歴史探訪

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今回は上山城。かみのやま温泉駅からも近い羽州の名城と呼ばれるお城です。
戦国時代は山形最上家にとって、伊達家や上杉家との国境になる南部最重要拠点でした。東北の関ヶ原と呼ばれる長谷堂合戦時にも上杉家の軍勢が攻め寄せますが、最上勢が郊外で迎え撃ち貴重な勝利を得ます。もしここが落とされたら山形城は最大の危機に陥るところでした。
最上家が改易後は松平家や土岐家など城主がめまぐるしく変わり幕末を迎えます。
新幹線からも良く見える模擬天守閣は山形県内では唯一のものです。もちろん天守からの眺めも抜群ですよ!

最終日はロスにて。写真は映画などで有名(?)なロサンゼルス市警察、いわゆるLAPDです。古くはコロンボ警部から、今までも有名なハリウッド俳優が刑事役で出演してますよね。宿泊施設が近くだったので見てきました。ある意味珍しい写真ですよね(笑)。
夕食は近くの中華料理店にて。係の男性がすごく一生懸命で、チップを多めにあげたら喜んでました。安くておいしかったですよ。
今回はロスではあまり時間がなかったので、今度ゆっくり行ってみたいところです。行きたい方はぜひ山形E旅へ。
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ボルダーを後にした私達は飛行機でロサンゼルスに向かいます。そして翌日、これまた飛行機でグランドキャニオン観光へ。女性パイロットの操縦で約1時間30分
近郊の空港へ着陸後、バスでグランドキャニオンへ。この日はこれ以上ないという素晴らしい天候に恵まれました。地球40数億年の歴史のうち約3分の1が見れるというグランドキャニオン!ここに来ると人生観が変わる人もいるというのも頷けます。ホント素晴らしかったです!行ったことない方はぜひどうぞ!
その際は山形E旅へお願いします!
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写真はゴールとなっているコロラド大学のスタジアムです。どうです、これだけの観客に迎え入れられると感激しますよね(先にゴールした人ももちろん入ってますが)。
この日は戦没者慰霊のメモリアルデーにもなってまして、全員がゴールした後、式典がありました。空からは5名の空挺隊員が次々とスタジアムに降下、特に最後の隊員は星条旗をはためかせながらでした。国歌斉唱では女性のシンガーが感極まって泣きながら歌う姿に観客からも声援が送られてました。観客でも感涙する方も多く、私もジーンときたものです。
最後のジェット戦闘機4機のフライパスがカッコ良かったなあ。
今回の訪問では有名なフットレース「ボルダーボルダー」に参加してきました。
もっとも私たちのグループはほとんどの人が走るのではなく歩きでしたが。
しかし快晴で寒すぎず暑すぎず快適な中でのレースは非常に楽しかったです!街中のコースで距離は10km、参加者エントリーはおよそ5万人!沿道では声援を送る人、パフォーマンスで盛り上げる人と、ランナーを飽きさせません。
後から知ったのですが、1人ひとりのタイムや写真まであるんですよ!それを見て二度楽しみました。
先日5月29日から6月3日まで山形市の友好都市でもあるアメリカコロラド州の
ボルダー市へ行ってきました。私の所属している山形北ロータリークラブの姉妹クラブ公式訪問だったのですが、とてもきれいですばらしい町を紹介します!
アメリカ中西部、標高約1,600mに位置し人口は約10万、白人が多い都市です。アメリカで最も住みたい都市に選ばれることもあるというだけあって、ゴミも落ちていないし空気もきれいだし何といっても住んでる人が親切です。
今回は非常に天気にも恵まれたので景色もすばらしかったです。
写真は市庁舎とシンボルの山「アイロンロック」(アイロンの形をした岩)です。

