第一章 企業寿命三十年節を超えた三十八年目の自社売却決断

生物はたえず発育し、変化していきます。誕生し、生育し、老後を迎え、そして人生の最後を迎える、それが人間の生々流転です。

 

このことはひとり人間のみならず、企業もまた生き物であり、同じように生々流転をしています。企業もまた、誕生し、発展し、成熟し、衰退していくわけです。しかし、人間は死と言う最後を迎える宿命を負っているため、生々流転を繰り返すというわけにはいきませんが、企業の場合には生々流転のパターンは「創生期」「発展期」「成熟期」「衰退期」、それに「再生期」を加えた五段階に区別することができます。

 

人間と言う生き物には「再生」という時期はありませんが、企業には「再生」という手段があるのです。衰退しても、うまく再生できれば、再度起死回生を図り、新たな創生期を迎えることができるわけです。つまり、永遠に生々流転を繰り返すことで、企業存続が可能となるわけです。

 

私がM&Aで売却した会社は、創業三十八年目で、経営権とその株式を他社に譲渡しました。経営圧迫を予知させる、さまざまな兆しが見え始めてきていたのです。業界全体が横這いとなり、創業時の事業内容だけで経営を維持していくことには、明らかに限界が見えてきたからです。

 

本来企業の生々流転を十分に認識している経営者なら、衰退期に入る前に速やかに再生への道を模索し、多角化によって新たな創生期を迎えるという経営戦略を展開するはずです。「企業三十年説」という定説がありますが、三十年目を迎えても存続していける企業と、廃業せざるをえない企業の違いは、どれだけ経営の革新や多角化を実践することができるかにかかっていると思います。

 

私の経営していた会社のように、創業時からの単一事業内容だけで、創業三十年を迎えようとする企業は衰退していきます。スピードの速い現代社会では「企業十年説」に置き換えても少しもおかしくありません。それほど現代は猛スピードで社会が変革し、企業はその変革への待ったなしの対応が求められているのです。

 

さらに私が売却した会社には、事業承継時に生ずる問題を知ろうとしないことに起因し,終極、事業を継続できなくなってしまう切実な問題が見え隠れし始めていたのです。

  ・自己の経営能力の足りなさを自戒しなければならない問題

  ・承継した事業が天職でないことに気づくべき問題

  ・将来相続の不調性で経営権が移行し、経営者の椅子を取られてしまう問題

  ・将来性のない会社にしがみついている経営上の問題

などなどさまざまでした。

 

これらのことから、資金的余裕がありながら再生への道に投資できる環境がなく、最終的にM&Aという経営戦略を実践することになったのです。会社を手放すことになりましたが、M&Aによって会社は起死回生を図る事が可能になり、また私自身は、売却で得た資金によって新会社による創成期への道を模索し、新たな生々流転の道を歩み始めることにしたのです。

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