最上義光歴史館

最上義光歴史館
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 最上義光歴史館における最重要展示物のひとつが、最上義光が所用した兜です。正しくは「三十八間総覆輪筋兜」。義光が長谷堂合戦で着用し、鉄砲玉を被弾したという兜です。兜といえば最近は、オータニ選手が被るものとなっていますが、私の世代で兜といえば、兜甲児でしょうか。

 さて、この兜は米沢市上杉博物館の展覧会 「上杉景勝と関ヶ原合戦」前期展示(4月22日〜5月21日)に、軍旗(伝直江軍部隊旗)とともに貸し出されていたのですが、先日、前期展示期間の終了早々に戻ってきました。この期間、上杉博物館では1万人を超える来館者があったとのことで、この兜もそれだけ多くの方にご覧いただいたことになります。かつて最上と上杉とは敵対関係ではありましたが、400年経った今、兜を貸し借りする仲になったということで、まずはありがたいことです。
 ところで、この兜の鍬形台には、「竹に雀」の図柄の家紋が据えられています。家紋に興味のある方は、アレ?と思われたかもしれません。最上家の家紋は「丸に二つ引き(丸二両筋)」ではなかったか、「竹に雀」というのは上杉家そして仙台藩の家紋ではなかったかと。当館の学芸員にきいたところ、この時代、いくつもの家紋を持つのはよくあるとのことです。縁戚を結んだ際などに、引き出物のように家紋のやり取りがなされたそうです。ちなみに伊達家には八つの家紋があるそうで、最上家においても、主な家紋として「丸に二つ引き」、「丸竹に雀」、「五七桐」、「十六葉八重菊」を持つそうです。
 まずは、「丸に二つ引き」。室町幕府を開いた足利氏の家紋であり、将軍家の象徴ともなっています。その形は、丸の中に二本線というシンプルなものですが、紋の丸の中に引かれる線は竜をあらわし、二匹の竜が天に昇る様子とのことです。
 山形城を築いた斯波兼頼は、足利家の一門であり、続く最上家ではこの家紋を代々使用しました。また、義光は、足利家から「義」の字をもらっており、このことからも大切にした家紋だそうです。一方、「五七桐」や「菊紋」は天皇の紋であり、後醍醐天皇から足利尊氏が授けられた紋が由来と思われます。
 そして「竹に雀」。この家紋の元来の出所は、藤原氏北家から分かれた公家の勧修寺家と言われ、上杉家の始祖はその流れとのこと。一方、伊達家の家紋は、伊達政宗の大叔父の伊達実元が、越後の上杉定実の養子になる時にこの家紋を受けたものです。しかし今では、この「竹に雀」紋は商標登録されており、類似デザインであっても使用許可が必要とのことです。
 もっとも、最上家、上杉家、伊達家、それぞれの「竹に雀」紋のデザインはだいぶ異なります。二羽の雀が竹笹で丸く縁どられているのは共通していますが、最上家家紋は竹の内側の三か所から三枚ずつ葉がでるもの、上杉の家紋は笹が図案化されたもの、伊達家の家紋は竹の外側に笹が国連紋章のように取り巻いています。それぞれ別名で、最上笹、上杉笹、仙台笹とも言われています。
 家紋の中の二羽の向かい合う雀のくちばしは、阿と吽の形となっています。ところが、その元となっている勧修寺家の家紋の雀は三羽で、左右一羽ずつ、もう一羽は上から見た姿になっています。そのくちばしは隠れているのですが多分、阿吽、ア・ウ・ンの中間ではないかということで、素直にとれば「ウ」の形でしょうか。ウッ、と言えばマンボですが、いやいや、そんなはずは。もう一度、かの家紋をよく見ると、そのくちばしは阿も吽なく、雀はただ、上下左右に軽やかに舞っているだけでした。


最上家家紋 「丸に二つ引き」、「丸竹に雀」


勧修寺笹  上杉笹  仙台笹 (いずれもwikipediaより引用)


