令和7年度の上杉文華館は「謙信・景勝に手紙を書く」と題して、国宝「上杉家文書」などを展示します。
戦国時代、書状は一定の規則に則って書かれました。このような規則を書札礼といい、差出人と受取人の関係が反映されていました。それをまとめた書札礼書 も作られました。そこには差出者の社会的地位に応じた規範が示されています。その適用は厳密であり、ゆえに実際の書状の書き方から両者の関係を知ることも できます。東国の大名間では、差出は実名に花押、宛名は名字に殿の尊称という表記が、原則的に対等な関係を示していました。特別な内容や礼状などでは、宛名に「謹上」のような上所、差出の実名に官途や姓などを加えて厚礼とし、より丁寧な気持ちを表すこともありました。
永禄4年(1561)、謙信(長尾景虎)は上杉憲政から名跡と関東管領の地位を譲られ、上杉氏を名乗ったことはよく知られています。これによって謙信、景勝 はその地位に応じた書状を受け取ることになりました。宛名には、「上杉殿」や「上杉弾正少弼殿」などの名字を冠したもの、「山内殿」や「越府」、「春日山」 などの地名を記すもの、また本人ではなく、報告を求めて側近に宛てたものなどがみられます。これらは差出人の立場によって選ばれますが、その基準をみていくことで、謙信や景勝の地位、諸大名家の権力構造、東国社会の変容などがみえてくると思われます。
2025年度はこの解明に取り組んでいきます。
第4回《山内殿Ⅱ…南奥羽》
【展示期間】6月26日(木)~7月22日(火)
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第4回は、「山内殿」という表現が使われる地域として奥羽に目を向けます。奥羽のうちでも現在の福島県域にほぼ相当する南奥 なんおう と、出羽庄内(山形県庄内地方)がそれに 該当します。南奥は関東と接し、その影響を強く受ける地域で、関東の領主との通交において書札礼に関東の礼的秩序が適用されていました。関東管領 かんれい 山内上杉氏 を継承した謙信・景勝との通交に、関東の書札礼 しょさつれい が適用されることは自然であったともいえます。 一方、出羽庄内では関東の礼的秩序は確認できません。庄内は越後と接しており、戦国時代以前から両地域の領主の密接な通交を確認できます。このような関係 が謙信や景勝との間でも続いていたことが、「山内殿」使用の背景にあったと考えられます。このような個別的関係は、関東の秩序に包摂された奥羽の領主にも見 られ、「山内殿」とは異なる書札礼が用いられていました。 また、庄内では大名と国衆 くにしゅう の間で採用される書札礼に差がありました。
▼ コレクショントーク
日時:7月6日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
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【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001