この合戦では様々な評価がありますが、ほとんどは直江兼続の見事な撤退作戦ばかりが取り上げられます。確かに難しい撤退戦を成功させたことは間違いないでしょう。また前田慶次など有名な武将の活躍もありました。しかし、寡兵の最上勢、特に長谷堂城兵にもっと注目するべきだと思います。本隊2万といわれる名将兼続率いる天下の上杉勢を相手によく防いだものです。もしかしたら上杉勢も油断があったのかもしれませんが、最上家とてかりにも強敵に囲まれながら戦国を戦い抜いた大名です。そう簡単に勝負は着かなかったのでしょう。
いずれにしても長谷堂戦後、家康より庄内および秋田南部由利郡を加増され57万石となります。(石高について不明な点も多い。関ヶ原戦前は24万石、戦後は33万石加増との説が定着しているが、のちに庄内を治めた酒井家は14万石、由利郡そのほかを考えても33万石も増えないのでは、元々30万石くらいはあったのでは、と思います。これは私見ですが。)
余談ですが、のち最上家改易時、近隣大名により領内の城郭が接収されますが、長谷堂城を担当したのが上杉家だったことは皮肉というほかありませんね。

長谷堂城を守るのは最上義光の右腕「志村光安」、副将は豪勇「鮭延秀綱」といわれ1千人前後の城兵が頑強に抵抗しました。
(小説などでは城兵の数を5千としているものも多いのですが、この城はそこまで大きくありませんし、山形城や須川沿いに展開した軍勢もあるので、最重要とはいえ支城一つにそんなに回せるほどの余裕はなかったでしょう)
直江勢は繰り返し繰り返し攻めますがなかなか落ちません。それどころか剣豪で知られる上泉泰綱など多くの武将が戦死する事態となってしまいました。
そんな中、義光が兼ねてより要請していた伊達家の援軍も姿を現します。今までは複雑な両家関係でしたが、孤立状態だった最上家にとっては非常に心強かったことでしょう。また、上山方面より侵攻した上杉勢は大将本村親盛を失い敗北します。最上勢にとって山形が挟み撃ちされるのを防いだこの勝利は大変大きいものでした。
そうこうしているうちに関ヶ原の徳川方勝利が当地にも伝わります。反転して攻撃されることに備えるため上杉勢は撤退することになりますが、それを追撃する最上・伊達勢との間で大激戦が繰り広げられます。難しい撤退戦を指揮する兼続の見事な戦法に、義光本人の兜にも鉄砲が命中するほどのすさまじい戦いです。(この兜は最上義光歴史館に展示されてます、必見!)結局、上杉勢は米沢に撤退、最上勢は庄内より侵攻した上杉勢も撤退または降伏し、ここに長谷堂合戦は終了します。両軍ともに多くの戦死者を出した東北地区まれにみる大激戦でした。
<評価は次回>
1600年に起こった関ヶ原の戦いに際に、東北の関ヶ原と言われる「長谷堂合戦」がありました。石田方についた上杉家と徳川方についた最上家の戦いです。
徳川家康が謀反の疑いで、当時会津若松を領していた上杉景勝を攻めようとしましたが、西の上方で石田三成が挙兵したため引き返していったので、対抗していた上杉家はそれを追撃せず、北の徳川方最上家に侵攻してきました。当時の上杉家は120万石、戦国最強軍団の一つで徳川家康にさえ立ち向かう程の大名です。最上家が単独で戦うにはあまりにも力の差があり過ぎました。
最上領に3方向より侵攻してきた軍勢はおよそ2万7千といわれ、本隊は大河ドラマで有名になった名将直江兼続が直接率いていました。対する最上家はせいぜい1万程度といわれます。
さすがに天下に名だたる上杉勢は強く、畑谷城をはじめ多くの城砦が落城となりました。しかし破竹の勢いで進撃する上杉勢の前に長谷堂城が立ちはだかります。
ここで思わぬ苦戦を強いられることになります。
(続く)

