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第三章 M&Aという戦場での盟友は誰か

 M&Aを成功させるには財務、税務、法務の専門家が必要です。スモールカンパニーの経営者や業務担当者では、M&A実務に携わる機会はほとんどありませんので、まず無理といっていいでしょう。また、M&Aアドバイザーと称する個人の専門家でも、対象企業の発掘から成約まで一貫してアドバイスのできる能力のある人はそうざらにはいません。

 

 しかし、私の会社のM&Aは日本M&AセンターのT氏というCPA(米国公認会計士資格)を持った方が担当してくれました。M&Aを実践しながらわかったことは、M&Aの仲介会社には税務に強い担当者、不動産鑑定士の資格保持者、弁護士など、さまざまな分野の専門家が必要だということです。M&Aがクロージングに向けて進展するにつれ、私はこれらの専門スタッフの重要性をひしひしと感じたのです。

 

 私のように企業売却を望む中小企業の経営者にとって、M&Aはまさに一生に一度の大仕事です。もし私がアドバイザーを持たず逆に相手企業が百戦錬磨のM&Aアドバイザーと共に交渉に臨んできたとしたら、交渉は間違いなく相手有利に展開し、場合によっては企業連携に至ることがむずかしかったかもしれません。

 

 というのも、クロージングが近付くにつれ、当初は予想もしなかったさまざまな問題が発生し、財務、税務、法務、そして不動産鑑定士等の専門家を抱えて私を支援してくれる、M&Aの軍師的存在の仲介会社に所属する担当者がいなければ、私のM&Aの成功はないことを心底思い知らされたからです。

 

 家業の会社経営に従事しておよそ二十年、私は、〝双頭の鷲〟 を自らの戒めにして親子間でのいさかいを避け、創業者の息子という立場に甘んじて、いわば閉じられた経営の〝垢〟に目を瞑っていました。このため、後継者という立場で自社経営に従事してきたものの、ベールに覆い隠された創業者だけにしかわからない経営上の重要な部分が多く存在し、M&Aを具体化するうえでこのベールで隠されていた部分を解決するために、さまざまな専門家の支援を必要としたのでした。

 

 そのひとつは株券の問題です。株式譲渡には株券が不可欠ですが、私の会社は株式会社でありながら株券が見当たらないのです。「上場企業とは違い、中小企業の大半は株券が発行されていない」という話を仲介アドバイザーから聞き、私は少し慰められた気がしました。しかしながら、株式を譲渡するにはどうしても株券の交付が必要です。その株券がないということは、M&Aの成立に大きな障害となります。

 

 私の会社は創業時から株主への株券の発行がおろそかになっていて、そのまま何十年も推移していたのです。私の会社の場合、創業当時は株式会社を設立するには七名の株主が揃わないと会社登記ができず、一株でも二株でも他の株主を確保する必要があったため、株式会社設立の最低条件を整える事情があったようです。

 

 少数株主であれ、大株主であれ、株主名簿と株券は発行済株式どおり揃わなくてはなりません。しかし、私自身、会社の株券を見せられたことがなく、だれが株主なのかさえも正確には知らされておらず、しかも株式を管理しているはずの創業社長もこの件についてはあいまいで、私はただただ途方に暮れるばかりでした。

 

 そんなとき、私のアドバイザーである日本M&AセンターのT氏は、その対処法を私に的確に指示し、判然としない端株を持つ株主の処遇やM&Aを継続させるための相手企業への折衝など、すべての問題を円滑に処理してくれたのです。新会社設立時の株式の発行とは違い、売却決断時までの、創業三十八年の営業であやふやとなっている株券の処理問題です。専門家なくしては対処不能であり、もしアドバイザーがいなければ、私のM&Aはこの時点で頓挫していたはずです。

 

