラキラ光りながら空中を漂う。 そしてゆっくり舞いながら降りてくる。 キラキラキラキラ・・・。とても幻想的だ。 見慣れているはずの私でさえ「ホ〜ッ!」と思わずため息が出るような魅惑的な光景だ。 写真? そんなものはありません。 これは、北国で暮らす私たちに、自然が与えてくれたご褒美なのです。 |
旅に出るって聞いたけど・・置賜自給圏への取り組みも、レインボープランもそのままにして旅に出るのかい?
あなたには言い出しっぺとしての責任があろうが!とのご意見が幾つか寄せられました。 ご安心ください。外に出るとは言っても、行きっぱなしではありませぬ。 地域にいる方がはるかに長く、また外に出るのも知識とエネルギーを蓄える必要性があってですな・・ミドモはやることはやらなければといつも責任を・・信用・・ 待て待て! こんな「弁明」をしている俺って何なんだ。 |
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新年ですねぇ。
皆様はどのような夢をお持ちでしょうか? 人は実現できない夢など発想すらしません。アメリカの大統領になりたいとか、大谷くんと同格の野球選手になりたいとか・・そんなことは決して思いませんからね。 だから「夢だけどね・・」と思った時点で、既に実現可能だという事。くどいようですが、頭に浮かんだという事自体、実現可能なことだという事でしょう。後は夢に向けて踏み出す一歩。 それが、常識を踏み外しているようなことでも、やれるときにやりましょうぞ。なっ、ご同輩。 そこで・・オレの場合、全国のまだ出かけたことの無い地方でチョコッと、そこから移ってまたチョコッと。そんな風に定住せずに暮らしてみたいものだと。いままでズゥーッと定住生活でしたからね。今年は徳島県で、次が青森県、次は対馬、種子島・・大東島もいいな。それぞれ長くて1ヶ月。近くの空き家を借りて自炊しながら滞在する。ついでに出会いも楽しむ。その地方の面白い人と会い、語り合う。 もちろん合い間には自宅にも帰って来る。この構想に難があるとすれば・・ソコですかね。家に帰った時、「あなたはどなた?」となりかねません。これは充分にあり得る話です。 でね、「それなら俺も。その区間はご一緒したい」という方がいましたら拒みは致しません。あ、そうだ、私は片付けが大の苦手。それを苦にしない方に限られますがね。 |
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パルシステム連合会の元理事長・若森資朗さんから
「菅野、知ってるかもしれないが、 『七転八倒百姓記』にこんな書評がでているぞ。」 とのメールをもらいました。 早速、探し出して読んでみました。 農業ジャーナリストの日野原さんが農業協同組合新聞に 書いてくれた書評でした。ありがたい書評でした。 できれば皆さんにも読んで戴きたく掲載いたします。 (この中にかかれている生協とはかつての「タマ消費生活協同組合」。今の「パルシステム東京」の前身です。) 【書評】「七転八倒 百姓記〜地域を創るタスキ渡し〜」(菅野芳秀著・現代書館)2021年12月14日 一覧へ 「堂々たる田舎」づくりへ挑戦 土地を、地域を未来へ、子孫へ 大学で、成田で、沖縄で、学生運動の嵐が吹き荒れた1970年代。社会の価値観が大きく変わるなかで、自分らしい生き方を求めて七転八倒した団塊の世代の男の一代記である。大きな時代の流れに抗(あらが)い、時には流されながら、みずから信じる道を走り続けている。 誰の人生にもいくつかの転機がある。それを主体的に乗り越えるか、流れに任せるかによってその人の将来が大きく変わる。著者は、山形県の長井市の自称「田舎」で、農家の後継者である生き方に自信が持てず、東京の大学に入る。ここで大きな転機を迎える。成田の農民たちの空港建設反対のたたかいである。 大学の授業にほとんど価値を見出せなかった著者は、自分と同じ「百姓」が、農地を守るため、子どもも老人も家族ぐるみでたたかっていることに大きな衝撃を受けた。傍観者でいることはできず、反対同盟の農民や学生ととも砦に籠る。逮捕、復学と苦悩しながら卒業。 そして卒業後訪れた沖縄。