令和7年度 上杉文華館「謙信・景勝に手紙を出す」⑦

令和7年度 上杉文華館「謙信・景勝に手紙を出す」②

令和7年度の上杉文華館は「謙信・景勝に手紙を書く」と題して、国宝「上杉家文書」などを展示します。

 戦国時代、書状は一定の規則に則って書かれました。このような規則を書札礼といい、差出人と受取人の関係が反映されていました。それをまとめた書札礼書 も作られました。そこには差出者の社会的地位に応じた規範が示されています。その適用は厳密であり、ゆえに実際の書状の書き方から両者の関係を知ることも できます。東国の大名間では、差出は実名に花押、宛名は名字に殿の尊称という表記が、原則的に対等な関係を示していました。特別な内容や礼状などでは、宛名に「謹上」のような上所、差出の実名に官途や姓などを加えて厚礼とし、より丁寧な気持ちを表すこともありました。

 永禄4年(1561)、謙信(長尾景虎)は上杉憲政から名跡と関東管領の地位を譲られ、上杉氏を名乗ったことはよく知られています。これによって謙信、景勝 はその地位に応じた書状を受け取ることになりました。宛名には、「上杉殿」や「上杉弾正少弼殿」などの名字を冠したもの、「山内殿」や「越府」、「春日山」 などの地名を記すもの、また本人ではなく、報告を求めて側近に宛てたものなどがみられます。これらは差出人の立場によって選ばれますが、その基準をみていくことで、謙信や景勝の地位、諸大名家の権力構造、東国社会の変容などがみえてくると思われます。

2025年度はこの解明に取り組んでいきます。

 

第7回《大名家の事情Ⅰ…北条》

 

 【展示期間】9月25日(木)~10月21日(火)

 

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 上杉謙信と北条氏はともに関東管領の地位に拠って、関東支配をめぐって対立していました。永禄11年(1568)12月、北条氏と同盟を組んでいた武田信玄が、同じ く同盟者であった今川氏真 うじざね を攻撃して懸川 かけがわ (静岡県掛川市)に逐 お いました。これに対して北条氏は氏真への支援を表明し、劣勢を挽回するため、謙信と同盟を結びま した(越相 えっそう 同盟)。この同盟締結の要請から破綻 は た ん に至る約三年間の北条氏から上杉氏への書状が伝わっています。  北条氏の書状は、当主(前当主)、一門間、家臣、それぞれで様式に違いがありました。特に一門間の相違については、この同盟交渉における上杉氏に対する北条氏 の姿勢という観点から理解されています。一方で、そのような差異が北条氏内の序列を反映しているとみることもできます。今回は、北条氏の序列の視点から文書をみ ていきます。

 

▼ コレクショントーク

 日時:10月5日(日)  14:00

 場所:常設展示室 上杉文華館

 ※入館料が必要です。

 

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皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2025.09.25:denkoku:[博物館情報]