東日本大震災を子どもの視点から見る①

災害大国ニッポンでは、東日本大震災の後も、大地震、風水害が多数発生し、多くの犠牲

者が出てしまっています。世界広しと言えども、日本ほど災害で多数の死者を出している

国は他にありません。

 

その中でも、やはり東日本大震災は別格です。

もう13年以上経過しましたから、きれいに整地区画され、新しいお店や工場などが出来て

沿岸部の町はまるで生まれ変わったかのようです。

 

しかし、それらはあくまでハード面というか物理的な話であり、町の復興、人の賑わいに

ついては、地域差が大きいですね。特に陸前高田はひどいなぁ、と感じています。

 

そして、もう一つ、とても大切な心の復興について、改めて考える機会がありました。

 

たまたまご縁のあった震災語り部の佐藤敏郎さんの2回の講話を聴いたこと、そこで紹介さ

れた2冊の本を読んだこと、さらに佐藤敏郎さんの娘さんが監督した2つの映画作品を観た

ことです。

 

本と映画については、震災当時の子どもの目線が描かれており、これまで知らなかった

こと、気づいてなかった部分が表現されていて、改めて震災を違った角度からふり返る

ことがでました。

 

子どもと言っても、すでに13年経過している訳ですから、当時の中学生は20代後半、

小学生でも成人しており、今はすでに社会で活躍しているわけです。

 

私たちの身近で活躍している人の中に、そういった被災を乗り越えた人たちが何気なく

交じっているのです。

 

 

震災以後、全国からいろいろな形の復興支援が差し伸べられたのは周知のとおりですが、

こんな形の支援もあったんだなぁ、と驚きました。

 

それは、財団法人日本宇宙フォーラムのY氏からの提案で、被災地の中学生に俳句をつくっ

てもらいそれをラジオ国際放送に流して届けるというものです。2011年5月のことです。

 

震災後2ヶ月。まだまだ子供たちの心はズタズタであろう時期のこと。

このオファーを受けた校長先生も立派ですし、生徒の心に寄り添って、見事に子供たちの

内面表現を導いた敏郎さん(震災当時女川一中の国語教諭)の力が大きいと感じました。

 

見上げれば ガレキの上に こいのぼり

 

どの子の句も思いがこもっていて素晴らしいのですが、この句が代表として選ばれ、

17か国語に翻訳されて2011年6月に国際放送に流れたのです。

 

これに続く詩をラジオで募ると、49か国から800の作品が集まったと言います。

自分の気持ちを表現すること、そしてそれが受け止められること。

これが心の復興の第一歩であることは間違いないなぁ、と感じました。

2024.08.25:hamokomi1:[コンテンツ]