 相手先がしっかりした企業であればあるほど、売却側の株券の問題は重要なウエイトを占めます。私の場合は売却先の好意もありました。売却先の企業は、私の置かれていた二代目経営者としての立場に理解を示し、このような問題にも共に解決の方法を模索してくれたのです。しかも「売却先の企業が私のことを信用している」という話がアドバイザーを介して私の耳に入りました。売却先の企業が、私のようなスモールカンパニーの経営者に対しても、最初から最後まで高飛車にでることがなく、最後まで紳士的であったことを今でも感謝しています。

 

 このような株券の問題は、私の身の上に会社売却という戦略が発生しなければ、おそらく相続税の問題が発生するまでは放って置かれた問題だったかもしれません。自社株券の管理継承は、二代目後継者としての重要な役割であり、創業社長からしっかりと引き継ぎを受けておかなければならない問題です。さらに、創業者が高齢という状況であればなおさらのこと、同族間のいさかいを覚悟してでも早急に調査し、正確な株主構成と株券の行方をきちんと掌握しておく必要があります。

 

 また、株券ばかりでなく、土地・建物の不動産の問題等、M&Aの最終的な契約が近付いてくればくるほど、さまざまなトラブルが発生しましたので、軍師的存在のアドバイザーの能力のすばらしさとありがたさを実感しました。これは実践した者でなければわからないことでしょう。

 

不動産の問題に関しては、父と母から私宛にすべての権利を一任する旨の念書をもらいましたので、私とM&A専門会社の二者で問題解決に向かうことができました。もし個人の我欲が介入し、父、母も含めて多くの介在者がいて混乱するようなことがあったならば、私のM&Aは成功に至らなかったと思います。

 

売却当時は引退同然の待遇で、会社の実情に精通していない父と母には、M&Aなくしては会社再生の道がなく、下手をすればすごいスピードで倒産に至るという危機感がまったくなかったのです。M&Aでの手段以外に起死回生の道はないと確信していた私は、恐らく、鬼の形相で問題にぶつかっていたと思います。

 

 経営者というものは公人でもあり、身内や同族の処遇よりも、社員の処遇を優先する立場と責任があるはずです。四十八名の社員とその家族の生計を守ることをまず優先し、私はさまざまな決断と対処を施してきました。M&Aは、中途半端な決断と行動ではすべてを水の泡にする危険も秘めています。その意味でも私は、M&Aを成功させるために、まず、自分との闘いであることを覚悟し取り組んだのです。

 

 後日談があります。前述しましたが当時私のM&Aを担当してくださったT氏が、仙台に移住した私の会社を昨年訪問してくれたのです。ホームページで私の会社を知ったのだそうです。今はM&Aセンターを離れ、メガバンクでM&A部門のリーダーとして活躍されています。日本売却から十五年後の嬉しいできごとでした。

 M&Aを成功させるには財務、税務、法務の専門家が必要です。スモールカンパニーの経営者や業務担当者では、M&A実務に携わる機会はほとんどありませんので、まず無理といっていいでしょう。また、M&Aアドバイザーと称する個人の専門家でも、対象企業の発掘から成約まで一貫してアドバイスのできる能力のある人はそうざらにはいません。

 

 しかし、私の会社のM&Aは日本M&AセンターのT氏というCPA(米国公認会計士資格)を持った方が担当してくれました。M&Aを実践しながらわかったことは、M&Aの仲介会社には税務に強い担当者、不動産鑑定士の資格保持者、弁護士など、さまざまな分野の専門家が必要だということです。M&Aがクロージングに向けて進展するにつれ、私はこれらの専門スタッフの重要性をひしひしと感じたのです。

 

 私のように企業売却を望む中小企業の経営者にとって、M&Aはまさに一生に一度の大仕事です。もし私がアドバイザーを持たず逆に相手企業が百戦錬磨のM&Aアドバイザーと共に交渉に臨んできたとしたら、交渉は間違いなく相手有利に展開し、場合によっては企業連携に至ることがむずかしかったかもしれません。

 

