最上義光歴史館

ぺパクラ武将兜でお世話になっている
木村☆社長から新作が届きました。
↓↓↓



チト地味ですが…兜をディスプるときにマストなアイテムです!!
↓↓↓


ダウンロード>>こちら

義光兜が完成した当時…ぺパクラ兜が完成しても、直置きとか紙を丸めたモノに飾るんじゃネエ…などと木村☆社長に兜立を要望していたのでした!!

社長イイヒト!!ちゃんと覚えていてくれて→約束を果たしてくれました!!

…というコトで、歴史館では通常版の他に黒漆ver.と朱漆ver.もアレンジ大関でこしらえてみました!!
↓↓↓



通常版


黒漆ver.


朱漆ver.

いかがでしょう!?ぜひ挑戦してみてください!!

「天下三槍」は>>こちら
9時から18時まで
※入館受付は17時30分
ダウンロード(ファイル/155.3KB) >>こちら
※[ダウンロード]してプリントアウト(A4サイズ)することができます。
※ PDFのダウンロード>>こちら
※このペーパークラフトは無料でダウンロードできます。




この兜立に最上義光の兜(歴史館Ver.)を据えると…
↓↓↓




最上義光所用「三十八間総覆輪筋兜」ペーパークラフト(最上義光歴史館Ver.)のダウンロード>>こちら

※このペーパークラフトは米沢市の木村吉孝氏が企画したものです。

※木村吉孝氏の他のペーパークラフト>>こちら
9時から18時まで
※入館受付は17時30分
9時から18時まで
※入館受付は17時30分
関東に於ける最上義光の足跡を求め ―特に関ヶ原戦以後に限定して―

【あとがき】

 山形藩主・最上義光の死から僅かにして、最上家は領国の崩壊を見るに至った。ここにその要因については、数々の説が挙げられてはいるが、主家一族の相剋に、それぞれ組した者達による権力争いによるものかと、探せば話題は尽きないようだ。あの戦国の世を生き抜き、徳川の世の奥州の一角に覇を成し遂げた義光である。その義光が残した偉大なる通産を、僅かにして失ってしまう程に、義光の死の反動の大きさは、凡なる後継者だった家親そして義俊の器量の無さから、結果は一国を失うことになってしまった。
 本稿は、関ケ原の役以後、徳川の政権下のもと江戸に集中せる諸大名の中に、羽州の最上義光の姿も見られた。そして、大坂の役を知らずに去ってしまった義光の、江戸を基点としての関東での動向を、残された僅かな史料を基に纏めたものである。それは勿論のこと、義光のその前後に歩を進めていた上方、本国での動きにも、多少は調べる必要が生じてこよう。
 義光が営々として築き挙げたものが、一瞬にして崩れ去ってしまった。そして、その失われた多くの物の中から、忠実に最上家を語る手立てを探すことはできないのか。勿論のこと、それには他家史料の利用が不可欠であることは、論を待たないであろう。
 本稿は、『山形県・地域史研究』(26・27号 平成13・14年)に収録したものに、新たな視点のもとに改訂、また訂正などの手を加え、書き改めたものである。

終り

■執筆:小野未三

前をみる>>こちら
最初にもどる>>こちら