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ハモコミ通信2015年9月号

  • ハモコミ通信2015年9月号

今月も、「まちネタ」(街で見つけたコラムに潜むコミュニケーションのネタ)をお楽しみください。


 

◎ ゴミと挨拶

 世界的なアルピニスト(登山家)として知られる野口健氏は、自然環境の保全や登山者のマナー向上にも、精力的に取り組んでいます。

 その一つが、エベレストや富士山で、置き去りにされたゴミを拾う「清掃登山」です。

 野口氏によれば、標高の高い所ではモラルが行き届き、ゴミは見当たらず、登山者同士がすれ違う際はたいてい挨拶を交わすそうです。

 ところが、下山して標高が下がると、挨拶が途絶え、ゴミが増える傾向にあるといいます。

 こうしたことから「挨拶の途切れ目がゴミの始まり。ゴミというのは人や社会の姿をはっきり映し出している」と、著書に綴(つづ)っています。

 この話は、割れた窓をそのまま放置しておくと、ゴミが捨てられ、その地域の治安が悪化するという「割れ窓理論」にも通じます。

 周囲の環境と人の心は、それだけ密接に関連しているといえるでしょう。

 私たちの職場においても、整理整頓の徹底から環境を整え、明るく爽やかな挨拶が交わされる環境を、自ら作っていきたいものです。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

<コメント>

 ゴミと挨拶を関連づけられるのは、長年それを意識してやり続けた証ですね。私も山登りをしますが、言われてみれば確かにそのとおりかもしれません。

 仕事柄いろいろなお客様の会社を訪問させていただきますが、整理整頓が徹底しているところは、そこで働いている人の心も整っているような気がしてなりません。おっと、自社の整理整頓をせねば(苦笑)。

 


 

◎ 「捨てる」と「創る」

 インターネット広告やゲーム関連の事業を手がける株式会社サイバーエージェントで、いっぷう変わった会議が開催されました。「捨てる会議」です。

 会議は「うまく機能していないものを一度ゼロにリセットし、まったく新しく創ろう」という目論(もくろ)みで行なわれました。テーマは「破壊と再生」です。

 会議の結果、ほとんど実施されていない事業や、三か月以上貼られているポスター、個人のゴミ箱など、三十二の項目で捨てるものが決まりました。

 「単に惰性(だせい)や世の中の慣性で続けていたものもたくさん見つかった」と、同社の藤田晋社長は、会議の成果を振り返っています。

 どのような会社でも、時代に応じて、新しい業務や施策が生まれていきます。

 しかし同時に行なえることには限りがあります。増やすと同時に、減らすことも意識する必要があるでしょう。

 新たに「創る」ために、何かを「捨てる」という発想で、私たちも職場を見直してみてはいかがでしょう。

 

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<コメント>

 出せば入る、という言葉をお聞きになったことはあるでしょうか。お金も喜んで差し出すと必要な分だけ還ってくるということ。

 いや~、出っぱなしだ、という方もいらっしゃるかもしれません(笑)。ポイントは、意味のあるお金の使いみちを持ち、喜んで出す、ということだそうです。

 また、順番も大切だそうで、漢字の通り、出入りは出るが先、エレベーターなどでも出る人が優先ですよね。出すものは喜んで出しましょう。

2015.09.07:壱岐産業:[事務局ノート]

空調服=熱中症対策+ハチ刺され対策

  • 空調服=熱中症対策+ハチ刺され対策

日本気象協会のHPによると、

今年8月22日以降の向こう1ヵ月間は、北日本・東日本では、平年並みまたは

やや暑い日が多い、となっていました。

 

期間の始め、つまり今ですが、それは平年より低めの予想。確かに当たっています。

つまり期間後半から暑くなってくることを予想しており、残暑はまだ終わったわけでは

ありません。

 

今年は山でハチ刺されと毛虫刺されが多いと聞きました。

やはり山作業となれば、暑い日でも長袖ですね。

 

毛虫は長袖の服を着ていれば大丈夫でしょうが、ハチは服の上からも刺してきます。

弊社では蜂対策として、ハチ防護ネットとハチガードウェアを推奨しております。

さらにハチ防護手袋を組み合わせればバッチリなのですが、実は欠点がありました。

 