 というのも、クロージングが近付くにつれ、当初は予想もしなかったさまざまな問題が発生し、財務、税務、法務、そして不動産鑑定士等の専門家を抱えて私を支援してくれる、M&Aの軍師的存在の仲介会社に所属する担当者がいなければ、私のM&Aの成功はないことを心底思い知らされたからです。

 

 家業の会社経営に従事しておよそ二十年、私は、〝双頭の鷲〟 を自らの戒めにして親子間でのいさかいを避け、創業者の息子という立場に甘んじて、いわば閉じられた経営の〝垢〟に目を瞑っていました。このため、後継者という立場で自社経営に従事してきたものの、ベールに覆い隠された創業者だけにしかわからない経営上の重要な部分が多く存在し、M&Aを具体化するうえでこのベールで隠されていた部分を解決するために、さまざまな専門家の支援を必要としたのでした。

 

 そのひとつは株券の問題です。株式譲渡には株券が不可欠ですが、私の会社は株式会社でありながら株券が見当たらないのです。「上場企業とは違い、中小企業の大半は株券が発行されていない」という話を仲介アドバイザーから聞き、私は少し慰められた気がしました。しかしながら、株式を譲渡するにはどうしても株券の交付が必要です。その株券がないということは、M&Aの成立に大きな障害となります。

 

 私の会社は創業時から株主への株券の発行がおろそかになっていて、そのまま何十年も推移していたのです。私の会社の場合、創業当時は株式会社を設立するには七名の株主が揃わないと会社登記ができず、一株でも二株でも他の株主を確保する必要があったため、株式会社設立の最低条件を整える事情があったようです。

 

 少数株主であれ、大株主であれ、株主名簿と株券は発行済株式どおり揃わなくてはなりません。しかし、私自身、会社の株券を見せられたことがなく、だれが株主なのかさえも正確には知らされておらず、しかも株式を管理しているはずの創業社長もこの件についてはあいまいで、私はただただ途方に暮れるばかりでした。

 

 そんなとき、私のアドバイザーである日本M&AセンターのT氏は、その対処法を私に的確に指示し、判然としない端株を持つ株主の処遇やM&Aを継続させるための相手企業への折衝など、すべての問題を円滑に処理してくれたのです。新会社設立時の株式の発行とは違い、売却決断時までの、創業三十八年の営業であやふやとなっている株券の処理問題です。専門家なくしては対処不能であり、もしアドバイザーがいなければ、私のM&Aはこの時点で頓挫していたはずです。

 

 相手先がしっかりした企業であればあるほど、売却側の株券の問題は重要なウエイトを占めます。私の場合は売却先の好意もありました。売却先の企業は、私の置かれていた二代目経営者としての立場に理解を示し、このような問題にも共に解決の方法を模索してくれたのです。しかも「売却先の企業が私のことを信用している」という話がアドバイザーを介して私の耳に入りました。売却先の企業が、私のようなスモールカンパニーの経営者に対しても、最初から最後まで高飛車にでることがなく、最後まで紳士的であったことを今でも感謝しています。

 

 このような株券の問題は、私の身の上に会社売却という戦略が発生しなければ、おそらく相続税の問題が発生するまでは放って置かれた問題だったかもしれません。自社株券の管理継承は、二代目後継者としての重要な役割であり、創業社長からしっかりと引き継ぎを受けておかなければならない問題です。さらに、創業者が高齢という状況であればなおさらのこと、同族間のいさかいを覚悟してでも早急に調査し、正確な株主構成と株券の行方をきちんと掌握しておく必要があります。

 

 また、株券ばかりでなく、土地・建物の不動産の問題等、M&Aの最終的な契約が近付いてくればくるほど、さまざまなトラブルが発生しましたので、軍師的存在のアドバイザーの能力のすばらしさとありがたさを実感しました。これは実践した者でなければわからないことでしょう。

 

不動産の問題に関しては、父と母から私宛にすべての権利を一任する旨の念書をもらいましたので、私とM&A専門会社の二者で問題解決に向かうことができました。もし個人の我欲が介入し、父、母も含めて多くの介在者がいて混乱するようなことがあったならば、私のM&Aは成功に至らなかったと思います。

