HOME > うらた家の日記

福島 がんばれ!!

一昨日、茨城県のつくばに住む浦田両親宅へ家族で行ってきました。
浦田の父が療養中なこともあり、
時折 孫たちの顔を見せに行っています。

福島・栃木・茨城と縦断する、
一般道で片道 6時間強の見知ったドライブルートですが、
今回は、いつもと違う光景が あちこちにありました。

道沿いに建つ家や店にかぶせられた ブルーシート、
崩れたブロック塀、
大木ごと流れ落ちた山崩れ

山形は、宮城・福島の隣県 同じ東北なので、
映像や ラジオのニュースで 知っているつもりだった被害ですが、
目の当たりにすると
自分がいかに安全なところこから 野次馬のように見ていたか
何とも恥ずかしく思いました。

山形の県境を越えると、ラジオも新聞も 切実で必要な情報と事実を伝えています。
福島は被災県なのだと、改めて思い知りました。

そして、つくばまでの道中 通れなかった道路は一か所のみ。
必死に復旧してくれたのかもしれません。
通らせてくださって、ありがとうございます。

昨夜、帰る道すがら 喜多方でラーメンを食べてきました。
ほの暗い店に、私たちの他にお客さんはいませんでした。

ラジオでも観光地 会津へ来るお客様が、ほとんどなく
厳しい状況だと 伝えていましたが、
いつもは他県ナンバーでにぎわっている喜多方の町が ひっそりとしています。

店の入り口には、喜多方の水道水の放射線検出結果が貼りだしてあり、
建物は何ともなくとも、
ここも大きな被害をこうむっている状況が その紙からにじみ出ているように見えました。

きっと こうやって家族でラーメンを啜ることも
ちっぽけながら 福島の力になるはず。


福島のみなさん、応援しています。
また、おいしいラーメン 食べさせてください。
2011.04.07:(PCより):コメント(0):[うらた家の日記]

ランドセル

  • ランドセル
この間 小学校を卒業した長女。
昔ながらの赤いピカピカした牛革ランドセルを使っていました。

(次女は、 水色のクラリーノランドセル。好みが正反対(笑))

とても気に入って大事にしていて
カバーをつけて登校していました。

本当は、5年生までカバーを付けて、
6年生になったら、カバーをとって
ピッカピカの6年生になるつもりでした。

去年の4月、カバーをとったら 本当にピッカピカ。

それを見た長女
「何だか、もったいない」
とか言い始めて、結局最後までカバーを付けたまま過ごしました。


せっかく大事にしてきたのだからと、
町で集めている 震災支援物資に 今日提供してきました。

どこかで、誰かが喜んでくれますように。
2011.04.02:(PCより):コメント(0):[うらた家の日記]

金色の朝

  • 金色の朝
3月も下旬というのに、雪の量は2月並み。
まだ積雪1.5mくらい。

道路脇の除雪車のつくった雪壁は、
2.5m以上。

除雪したくても、石油難で なかなか。
そろそろ消えていってくれないと、
田んぼ仕事に差障っちゃうよ~。


今朝、朝日が差し込み 雪が金色に輝いていました。
2011.03.23:(PCより):コメント(0):[うらた家の日記]

卒業式

  • 卒業式
18日、長女の小学校卒業式がありました。

16日の予定が、2日延期されての実施。

中学校と併設校なので、卒業式も中学生と一緒。


右半分が、中学生。
左半分が小学生。

この4月から、町内の中学校は一校に統合されることになり、
玉庭中学校としては、最後の卒業式。

中3卒業生から、小学生たちへの言葉かけを聞いていたら、
いつも小さな子たちに心配りをしてきてくれた玉庭の中学生たちの面々を思い出して
ぐっときました。



長女たち 小6卒業生は、新中学校の制服を身にまとい、
早くも中学生のよう。


ここらの卒業式は、ずっと前から こうやって中学校の制服を着て
小学校の卒業式をしているそう。
合理的なような、一足飛びに中学生になっちゃうようで寂しいような。





卒業式の最後は、
在校生から、卒業生 一人一人へ応援のエール。

そして、卒業生から在校生へも 応援エールのお返し。

中学生も小学生も一緒に卒業生を温かく送り出したのでした。

2011.03.21:(PCより):コメント(0):[うらた家の日記]

ふくしま

原発の状況が気になります。

ここ玉庭は、福島第一原発から110km弱。

隣町の米沢市をはじめ、うちの町 川西町にも、
福島県から非難してくる方が、増えてまいりました。

この距離に住んでいても不安ですが
今 避難地域になっている方々は、本当に気が気でないことと思います。

どうか、事態が収まってくれますように。
2011.03.15:(PCより):コメント(5):[うらた家の日記]