暑い盛りにはちょっとしんどい、という点です。ハチ防護ネットだけならまだしも、

ハチガードウェアを真夏に着用すると、短時間で玉のような汗が湧いてきてしまいます。

 

そこで弊社がおススメするのが、表題の空調服との組み合わせ技です。

 

 

この写真は、弊社大下がまずハチガードウェアを着て、その上から空調服を着たところ。

撮影日もかなり暑い日でしたが、空調服のファンのおかげで快適だった、と本人談。

 

ハチガードウェアを仮に着用しなくても、服の空気による膨らみにより、

蜂に刺される確率はグッと小さくなると思われます。

 

2015.08.27:壱岐産業:[事務局ノート]

戦後70年と小学校同級会 その2

  • 戦後70年と小学校同級会 その2

戦後70年の総理大臣談話が注目を集めましたが、どのようにお聞きになったでしょうか?

いい悪いは別として、専門家が吟味を重ね、ずいぶん多方面に配慮した内容だったなぁ、

というのが私の感想です。

それに対して天皇陛下のお言葉はとてもわかりやすくて心がこもっていましたね。

 

むずかしい=心ではなく頭で考えている、と言えるでしょう。

わかりやすく話せ、というのは、心を伴って話せ、という意味も含まれているのかも。

 

さて、その終戦記念の日に小学校時代の同期会を卒業後41年経過して初めて行いました。

120名中、その実家にはがきを出せたのが40名。うち14枚は転居先不明で戻ってきました。

 

声がけが1か月前だったこともあり、5名くらいでいい、と思っていましたが、

なんと14名が参加してくれました。

そのうち3名は中学校は地元を離れたり、私立中学校に行った人だったので、

やっぱり小学校にこだわってよかったなぁ、と思いました。

 

90歳に手が届きそうな担任の先生も参加してくれたのは何よりでした。

電話の感じでもかなりシャキシャキしていらっしゃいましたが、胃袋を含め、

大変お元気で、教え子の成長を2時間中座することなく楽しんでくださいました。

 

友人達はこぞってシニアグラス。

当時比較的おとなしかった人も、社会人として揉まれてきた中で饒舌となっていたり、

それはそれは楽しいひとときでした。

 

ゲマインシャフトとゲゼルシャフトという言葉をご記憶でしょうか?

たしか中学校の歴史の授業で習ったような気がします。

私は時々、この2つの違いに思いを馳せます。

 

ゲマインシャフト=共同体組織は、構成員一人ひとりのために存在する組織。

最小単位は血縁組織であり、町内会や出身校のOB組織、スポーツや文化のサークル等が

それにあたります。つまり、今回の同期会はもちろんこれです。

ゲマインシャフトでは構成員の満足感を高めることが一番大切なこととなります。

 

一方、ゲゼルシャフト=機能体組織は、目的的集団のこと。

組織は目的を実現させるために人材やその他の資源を集め、役割分担や指揮命令系統の

整備を行っていくのです。代表的なゲゼルシャフトはいわゆる民間の企業です。

 

目的追求に熱心になることは、組織の性格上あたりまえのことです。

でも、自分の組織だけの利益を考えすぎるあまり、あるいは短期的な利益を求め過ぎる

あまり、たくさんの不都合が生じ、その極端な例が、戦争ではないかと思うのです。

 

戦後70年、私たち企業人の心のあり方として、ゲマインシャフトのような構成員の

満足度を高める部分とゲゼルシャフトの目的追求の上手なバランスが求められていると

小学校の同期会を通じて改めて感じました。

2015.08.20:壱岐産業:[事務局ノート]

戦後70年と小学校同級会 その1

  • 戦後70年と小学校同級会 その1

戦後70年の節目にあたる今年。

戦争反対とかそういうことではなく、自分で身近にできることはなんだろう?

