歴史探訪

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1600年に起こった関ヶ原の戦いに際に、東北の関ヶ原と言われる「長谷堂合戦」がありました。石田方についた上杉家と徳川方についた最上家の戦いです。
徳川家康が謀反の疑いで、当時会津若松を領していた上杉景勝を攻めようとしましたが、西の上方で石田三成が挙兵したため引き返していったので、対抗していた上杉家はそれを追撃せず、北の徳川方最上家に侵攻してきました。当時の上杉家は120万石、戦国最強軍団の一つで徳川家康にさえ立ち向かう程の大名です。最上家が単独で戦うにはあまりにも力の差があり過ぎました。
最上領に3方向より侵攻してきた軍勢はおよそ2万7千といわれ、本隊は大河ドラマで有名になった名将直江兼続が直接率いていました。対する最上家はせいぜい1万程度といわれます。
さすがに天下に名だたる上杉勢は強く、畑谷城をはじめ多くの城砦が落城となりました。しかし破竹の勢いで進撃する上杉勢の前に長谷堂城が立ちはだかります。
ここで思わぬ苦戦を強いられることになります。
(続く)

2010.07.09:yusuke1970:count(2,422):[メモ/コンテンツ]
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