2026年度の上杉文華館は「西からの手紙」と題して、国宝「上杉家文書」などを展示します。
書状は一定の規則に則って書かれました。このような規則を書札礼といい、差出人と受取人の関係が反映されていました。それをまとめた書札礼書も作られました。そこ には差出者の社会的地位に応じた規範が示されています。その適用は厳密であり、ゆえに実際の書状の書き方から両者の関係を知ることもできます。
2023年度コレクション展および2025年度上杉文華館では戦国時代の上杉氏に主に東国の領主から送られた書状を、2025年度コレクション展では上杉謙信や景勝、その 家臣らが発給した書状について、書札礼や使用された料紙などについて検討し、展示しました。
2026年度の上杉文華館では、戦国時代に京都やその周辺、中国地方など、越後より西の地域の大名や領主から長尾上杉氏に送られた書状を対象に、書札礼や使用された 紙などについて検討し、展示していきます。東国の領主や上杉氏との相違なども意識しながら、その特徴などを明らかにしていきます。
第7回≪北陸の大名(2)≫
【展示期間】9月25日(金)~10月27日(火)
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第7回は、能登(石川県)の守護家・守護代家の文書をみていきます。 能登守護は室町幕府管領畠山氏の一族によって継承されてきました。永正12年(1515)に家督を継いだ義総は、永正末年以降、一向一揆との抗争と和睦を繰り返します が、安定的支配を実現していた時期には、中央の文化人が来訪し、能登の文化的繁栄を築いたとされ、能登畠山氏の最盛期を築いたといわれます。遊佐秀盛は、その守護代 として前半期を支えています。
義総を継いだ義続 は、天文19年(1550)、有力家臣の反乱にあい、政治の主導権を七名の家臣に奪われ、息子義綱に家督を譲りました。また、その有力家臣の一人、遊佐続光は、天文22年に家臣間の主導権争いに敗れて加賀(石川県)に出奔します。しかし、同24年のライバル温井総貞の暗殺を機に義続が続光を復帰させ、以後上杉謙信 や越中の椎名氏と結んで温井氏と抗争を繰り広げていきました。永禄2年(1559)に和睦が成立すると、続光は年寄衆として、義綱の支配体制強化に貢献しました。
しかし、続光は、永禄9年、畠山義続と義綱を国外追放しました。主家である守護家を凌駕するような実力を持つ存在であったということができます。
▼ コレクショントーク
日時:10月4日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
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皆さまのご来館を心よりお待ちしております。
【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001


