第二章 創業者の敷いたレールを離れる決意

事業承継における様々ないばらの道を通ってきましたが、嬉しいこともありました。地元税務署からの表彰です。

 

私がM&Aで売却した会社は、M&A売却の二年前に法人税の優良申告法人として地元の税務署から「表敬状」を頂戴しました。三度目の表彰です。売却前の法人税の申告では、三千五百万円の経常利益に対して、千五百万円の法人税の申告でした。

 

中小企業においては、節税の一手法として経営者の役員報酬を上げて経常利益を少なくするという考え方があります。税金を払うくらいなら、自分たちの報酬額を大きくして、税金を減らそうという考え方です。役員報酬額が多くなれば、その分経常利益が少なくなり、法人税の納税額も少なくなります。大半の同族中小企業がこの考え方に賛同し、法人税の納税額を少なくしているのではないでしょうか。

 

しかし、経常利益も少なくなり、法人税も少ないということは、自社の内部留保も少ないということになります。経常利益から法人税を差し引くと当期利益が発生します。この当期利益をどのように処分していくか、決算書の利益処分計算書に経営姿勢が現れます。

 

私が売却した会社の利益処分は株主配当と別途積立金として、毎年内部留保に充当してきました。しかし、役員報酬を抑え、経常利益を上げ、多額の法人税を納め、表敬状を頂戴することにどのような利点があるのでしょうか。売却した私の会社の実情を知る人達は、一様にして同じ事を言っていました。経営内容や姿勢は立派だけど、税金を払う分、別の経費を計上して、税金額を減らしたほうがメリットがあるという人もいます。税務署を潤すことなどないでしょう、という人もいます。さらに、税金を多く払っても何のメリットもないよ、という人もいます。

 

しかし、私には大きなメリットがありました。このような経営姿勢で推移してきた結果、内部留保が多くなり、M&A売却のときにも現金が豊富であったため、企業評価が良かったのです。売却のたたき台となる企業評価書は、簿価(決算書の価格)を時価に修正しますが、現金は簿価でも時価でも値引きされることなく修正が必要ありません。

 

下方修正を余儀なくさせられるケースの多い不動産や在庫といった勘定科目とは違い、現金・預金といった勘定科目の潤沢な内部留保は大きな魅力です。内部留保が潤沢であれば、役員退職金の受け取りも可能です。

 

千五百万円の法人税を支払うなら、役員報酬を二千万円増やし、三千五百万円の経常利益を千五百万円にし、法人税の申告額を減らすというのが、中小企業経営者の圧倒的支持ではないでしょうか。しかしM&A売却の有無は別にしても、多額の法人税を計上できる会社でなければ、内部留保も微々たるものになってしまい、体力の弱い会社となってしまいます。

 

会社に体力をつけるには、多額の経常利益を計上できる経営姿勢に変換しなければなりません。内部留保がなければ、いつまでたっても、銀行融資に頼る経営から脱皮できません。このような考えをもつ一方、後継者である私の役員報酬が低くおさえられている現実。私の役員報酬が潤沢でない分、税務署への納税額が増えているという矛盾に付け加え、相続税ということが頭の中をよぎったのです。

 

中小零細企業として捉えれば潤沢な内部留保で決算内容も良好ということは、自社の株価が高くなっているはず、という思いが脳裏に浮かんできたのです。

中小企業の株式は上場企業の株式と違い市場で換金できません。経営に関与しないものにとっては紙切れ同然のものです。その紙切れを相続するのに数千万円を調達しなければならないのです。役員報酬を低額に抑え、会社の利益計上を優先順位としていた私には、相続税を捻出するだけの預金はありません。このため、業界の雲行きが怪しくなったことを察知し、父が敷いて来た事業のレールには乗らず、M&A売却で業態を転換し第二創業へと、進む道を決断したのです。

 

私は相続税には無関係と思っていました。父である父や母がどれだけの財産を保有しているかということにも無関心でした。父や母がどれだけ財産を持っていようとも、預金があれば生存中に父と母で使いきればよい、という単純思考でいたのです。しかし、自社株式取得の重要性と、株式を相続したときに、相続税がかかるということをある時点で知ったときは、悲壮感に襲われました。自社の経営権を獲得するには、父の株式を承継する必要があり、その株式承継に多額の相続税がかかるということにやっと気付いたのです。

 

それなりの知識を持っている経営者にとっては、私の後継者としての知識の無さを一笑するかもしれませんが、案外、同族中小企業の経営者は、私のように自社株式の承継とその相続税に無関心なのではないでしょうか。経営支配権を相続するには、父と母の株式を私が承継しなければなりません。その相続には相続税が課税されることになります。あるとき、父と母の株式、そして、事業を継続するうえで必要な父と母名義の不動産を相続すると、数千万円の相続税が課税されることを知ったのです。

 

幹部社員の離反、業界飽和期の価格破壊の恐れ、そして事業承継の為の相続税納税資金調達等々、父の敷いたレールを走るにはリスクが大き過ぎると判断したのでした。

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