おはようございます。
昨日の夜、話題の映画「踊る大捜査線3」見ました!
このシリーズは前から好きなので、今回は7年ぶりとのことでどんなストーリーかと楽しみにしていました。
青島刑事は出世して係長に、室井さんも重要なポストに就いており(私は特にこの人が出るのが楽しみですね〜)、配役もおなじみのメンバーに新たに加わった人も多く豪華キャストでした。チョイ役も含めるとホントにすごいかも。それぞれの役割とキャラクターがあり、特に小泉今日子に注目、まさに怪演でしたね。
「踊る」シリーズは全てつながっているので、年がたつにつれて階級や役職も変わり、その人の成長も見られるのも面白いですね。
ストーリーを書くと怒られますので控えますが、次回が楽しみになる終わり方だったかなと思います。
皆さんもぜひご覧になって下さい!
こんにちは。
昨日は山形城についてお話しましたので、今日は山形の戦国武将「最上義光もがみよしあき」についてです。
最上家11代当主。一族、周辺の豪族などとの対立を乗り越え、豊臣政権時代を経て、関ヶ原の戦いでは、徳川方に味方し(徳川家康には相当の信頼を寄せていたようです)、戦国最強軍団の一つ上杉家の軍勢を長谷堂合戦にて引きとめた戦功により、戦後57万石の大大名に成長しました。※長谷堂合戦についてはまた後日詳しく触れます。
ここまではよかったのですが、家督を嫡男義康に継がせればよかったのでしょうが、家康に預けてあった二男家親に継がせたこともあり、家臣がまとまらず義光の死後は二代で改易されてしまいます。
しかし、義光が山形の基礎を築いたことは間違いないでしょう。山形城の拡張、城下町の整備、寺社の保護、新田開発など、功績ははかりきれません。
この人については賛否両論、今までのドラマでも悪役のイメージが非常に強く、伊達家、上杉家といった大名家の引き立て役になっているような感じでした。やれ謀略家、残酷、冷酷などなど。しかし戦国時代は親子兄弟が対立、手にかけたことも珍しくなかったようです。また謀略についても、戦闘を極力避け、自他ともに損害を少なくし、相手を屈服させる戦法でもあったわけですね。その点、義光は、降伏した相手にも寛大に対応したといわれ、家臣に取り立てた武将もいます。また領内では一揆はほとんど起こらなかったくらい領民にも配慮していたようです。
義光については今後、ますます検証を進め、正当な評価をしていただきたいものです。
おはようございます。
初めて投稿します。
E旅で歴史好きの私、山形をはじめ日本全国のいろんなスポットを紹介します。
詳しい方も、ぜひいろんな情報教えていただけると嬉しいです。

山形発信ですのでまずは地元からということで山形城。

1356年斯波兼頼(最上家祖、清和源氏の名門足利氏の支流)により築城されましたが、その頃は小さな居館程度のものだったと推測されてます。のちに戦国武将である11代目最上義光(もがみよしあき)により大拡張されました。関ヶ原の戦功によって57万石(徳川、豊臣を除けば全国第5位!)の大大名に成長した義光の本城らしく、その規模は平城では全国有数、天守閣こそなかったものの多くの櫓、城門を構える大城郭でした。ちなみに「平城」というと天守閣のない城と思っている方が多いようですが、平地に築かれた城を平城といいます。江戸城、名古屋城、大阪城などが代表的です。
山形城は別名「霞ヶ城」といいますが、これは東北の関ヶ原といわれる「長谷堂合戦」時に、知将「直江兼続」率いる上杉家の軍勢が攻め込んできた際、陣を置いた山形市西部の富神山より山形城を眺めた時、秋の深い霞によって見えなかったことによるといわれてます。
その後、最上家は改易、鳥居氏の時代に改修されたといわれますが、頻繁に城主が交代、石高も減少していったので次第に衰退していったようです。それでも現在、市街地のど真ん中に残る大規模な遺構は全国的に見ても貴重なものです。
現在は、東大手門が木造で復元(日本国内では木材調達ができず台湾から調達)され、本丸の大手門も復元進行中です。
ほかに見どころとして馬上姿の最上義光銅像(長谷堂合戦のあった方角に出陣する姿)もありますが、これは素晴らしい出来栄えで、馬の後ろ足だけで立っています!全国を探してもこれだけの重量を支えるのに後ろ足だけというのは大変珍しいそうです。
また、春は1500本といわれる桜が咲き誇る山形市内随一の名所です。
山形に来たらぜひ訪れたいオススメのスポットですね。


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