 

売却当時は引退同然の待遇で、会社の実情に精通していない父と母には、M&Aなくしては会社再生の道がなく、下手をすればすごいスピードで倒産に至るという危機感がまったくなかったのです。M&Aでの手段以外に起死回生の道はないと確信していた私は、恐らく、鬼の形相で問題にぶつかっていたと思います。

 

 経営者というものは公人でもあり、身内や同族の処遇よりも、社員の処遇を優先する立場と責任があるはずです。四十八名の社員とその家族の生計を守ることをまず優先し、私はさまざまな決断と対処を施してきました。M&Aは、中途半端な決断と行動ではすべてを水の泡にする危険も秘めています。その意味でも私は、M&Aを成功させるために、まず、自分との闘いであることを覚悟し取り組んだのです。

 

 

 

 後日談があります。前述しましたが当時私の

M&Aを担当してくださったT氏が、仙台に移住した私の会社を昨年訪問してくれたのです。ホームページで私の会社を知ったのだそうです。今はM&Aセンターを離れ、メガバンクでM&A部門のリーダーとして活躍されています。日本売却から十五年後の嬉しいできごとでした。

 M&Aを成功させるには財務、税務、法務の専門家が必要です。スモールカンパニーの経営者や業務担当者では、M&A実務に携わる機会はほとんどありませんので、まず無理といっていいでしょう。また、M&Aアドバイザーと称する個人の専門家でも、対象企業の発掘から成約まで一貫してアドバイスのできる能力のある人はそうざらにはいません。

 

 

 

 しかし、私の会社のM&Aは日本M&AセンターのT氏というCPA(米国公認会計士資格)を持った方が担当してくれました。M&Aを実践しながらわかったことは、M&Aの仲介会社には税務に強い担当者、不動産鑑定士の資格保持者、弁護士など、さまざまな分野の専門家が必要だということです。M&Aがクロージングに向けて進展するにつれ、私はこれらの専門スタッフの重要性をひしひしと感じたのです。

 

 

 

 私のように企業売却を望む中小企業の経営者にとって、M&Aはまさに一生に一度の大仕事です。もし私がアドバイザーを持たず逆に相手企業が百戦錬磨のM&Aアドバイザーと共に交渉に臨んできたとしたら、交渉は間違いなく相手有利に展開し、場合によっては企業連携に至ることがむずかしかったかもしれません。

 

 

 

 というのも、クロージングが近付くにつれ、当初は予想もしなかったさまざまな問題が発生し、財務、税務、法務、そして不動産鑑定士等の専門家を抱えて私を支援してくれる、M&Aの軍師的存在の仲介会社に所属する担当者がいなければ、私のM&Aの成功はないことを心底思い知らされたからです。

 

 

 

 家業の会社経営に従事しておよそ二十年、私は、〝双頭の鷲〟 を自らの戒めにして親子間でのいさかいを避け、創業者の息子という立場に甘んじて、いわば閉じられた経営の〝垢〟に目を瞑っていました。このため、後継者という立場で自社経営に従事してきたものの、ベールに覆い隠された創業者だけにしかわからない経営上の重要な部分が多く存在し、M&Aを具体化するうえでこのベールで隠されていた部分を解決するために、さまざまな専門家の支援を必要としたのでした。

 

 

 

 そのひとつは株券の問題です。株式譲渡には株券が不可欠ですが、私の会社は株式会社でありながら株券が見当たらないのです。「上場企業とは違い、中小企業の大半は株券が発行されていない」という話を仲介アドバイザーから聞き、私は少し慰められた気がしました。しかしながら、株式を譲渡するにはどうしても株券の交付が必要です。その株券がないということは、M&Aの成立に大きな障害となります。

 

 

 

 私の会社は創業時から株主への株券の発行がおろそかになっていて、そのまま何十年も推移していたのです。私の会社の場合、創業当時は株式会社を設立するには七名の株主が揃わないと会社登記ができず、一株でも二株でも他の株主を確保する必要があったため、株式会社設立の最低条件を整える事情があったようです。