三十八間総覆輪筋兜とその鍬形台部分の拡大
織田信長より拝領したと伝えられる最上義光愛用の兜です。


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「最上笹」ピンバッチには、豊富なカラーバリエーションもあります。

 休日などには開館時間前から来館される方がいます。そのほとんどが「日本100名城選定記念スタンプラリー」の山形城のスタンプが目的です。当館の他、山形市郷土館や二ノ丸東大手門櫓にも同スタンプが置いてあります。
 この「日本100名城」は、財団法人日本城郭協会が2006年に定めたもので、北は北海道「根室半島チャシ跡群」から南は沖縄「首里城」まであり、全てを回るには相当な時間と費用を要します。しかしながらそれは、城にまつわる歴史に触れ、あるいは地元名物料理を堪能するなど、得るものも多い旅かとも思います。それにしてもお城好きというのは恐ろしいもので、私の知り合いにも、私からは単なる原っぱにしか見えない城跡でも、その場でしばらく想いを巡らせ、歴代の領主や領土の変遷をすらすらと物語る人がいます。
 さて、「日本100名城」よりも昔に「日本百名山」というものがあります。小説家の深田久弥が1964年に著した「日本百名山」で、北は北海道「利尻山」から南は屋久島の「宮之浦岳」まで紹介されています。これを踏破するには「日本100名城」とは比較にならないくらいの時間と資金と体力が必要で、登れる期間や天気の具合などその困難さは想像に難くありません。実はかつての職場の同僚で、全てを踏破した人がいますが、登山時にはスタンプ帳、いや、御朱印帳を持っていくそうです。
 名山ともなれば山の神が祭られていることも多く、それを拝むために山を登ることを「登拝」と言います。県内には月山や鳥海山の山頂に御朱印がいただける神社があります。その同僚は、御朱印帳を神社とお寺とに分けているのはもちろん、神社はその社格、つまり一宮ならそれだけの御朱印帳としているそうです。私も御朱印帳は持っていますが、伊勢神宮も東大寺も一緒の神仏混交タイプです。
 余談ですが、奈良・京都あたりで御朱印をいただく時には、清水寺とか平安神宮とかの御朱印帳だと、いかにも観光で得た御朱印帳かと授与所の方に一瞥もされない感じですが、山寺立石寺とか出羽三山神社とかの御朱印帳であれば、一目置かれる気がします(あくまで個人の感想ですが)。
 もうひとつ当館に関わるスタンプラリーとして、山形市観光協会の「開運 城下町山形七福神」という市内7か所に置かれた七福神を巡るものがあります。当館もそのスタンプ場所のひとつとなっており、七福神のうち布袋尊が置かれています。七福神を毎朝一巡りしている「義光会」の方がいますが、その方によると約7千歩程度で巡れるとのことで、健康増進にも最適です。実は先日、在京のTV局がその七福神のロケ撮影で当館にきました。某タレントさんが1万歩を歩き、その土地を紹介する番組だそうです。もっとも最近の研究では、1万歩だと体に負担がかかりすぎると言われていますが、55歳のヒデさんはどうなのでしょうか。

〇 ここで豆知識
 「日本百低山」というのもあります。2001年12月に山と渓谷社から刊行された「日本百低山」で紹介された、標高1500メートル以下の山々から選定された山々です。NHKでは、酒場詩人の吉田類さんが全国の低山を訪ね、帰りに山の麓の居酒屋で一杯やるという番組「にっぽん百低山」を放送しています。その番組のタイトルには「山高きが故に尊からず」という言葉が添えられています。当館も「日本百小博物館」とかになれれば。

〇 ここで最新情報
 今年の10月1日には、山形城の御城印も登場する予定です。詳しくは後日お知らせいたします。通常のものの他にスペシャルカードもあるそうです。乞御期待。


当館の入口にある各種スタンプコーナー


当館に置かれている布袋尊像

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