最上義光歴史館

最上義光歴史館
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《2023年8月の利用者アンケート集計結果》

 この集計結果は令和5年8月2日から同31日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。

常設展示  (8/2 ~ 8/31)
開館日数・・・・・・・・・・・・・28日間 
入館者数・・・・・・・・・・・・・2,449名
回答者数・・・・・・・・・・・・・19人


1.歴史館をどこで知りましたか??
(1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・0%
(2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・11%
(3)インターネット・・・・・・・・・・・・・16%
(4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・5%
(5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・0%
(6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・16%
(7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・26%
(8)観光案内所 (駅など)・・・・・・・・・・・0%
(9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・11%
(10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・16%

2.歴史館の入館は何回目ですか??
(1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・68%
(2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・11%
(3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・21%

3.ご覧になられた感想
(1)内容はいかがでしたか??
   ①大変よかった・・・・・・・・・・・・・68%
   ②よかった・・・・・・・・・・・・・・・26%
   ③ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・5%
   ④つまらなかった・・・・・・・・・・・・0%

(2)最上義光と最上家について??
   ①よくわかった・・・・・・・・・・・・・84%
   ②わかった・・・・・・・・・・・・・・・16%
   ③わからなかった・・・・・・・・・・・・0%
   ④どちらともいえない・・・・・・・・・・0%