国家という大きな権力に対して、代々引き継いできた土地を、地域を未来に、子孫につなごうとする姿が成田でたたかう農民の姿に重なり、「田舎」への帰郷を決意させる。26歳の春だった。 そこには価値観の大きな転換があった。著書では「堂々たる田舎」の言葉が何度か出てくる。開き直りではない。負け惜しみでもない。成田や沖縄の土地を守る農民たちのたたかい、生き方のなかにこそ、本当の価値があるのだとの確信に裏付けされた「田舎」である。 しかし、簡単には受け入れてくれなかった。米の減反を拒否して�狢屡�分�甍靴い気譟�農村集落における連帯責任の枷(かせ)の強さを知らされる。この窮地を救ったのは生協だった。学生時代のツテで、米を通じて東京の生協と地元農協をつなぎ、今も続く組合員同士の交流につながった。 その中で「理」と「利」の重要さを知る。人は理論だけでは動かず、利益とのバランスが大事ということだ。「理」を「利」に転じると言ってもよい。農薬の空中散布中止も、有機農業の提案で切り抜けた。「難局には対案をもって参加する」。菅野さんの言葉である。 著者の提案した有機農業の取り組みは、生ごみの堆(たい)肥化による循環型農業(レインボープラン)、食料とエネルギーを地域で賄う「置賜自給圏構想」の取り組みに拡大し、一躍、長井市は全国の注目を集めるようになった。1989年、世界の農民を招いた「百姓国際交流会」をきっかけに、大国の覇権主義や大資本の横暴と戦う小規模農民の連帯が生まれている。社会を動かす運動とはどのようなものか、教えてくれる。 (農協協会参与 日野原信雄) |
12月になったが、リンゴはまだ満足のいく甘さにはなっていない。
前回書いたように、霜や雪の冷たさにあたる日数が少ないからだ。まだもぎ取らずに樹にぶら下がっている。 食べたくなった樹から直に「パキッ」と戴いて来る。 すでに2〜3度雪をかぶった。でももう少しこのままにしておこう。 この木は俺がもの心ついた時にはリンゴの実をつけていた。 聞けば、祖父が孫の為にと植えてくれたものらしい。父がそれを守り、今につないでくれた。おかげで孫の俺だけでなく、その子、更にその子(俺にとっての孫)たちもリンゴを楽しむことが出来ている。 俺は次代の為に甘柿、梅、クルミなどを植えたが、そうだリンゴも植えよう。今のリンゴは充分に古木になっているから、感謝しつつ邪魔にならないところに次の代のリンゴを育てておこう。5年ほどで実を付けてくれるはずだ。 それはかつての祖父がしてくれたように、今は俺の役割だ。 (左は昨年、右は今年というか今日:12月8日) |
寒さが足りない・・・
12月に入るというのに温かい日が頻繁にあり、 その影響が作物に現れ、果物や野菜の登熟が進まない。 例えば「ふじ」に代表される冬のリンゴ。なかなか甘くならない。密が入らない。 野菜も同じ。大根や白菜の外見は同じでもやっぱり「甘く」なっていない。旨味が足りない。原因は寒さが足らないこと。霜が降りた日数不足。 その点では作物も人間も同じだね。世間の冷風、寒さにあたらないから二世議員はいつまでも育たない。・・あ、この話はここでは関係ないか。 話を戻せば、今年は大豆畑の葉がいつまでも枯れずに青かった。だから刈り取りが進まない。息子はかなり焦っていた。 このままでは、果物王国山形はその座をもっと北の地方に明け渡さなければならないかもしれない。 |
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前にも書いたが、寺山修司の脚本の中にこんな一節があった。ちょっと長いが引用する。
「中学校の頃、公園で トカゲの子を拾ってきたことがあった。コカコーラの瓶に入れて育てていたら、だんだん 大きくなって出られなくなっちまった。コカコーラの瓶の中のトカゲ!コカコーラの瓶 の中のトカゲ!おまえにゃ、瓶を割って出てくる力なんてあるまい、そうだろう、日本。(後 略)」 コカコーラの瓶はアメリカ、トカゲは日本。その一節はやがて有名な「身を捨て るに値すべきか、祖国よ。」と続くのだが、最近とみにそれらの言葉が骨身に染みる。 1949年生まれの俺は、植民地日本の中に生を受け、植民地日本の中で生を閉じるだろうな。このままならば間違いなくそうなっていく。切ないねぇ。 「杉作、日本の夜明けは近いぞ。」 これは幕末の京都を背景に奮闘した、大仏次郎原作「鞍馬天狗」のキメ台詞だが、鞍馬天狗よ!それから160年経っても「日本の夜明け」は遠いぞ。悔しいが更に遠くなっていく感じだ。団塊の世代の仲間たち!もう一度かつての「こころざし」を・・・。 え?おれ?俺は君の後ろからついていくよ。 |