そう問いかけてきて、その答えが見つかったのは小学校の友人と飲んでいた時。

 

戦争とは、そのほとんどが利害の対立、つまり経済的理由から起きていることを

戦後50年のときに調べてわかりました。

 

私たちは、対立という言葉を何気なく使いますが、「対して立する」あるいは

「対(ツイ)にある」ということであって、世の中のいろいろなものは対立して

存在しているのです。

 

陰と陽、男と女、前と後、表と裏、天と地・・・

 

問題なのは対立ではなく、それが敵対という関係に陥ることなのです。

 

つまり対立という微妙な存在、異質なものをどう受け入れるか、それがうまくいくと、

同質同士よりももっとすばらしいものが産み出されるわけです。

 

国と国、人と人も同様に、対して立するのは当然で、隣同士、よく知ること、

お互いのいいところを認めつつ、相手の悪いところは責めない、というスタンスでいれば

敵対関係になどなりえません。

 

でも、同時にそれができないのも人間の弱さであり、いじめがなくならないのも、

負の連鎖を断ち切れない人間の弱さからきていると思っています。

 

小学校中学校は高校や大学と違い、ほとんどの人はその学区に住んでいるから、という

単純な理由で通うので、社会の縮図のようなものですね。

 

中学校の同級会は、卒業して数年後と15年くらい前に2回行われたのですが、

小学校のはなんとゼロ。

 

今回、東京で一緒に飲んだ友人も小学校中学校とも一緒だったのですが、

上記の理由から小学校の同級会をやろう、ということに落ち着きました。

 

とはいえ、連絡を取り合っている人はほとんどおらず、まあ、5人でもいいからやろう、

という気楽な構えで声がけし始めました。

 

120名の同期卒業生。アルバムの後ろに住所記載の名簿がついているのは時代ですね。

しかし困ったことに、半分くらいが公団アパートや県営アパートに住んでいたということ。

 

そのほかにすでに引っ越したの明らかな人もおり、結局はがきを出せたのは40名。

8月15日の終戦記念日に集まってくれるのは、果たして何名か?

2015.08.13:壱岐産業:[事務局ノート]

米谷仁「おバカ販促」という本より ⑦

  • 米谷仁「おバカ販促」という本より ⑦

 

久しぶりに、この本についてまたふれてみたいと思います。

 

今回は、「名刺編」。

とりあげるのは、いわき湯本温泉「こいと」の女将こいとふみえさんの名刺です。

 

とても美人でもあるのですが、一番の特徴はその「お茶目ぶり」なのだそうです。

 

一所懸命で動いているのにいつもズッコケる。

優雅にいきたいのに、常にあたふたバタバタ。

本人は大マジメなんだけど、まわりでは涙を流し腹を抱えて大笑い!

 

「私、本当は”凛”とした女将になりたかったのよ・・・」

本人はそう言うけど、・・・

 

ということでとっても面白い名刺の出来上がり。

掲載できないのが残念ですが、「お見事!」と言いたくなる内容です。

 

ちなみに私の名刺もこの本で紹介されており、それは自分のなので公開しちゃいます。

 

 

これは2つ折タイプで、開くとこの面がでてきます。

ポイントは、人気(ひとけ)です。人が登場することで温かみが増す、と。

2015.08.06:壱岐産業:[事務局ノート]

ハモコミ通信2015年8月号

  • ハモコミ通信2015年8月号

今月の「まちネタ」は読者からの投稿コラムです。どうぞお楽しみください。


 

◎ 他人を育て、他人から育てられる

 最近我が息子が都会の勤務を辞めて田舎に帰って来て、自宅での生活になりました。田舎は車が無いと生活できない環境であり、初めて愛車の購入をすることになりました。祖父や祖母が車代を援助をし、私も少しばかり援助をしました。

 しかし、合計金額までには至らずに残りは自分で何とかするように息子に言って、支払いを車屋さんに早く行くように話をしました。

 ところが、子供はなかなか行かなかった。(後から知ったこと) お金を渡して、約1ヶ月後に車屋さんに行って、お金が足りないことを車屋さんに息子は話したようです。

 その場で車屋さんから電話をいただき、事情を聞き初めて状況を理解できました。

 親は何も知らず、子供からの相談もありませんでした。こまった時に解決できず、時間だけ過ごしてしまう対応をしてしまった子供に育てたのは私です。

 反省するとともに、車屋さんには振込先の金融機関を聞くように子供に話をし、早急な入金を行うことで解決しようと考えました。

 ところが車屋さんから意外な返事が帰って来ました。

 「このまま親が処理すれば、私はありがたいのですが、子供のためにならないのでは?」

 全くその通りだと感じ、支払いが遅れたことを陳謝し、考え方に共感いたしました。

 その後に車屋さんから提案があり、「毎月いくらかでも、自分で支払うように、私(車屋)と息子さんで約束をして息子さんに自覚を持たせてはどうか?」 とてもありがたく、涙が溢れてきました。