~利用者の声~

山形市 男性/50代
山形の成り立ちがわかった。最後にVTRを見て理解が進んだ。

神奈川県横浜市 男性 10代
歴史好きにはたまらなかった。ありがとうございました。

神奈川県横浜市 女性 40代
最上義光歴史館については「愛の武将隊」のHPで知りました。

山形市 女性
最上胴と呼ばれる甲冑の作り方があったとは知りませんでした。雨漏りの被害大丈夫ですか?心配です。

宮城県仙台市 男性/70代
合戦屏風が面白かった。

千葉県船橋市 男性/60代
最上義光という武将は知らなかった。山形のすばらしさを認識しました。また来たいと思います。

山形市 女性/50代
また来ます。

山形市 男性/30代
展示があてよかった。昔の人物がいてよいと思った。

茨城県水戸市 男性/70代
案内ガイドがよく理解できました。

山形市 女性/40代
もっとHPを更新してほしい。次回の展示とかわかりづらい。予定でもいいので知りたい。

神奈川県鎌倉市 女性/40 代
最上氏が何をしていたか分かって大変良かった。最上義光が大事にされていることを感じた。

※当館サポーターの個人名は「ボランティア」または「ボランティアさん」に変更しています。

 お盆もすぎ、夏休も残すところあとわずかとなりました。先日、夏休みの工作なのでしょうか、最上義光の兜型の貯金箱を作りたいので見学したい、との電話をいただきました。正面からの画像はネット上にもあるのですが。後面や頭頂部となると実物で確認していただくしかありません。
 気の利いた博物館などでは、デジタルアーカイヴとして、こうした立体物は3Dで閲覧できるようになっています。もっともネットショッピングなどでは、こうしたことは当たり前で、素材のディテールなども確認できます。実はこのようなデータは、機材的にはi-phoneがあれば、3D画像までつくれる時代になっています。
 話を兜に戻しますが、当館では、この兜のペーパークラフトを、館内で実施しているこども向けクイズの正解者に差し上げています。この他、クイズ景品として、オリジナルデザインのクリアファイル、指揮棒形の鉛筆、義光キャラクターシールなどからも選ぶことができます。
 また、当館のホームページには各種ペーパークラフトのデータがあり、無料でダウンロードできます。例えば太刀のペーパークラフトには、ちゃんと太刀が抜き差しできる拵(こしらえ)もついています。武将フィギュアなどに合せて楽しまれる方もいらっしゃるそうです。これとは別に、当館の売場では、甲冑のペーパークラフトも販売しています。最上義光や伊達政宗その他の甲冑ペーパークラフトをクリアファイル付(1,000円)で販売しています。
 さて、ペーパークラフトを某通販サイトで見ると、本当にいろいろなものを目にすることができます。姫路城とかサグラダファミリア寺院とかモンサンミッシェルとかノイシュバンシュタイン城とか、こうした建物ばかりではなくて、例えば、仏像とかスタジオジブリものとか、実際に着用できるペーパークラフトの甲冑もありました。
 サイトを眺めていてオッと思ったのが、戦国時代の合戦をパノラマで再現したペーパークラフト。「関ケ原の戦い」やら「桶狭間の戦い」やら「本能寺の変」もあり、とにかくその合戦場を舞台に100体以上の人物をひとつひとつ貼り付けるというもので圧巻です。いまどきCG動画のシミュレーションものもありそうですが、あえてペーパークラフトでというところがすばらしい。ただ、残念ながら「長谷堂合戦」はありません。
 さて、私が小学校の頃、雑誌の付録にはよくペーパークラフトがついてきて、その大半は怪獣ものだったり変身ものだったりしていたのですが、その中に「万国博大パノラマ」というのがありました。対象は小学2年生で、たまたまそんな年齢だったので手にすることができたものです。これは5年程前に出版された「学年誌が伝えた子ども文化史40~49年編」という本にも付録としてついています。改めて見ると、会場図の上にそれぞれのパビリオンを差し込むだけの他愛のないものなのですが、当時の自分にとってはなかなか複雑で面白いものでした。
 特徴的なパビリオンとしては、「日本館」は、桜の花を模した五つのドラムタンクを合わせたようなものでしたが、大きすぎて万博終了後の転用ができず、万博終了後すぐに取り壊されました。会場一の高さがある「ソ連館」に対し、「アメリカ館」は地面を掘って屋根を膜構造とする会場一低いパビリオンにし、当時の冷戦というかライバル関係がそのまま持ち込まれていていました。個人的に印象に残っているのは、アルプスの樹氷を模したという「光の木」がある「スイス館」、北斎の「神奈川沖浪裏」にヒントを得たという吊り下げ構造の「オーストラリア館」、愛らしい形の「ガス・パビリオン」(後で知ったのですか、画家のミロはこのパビリオンが気に入り、この中の壁画を即興で描いたとか。現在、国立国際美術館の壁画に)などです。実は大阪万博には行ってもいないのですが、この付録で覚えました。
 個人的には平成になってからようやく「太陽の塔」だけは見ることができたのですが、現在はリニューアルして内部の見学ができるようになっています。また、今月には「EXPO‘70パビリオン」別館がオープンし、初代「黄金の顔」や当時のパビリオンの模型など約300点が展示されているそうです。
一方、「大阪・関西万博」は現在、各国の独自パビリオン56の予定のうち6か国の建設業者がようやく決定したばかりとか。もはやこうなったらパビリオンは、メタバースなどの仮想空間だけで間に合うんじゃないかと。ヴァーチャルだったらどんなデザインでも可能だし、展示内容も映像とかが大半では。まあ、そうなれば最上義光のアバターでも投入して。いやその前に、その仮想空間に当館の入口を設ける方が先ではないかと。ごもっともです。

■ない物ねだり その1 「山形ハワイドリームランド」
 個人的にこのペーパークラフトがあればと思うものがあります。それは黒川紀章設計「山形ハワイドリームランド」(1967年-1971年)。山形市飯田にあった建物で、多分、還暦以上の山形市民の方には、記憶にあるかと思います。
 藁ぶき屋根の建物が何件も残る道を行くと、その建物は突如出現します。城塞のように建物が取り囲むその内側には、観覧車とプールがあり、温泉、動物園、水族館もありました。しかし、冬には全く弱い(遊べない)建物でもあったそうです。あとさき関係なく、「あったらいいな」を形にしたら、5年と持ちませんでした。実は、近くに大型遊園地ができたため経営に行き詰まり、動物の餌代にも困り、飼育していた虎などを射殺、この事件が施設の致命傷ともなったといわれます。(館長裏日誌に続く)