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青森県は弘前の敬愛する友人である小野田明子さんより、
拙本「七転八倒百姓記」に対する有難い一文を戴いた。 感謝と多少のテレをもって友人の皆さんにご紹介したい。 以下 今回の衆議院選挙の結果に落胆した方。私もその一人ですが一人で日本の将来をしょいこんでいるわけでもない。自分の持ち場で頑張ろう、降ってくる火の粉は払いつつ、いい人生にしていこうと思うわけです。 たぶん、そんな気分の友人の皆さんにおすすめの一冊が、菅野芳秀著「七転八倒百姓記 地域を創るタスキ渡し」。 1970年代、学生運動に身を投じ、三里塚闘争で権力に対する農民の抵抗を目の当たりにし、自分はどう生きるべきかを自身に問う。労働組合の仕事で赴任した沖縄で自らの使命に目覚め、帰郷し農家の後継者として百姓となる。 田舎の「出世」は都会になることではない。 高度成長期にこの台詞は、示唆にとんだ名言である。 以後、堂々たる田舎をめざして、多くの人を巻き込み、まさに七転八倒が始まる。 それはやがて大きな視点に立ち、農業を基礎とする循環型地域社会づくり、レインボープランを経て、食料からエネルギーまで地域で自給しようとする「地域自給圏構想」に行き着く。 農政ジャーナリストの大野和興さんは、著者を「差別的な百姓という言葉をポジティブに変えた男」と評している。耐える百姓ではなく、闘う百姓だけでもなく、変革し、創造する百姓。このような百姓は、食べる私たちとも合流し、私たちの暮らしの有り様にも変革を求める。事実、私の暮らす田舎と呼ばれる地域にも、希望の種を蒔く百姓が何人かいる。彼らは、農業を変えるだけではなく、社会を変えている。 野党は、選挙で「変える」という中身を説明できなかった。国政を変えるのは単純ではない。同じように地域を変えるのも単純ではない。しかし、単純とは行かないが、地域は国政よりも身近にあり、人々が参加して地域を創造することが出来る。出来るというより、その責任があると言った方がより適切か。自分たちでできることから、より良くしていくしかないということだろう。こんな当たり前の結論でいかがとも思うが。 堂々たる田舎へ! 堂々たる日本へ! ぜひ、お読み下さい。 |
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俺は最近とみにコカ・コーラとトカゲを思う。
トカゲをビンの中に入れて飼っていたら、やがて成長しビンから出られなくなってしまった。そんなトカゲに向かって、お前にはビンを割って出てくる力なぞはあるまい、そうだろうニッポン・・と寺山修司。コカ・コーラはアメリカ。
戦後80年にもなろうとしているのに・・国を代表する外交政策も、国内政治の舵取りも、その予算編成も、当然ながら沖縄も、その他の基地問題も、原発も、農業政策も・・コロナ対策でさえ、コカ・コーラのビンの中、アメリカの言いなりだ。こんな国は世界に例がない。誇りを失った国、「植民地」ニッポン。
「イイじゃないか、その方が軍事費が掛からないし、安上がりでトクだから」
バカタレ!損得のはなしでない!
この国の自立とそこにすむ我々の尊厳にかかわることだ。
日本をそのくびきから解き放つために、命がけで奮闘する政治家はいないのか。
過日、鹿児島の知覧に行って来た。若くして、特攻で死んでいったたくさんの青年たちの手記に出会うためだ。18で、19で、20歳・・で。自分たちの死から教訓をくみ取ってくれるなら、決して無駄死にではないはずだ。そう信じて飛び立って行った多くの青年たち。そんな彼らの、たくさんの手記に出会えた。俺は戦後世代だ。彼らが託した「未来」の中に生きている。
そして、悔しいが、いまだにビンの中だ。
彼らに対して恥ずかしくない生き方は当然だが、単なる個人の「生き方」に留まってはならない。さて、どうする。どこから始める?
いやいや、ちょっと待てって!決してイイカッコしいで言っている訳じゃないって!