又川俊三さん。
宮城県ではあまり知名度はないかもしれませんが、お隣岩手県では、少なくとも業界で
知らない人はいないでしょう。クラフトグループの会長です。
マンダラチャートというものを花巻東高校の佐々木監督に教えたのもこの又川さん。
当時菊池雄星がいた時だったそうで、その菊池雄星から影響を受けて作った大谷翔平の
マンダラチャートのほうが有名になってますね。
注目してほしいのは、「運」。ドラフト一位に8球団から指名されるようになるためには、
やはり「運」も必要。しかし、それはたまたまラッキーというような頼りない運ではなく
自ら引き寄せる運を意味しますね。この当時からゴミ拾いをやっていたわけです。
さて、話を又川さんにもどします。
このバイオリンは、津波で流された陸前高田の松から作られたもの。日本を代表する
バイオリンドクター中澤宗幸氏によってこのような形に再生され、又川さんが会長
となって、全国で1000人の演奏家によるコンサートというのを息長く今も続けていら
っしゃいます。千の音色でつなぐ絆プロジェクトでググってみてください。
現天皇陛下(当時皇太子)もお弾きになられ、上皇陛下(当時天皇陛下)も美智子様と
一緒に演奏会においでになるなど、そのコンサートの回数もさることながら、内容も
かなり濃いようです。現在、800名近くまでいっているようです。
もちろん仕事面でも優れた経営者であることは言うまでもありませんが、70歳で現役を
退こうと思っていらっしゃったそうです。その考えを変えさせたのが当時小学6年生だった
女の子の行動だったと言います。
さて、その又川さん。震災直後10日ほどしか経ってない大槌町の避難所を訪れた際、
避難所は暗い雰囲気と険悪な雰囲気が入り混じっていたそうです。その時、写真にある
ように、武田友奈さんという6年生の女の子が、友達を誘って避難所の隣にあった町の
事務室から模造紙とマーカーペンを借りてきて、何やら書き始めたそうです。
それがコレ。
武田さんご自身も津波で家を失ったばかり。でも、自分にできることをして、周りを元気
づけようと、明るい色のポスターを作ったのです。
そこに居合わせた又川さん。感動して、自分の心を入れ替えたそうです。
自分も85歳までがんばる!と。確かにこのポスター、すごいですね。もちろんポスターが
すごいんじゃなくて、この子がすばらしい! 自分のことだけで精一杯な人が多い中で、
小学生だからこそできることは何だろう?って考え行動したのです。
自分さえ良ければいい、自分と家族さえ良ければいい、そういう小さい枠を取り外し、
もうひと回り、ふた回り大きなところを良くしたい、せっかく生まれてきたのだから。
又川さんのように広く社会に貢献してきた人の心も打つ素晴らしいポスターに釘付けに
なりました。
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