■ない物ねだり その2 「飛び出す絵本」
 ペーパークラフトの親戚のようなものに「飛び出す絵本」というのがあります。この飛び出す絵本は昔、結構身近にあって、やはり怪獣ものとか変身ものとかが多かった気がしますが、今はこども向けだけではなく、有名なものでは「不思議の国のアリス」とかアート系までいろいろあります。意外に多いのが図鑑の類で、動物図鑑とか恐竜図鑑とか有名建築とかスターウォーズ図鑑なんかもあります。
 そこで欲しい飛び出す絵本ですが、今、考えているのは「とびだすヨシアキ」。まずは「騎馬像」、そして「兜」、「刀に指揮棒」、「長谷堂合戦図屏風」も飛び出せるかな。あとは「金箔瓦」ぐらいか。「とびだす金箔瓦」、シュールですなぁ。いっそこれはイヴ・クライン風にでも。クラインブルーを背景にとびだす金箔瓦、おおっ。すみません、余計な独り言です。


こども用クイズに全問正解した方への景品です




売場で扱っている甲冑ペーパークラフトは、豪華クリアファイル付きです




手作り感たっぷりの長谷堂合戦のジオラマやパノラマ図も展示しています。
夏休みの宿題の参考にも。

 暑い日が続いています。ということで、納涼の一助に、妖怪・怪談話などを少々。
 当館と同じく山形市文化振興事業団が指定管理者となっている山寺芭蕉記念館では企画展「妖怪探訪=もののけの不思議な世界」を開催しています。鬼、河童、天狗、白澤などの展示約50点、河鍋暁斎、葛飾北斎、与謝蕪村、菱田春草などの有名どころが描いた珍しい図画も並びます。担当学芸員本人が所蔵するお宝書画も展示しています。もちろん妖怪の企画展があるという話だけでは納涼にはならないわけですが。
 では、最上義光歴史館としては、戦国武将にまつわる怪談などを。友人の話ではありますが、昔住んでいた場所は、毎年決まった時期に金縛りにあっていて、実はそこは落武者の通り道だったとか。金縛りと落武者と言えば、「ステキな金縛り」という映画もあるくらい日常茶飯(?)な話ですが、ある統計によれば日本人の約半数が金縛りの経験があるといいます。いかがでしょう?まだまだですか。展示している甲冑が夜な夜な動き出すとか、なぜか視線を感じる兜だとか、刀からうめき声が聞こえるとか、そんな話があればですが、やはりありません。それでは、ここらでお墓の話でも。
 最上義光歴史館の前の公園敷地には、「光明寺跡」と彫られた石碑があり、石灯籠や松の木が添えられています。「光明寺」は山形城を築城した斯波兼頼の菩提寺ですが、最上国替後、岩城国から入部した鳥居忠政が、山形城の正面に最上家の菩提寺がある事を嫌い、現在の場所に移しました。その境内には斯波兼頼の墓が、本堂には等身大の木造が安置されています。
 最上義光の菩提寺である「光禅寺」は、最上義光が生前に開創したものです。もともとは現在の「長源寺」がある場所にありました。最上家国替後、鳥居忠政の菩提所の「長源寺」を岩城国から招致するため、押し出されるように現在の場所に移されたものです。光禅寺本堂の裏手には、最上家三代(義光・家親・義俊)の墓の他、義光に殉死した四名の家臣の墓が並びます
 そして最上義光の娘である駒姫の菩提寺が「専称寺」です。駒姫は豊臣秀次の側室として迎えられてすぐ秀次の謀反に連座することとなり、わずか15歳で処刑されました。義光は愛娘の最期を、幽閉されていた伏見の屋敷で聞いたそうです。義光はその供養のため、駒姫の生母である大崎夫人が浄土真宗に帰依していたことから、高擶にあった寺を現在の場所に移し、駒姫の菩提寺としました。
