最上義光歴史館

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「最上義光と直江兼続からの挑戦状!!」の裏面です!!

※[ダウンロード]してプリントアウト(A4サイズ)することができます。
モガミヨシアキ(最上義光)とナオエカネツグ(直江兼続)は山形県を代表する英雄です!!

その二人から最上義光歴史館を見学するみんなに「挑戦状」が届きました!!
「最上義光からの挑戦状!!」の特別版「最上義光と直江兼続からの挑戦状!!」です!!

二人はいつ頃の人!?どんなことをした人!?二人の関係は!?二人にまつわる資料をそれぞれが紹介しています!!


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●おもて ○うら
本日(5月2日)、モデルでアーティストの桂さんから最上義光と駒姫の墨絵を借用しました。

桂さんは明日(5月3日)開催される上山城まつりで駒姫(最上義光の二女)役で参加されるとのことです。

桂さんのホームページ>>こちら
最上家の第1代斯波兼頼(しばかねより)は、今から約650年前の延文元年(1356)にこの地にきて城をつくり、「出羽国最上郡山形郷(でわのくにもがみごうりやまがたごう)」という地名から「最上(もがみ)」という名字を名乗るようになったといわれています。

その兼頼から数えて11代目の当主(城主)が義光です。義光は慶長5年(1600)の慶長出羽合戦(けいちょうでわかっせん)の活躍で57万石という広大な領地をもつようになりました。

現在の山形県のうち置賜地方を除く全部と秋田県の南の一部です。また、義光は57万石を治める城として、これまで住んでいた山形城を三重の濠(ほり)で囲まれた大変大きな城につくり直し、家臣や商人・職人たちが生活する城下町を整備しました。

この時に山形市の原型がつくられたといわれています。義光は現在の山形市の繁栄の礎を築いたといえます。