 

 

 

 少数株主であれ、大株主であれ、株主名簿と株券は発行済株式どおり揃わなくてはなりません。しかし、私自身、会社の株券を見せられたことがなく、だれが株主なのかさえも正確には知らされておらず、しかも株式を管理しているはずの創業社長もこの件についてはあいまいで、私はただただ途方に暮れるばかりでした。

 

 

 

 そんなとき、私のアドバイザーである日本M&AセンターのT氏は、その対処法を私に的確に指示し、判然としない端株を持つ株主の処遇やM&Aを継続させるための相手企業への折衝など、すべての問題を円滑に処理してくれたのです。新会社設立時の株式の発行とは違い、売却決断時までの、創業三十八年の営業であやふやとなっている株券の処理問題です。専門家なくしては対処不能であり、もしアドバイザーがいなければ、私のM&Aはこの時点で頓挫していたはずです。

 

 

 

 相手先がしっかりした企業であればあるほど、売却側の株券の問題は重要なウエイトを占めます。私の場合は売却先の好意もありました。売却先の企業は、私の置かれていた二代目経営者としての立場に理解を示し、このような問題にも共に解決の方法を模索してくれたのです。しかも「売却先の企業が私のことを信用している」という話がアドバイザーを介して私の耳に入りました。売却先の企業が、私のようなスモールカンパニーの経営者に対しても、最初から最後まで高飛車にでることがなく、最後まで紳士的であったことを今でも感謝しています。

 

 

 

 このような株券の問題は、私の身の上に会社売却という戦略が発生しなければ、おそらく相続税の問題が発生するまでは放って置かれた問題だったかもしれません。自社株券の管理継承は、二代目後継者としての重要な役割であり、創業社長からしっかりと引き継ぎを受けておかなければならない問題です。さらに、創業者が高齢という状況であればなおさらのこと、同族間のいさかいを覚悟してでも早急に調査し、正確な株主構成と株券の行方をきちんと掌握しておく必要があります。

 

 

 

 また、株券ばかりでなく、土地・建物の不動産の問題等、M&Aの最終的な契約が近付いてくればくるほど、さまざまなトラブルが発生しましたので、軍師的存在のアドバイザーの能力のすばらしさとありがたさを実感しました。これは実践した者でなければわからないことでしょう。

 

 

 

不動産の問題に関しては、父と母から私宛にすべての権利を一任する旨の念書をもらいましたので、私とM&A専門会社の二者で問題解決に向かうことができました。もし個人の我欲が介入し、父、母も含めて多くの介在者がいて混乱するようなことがあったならば、私のM&Aは成功に至らなかったと思います。

 

 

 

売却当時は引退同然の待遇で、会社の実情に精通していない父と母には、M&Aなくしては会社再生の道がなく、下手をすればすごいスピードで倒産に至るという危機感がまったくなかったのです。M&Aでの手段以外に起死回生の道はないと確信していた私は、恐らく、鬼の形相で問題にぶつかっていたと思います。

 

 

 

 経営者というものは公人でもあり、身内や同族の処遇よりも、社員の処遇を優先する立場と責任があるはずです。四十八名の社員とその家族の生計を守ることをまず優先し、私はさまざまな決断と対処を施してきました。M&Aは、中途半端な決断と行動ではすべてを水の泡にする危険も秘めています。その意味でも私は、M&Aを成功させるために、まず、自分との闘いであることを覚悟し取り組んだのです。

 

 

 

 後日談があります。前述しましたが当時私のM&Aを担当してくださったT氏が、仙台に移住した私の会社を昨年訪問してくれたのです。ホームページで私の会社を知ったのだそうです。今はM&Aセンターを離れ、メガバンクでM&A部門のリーダーとして活躍されています。日本売却から十五年後の嬉しいできごとでした。

 

 

 

 

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