 駒姫の遺骸は三条河原の「畜生塚」に埋められているため、侍女達が持ち帰った遺髪を「専称寺」の塚に収め、供養石を置き密かに供養したそうです。近年、五輪供養塔が建立され、塔の裏側に置かれた小さく古い石がその供養石です。命日は旧暦8月2日ですが、9月2日を「駒姫忌」としています。
 ここで「畜生塚」の説明を。文禄4(1595)年8月2日(9月5日)、三条河原には7月 15日に自刃した豊臣秀次の首が据えられました。秀次の正室や側室、侍女、秀次の子どもたち一族39名は、牛車に乗せられて市中を引き回された後、秀次の首の前で処刑されます。まず子供たちが槍で刺し殺されました。続いて姫君、側室・侍女・乳母らが次々と引き出され斬首されました。駒姫は11番目でした。子供の遺体の上にその母らの遺体が無造作に折り重なるという有様で、大量の遺体はまとめて一つの穴に投じられました。畜生のような扱いで埋められ建てられた塚は「畜生塚」と呼ばれ、塚の上に据えられた石櫃には「秀次悪逆」と彫られ見せしめにされました。
 その後、塚は鴨川の洪水で流されてしまうのですが、高瀬川開削工事の際、埋もれていた塚が発見されます。これを京都の「瑞泉寺」で弔いました。その境内には四十九柱の五輪卒塔婆があり、立札には誰がどの順に何歳で処刑されたのかが書いてあるそうです。駒姫は、側室では「お伊万(おいま)の方」と呼ばれ、その名が記されています。
 ここで気になるのが、駒姫の母である大崎夫人です。大崎夫人は、山形の地で飛脚により娘の死を知ります。娘の死のわずか14日後、後を追うように大崎夫人は世を去りました。それは二七日(ふたなのか)にあたり、自害説もありますが、確かな記録がなく、菩提寺も墓所もわかっていません。
 このように、お寺やお墓にまつわる話には、いわく因縁がつきものですが、かつて同じ職場に、実家がお寺の職員がいて、ある日、「子供の頃なんか、墓とか怖くなかったか」と聞いたところ、「逆に守られている感じで怖くなかった」と言っていました。さすが、寺を継ぐ方は違います。
 最後にもうひとつ、最上家ゆかりの寺の話を。千歳館の近くにある「法祥寺」は、最上家四代満家が父のために建てた寺です。「山形風流松木枕」という江戸中期の山形市内を紹介するガイドブックには、「禅宗瑞雲寺法祥寺、御門より寺中の様子能(よく)御覧候へ。先是は観音堂也、井白山堂後にはばけ石と申太刀痕有石塔有、此石昔毎夜酒買いに歩行すと申傳候。」とあります。法祥寺の門のお堂のところにある、「ばけ石」という刀痕がある石塔は、夜な夜な酒を買いに歩くらしいと。実は、私の父の墓もこの寺にあり、父は家の中でも外でも酒飲みばかりしていたのですが、草葉の陰でも夜な夜な酒盛りをしているのかしらん。合掌。


「専称寺」駒姫の五輪供養塔と供養石(右下)


「法祥寺」刀痕のあるばけ石

●追記その1
 山寺と言えば最近、新装版が出された藤子・F・不二雄「SF短編コンプリート・ワークス9」に「山寺グラフィティ」というのが載っていました。1979年発表の作品で、著者の作品には珍しく、その背景画は写真コピーも交え、かなりリアルに書き込んであります。
 話は、山形市出身のイラストレーターの卵には、一緒に山寺に遊びに行っていた幼馴染の女の子がいたのですが、彼女はその後亡くなったにもかかわらず、目の前に現れてくる、というもので、山では死者の魂が整然と変わりなく生き続けるとされ、亡くなった人のためにさまざまな品物を奉納し供養する人が絶えない、とした土俗信仰をベースに展開していきます。
 この新装版短編集(全10巻)は、NHKでこの4月から放送されていた「藤子・F・不二雄 SF短編ドラマ」(全10話、7月で終了)に連動して出版されたのですが、今後、第2シーズンとかで、この山寺の話のドラマ化をどうでしょうか。

