ただいま開催中の開館25周年記念特別展「上杉謙信と川中島合戦」から展示紹介をいたします。
展示紹介①
前期展示の冒頭では、上杉謙信 と 武田信玄の肖像画を展示中。信玄の肖像画は初公開です! どちらも同じ作者で、謙信と信玄が向き合うように描かれています(掲載画像は部分)。
展示紹介②
川中島合戦の初戦となる天文22年(1553)、謙信は後奈良天皇の綸旨を得ます。本文中に見える「隣国」は信濃を指し、謙信は信濃に出征する正当性を朝廷から与えられました。武田軍の進攻に圧迫され、謙信を頼った信濃国衆の動向と連動していると考えられます。
展示紹介③
弘治3年(1557)の戦いで、謙信は揚北衆の色部氏にくり返し参陣を求めています。色部氏はこの要請に応じなかったようです。敬語を使った丁寧な依頼である点から、当時の色部氏は謙信に完全に従属する立場ではなく、一定の自立性をもった存在だったことが窺えます。
展示紹介④
永禄2年(1559)に2度目の上洛を果たした謙信は、13代将軍足利義輝に謁見し、義輝から信濃国の軍事指揮権を認められました。これは、謙信の信濃出兵を優位に進めることを可能にした一方で、前年に義輝が認めた信玄の信濃守護職を否定するものでした。
展示紹介⑤
永禄4年(1561)の川中島合戦は、一番の激戦でした。謙信は、戦地で忠功に努めたことを賞して、安田長秀に感状を発給しました。いわゆる「血染めの感状」と言われる本状ですが、多くの家臣とその一族の犠牲の上でもたらされたことを示すものとして著名です。
展示紹介⑥
永禄10年(1567)の戦いは、信玄と蘆名氏家臣小田切氏との協働で進められました。下越から攻める小田切氏と野尻方面に攻める信玄勢によって、謙信は挟撃される事態となりました。なおこの時、謙信は沼田に在陣中であり、謙信の留守を狙った侵攻でした。
展示紹介⑦
謙信が上野国に初めて出征した永禄3年(1560)9月、北条氏から圧迫を受けていた上野国衆は謙信に与同し始めます。翌年に作成された「関東幕注文」(国宝「上杉家文書」)には、謙信に与する上野国衆が列記されており、謙信に期待を寄せていたことを窺わせます。
皆さまのご来館を心よりお待ちしております。
【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001