 車屋さんは私自身が昔から、顔は知っていましたが付き合いや、会話はほとんどしたことがありませんでした。

 私の父親と商売で取引があったみたいで、父からの勧めでその車屋さんから購入することになっていた)

 車屋さんに、是非そうさせて欲しいことと、感謝の気持ちを伝えました。

 この車屋さんは、車を売って商売をしていますが、売っているものは車だけでは無いことを感じました。

 その後に、私の周りのいろんな人が、この車屋さんにお世話になっていることを耳にし、私の父がこのような人との付き合いをしていることに、さすが父だと感じました。

 私はサラリーマンですが、仕事で沢山の方々と付き合いはありますが、このような付き合いができる人はなかなかいません。

 車屋さんのような大きな器の人間になりたいと感じました。

 

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<コメント>

 車屋さんのご厚意、できそうでできないことですね。

 コミュニティの力が弱くなっているなどと言われたりしますが、昔だってこの車屋さんのような方ばかりではなかったと思います。ただ、いい意味でのお節介な人の割合が減ってきているということでしょうか。

 

 まずはこちらからの「良い話大募集」のリクエストに、ご自身の体験談をご自身の言葉で綴ってくださったことに心より感謝申し上げたいと思います。

 まだまだ募集中ですので、こんないい話を読んだよ、とか、こんないい話を聞いたよ、というお話がありましたら、ぜひご一報くださいませ。どうぞよろしくお願いいたします。

 

◎「六つ知らず」(江戸のこころ)

 先日、「江戸しぐさを今学ぶ意味」 と題する講話を聞きました。

 てっきり「こぶし浮かせ」 「傘かしげ」 「うかつあやまり」 などの仕草や行為そのもののお話と思いきや、日本人の伝統的思考などを古事記からさかのぼって、とても興味深く拝聴しました。

 その中で、「六つ知らず」 というものを教えていただきました。

 数を数えるとき、指を一、二、三、と内側に折っていくと、五で握りこぶし(握りしめた状態)となりますね。

 六からは、七、八、九、十と、内側に折った指を開いていく形となります。

 それは、握ったものを少しずつ手放す=それまで得てきたことを社会に還元する、ということを象徴していると江戸の人たちは捉えたようです。

 五で留まっている人(=自分の利益だけを考える人)は「六つ知らず」と呼ばれ、軽蔑されたそうです。

2015.08.05:壱岐産業:[事務局ノート]

あずさ2号は実は・・・

  • あずさ2号は実は・・・

私のカラオケの十八番と言えば、「あずさ2号」

その場にいる誰かを狩人弟に仕立て、自分は狩人兄となって熱唱します(笑)。

 

♪8時ちょうどの♪ あずさ2号で~♪ 私は私はあ~な~た~から♪ 旅立ち~ます~♪

 

先日、新宿発7時半のあずさで松本に行ったのですが、

残念ながらあずさ2号じゃなく3号でした。

 

勝手にこんな想像をしました。

 

当時は便数が少なくて、例えば1号が7時、2号が8時、今は便数が増えて、

1号が6時半、2号が7時、3号が7時半、ということなんだろうな、と。

だから今は8時ちょうどはあずさ4号なのだろう、と。

 

ところが調べてみたら全然違ってました。

鉄道ファンなら常識なのでしょうが、奇数は下り線、偶数は上り線につけられるようです。

現在のあずさ2号は、塩尻6:17発東京行き。

 

しか~し。

それはおかしい!

 

なぜなら、歌詞の内容からすると、

8時ちょうどのあずさ2号に乗って、春まだ浅い信濃路へ、

あなたの知らない人と2人旅に出る、となっているからです。

 

やっぱり調べてみるものですね。

昭和53年国鉄時代のダイヤ改正で、上記のとおり、偶数号と奇数号を

上り線と下り線に割り当てることが決まったようです。

 

そう考えると、あずさ3号が当時の2号に相当するんだな、と感慨に浸りました(笑)。

2015.07.30:壱岐産業:[事務局ノート]

蜂防護服ラプターⅢ

  • 蜂防護服ラプターⅢ

 

これまで自由な内容のブログだけでしたが、

今回初の試みで、1週間みんなで同じテーマでブログを書くことにしてみました。

 