●追記その2
 先日、金箔瓦のことで、某番組(=ブラタモリ)に貸出したものが、番組で使われるかどうかわからない、と書きましたが、無事、使われていました。ところで山形城は左遷先と言う紹介がなされていましたが、それはそうとして、城主に関わる寺社の開創や変遷を追えば、城郭都市の構造や盛衰など、また違った体裁で見せられたかもしれません。ただ、そんなこまめに時代が追えるほどの絵地図はないようです。
 東北芸術工科大学歴史遺産学科では、何種類かの最上期の山形城絵図をデジタル化し、精緻に分析を進めています。現在も研究中ですが、地図はネットで公開されています。特に市中の寺社は、江戸時代のみならず、現在の地図と見比べるときのベンチマークにもなります。もっとも、同じ時代の絵図でも、寺社の位置や名称が違うこともままあるのですが。



 当館に隣接している霞城公園において、山形大花火大会が8月14日に開催されます。その日は当館も臨時開館いたします。山形大花火大会の今年のテーマは「蛍舞え」。霞城公園で蛍舞え、というのはなかなか難儀なこととは思いますが、200台のドローンアートやYouTubeライブ配信などもあり、中でも注目は花火大会の出演者でしょうか。「花火大会の出演者」というのもすごいのですが、これは花火の合間にステージに出演するもので、今年は「どすコイやまがた」、「ヤンバイダー」、「山形発アイドルanew(あにぅー)」という、今、山形では最も旬な布陣です。これに大阪万博「ミャクミャク」の先をいく花火大会マスコットの「はなぽん」が加わるという、強烈にエグい、失礼、エモいものになりそうです。ステージをご覧になりたい方は、ふれあい広場の指定席(4名掛テーブル)3万円~3万5千円、自由席(1名用ブルーシート)3千円でいかがでしょうか。良いお席はお早めに。
 さてここで、日本三大花火大会のお話でも。一般に「全国花火競技大会(大曲の花火)」、「土浦全国花火競技大会」、「長岡まつり大花火大会」が日本三大花火大会とされます。
 大曲の花火は、100年以上の歴史があり、明るい昼から花火が打ち上げられます。「昼花火」といい、色煙や音などを楽しむもので、昔から花火通が好むものだそうです。また、競技会の花火は、ひとつひとつ緊張感がありなかなかに見ごたえがあります。ただし、この花火大会は雨天のことも多く、「勝率で言えば、負け越しているかもしれない」と地元の人が言ってました。
 「長岡まつり大花火大会」と言えば、圧巻なのが全幅2kmの「復興祈願花火フェニックス」です。その壮大さは現地で体験しないとわかりません。平原綾香の「Jupiter」とともに打ち上げられるのですが、これは2004年に起こった中越大地震の後、被災者を勇気付けるとリクエストがラジオにたくさん集まり、翌年からこの曲にのせ打ち上げたとのこと。平原綾香本人もたびたびここにきては、涙を流して観ているそうです。「土浦全国花火競技大会」は、スターマイン日本一を決める大会と言われ、毎年11月に開催されます。夏の暑さが苦手な方におすすめです。
 日本三大花火大会も視点を変えれば、また違うランキングとなります。打ち上げ数でいけば、今年は、①第36回利根川大花火大会(約3万発)、②市制施行80周年・千葉県誕生150周年記念松戸花火大会イン2023(約2万5千発)、③ハウステンボス 九州一 大花火まつり(2万2千発)の順とのこと。山形大花火大会は、かつて2万発規模までいったのですが、今年は9千発の予定だそうです。「利根川大花火大会」は茨城県の堺町で開催されますが、町の財政規模で3万発も打ち上げて大丈夫かと余計な心配をしたのですが、ふるさと納税20万円以上で観覧チケット「プレミアムテーブル席(4名)など、いろいろ工夫をしているようです。