ラプターⅢ

関係ない人にはまったく興味のない商品。

何しろ蜂を駆除するために着る防護服ですから。

 

長野県中川村というところに「ハチ博物館」というのがあり、

おととし訪ねてみました。

 

 

この写真のハチの巣、直径が約1.5mあります。

 

あっちこっちから実際のスズメバチの巣を取ってきて一カ所に集め、

壊れた巣を補修しようとする習性を利用してつなげていくやり方、と言えばそれまで。

 

ところが実はそう簡単ではありません。

通常、違う女王蜂のスズメバチ同士を一カ所に集めると殺し合いになってしまうのです。

 

ではどうすればいいか?

詳細を知りたい方はぜひ長野県に行った際、この博物館を訪ねてください。

地元の方々の奮闘記、笑えるし泣けます。

様々な試練を乗り越える情熱が感じられました。

 

ところで彼らはスズメバチの巣を取る時にラプターⅢを着ていたか?

 

なんと! ちょっと厚手のカッパとゴム手袋だけでした。

危ないとは思うのですが、彼らはそれで大丈夫という信念があるようです(笑)。

 

信念だけではやっていけない人もいらっしゃいますので、

完全防備のラプターⅢ、必要ある方のために、全国一安く提供させていただいてます。

 

どうぞお買い求めを!

と、たまには商売っ気を出してみました(笑)。

2015.07.23:壱岐産業:[事務局ノート]

おおっ、これは!!

  • おおっ、これは!!

 

造った人に拍手!!

種が迫力をかもしだしていますね。

 

ここまでの作りこみはしてませんが、

弊社鈴木のりよもベジアート作品を多数つくっております。

http://iki-sangyo.co.jp/log/?l=299599

http://iki-sangyo.co.jp/log/?l=299847

2015.07.16:壱岐産業:[事務局ノート]

ユーミン松任谷由実とは何者?

  • ユーミン松任谷由実とは何者?

 

エフエム仙台でユーミン特集が組まれていました。

若いシンガーソングライターの番組です。

 

シンガーソングライターからみた「ユーミンの言葉選びの巧みさ」というところが

一番興味を引きました。

 

「翳りゆく部屋」と「ノーサイド」を引き合いに

「簡潔で、状況を一瞬にしてわからせ、しかも感情が揺さぶられる表現」だと。

確かに!

 

番組を聞いているうちに、これまで知らなかったユーミンの他の曲も聞いてみたい、

と思い立ち、実に久しぶりにレンタルCDショップへ。

 

「邦楽」コーナーで、松任谷由実だから「マ行」を探したのですが、ない!!

ん?? そんなバカな!!

 

そっか、ユーミンだから「ヤ行」か、と思い直し、探したけどやっぱりない!!

 

んんん???

 

そっか、きっとユーミンクラスになると、特別コーナーがあるに違いない。

ところが、ない、いや、あった!!

 

それはそれは驚きの場所に・・・。

 

なんと、「ナツメロ」コーナーでした(苦笑)。

 

レンタルしてきた上記写真の下の方、赤く丸で囲んでいるところに、「ナツメロ」という

シールが貼ってあります。ユーミンがナツメロだなんて・・・。

 

私の中でナツメロと言えば、三橋美智也、江利チエミ、三波春夫あたりでしたが、

天地真理もキャンディーズも通り越してユーミンがナツメロ入りしていたとは!!

自分もすでにナツメロ世代になったという証ですね(笑)。

 

ちなみに1つだけ2013年リリース「POP CLASSICO」というアルバムだけが

「邦楽」のシールが貼られていました(上記写真で青く囲んだもの)。

 

ところで、ユーミンはいったいこれまで何曲作ったのか?

 

1971年1曲、72年2曲とゆるやかにスタートし、73年13曲、74年11曲、

そして75年38曲!! その後10年間は平均29曲/年というから驚きです。

 

曲作りの他に、コンサートとその打合せ、アルバムづくりとその打合せ・・・。

どうやって38曲も作れたのか!

 

夫の正隆さんが編曲を担当していたというのはもちろん大きかったと思いますが、

曲が、詩が、ユーミンの体を通して天から降りてきた、としか思えませんね。

 

2013年までの情報ですが、トータル628曲という驚異的数字でした。

2015.07.09:壱岐産業:[事務局ノート]