 数ではなく花火の大きさのランキングもあります。毎年の花火大会で最も大きいのは四尺玉。新潟県の「片貝まつり」などで打ち上げられます。大きさ約120cm重さ350kg、花火の直径800m、打ち上げる高度800m、用いられる煙火筒は5.2mとのことです。
 ちなみに山形県内ランキングは、打ち上げ数でいくと今年は、①赤川記念花火大会、②酒田「全国二尺玉花火競技大会」、③山形大花火大会の順となっています。
 個人的には「水郷大江夏まつり灯ろう流し花火大会」推しです。花火大会に向かう左沢線の車内は浴衣姿の見物客で賑わい、駅を降りるとすぐに花火が見えます。中心部に向かうと山形大花火大会をはるかに超える露店が並び、ビールでもおつまみでも並ぶことなく手に入ります。どこからでも見通しがよく、道路の傍らに寝そべって観ることもできます。
 また、「大石田まつり最上川花火大会」には、記念花火、マイ尺玉、ふるさと花火というものがあり、誕生祝、結婚祝、金婚祝、同級会の成人祝い、還暦祝いなどでの個人的なメッセージがひとつひとつアナウンスされながら打ち上げられ、ローカルの良さを目の当たりにできます。
 ということで、当館のすぐ近くで山形花火大会が開催されるわけですが、当館や美術館の前の公園は、立木や街路樹が邪魔をして、意外に見えにくいです。霞城公園を囲むお堀(二ノ丸)の沿道は、意外に空いていて場所取りの苦労はないのですが、ここも土手の樹が邪魔をして、案外見えにくいです。しかも道路上は椅子禁止です。花火大会の穴場情報を、とは思ったのですが、結局、建物や立木が邪魔をしない場所ならどこでもいいということで、ただ、具体的にそこがわからないわけで、ポンコツですみません。それにしても今回、ネットで穴場情報を検索したら、須川で開催されていたときの情報ばかりでした。特に市外の方は要注意です。
 あとは、どこぞのビルなどで観覧できればと。市役所の会議室などが解放されるそうですが既に定員に達しており、あるいは当館の眼前にある某金融機関のビルなどは、山形一の特等席と思われますが、きっと関係者のスペシャルシートになっているかと。
 そこで思い出しました。実はとっておきのスペシャルシートがあります。それは山形空港19:15発 JAL178便 東京(羽田)行というものです。見られる座席は限られ、天気も含め運次第とは思いますが、いかがでしょう。とは言うものの、私は毎年のように下界から、花火の上空を飛んでいく飛行機を眺めるばかりではあります。「夜間飛行の、ジェット機の翼に点滅するランプは、遠ざかるにつれ、次第に星のまたたきと区別がつかなくなります。」城達也という人はかつて、こんなことを毎夜ラジオで言っていました。もっとも、このエンディング・ナレーションが流れてくる時には、意識はほとんど「遥か雲海の上を、音もなく流れ去」っていましたが。


当館からの眺めはこんな感じ、意外に厳しいです。


最上義光像付近だと、多少は見えるかも。




本日から3日間(8月5日~7日)、「山形花笠まつり」が開催されます。当館も午後6時(入館は午後5時30分)まで、開館時間を延長いたします。どうぞご来館ください。


当館の前には、約20軒ほどの露店が並んでいます。


館内ではミニ花笠を販売しております(税込500円)。

■名 称
特設展示/第二部
「武士の晴れ姿」~甲冑と戦の様相~

■会 期
令和5年8月2日(水)~同年11月26日(日)  

■内 容
甲冑は当時最高の工芸技術の粋を集めた総合芸術の傑作で、武士の象徴でもありました。戦場を駆け巡る武士達が贅を尽くし趣向を凝らして着飾る甲冑は、まさしく「武士の晴れ着」と言ってよいでしょう。
このたびは、収蔵資料から「武士の晴れ着」といわれる甲冑等の武具と合戦図や軍旗などを展示し、武士の晴れ姿を演出して、武士達の心意気を感じながら戦国の世に想いを馳せる展示といたしました。